顧客資産

奴の仕事(上)

 

 

ひどい目に遭った。

まあ、大金持ったまま歩いていた俺も悪い。

だから強盗に撃たれ、金を取られるまでは自業自得と言えなくもない。

けど、あんなやぶ医者に腹を切られるなんて。

 

もう薮なんてものじゃない。

なんと開腹の経験が一度もないというのだ。

一応医大を出、医師免許を持ってはいても、免許は三千万で買っただけのただの竹光。

医大も裏口で入り、中ではマージャンばかりしていたと言う。

こんな奴が取れて俺が取れない医師免許って何だ。

という怒りもあるが、こんな医者に俺の体を切らせないといけないだなんて、情けないと言ったらなかった。

だが、今は俺の手が使い物にならない。

とにかく細かく指示してオペをさせるしかなかったのだ。

 

恐ろしいなんてもんじゃなかった。

注射針を骨にゴリゴリ当てるは腹を切ったところで

「だめ!! お手あげ」

と敵前逃亡しようとするは。

こんな中途半端で投げ出されちゃ出血多量で死ぬだろうが!

と怒鳴りたくても大声すら出ない。

興奮したらしただけ出血が増えて死が近づくだけだ。

落ち着け、落ち着け俺。

 

なるべく優しく

「簡単な治療ならできるんだろう。じゃあこれも腹を切っていると思うな。ちょっとした傷を縫うんだと思え」

とか何とか丸め込みながらとにかくオペを続けさせ、冷静に指示を出していたことまでは覚えているが、どこまで指示できたかまでは覚えていない。

途中で意識が飛んだからだ。

それどころか呼吸停止の仮死状態にまでなったらしい。

今生きているのはもうけものなのだ、きっと。

 

そうは思うのだが、このままで済まないのは明白だった。

確かに縫ってくれてはいるが、余分な水分を排出させるためのドレーンまでは気が回らなかったらしい。

中で分泌液が溜まってきているらしく、痛くて重苦しい。

このままでは感染症を起こすのは時間の問題だろう。

 

まだ手に力がはいらないので、家に帰ってもセルフオペを行えるとは思えなかった。

手塚のところに厄介なることも考えたが、ピノコにばれるのは確実だ。

この間手を吊って帰ったばかりなので、なるべくなら彼女を心配させたくない。

同窓だった大病院の院長もいるが、あいつも藪だし強欲なので却下。

普通の病院で銃創を見せるのはちょっと気が進まない。

 

世話になっているレストランのマスターにタクシーを頼んでもらい、復旧した電話でキリコに電話してみる。

駄目でもともと、いなかったら手塚のところに転がり込もう。

そう思っての電話だったが、3つコールしただけでつながった。

地獄に仏。

「悪いがちょっとへまをして怪我したんだ。今からそっちに行くから何日か泊めてくれ」

と言うと

「ええ、ちょっと待て」

とか

「そんな急に」

などという声が聞こえたが、構わず切る。

行って門前払いされたらその時はその時。

とりあえずあいつの顔を見てから考えよう。

と思ったのだが、タクシーで移動中に出血。

問答無用で世話になる羽目になった。

 

世話になるどころか、オペしなおしてもらう羽目になった。

 

「ま、確かに応急処置にはなっているな。弾は取り出せているし、しばらくは止血も出来たんだから。けど確かに応急処置でしかないな。分泌液が結構出ている。どこか傷になっているんじゃないか」

「内臓が傷ついたままへらへら出来るほど化け物じゃないぞ」

「いやア先生ならありうるね。…腸間膜まででほとんど力を吸収できたんだな。大した銃じゃなかったわけだ。中の縫合、めちゃくちゃだ。ちょっときれいにしてドレーン入れとくぞ」

局所麻酔で鏡を据え付けてもらい、男のお手並みを拝見する。

「先生と比べるなよ。俺は目を悪くして以来、オペなんてご無沙汰なんだから」

と言いながら振るう男のメス裁きは、だがそう悲観したものじゃなかった。

戦場で件数をこなしていたからだろう、手順も思いっ切りもいい。

縫合はゆっくりだったが、これは片目で遠近感がないせいもあるのだろう。

オペが終わり、俺に点滴の管をつけた男は

「俺はほかの部屋にいるから、用があったらこれを押せ」

とブザーを俺の手に握らせると、すぐに部屋を出て行ってしまった。

眠いのを見破られているのだろうか。

悩まされていた痛みも麻酔のせいで治まり、今はただ眠い。

今までほとんど眠れなかったからだろうか。

 

ふと目覚めると、点滴のパックが交換されていた。

あいつ、来ていたのか。

寝ていたって、一言声を掛けてもいいのに。

思いながらまた眠りに引き込まれる。

 

次に目覚めたのは朝だった。

誰かが動き回る気配を感じ、目を開けると男が窓を開けて換気するところだった。

俺の目が覚めたのに気づいた男は一通り具合を聞いてベッドの角度を変え、点滴を換えると

「後でな」

と出て行く。

ずいぶんあっさりしたものだ。

1時間ほどして水とスープと新聞を持ってきた男は

「悪いが構ってはやれないんだ。用があったらブザーを鳴らせ。チューブはまだそのままでいいな」

というとまたすぐ出てしまった。

依頼か、依頼なのか?

いや、でも渡されているのは携帯じゃなくてただのブザーだ。

外出するわけではないのだろう。

ということは依頼じゃないはず、いや、まさかと思うがこの屋敷の中に依頼人がいるのだろうか。

 

機材はあった。

最初は荒れ果てていたこの家も、次に来た時はずいぶん片付いていた。

居間なんて、まるで診察室みたいなしつらえになっていたっけ。

 

患者がいるとは限らない。

もしいたとしても、男が普通の医者をしている可能性だってないわけじゃない。

己に言い聞かせてみようとしても、無駄だった。

もしここが診療所になっていたとしても、患者の大半は安楽死希望だろう。

いるのだろうか。

ここに。

この同じ屋根の下に。

 

ベッドの端まで移動し、そろそろと足を下ろす。

痛み止めのせいで痛みはそうないが、腹筋を使えないと立つことすら難しい。

先ず足を踏みしめられないのだ。

それでもしばらくするとめまいも治まり、足踏みくらいはできる様になった。

それ以上はまだできない。

何しろ左腕に点滴、局所には導尿のチューブがついているのだ。

邪魔臭い。

道尿だけでも抜いちまうか。

 

座ってパンツをずらしたところでドアが開いた。

「お前さん、退屈して盛っちゃった?」

と聞かれ

「トイレに歩く訓練したいだけだ!」

とムキになって怒鳴るとくくく、と笑われた。

しまった。

からかわれたのは明白なのに。

男は

「腹を切ったばかりなのに、ちゃんと搾り出せるのか?」

と言いつつもチューブを抜いてくれた。

そして世間話のように

「どうせうろつくのに邪魔だとでも思っているんだろ」

と図星を突いた男は、真顔になると

「言っておくが、ここは俺の家だ。嫌だと言ったのに無理やり転がり込んだのはそっちだ。うろつくなとは言っても無駄だろうが、邪魔はするな」

と言う。

「依頼か。まさかこの屋敷にいるのか?」

と聞くと

「本当はドアに鍵をかけときたいくらいだが、お前さんが窓から出ようとしてまた傷口が開いても困るからな」

とちょっと困った顔をし、あらためて俺の顔を覗きこむと

「いいか。わざわざここを訪れるような奴はお前さんとバッティングしないんだ。それだけはわかれ。わからないならタクシーを呼んでやるからどことなり行け」

と言った。

静かな物言いに、これが最後通牒なのだと知る。

俺には頷くしか術がなかった。

 

入院とは嫌なものだ。

眠るだけ眠ってしまうと、後はやることがない。

新聞などとっくに読み終わってしまった。

そうなると後は考えることしかできなくなる。

そして俺が今考えるのは、この屋敷にいるのはどんな奴なのか、というそれだけしかない。

あいつ、ここで開業する気などないと言っていたのに。

安楽死ばかりしていて入るはいいが出る人間はいない、なんて風聞が立ったらどうするのだ。

「安楽死という名の人殺し」「大量殺人鬼逮捕」「悪びれる気配なし」

そんな見出しが新聞や週刊誌に載ったとしたら。

あいつ、ちゃんと出すべき場所に金をばら撒いているだろうか。

まさかと思うが、人間死ぬときは死ぬもんだ、なんて気取るつもりじゃあるまいな。

 

 

チャイムが鳴った。

「はい」

とキリコがドアノブをまわす。

だめだ、それを開けてはだめだ。

外にいるのは警察だ。

「殺人容疑で逮捕する。転院して早々殺されたという家族からの訴えがいくつかあってね。事情は署で聞く。まずは同行願おうか」

令状を朗読したあと刑事がキリコの腕を取り、そのままパトカーに引っ張っていく。

うるさく響くサイレンの音。

何事かと出てくる近所の人々。

「やっぱり」

「なんか変だと思っていたのよね」

「絶対おかしかったもの」

と囁きあっている。

それまでは

「雰囲気ある人ね」

とうっとりしていたくせに。

 

ワイドショーが

「今まで何人殺したんでしょう」

「平和な日本をまだ戦場だとでも思っているんじゃないですか」

「精神鑑定されるんでしょうか」

「そんなので減刑でもされたらたまったもんじゃありませんね」

と無責任な言葉を吐き出す。

「自分を安楽死して見せろ」

「死刑は公開すべきだ」

「どうせならじわじわ殺せ」

と叫ぶ群衆。

 

ダメだ。

やめろ。

こいつはそんなんじゃない。

そんなんじゃないんだ。

 

違う。

 

 

冷や汗をかきつつ、目覚めた。

口に当てた手が震えている。

 

夢でよかった。

 

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