(2)
2日ほど虚ろに過ごした俺に活を入れたのは、仕事の依頼だった。
場所はZ国。
もう、笑うしかない。
腐れ縁なんだ、悪いな、キリコ。
Z国には何度か行ったことがあったが、確かに今回は様子が違った。
以前は女性が開放的な服装をしていたものだが、街を歩く人は誰もがきっちり着込んでいる。
つるつるした上着とズボン、帽子とマスクとゴーグルで男か女かわからない奴が多い。
放射能への不安の表れか、それとも治安悪化で隙を見せたくないためもあるのだろうか。
車は街中では止まらず、坂を上り、山奥に入って止まった。
高い柵を越えた中には、隠れるように病院が建っていた。
そこは政府直轄の秘密病院だった。
致死量の放射線を受けた人間だけが入る、内外的に公表されていない病院なのだ。
俺の仕事は、その中の一人のオペ。
原子炉の暴走を食い止めるためには、決死隊が必要だった。
本当の意味の決死隊だ。
ロボットすら放射線で誤作動を起こし制御不能になる悪夢の中、作業をするには高濃度の放射線を浴びざるを得ず、だがその作業をしなければ世界規模の大災害になるという試算が出た。
Z国は志願を募った。
志願すれば、家族を国外避難のリストに入れるという特典付きで。
本当のところ国外避難できても難民キャンプに放り込まれるだけ。
命が助かるという、それだけなのだが、多くの志願者が出たらしい。
政府は正確に公表していないが、多くの死者も。
死ぬに死ねない者たちも。
その中に、偽名で志願したものがいた。
政府の高官の息子だった。
病院にはキリコがいた。
「お前さんが来るとはな」
とため息をつくと、それでも病院の案内を引き受けてくれた。
中は地獄だった。
昔、日本政府の要請で放射能汚染の治療にあたったことがある。
その時の患者はたった3人だった。
この病院は患者であふれかえっていた。
見ろ、BJ。
それでも彼らは行った。
政府は防御服の安全性をうたっていたが、ほんのちょっとした事故が起これば汚染されてボロボロになることくらい、分かっていた。
急激な放射能汚染によっておう吐し、熱発し、脱毛し、水泡を作り、下痢をし、出血し、衰弱して死ぬ。
それが分かっていても、トラックに乗ったんだ。
わが子に生きる可能性を与えるために。
すべてを失い、最後に誰かのためになりたいと志願したものもいる。
ミサイルが飛んでなくても、ここは戦場だよ。
希望なんて、ない。
キリコはやつれていた。
だが、その姿は日の下で生きる1人の医師のものだった。
人手が足りているとは言いがたかったが、スタッフはそれなりにいる。
だがほかのスタッフの世話を受けているものでも、キリコに気づくと奴から目を離さなかった。
「キリコ先生」
と言う声が、無言のまま震える手が、方々から上がる。
それに答え、奴が包帯に巻かれた手にそっと触れ、目を見つめて頷く。
それだけでほっとしたように力を抜く患者達。
そこに普段の後ろ暗い雰囲気はまったくなかった。
逃げる金もつてもあったにもかかわらず、その家族は全員国内に残った。
政治家の家族は最後まで残る責任がある、という持論があったのだという。
腐った政治家が多い中、責任感があると国民の支持の高い男、マックが俺の依頼人。
一人息子のクローが俺の患者だ。
俺が病室に入った時、クローは手紙を読んでいた。
海外に逃げた友人からだという。
曰く
みんなを置いて逃げたことを後悔している。
母は精神を病み、部屋を1歩も出なくなった。
外に出るとみんなが自分を非難しているようで、俺自身も外に出るのが怖い。
気が狂いそうだ。
「そんなこと言っても、国から出られず飢えと放射能の恐怖に苦しむよりはましだと思いますけどね」
読み終えた手紙を放り投げたクローは
「僕は手術を望みません」
と言った。
「先生が名医だとは伺っています。だから先生がおっしゃる通りの手術を全部受けたら生き延びられるのかもしれない。
でも、この病院のすべての患者に行えますか?
現場に行ったのは僕だけじゃない。これからも事故が起これば際限なく行かなくてはいけない。
お父さん、分かってください。
今、僕に必要なのはこの先生じゃなく、ドクター・キリコなんです」
マックと妻がかき口説いたが、息子の決意は変わらなかった。
「その金があるなら、他の人のために使ってください。僕はもういい。
最後に自分がやるべきだと思ったことをやれて満足しています。
このまま死にたいんです。誰かを恨む前に」
泣き崩れる両親に、クローは疲れた笑みを返すだけだった。
その日、クローはキリコの手で静かにこの世から去っていった。
1枚の写真を胸に抱きながら。
「先生、ご足労をおかけしたのに、申し訳ありませんでした。ほんの些少ですが、足代をお納めください」
と封筒を差し出され、辞退する。
「私は患者のオペが成功しなかったらいただかないと決めているのです」
とそのまま退出しようとしたが
「ではせめて、1杯付き合っていただけませんか。公務に戻る前に少しだけ気を落ち着かせたいのです」
と言う。
その悄然とした姿に
「では1杯だけ」
とソファに戻る。
男は二つのグラスに氷を入れ、酒をほんの少し加えると
「外では簡単に手に入るのでしょうが、ここではとても貴重なものです。
息子が治ったら飲もうと思っておりましたが、それはかなわなくなった」
とため息をつき
「すみません、愚痴を言うつもりではなかったのですが」
と一つを俺に渡すと軽くグラスを上げた。
「私は信念を持っていると思っていた。みなが苦しいのだから、自分や家族もそれに殉じるべきだと。
けれど、息子が死にかけたと言えばこの通りです。
私は首都の出身だったから、ほとんどの財産を失った。
だから息子のことを美談に仕立て上げて海外の知人に寄付を乞い、金をかき集めたのです。
クローだけの為にあなたをお呼びした。
国民のために、と言いながら、私は息子が、クローだけが大事だったのです」
振り絞るように言ったマックは頭をかきむしった。
「親なのですから、当たり前でしょう」
と口を挟んでみたが
「でも、指導者がそれでは駄目なのです。クローが最後まで持っていた写真、ご覧になりましたか」
と聞かれる。
「確か、最後まで燃料プールを崩壊させまいと現場に残っていた原発の技師だったとか」
と思い出しつつ話すと
「本当は、現場の人間は残ったというより、逃げることもできなかったんですけどね」
ほろ苦く笑ってマックは言った。
「原発側は、せめて将来子供を産む可能性のある女性だけでも退避させてくれと言ってきた。だがどこもパニック状態で、技師と世界、どちらの人口が多くて大事か、なんて言葉まで出てくる始末だった。
彼らはもう、人柱ですよ」
「それを私も当たり前だと思った。そういう仕事を選んだのだからと。
でも、クローにとっては彼女の未来こそが大事だった。
彼女は大学の同級生だったそうですが、きっとそれだけではなかったのでしょう」
と大きなため息。
「そして息子はすべてに絶望してしまった。
決死隊に応募してくれた人達にはそんな人が多かったのです。
養う人間がいるものは、同じ原発で働くにしても、一番の危険には志願しなかった。
決死隊はZ国に、未来に絶望し、だがそのまま死ぬには悔しくて、最期に意味のあることをしたいと願った人が多かったといいます。
もう、国民全体がそんな雰囲気なのかもしれません」
そう話すマックは大柄な風体がしぼんで見えたが
「私ももう何のためにがんばればいいかわからない。でもね、先生」
と口調を変え
「私はあきらめませんよ。あの世で息子に会った時、それでも生きていて欲しかったと恨み言を言いたいですからね。
最後まであがいてやる。先生の顔を見ていたら、なんだかそう思えてきました。失礼ですが、その顔、何か事故に遭われたのですか」
と言う。
「ま、そんなとこですね」
と答えながら少しおかしかった。
今、この人に必要だったのは俺の手じゃなく、この醜い傷跡だったとは。