老舗レンタルサーバーサービス

(中)

 

 

本当はとっくに知っていた。

俺は安楽死が許せないんじゃないんだ。

多分ほかの奴が安楽死をしていると聞いても、ふうんと言って終わったはずだ。

最初の頃、俺は奴のことだって興味なかったんだから。

 

あの夢は、俺だ。

背中合わせの俺。

「腕は良くても業突張りなんですって」

「いつかはお縄になると思っていたんだ」

「無免許医め」

「絶対助かるなんて言っておいて、あの人を返して!」

とののしられる。

いつか突然に断ち切られるだろう、綱渡りの人生。

俺はそれでいいと思っている。

けど。

 

けど。

 

ベッドに寝ていることができなくなり、端から滑り降りる。

地面に足がついても、今度はさっきより踏み止まれた。

寝た分、体が回復したのだろう。

点滴をガラガラ言わせながら引きずってドアまで行き、ノブを回す。

鍵はかかっていなかった。

俺を信用したのか、それともドアが開かなければほかから脱出するだろうと本気で思ったのか。

どちらにしても、俺がドアを開けるのは想定内だろう。

さっき仕方ないと言っていたんだから。

 

とは言ってもやましい思いはあるので、とりあえずトイレを目指すことにした。

チューブが入っている時は膀胱に小水が溜まる事がない。

自動的に出てしまうので、取ってしばらくは出し方がわからなくなってしまう。

普段は便器の前に立ては簡単に催すあの感じを思い出すことができず、また腹筋を使えないので力の込めようがない。

20分もがんばって、杯に入るほどしか出なかった。

管を取ったの、早まっただろうか。

 

どこかでパタンと音がした。

車のエンジンのかかる音。

奴が出かけるのだろうか。

何も言わなかったのだから遠くではないのだろうが、これはチャンスかもしれない。

 

患者を横取りしようとは思っていなかった。

物理的にも今の俺には無理だ。

ただ、話せるものなら話してみたかった。

何でもいい。

よくよく考えてみれば、俺は奴の安楽死を見たことがなかった。

一度だけ患者に接する様を見たことならある。

あの頃のあいつは死神の化身と呼ぶにふさわしかった。

だが、あいつが急激に変貌していっているのを知っている。

医者の端くれだ、と言ったあいつは、では今どんな風に仕事をするのか。

 

点滴が終わったのでこれ幸いと管をはずし、邪魔なので器具を部屋に押し込める。

多分ここじゃないかと思っていたあの機器が整った部屋を覗くと、患者はいた。

老人だ。

眼が合い

「こんにちは」

と言うと

「あんたが安楽死希望じゃないわがままな患者か」

と聞かれる。

「あいつ、俺のことを何か話していましたか」

と聞くと

「タクシー代まで出されたから今度こそ請求書を出してやるといきまいていたかな」

と言われ、しまったと思う。

そういえば、タクシーのことなんて忘れてた。

今までもジュースとか弁当とか電車代とか、そういえば返したことがない。

うーん、じゃあ今度オペがあったら、その半額を送るとしよう。

高くても、安くても、半額。

よし、決めた。

 

「ま、何にしても律儀な奴だな、あのドクター・キリコって先生は」

というつぶやきに注意を引かれ

「どうしてここを知ったんです?」

と聞いてみる。

「息子が戦時中に死んでね。爆発の怪我が元で、と聞いていたが実は安楽死を頼んでいたと言う奴がいたんだ」

「わしは息子がそんな弱い人間だと思ってない。だからドクターが重体だった息子に無理矢理安楽死を施したんじゃないかと思った」

「ここには殴り込みにきたんじゃ。今でも安楽死をしているという噂を聞いて、話によっては世間に悪行を暴露してやろうと思っていたんじゃが」

「体の方がもたんかった。だからわがままをたくさん言って、追い出されたら通りがかりの人間の足にすがって、少しでもここの悪口を広めてやろうと思った。だがこの通りだ。あのドクター、一人で料理や洗濯だの掃除だのやって、合間にわしの愚痴を聞いている」

遠い目になってため息をつく老人の話を聞いている途中、息を呑む場面もあったが、聞き終わると俺も同じようにため息をつくしかなかった。

本当にバカだ、あいつは。

俺だのこの老人だの、お荷物を抱えてフウフウ言って。

きっと戦場でもそうだったのだ。

そうして抱え込んだまま、臨界点を越えてしまったのだ。

 

「わしは安楽死を頼んだよ。ただし機械も毒薬も使わずにそのまま死を看取ってくれと。ずるいと思うが、少しでも息子の気持ちを知りたい。この無念や憤りがどうなるのかも知りたい。わしは最後にあの先生をどう思うんじゃろうな」

そう言って口を閉ざした老人は、だがもう自分の答えを知っているようだった。

俺もいつか、遠い未来に事故の首謀者達を赦してもいいと思える日が来るのだろうか。

それとも一生来ないのだろうか。

 

考えていると、車の戻ってくる音がした。

「まずい」

思わず声を出し

「すみませんが、失礼します」

と部屋を出ようとしたのだが、回れ右した途端、足が滑って転倒。

したたかに腹を打って丸まってしまう。

 

まずい、足音が聞こえてきた。

まっすぐこっちに来る。

あわてて横に転がりベッドの下に入るのとドアが開くのが同時。

じいさん、よけいなこと話さないでくれよ。

 

奴は

「遅くなりました。俺のスープよりはましなものが手に入りましたよ。食後にゼリーもありますけど、まずはこっちを試してみてください」

となにやらトレーを置いているようだ。

「ふん。口に合わん。もういい」

とじいさんは横柄に言っているが、もしかして食欲がないのだろうか。

「ゼリーくらいあと一口いかがですか」

と言うあいつはしばらくして諦めたのか、スプーンを置いたようだ。

よし、そのまま出て行け。

その隙に俺も部屋に戻るから。

 

突然

「お前さんは親父さんとはどうだったんだ」

と問うじいさんの声がした。

爺さん、俺がここにいるの知っているんだろう?

ちょっとは配慮してくれよ。

しかも奴にとっては思い出したくない記憶のはずだ。

俺のオペは成功したのに、自分の早合点で親父さんに毒を注射し、殺してしまったのだから。

 

つらい記憶なんだから、少しは言葉を濁すのだろうと思っていた。

だが奴は時々声を詰まらせながらもすべてを話した。

俺の知らなかったこともあった。

2度手術をしてもらっても原因が突き止められなかった時から、親父さんに安楽死を懇願されていたこと。

もうちょっと待ってくれと自分でも開腹をして、必死で原因を探したのにどうしても原因を見つけられなかったこと。

声を出せなくなっても顔を見る度無言で訴えかけられるのに、とうとう施術を決心したこと。

決行しようと機器を用意している時後ろから妹に殴られ、親父さんを奪われたこと。

妹が逃げ込んだ先は世界的な天才外科医の元で、そいつは自分がどうしても見つけられなかった原因を見つけたのに、自分が先に毒を注入していたせいで親父さんが死んだこと。

 

まるで懺悔をするように語った男は、だが最後に声の調子を変えた。

「私のことを諦めるのが早すぎる、と言う男がいます。たまにそうかもしれない、と思う事がある。ここは戦場ではないのだから。ですが戦場の安楽死について、私は過去に戻されてもやはり同じことを繰り返すんじゃないかと思っています。あの中で無駄に苦しみを伸ばし続けることは私にはできなかった」

 

男の言葉を噛みしめる。

俺は俺の道を行くしかない。

もし俺の道に男の影を見たら、俺はこの男を全力で阻止し続けるだろう。

けど、この男はこの男の道を行く。

俺はわざわざこの男の尻を追い、俺の道から外れてまで出しゃばってはいけないのだ。

そんなの当たり前だ。

当たり前の仁義なのに。

 

男が大きなため息をついた。

立ち上がり、食器を片付ける音がする。

かしゃん、と音がして何かが落ちてこっちにきた。

スプーンだ。

まずい、と思ったときには男の顔がこっちを覗き

「ブ、ブラックジャック!!」

と叫んだ。

こうなったらもう仕方がない。

ベッドの下からもぞもぞと這い出てじいさんに

「お邪魔しました」

と挨拶する。

それからそっとあいつを振り向く。

床にひっくり返って口をパクパクしながら俺を指さす男に

「悪かった」

と言い、部屋に戻った。

布団に潜って反省。

今日はもうおとなしく寝ていよう。

 

しばらくするとどたどたと足音を立てて男が飛び込んできた。

足音を立てないこの男が珍しい、と思う間もなく布団をはがれ、パジャマをめくられる。

「腹を打ったというが、おかしい所はないか」

真剣な顔で触診しながらそう言われ

「平気だ」

と答えると男はハーッと大きく息をついた。

あ、もしかして心配してくれたのだろうか。

ほんのちょっと気持ちが動いたが

「だからうろつくなって言ったろう」

とか

「点滴の針が折れでもしたら大事故になるじゃないか」

とお小言が続くので、淡い喜びはすぐに霧散する。

うるさいけど、こっちが悪いのでしばらく付き合うしかないか。

だが

「もしかして、本当は俺に拘束してほしいからオイタばかりするのかな? ご希望通り、雁字搦めに縛ってやろうか」

と凄まれた時、場違いにも先日のことを思い出してしまい、いたたまれなくなって布団に潜る。

もうおとなしく寝ているから、俺のやましい気持ちを悟らないでほしい。

 

 

(上)へ (下)へ