(5)
ある日、キリコから
「ちょっと長くなる」
と電話があった。
電話からして今までになかったことだ。
居間で電話をにらんでいる時、国連から秘密裏の要請を受けた。
瀕死のマック氏のオペだ。
迷走していたZ国の政治は、刺激的な政策を謳うブランカの一人勝ちで終わった。
男は大統領になると、すぐさま安楽死法案を通した。
そして俺達が離陸した直後、マックたち反対派の拘束に入ったのだという。
それから厳しい尋問が始まり、彼らは1人ずつ何らかをとがめたてられて汚染地域への奉仕をするよう誘導された。
そこで「苦しい」と意思表示をすれば、安楽死法案が合法的に政敵を排除してくれるということだ。
だがブランカ政権はすぐに崩壊した。
多くの人間が汚染地域へ強制労働にやられた結果、残ったブランカ派も疑心暗鬼に陥り、ブランカ自身を拘束して汚染地域での奉仕に追いやったのだ。
そして問題だけが山積した。
そんな時、原発の状態を憂慮した国連がどんなことをしてかマック氏を国外に連れ出すのに成功したらしい。
もちろん内政干渉は厳禁だから、秘密裏に。
マックは悲惨な状態だった。
皮膚から内臓までが放射能に侵され、まだ意識があるのが不思議なほどだった。
「残念ですが、私の力でも手の施しようがありません」
「何とか1週間、いや3日でもいい。1日でもいい。時間が欲しいのです。
彼がただ生きているだけじゃなく、口述できる程度でなければだめだ。
お願いします。
助け出した直後のマック氏から伺ったのです。瀕死の技師達から聞いたことを話さなければいけないと。
解決策はあるのだそうです。
ですが、たった1日で彼はこんなに弱ってしまった。もう先生しかお願いできません」
うなづくようにわずかに顎を引くマック氏の目から涙がにじむのを見て、俺はオペを決意した。
たった3日延命するためのオペを。
それはクローをオペして以来なぜかメスを握っていなかった俺の、久しぶりのオペになった。
凡そ、出来る限りのことをした。
オペ自体は成功したはずだ。
だが、モルヒネの効きが悪い。
放射能によって神経が過敏になっているのだ。
しかしこれ以上の投与では意識を保てなくなってしまう。
どうすればいい。
その時部屋のドアが開いた。
案内されて入ってきたのは、キリコ。
「また私の出番ですかね」
「キリコ! なぜここに」
「BJ先生、こんにちは。実は私も呼ばれていましてね。
と言っても安楽死の依頼じゃない。
マック氏を本国から連れ出すのに、彼を仮死状態にする必要があったんですよ。
遺体としてしか国外に運び出す方法がなくてね。
私の安楽死装置はうまく使えば仮死状態にもできるし、意識を保ちながら痛みを完ぺきに取ることも可能だ。
但し、後者は緩やかな安楽死につながりますが」
「キリコ!」
患者の意思が尊重された。
意識を明晰に保つのに、キリコの安楽死装置は絶大な威力を発した。
奴の微調整のおかげでマック氏は術後意識が混濁しないまま、ほとんど痛みを感じなかった。
薬転じて毒になるというが、毒も転じれば強力な薬になる。
副作用が致命的なだけで。
彼に残されたのはほんのわずかな時間。
キリコの微調整が切れるまでだ。
マック氏が眠る間が一番危険なので、目を離すことも、誰かが交替することもできない。
人は不眠不休にどこまで耐えられるか。
マック氏と側近たちは時間を無駄に使わなかった。
集音マイクでのビデオ撮影を常に行い、マック氏の言葉を一語一句拾えるようにし、明晰でない言葉も後で口の動きで読めるようにした。
俺はすべて聞いたわけじゃなかったし、キリコは機械に集中していたので切れ切れにしか聞いていなかったが、こんな断片は聞こえた。
「だが、中で作業できる時間はほんの少ししかない。出口にたどり着けずに折り重なった死体もある。
プランを話す。なるべく犠牲を少なくする、だがやはりたくさんの犠牲のいる悪魔のプランを」
マック氏は3日間を持ちこたえ、言うべきことを言い終えると最後の息を吐いた。
気が付くと、床で寝ていた。
マック氏が運び出されると気絶するように眠ってしまったらしい。
誰かが毛布を掛けてくれたらしいが、硬い床で寝ていたので体が痛む。
隣にはキリコが寝ていた。
3日間の徹夜はきつかったらしく、ピクリともしない。
俺は途中で舟をこぐこともあったが、こいつは緊張し続けだったからな。
ごろっと転がって奴のそばに寄り、その髪に鼻をうずめる。
耳の後ろあたりから、キリコの匂いがした。
なんだか落ち着く匂いだ。
くんくん嗅いでいたら
「やめろ、風呂に入ってないんだから」
と顔を引き剥がされた。
こいつ、いつの間にか起きていたらしい。
「いいじゃないか。お前の匂いがする」
ともう一度髪に鼻を突っ込もうとしたが、逆に押さえつけられてのしかかられた。
頬の無精ひげをざらりと舐められ、思わず首をすくめると無防備になった耳を攻撃された。
腰を押しつけられ、二人とも感じているのを知る。
俺はおかしい。
人が死んだのに、大勢の人が苦しんでいるのに、今この男が欲しくてたまらない。
キスでお互いの口をふさいで、手を動かした。
俺の手のひらに覆われて、奴のモノが熱くたぎる。
久しく感じていなかった欲望は火が付くと激しく、2度3度と吐き出してもなかなか静まず難儀した。
本当は体の中までまさぐりたかったが、さすがにここでそこまではできない。
落ち着いたらすぐに窓を開け、シャワーを浴びなければ。
そう思いながらも手を放したくなかった。
マック氏の死後、ビデオは全世界に流された。
原発の現状、どんな作業工程が必要か、それをする為にはどんな危険が付きまとうか。
「申し訳ないが、行けと言うのは死んでくれ、と言うのと同じことだ。
なるべくなら子育てが終わった世代にお願いしたい。
これは英雄の仕事じゃない。働き蜂の仕事だ。
スズメバチが巣に侵入しようとする時、一斉に襲い掛かり、己の命を捨てる働き蜂だ。
卵や幼虫を守るもの、女王蜂を守るもの、脅威が去った後に巣を治すのも同じように重要だ。
くれぐれも行った者を英雄視してはいけない。それは強制につながる」
「他の国で生きる希望がない、生きていても仕方ない、自殺をしたいと考えている方は、どうせならこちらの労働に参加してほしい。
だが途中で後戻りはできないので、よく考えてからにしてくれ。
報酬は満足感しかない」
「絶望的な状況だが、チェルノブイリもフクシマも持ちこたえた。
Z国だって持ちこたえられるはずだ。
いや、50年後に生き残っていたら、ここは世界で一番の楽園になっているかもしれない。
一時的に人口は激減するだろうが、他国で問題になっている人口問題や高齢化問題は回避されるだろう。
だから希望を持って生きてほしい。孫の時代を思ってほしい」
マック氏が死んだ後、人海戦術で原発の暴走を防ぎ、管理できるようになるまでにZ国の老人はかなり減った。
彼の最期の壮絶な映像を見て、人海戦術の駒になる人間、ならざるを得ない風潮が出来てしまったらしい。
国内外からの批判はあった。
ファシズムの再来だ、個人の自由の侵害だ、神への冒涜だ、と。
恐怖ゆえの心神喪失状態だという人もいた。
異常発生したレミングが海に沈んでいくのと同じ真理だと分析する学者もいる。
だが、そうだとしてほかにどんな方法があるのか、というのがZ国政府の考えのようだ。
それが国際的な非難にならなかったのは、このままでは世界中を巻き込む災厄になる可能性があるということのほかに、暫定政府の人間自身が10年後に自分達も働き蜂としての使命を全うすると公約したせいもあるだろう。
政府の人間は次世代の教育をこの10年で行い、政権を移譲したら原発最前線での仕事をする。
提唱したのは海外からの戻り組だ。
その中にはクローに手紙を出したあの友人もいて、彼はマック氏救助のために尽力したせいで、今や政府の中心人物らしい。
皮肉なことだ。
クローがもし生きていたら、いや、彼が死んだからこそマック氏救助の為に立ち上がる男が出、マック氏の演説があったからこそZ国の今の地獄と将来の希望が出来たわけで…。
1時期はすべてが滅ぶのではないかと言われたZ国だが、原発が廃炉になるころには、もしかしたらマック氏の言うように世界で一番の楽園になっているかもしれない。
それまでに秩序が崩壊したり、逆に締め付けや管理の行き過ぎで生きる希望が無くなっていなければ。
その前にほかの国が核のスイッチを押したり、似たような事故を起こしたりしなければ。
それは誰にもわからない。
俺と言えば、やはりオペをしたり、キリコと現場でバッティングして罵り合ったりしている。
奴とは半同居状態だが、部屋は変えた。
手術欲と共に性欲が戻ってしまったので、とてもじゃないが一緒のベッドで寝るだけなんてできなくなってしまったのだ。
あのころの俺はどうしてお互いの体に触れるだけで満足していたのだろう。
無理だ、そんなの。
時々どうにも我慢できない気分になることがあって、自分を持て余すことがある。
そろそろ奴に帰ってもらって、通い婚を復活したほうがいいかもしれない。
そんな風に生きながらも、ピノコの寝顔を見ると彼女に未来があればいいと思う。
ピノコだけじゃない、彼女の幼稚園の友達も、近所の悪がきも、Z国の子供達にも。
電話が鳴った。
「息子さんのオペですかい? 先日のカルテを見たところじゃ、まあ1億。
それにあんた名義でZ国に1000万の寄付をしていただこうじゃありませんか。
なに、できない? それはあんたが有名な原発推進論者だからですかい?
なら非公式でいい。
オペが成功したら、一度Z国に視察に行ってください。
あなた、息子さんを救いたいんでしょう?
日本はZ国より地震の多い国だ。
せっかくオペで治った息子さんの未来が原発の推進でどうなるのか、見てみなさい。
Z国だって事故の前は安全対策は万全だと言っていたんだからね」
何とか気持ちに折り合いをつけて、俺は黒医者を続けていく。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。