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俺達が食堂でまずい食事をかっ込んでいる時だった。

場違いなスーツ姿の男が来て

「お2人とも、飛行機の準備が整いました。急いで荷物をまとめてください」

と俺達をせかした。

「なぜ俺まで」

と驚くキリコに表情を崩さず

「安楽死法案が可決します」

と言う。

「これで汚染地域で働いた人間は、医療行為として安楽死が受けられることになります。どの医師からも、です。

ドクター・キリコ、今までありがとうございました。もうお帰り下さって結構です」

と頭を下げた男は、キリコの抗議に耳を貸しもせず、またすぐ次の台風が来るから今しかない、の一点張り。

俺達は他の医師とあいさつをする暇もなく車に乗せられ、降りたかと思うと小さな飛行機に押し込まれた。

その直後、狭い機体の中は入ってくる人でいっぱいになった。

俺達は座席に座れたが、すぐに通路まで人でぎゅう詰めになり、本当に飛ぶのか心配になるほど。

子供がつぶれそうになって泣き声を立てたが、親が慌てて口をふさいだ。

少し大きな子供達は、つぶされそうになっても声も立てない。

まるで親の緊張が伝わっているようだ。

黙りこくった人達は椅子や手すりにつかまって発進に耐え、機長が

「Z国領空を離れました」

とアナウンスした時、初めて感情をあらわにした。

 

泣く人、叫ぶ人、喜ぶ人。

彼らの話をつなぎ合わせて、やっと事情が少しだけ分かった。

過激な政策を打ち立てていたマック氏の政敵ブランカが、彼の留守中に政権を掌握し、彼を追い落とそうとしているらしい。

俺がいれば彼の政治生命は終わる。

それで急きょ俺達の為に飛行機が仕立てられたのだが、ここに乗っているのはマック氏の関係者や支持者らしい。

「ブランカはさわやかな弁舌と甘いマスクの裏に冷酷な本性を潜ませた男だ。

だから万一があってはいけないから、と言って」

だが支持者を逃がしたマック氏の立場はどうなるのだろう。

 

日本への経由地でホテルに入り、そこで初めて俺達は泣いた。

無力で、悔しくて、悲しくて、自分がちっぽけすぎて。

食いしばった歯の間から嗚咽が漏れだすと、もういけなかった。

俺達は泥酔するほど飲み、頼んでいたモーニングコールを聞き逃して飛行機を乗り過ごした。

とんだ醜態だ。

 

成田で別れようとする男を、ピノコがさみしがっているからと言って家に誘った。

本当はあの一人の家に帰したくなかったのだ。

クローの友人からの手紙が思い出されてならなかった。

Z国から脱出したのは俺達も同じだから。

 

ほとんど話さず、そのまま家に連れ込んだが、シリアスはそこまで。

ドアを開けた途端、台所でドカンという音と共に大量の煙があふれ出し

「いやーん」

という声がしたからだ。

「どうした、ピノコ」

と台所に走ると

「あけないでいいのよ。なんでもないのよ。たまごサラダを作りたくて、ちょっとたまごをあたためてたら、ばくはつしただけ」

と言う。

無視して飛び込むとレンジのドアが吹っ飛び、部屋中たまごらしきものが飛び散っていた。

たまごをそのままレンジに入れたらしいが、なんだ、この量。

どれだけ卵を詰め込んでいたのだ。

彼女に怪我ややけどがないのが奇跡だ。

 

その日は荷をほどく暇もなく、台所の掃除で終わった。

天井のこびりつきは、明日でいいや。

くたくたに疲れ切ってベッドに倒れこんだのに、なぜか目がさえて眠れない。

いや、理由は分かっている。

ベッドの中が暖かくて心地よいほど居心地が悪くなり、ついに起きだした。

眠れるわけないか、と苦笑し、あの男も眠れていないんじゃないかと思う。

見に行こうかどうしようかと逡巡しているとき、遠慮がちなノックの音がした。

 

その晩、俺達は二人で寝た。

言っておくが、ただ寝ただけだ。

シングルに大人二人はかなり狭かったが、悪夢で目覚めた時、隣にぬくもりがあるとどんなに心強いか。

この男と夜を共にするうち、俺はそれを知ってしまっていた。

 

 

数日後の朝、目を開けるとピノコが俺達を覗き込んでいた。

キリコを抱き込んでいるのに気付いて叫びそうになったが、しー、とピノコが人差し指を立てるので、静かにベッドから抜け出す。

うわ、なんて言い訳しよう。

大の男がシングルベッドに2人なんて、おかしすぎる。

いくら服を着ていたって。

 

だが言い訳は不要だった。

「おじちゃん、泣いてた」

部屋を出ると、ピノコが言った。

「目からなみだが流れてた。ティッシュでふいてあげようとしたら先生がこっちむいて、おじちゃんをぎゅってして、あたまなでてた。おぼえてる?」

全く覚えていない。

「寝ぼけていたかな」

と言うと

「おじちゃんをつれてきたの、そのせいなのね。お仕事でこわいこととか、あったの?」

と聞かれた。

「そうなんだ。キリコは昔、いろんな怖いものを見ている奴だから、そういうのを思い出しているのかもしれないな」

と答えると

「おじちゃん一人だから、心配だもんね。でも先生のベッドじゃぎゅうぎゅうよ」

と笑う。

「どうすりゃいいかな」

と聞くと

「患者さんの部屋からベッドをもってきて、くっつけちゃったら?」

と言うので、そうすることにした。

 

それからしばらく俺達は2人で寝ていた。

今までこんな時、一人では延々と飲み続けても眠れず、疲れ切るまで働いて倒れこむように寝ていたものだが、不思議なことにそれほど飲みたいとは思わなかった。

夕食の後、ピノコのおしゃべりを聞きながら交互に風呂に入り、彼女が寝たら晩酌を少々。

ベッドに入ると、手をつないだり腕枕をしたりしながら取り留めもない話をした。

 

こどものころの話。

事故の話。

学生時代の話。

軍医になる前の奴の話。

大人になってから、闇医者になるまでのいくつかの話。

思い出したくもなかったことまでも、なぜか口をついて出た。

今まで誰にも言わなかった話も。

それは髪をすく奴の手のひらのせいだったかもしれない。

不思議なことに口から出すと、思い返すだけで痛かった腫物の内の幾つもが、ただの記憶になっていた。

まだ熱を持つ腫物もあったが、俺がそれに気づく前に奴の手のひらが俺の頭を包みこむ。

撫でられるとなぜか懐かしい心地がして、少しずつ眠くなった。

 

ピノコが真ん中に寝たこともあった。

最初は大喜びでベッドに入った彼女だったが、一緒だと眠れないからいい、と2度ほどで自分の部屋に戻った。

俺達二人ともうるさいんだそうだ。

静かに(?)いびきをかいているうちはいいが、そのうちどちらかが唸りだす。

そうするともう一方が寝返りを打って相手の背中を軽くたたくか頭を抱え込むかして、だがまたすぐに寝てしまう。

間に挟まれたピノコはそのたびに目が覚め、だがすぐ眠れるわけもないので寝不足になってしまうらしい。

「特に先生ったら、ちょっとおじちゃんのいびきがとだえるだけで、ねがえり打ってさがすんだもの。

先生はねむくならないの?」

と聞かれるが、俺自身はそんな記憶、全くない。

「お前が夜泣きをしたころ、そうやってあやしたことがあったろ。その頃の名残かな」

と言ったら

「レディに何てこというの」

とぶんむくられた。

 

3人の生活は、思っていたよりうまくいった。

キリコはぼんやりしていることも多かったが、気が向くと掃除や料理をしたので、ピノコは大喜びだった。

しばらくすると、ふらっと外出して帰ってこない日もあるようになった。

でも、そんな日でもパソコンを開くと

「夕食はいい」

とか

「先に寝ていてくれ」

などの短文メールが入っていた。

奴の部屋を覗いて安楽死の道具がない時は心がざわめいたが、今までのようにそれを糾弾することはしなかった。

見つけた時は憤り、奴が帰ってきたらなんて言ってやろうかと頭の中で言葉をひねくり回すのだが、奴の顔を見るとZ国のあの病院を思い出し、心が萎えてしまう。

 

安楽死こそが望まれる世界。

戻ってこないはずだったキリコ。

 

そのどちらに、より心えぐられるのかはわからないが。

 

俺はキリコが心配だった。

ひどいトラウマを飼っている奴だ。

過酷な経験が奴をまたおかしくするのではないか。

 

トラウマ持ちは自分も同じで、俺も調子を狂わせているとは全く気付いていなかった。

奴が来たのはピノコにほだされたのでも己の孤独のせいでもなく、俺が心配だったからだということも。

ピノコとキリコがなるべく俺を一人にしないようにしていたことも。

 

 

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