副院長
私は少々いらついていた。
こんな風に計画が狂った覚えがないので、動揺しているのかもしれない。
あの安楽死医、今までおとなしく姥捨て山の仕事をしていたのに、大事な一戦でからくりに気づくなんて。
あんな底辺の人間いくらでも替えがいそうなものだが、そういうわけには行かなかった。
どんなにごまかしても、詳しい解剖や機械の点検をすれば何かしらの証拠が残る。
まったく証拠を残さず自然死と主張できるのは、悔しいがあの男の安楽死装置だけだ。
どうせクズなんだから金か女でうまく迎合すればいいものを、まだぐずぐず文句を言っているという。
このままではせっかくの金脈である患者が回復して退院してしまう。
なぜ私にあの安楽死装置が動かせないのだろう。
せめて故障を直すことができれば。
そのときドアが音を立てて開き、黒尽くめの不気味な男が入ってきた。
その後ろに、あの若造。
「これは院長、どうされましたか」
と言いつつ、こんな若造の下につかなくてはならない自分に反吐が出そうだ。
いや、いけない、そんなことを思っては。
大人たるもの、未熟者に寛容にならなくては。
黒尽くめの男はずかずかと入ってくると
「ドクターキリコについて聞きたい」と言ってきた。
「何のことでしょうか」
と答えつつ、こいつ誰だと警戒する。
何も漏れるわけがない。
だが
「この病院が安楽死に使われていることは知っている。他の病院からも斡旋料をとっているそうじゃないか。○○病院と○×病院がゲロ吐いたぜ。お前さん、Y会とつながっているんだってな。廃棄したはずの薬の横流しの証拠もそろっている。
さあ、そこでドクターキリコだ。この病院に入ったきり行方不明なんだが、お前さんならどうなったか知っているよな」
と言う男は報告書らしい紙の束をちらつかせた。
思わずひったくろうとした時
「本当なのか」
と院長の声がした。
「本当にうちの病院でそんなことが起こっていたのか。私の知らないところで何をしていたんだ」
と言う院長は、今まで見たことがないくらい厳然として大きな存在に見えた。
まるで敬愛しつつ憎んでいた前院長のように。
「あんた、手下に牛耳られていたのか。それとも乗っ取られているのをまったく知らなかったのか。医者馬鹿だから、足元がおろそかになるんだ。自分の技量に誇りを持っているのはわかるが、奢っているとこういうことになるんだよ」
と言う黒尽くめの男。
あの安楽死医のような迫力を持ったこの男の名前を思い出した。
ブラックジャックだ。
無免許だが誇り高い男だと言う。
ドクターキリコとは犬猿の仲だと聞いていたのに。
「医師が患者の生死与奪を握り、人質にしてどうするんだ。お前さん、それでも医者だと胸を張って言えるのかい」
と言う男に気おされ、負けた、と思った。
私は自分で思っていたほど大物ではなかった。
私こそがこの病院を切り盛りするにふさわしい、いや、医師会で辣腕を振るうことこそが私の使命だと思っていたのに。
地下鉄の哲
あっしはとある駅裏にある、うらぶれた喫茶店で先生を待っていた。
この先生、顔は怖いがオペの名手で、以前やくざに切られた指を継ぎ直してもらったことがある。
その指はこれこの通り動きも滑らか、何をするにも絶好調ってもんだ。
そのときの縁で、時々先生の使いっ走りみたいなことをする。
今回はあるビルの調査だ。
ドアが開き、先生が入っていらした。
ちょっと手を上げると、すぐに向かいの椅子にお座りになる。
「コーヒー」
と言いながら、もうタバコの箱を出している。
服からもタバコの匂い。
あっしは商売柄、匂いの強いものは避けているので良くわかるが、この先生、普段よりずっと吸っていなさるな。
あっしのこの調査と関係あるんだろうか。
「どうだった」
と聞かれて
「先生のおっしゃるとおりの外観の男がそのビルに連れ込まれたのを見た奴がいましたよ。数人にぴったり囲まれていて、異様な感じがしたのでようく観察していたらしいでさ」
と言うと、しばらく考えていたようだった。
そのビルの近くをねぐらにしている、いわゆる路上生活者が俺の知り合いなのだ。
俺も路上に住んでいたことがあったから、そういう知り合いには事欠かない。
「先生、乗り込むんですかい? あそこはY会が絡んだ事務所だ。大物の政治家との関係もささやかれてる。お一人ではとても無理ですぜ」
と言ったが
「そうだろうな」
とおざなりに言うのみ。
あの目は無茶をする目だ。
「せめてあっしを連れてお行きなさい」
と言ったが
「礼だ」
と封筒を置いて出て行ってしまった。
あの先生、大丈夫だろうか。
結構無茶をやりなさるからな。
ちょっと警部にご注進しておこうか。
キリコ
しくじった。
鎖で吊るされた、腕がつらい。
単に体重がかかるだけでもつらいのに、そのまま暴行も受けたので肩がじんじんと痺れ、指先が異様な冷たさになっている。
といっても俺の腕は大事らしく、拷問の合間には手当てもされ、食事や排便も許されているが、そろそろ痺れを切らしてきたようだ。
「このまま腕が使えなくなったら、安楽死装置も扱えないな」
とけん制しているが、どこまでこの手が使えるか。
どちらにせよ、無事に外には出られないだろう。
この組織に抱きこまれない限り。
このごろ患者でなく、周囲のものからの依頼が増えた。
おかしい、とは思っていたが、俺は病院側から単なる体のいい患者追い出し要員と見られ始めているらしい。
家庭の事情で自宅に引き取れず、それを察した患者からの依頼は正直多い。
安楽死という選択肢がなければ病院側ももっと必死に受け入れ先を探すのだろうか、と思うこともあるが、その受け皿はあまりに少なく、値段は高く、激務のため人間の尊厳を踏みにじるような行為が横行している。
そんな目にあわせるよりは、今俺の手にかけたほうがいいだろうと思う。
だが、周囲のものだけからの一方的な依頼はきな臭い。
以前より慎重に患者や家族の話を聞き、背景を探ってから仕事を進めるようにしていた。
そんな矢先のあの件。
敵対する暴力団がどうやってか家族に成りすまして相手幹部の安楽死を依頼するという、まるで安っぽい暗殺請負業のような仕事だった。
そんなの、すぐばれる。
患者が重篤な状態か、それとも無理やり重篤に見えるようにされているだけか、俺にはわからないと本当に思われていたんだろうか。
だとしたら、俺もコケにされたもんだ。
俺は医者だ。
暗殺ならあんたらのほうがずっと得意だろう。
拒否した途端薬をかがされ、拉致された。
それから何日たったか。
俺の安楽死装置は操作が煩雑で俺にしか使えない。
わざと煩雑にして、余計な操作をすると今までの動作をリセットするようにしてあるし、ブラックボックスを下手にいじると爆発する。
といっても回路の一部だけだが、どうもその誰かがその下手をしてしまったらしい。
装置の解明には俺の協力が不可欠。
何日もかけて試行錯誤した後それがわかったらしく、最初はただの監禁だったのが強引な仕事の依頼になり、しばらく前から拷問による操作の解明、および勧誘に移ったのだ。
「先生、もう一度言うがうちの待遇はいいよ。あんたがうちの為に働くと言ってくれさえすればいいんだ。どうだい。もう一度考えないかい」
と言われ
「だめだ」
と言うと
「あんたの腕は大事だけどその股間の物はいらないよなあ」
とにやつかれた。
何となくこれからの展開が想像つき、げっそりする。
戦時中によく聞いた光景が自分に降りかかってくるというわけか。
想像して無意識にごくりとつばを飲む。
俺は潰されたり、切られたりしても正気でいられるだろうか。