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(下)

 

 

身体を硬くして毛布に包まっていると、ふうとため息をついた男は

「ちゃんと寝てろよ」

と俺の髪を軽くかき混ぜて出て行った。

頭皮に残る感触が薄れそうな気がして身動きできなくて、じっとしている内にいつの間にか眠ってしまったらしい。

 

気がつくと外は真っ暗、深夜になっていた。

ベッド脇のトレーには冷め切った食事が載っている。

ご飯とから揚げとサラダとスープだ。

少々色にばらつきのあるから揚げは、だがちゃんと味が滲みていて見た目よりうまかった。

今まで何の気なしに食べていたが、これはあいつが作ったものだったのか。

冷え切ったスープなどうまくもないがその労力を考えると残すこともできず、ゆっくり啜る。

 

かすかに人の気配がする。

あいつは起きているらしい。

あの老人、具合が悪いのだろうか。

見に行きたいと強く思うが、見に行ってどうするのか。

あれは俺の患者じゃない。

主治医がいるところにしゃしゃり出るなんてこと、他の病院では俺はしない。

主治医は奴だ。

そう思おうとしても、気になるものは気になる。

悶々としながら夜が明け、外が白むまで室内を歩行訓練して過ごす。

 

いい加減この部屋に飽きた時、ドアのほうから明らかに大きな音がした。

ドアを開けて廊下に出ると、あの老人の部屋が開け放たれたままになっている。

異変を感じて中を覗くと、ベッドの上で老人の足が痙攣しているのが見えた。

上半身はかがみこんだキリコに隠れて見えない。

その足が大きく震え、そして緩やかに動きを止める。

しばらくして奴の背中の緊張が解け、肩が落ちる。

 

どのくらい時間が経ったろう。

俺はいつの間にか部屋に入り、男の肩に手を置いていた。

その位置から垣間見える老人の口元は、ほんの少し笑っているように見えた。

こいつはどんな顔をしているのだろうかと思ったが、俺の位置からは見えない。

しばらくすると

「悪いが食べ物は台所を漁ってくれ」

と言われた。

席を外してほしいのだろうとおとなしく台所に行き、電話に気付いて情報屋に連絡を取る。

 

「ドクター・キリコに少々興味があるんだが。彼の顧客には彼がしょっ引かれると都合の悪い大物はいるものかね?」

と問うと

「先生、まさかドクターを通報するつもりじゃないでしょうね。それは止めておいたほうがいいですよ」

と言いながら、名は伏せるが政・財界や警察関係にも通報を嫌がる人間が数名いて、万一通報があってもすぐさま揉み消されるだろうことを教えてくれた。

「そうかい。じゃあ無駄なことはやめておくかな」

と言いつつ切って、ほっとする。

皮肉なことに、俺達は秘密が増えるたび、危険と共に隠れた保護も増えていくのだ。

 

冷蔵庫を眺めるが、あるのは材料ばかりで俺の手に負えそうにない。

かろうじてパンと水を見つけて奴の所に持っていく。

奴はまだ老人の部屋にいたのですぐそばにそれを置き、後ろ髪引かれたがそのままあてがわれた部屋に戻る。

ベッドに寝転がって天井を見、これからのことや老人のことを考えたつもりだったのだが、いつの間にか寝ていた。

かなり元気になったつもりでいたが、どうもまだまだらしい。

少し動いただけでいくらでも眠れてしまう。

 

老人のいた部屋を見に行ったが、すでに彼は運ばれたらしくがらんとした空間が残っていただけだった。

奴はどこに行ったのだろうと順番に部屋を覗いて行くと、何のことはない、リビングのソファに横になって眠っていた。

俺が近づいてもまぶたがピクリともしないのだから、よほど深く寝ているのだろう。

俺の部屋の予備の毛布を持ってきて男にかけ、後は屋敷を探検したり、その途中で見つけた本や論文を読んで過ごした。

男の蔵書にはなかなか興味深い本が多く、退屈せずに済んだ。

食べ物には少々難儀したが、台所の戸棚にカレーとご飯のレトルトを見つけてからは食事情も好転した。

ソファで熟睡する男をおかずにカレーを食う。

うん、なかなか悪くない。

 

そんな食事を2度繰り返し、3度目のカレーの封を切った時に、奴の目がぽっかり開いた。

起きたら

「よく寝ていたな」

とか

「お疲れさん」

とか、そんなねぎらいの言葉をかけてやろうと思っていたのだが、奴の第一声が

「おい、こら、そんな刺激物を」

という頭ごなしの非難だったので、ふてくされて

「さっきも食べたけど平気だった」

と口答えすることになり、愁傷な気持ちも吹っ飛んだ。

こいつったら

「同じ棚に買ったばかりの病人食のレトルトがあるのに」

とかぶつぶつ言い続けなのだ。

カレーがあるのに俺がわざわざそんなまずいもの、食べる訳なかろうが。

 

さすがに長く世話になりっぱなしだし、怪我の具合も良くなってきたので帰ってもよかったのだが、特別何も言われなかったのでもう少しだけ居座ることにした。

鍵のかかっていない部屋なら入っていいと言われたので階段を使って歩行訓練をし、2階を探検し、奴の部屋の本を1冊借りては階下のソファで自堕落に読む。

台所を漁ってコーヒーを淹れる。

そして本やコーヒー越しに奴が洗濯物を干すのや料理をするのを眺めて過ごした。

 

患者にはそれなりの情がわくものだ。

特に今回の患者は因縁交じりのようだったし、思うところも多かっただろう。

奴は時折仕事の手を休めて宙を見、ため息をついたり頭を振っては又作業を続けるのだった。

何か言ってやりたいと思う事はあったが、俺が奴の仕事を話題にすると余計にこじれるだけだと判っていたので言うのはやめた。

その代わりにうまいコーヒーの1杯でも淹れてやろうとするのだが、俺が使うと必ず

「滓くらい捨てておけよ」

などのお小言がついてきてしまうのだった。

 

ここに来てから1週間目の日、ピノコに連絡するのを忘れていたことを思い出し、大慌てで電話をする。

キリコの家に来る前、あのレストランで

「急用が出来たからあと何日か遅くなる」

と言ったきりになっていたのだ。

案の定彼女はお冠で

「いままでどこでなにしてたの」

「おんなといっしょじゃないでしょうね」

など、多分メロドラマで知っただろうせりふをいくつも言う。

どこまで意味がわかっているんだろうと思いつつも

「ちょっと野暮用で老人の患者とドクター・キリコと一緒だったんだ」

と言うと

「またたいけつ? もうおとこのひとってなんでこうたたかいとかたいけつとかがすきなのかしら」

と大げさにため息をつくので、実は俺も患者だったとは言わずに済んだ。

 

ご機嫌が直ったところでおねだりが始まる。

「ねえ、おみやげにケーキをかってきてね。おいしいの、たーくさん」

と言うのにはいはいと答え

「ねえせんせい、あいしてるっていって」

と言うのに渋ると

「おうちにかえって、ピノコのおかおをみながらいってくれるならそれでもいいのよ。ピノコずうっと一人でさびしかったんだから」

と迫られて

「愛してるよ」

と言わされる。

彼女もこのごろ知恵がついた。

それともこういうシーンが少女漫画かなんかにあったんだろうか。

 

ふと視線に気付き

「長話になったから切るぞ」

と言って受話器を置く。

振り向くと男はここ最近見たことがないほど険悪な顔をしていた。

勝手に電話を使って悪かったかな。

謝ろうとしたのだが、男は最初からけんか腰だった。

「名だたる悪徳医師が甘い声も出せるもんだ」

とせせら笑ったかと思うと

「俺のことをなんと言ったのかは知らんがね、俺が邪魔なら無視すればいい。人の家を体のいい避難所代わりにするな」

とすごい剣幕だ。

キリコを留守の言い訳にしたのは悪かったが、そこまで怒る事はないだろう。

「うちの小さい『おくさん』は嫉妬深くて大変なんだよ」

と肩をすくめてみせたが、奴は余計にヒートアップして

「奥さんが大事なら、きちんと大事にしろ。こんなところに来るな」

とまで言われてこっちも頭に血が上る。

「大事にしているからこそ、彼女に怪我を見せられないんだろうが。お前さんに言われたくないね。こんな稼業、いつしょっ引かれるか! 俺なんかよりよっぽど危険極まりないことしているじゃないか!」

と盛大にわめき、男に掴みかかる。

勿論怪我した身ではまともな喧嘩になどなりはしなかったが。

「出て行け」

と上着とコートを突き出され、ひったくって着込む。

男はこれ見よがしにタクシー会社に電話をかけ、住所を伝えてすぐ来いと言っている。

荷物はないが、上着の内ポケットにはいざと言う時の為の1万円札が忍ばせてあるし、何とかなるだろう。

 

そのまま玄関に向かう俺の後ろで、奴が

「俺の気持ちも少しは考えろ。奥さん奥さんって、チクショウ!」

とソファかなんかを蹴飛ばす音がした。

タクシーに乗っても最後の言葉が耳から離れず、さっきの会話を最初から思い出してみる。

なんだか噛み合ってない、と頭をかしげつつもうとうとし

「お客さん、この丘の上でいいんですか?」

と運転手に聞かれた時に思いあたった。

もしかしたらあいつ、俺が言う「奥さん」がピノコを指すのを知らないんじゃないかって。

 

 

接触はありませんが、私は表に置くには恥ずかしいキリジャだと思っています^^;

 

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