探索行
ピノコ
晴れていたけど風が強くて波がごうごう言っている日、うちに1台の車が来た。
お客さんが来ると、私はいつもどきどきする。
どうせ先生のお客だろうけど、時々子供がついてくるのだ。
そういう時、お客さんが先生と静かにお話できるように、その子の相手をするのも私の仕事。
そりゃあ子供っぽい子ばかりだけど、なかなかお話できる相手がいないんだもん、子供相手だって嬉しいわ。
ノックの音に
「はーい」
と元気よくドアを開けると、髪の長いきれいな女の人が立っていた。
む、ライバル。
一瞬先生に取り次ぐのをやめたくなるけど、ぐっと我慢。
あんまり嫉妬深いと先生に嫌われちゃうもの。
「どちら様?」
と聞きながら、あれ? と思う。
この人、前に会った事があるような・・・。
「あ、ロクターキリコの妹のユリちゃんでしょ。覚えてゆ」
と言っているうち、後ろから先生の足音が聞こえてきた。
ユリさんを応接間に通して、お茶を入れて持っていく。
ユリさんって色白でうらやましい。
でも今日は青白いくらいに透き通っていて、ユリさんのほうが病人みたい。
「お茶、どうぞ」
と勧めると
「ありがとう」
とやっとほんのちょっと笑ったけど、どうしたんだろう。
「あっちに行っていろ」
とは言われなかったので、先生の隣に座っちゃう。
ユリさんなら私も知っているから、いいよね。
「先生、今回は伺いたいことがあって参りました。兄のことをご存知ありませんか」
と言うのに先生はびっくりしたようだった。
おじちゃんは時々うちに来る。
患者の取り合いで怒っていることもあるし、お医者さんのご本の貸し借りのこともある。
でも、そういえばこのごろ来ていない。
ユリさんの話によると、おじちゃん
「3日で帰る」
と言ってからもう1週間も音信不通なんだって。
「今まで予定が変更したときには生真面目に連絡をする人だったので、いても立ってもいられなくなりこちらに伺いました。先生なら何か情報をお持ちではありませんか」
とすがるように聞かれたけれど、私も先生も答えられない。
「先生は昨日フランスから帰ってきたばかりなの」
と私が言うと
「それに私はあなたのお兄さんとは正反対の仕事をしているのでね。たまにかち合うことはあってもそうそう奴の仕事は知らないよ」
と先生も冷たい返事。
んもう、もうちょっと優しく言ってあげればいいのに。
ユリさんごめんね。
ユリさんは
「どうも失礼いたしました。ですがもし何かうわさでも入りましたらどうぞ連絡してください」
と肩を落としながら帰っていった。
思わず
「ユリちゃん、かわいそう」
と言っても
「だが知らないものは仕方ない。あいつだってああいう仕事をしているんだから、何かあっても覚悟はできているだろうさ」
って、先生そっけないの。
「先生、何かしてあげないの」
と言っても
「何で俺が」
と部屋に入ってしまう。
でも部屋の前で聞き耳を立てていたら、がさがさと何かを探す音がした。
受話器を取る音。
「ああ、いんこか。ちょっと調べて欲しいことがあるんだが」
と言う先生の声が切れ切れに聞こえてきて、安心する。
先生、ちゃんとおじちゃんのこと、探してね。
いんこ
昨日、もぐりの先生から電話があった。
反射的に
「嫌な電話が来たね」
と言ったが、依頼人としては上玉だ。
高額の請求にも眉をひそめるだけでしっかり払ってくれるしね。
だが、毎度の依頼は危険だらけ。
それは今回もご同様。
ドクターキリコ。
安楽死を専門とする、闇の医者だ。
彼は複数の病院の黙認を得て仕事をしている。
それは長期入院患者を多く受け入れていると診療報酬が上がらないという病院側の都合とも合致しているからだ。
彼は法に触れない姥捨て山。
ドクターキリコの安楽死装置なら、何の痕跡も残らないのだ。
転院場所がなくなり進退窮まった患者や家族の近くで、なぜかドクターキリコのうわさがささやかれる。
そんな病院が、俺の調べただけで結構あった。
彼の足取りを追っていくと、行方不明直前に向かった先は東西大学病院のようだ。
ここは・・・確か今院長と副院長の間に確執があったんじゃなかったかな。
そこまでをすばやく調べ上げ、もぐりの先生に提出した。
どういう風の吹き回しだか。
俺の調べでは、このもぐりの先生とドクターキリコは犬猿の仲ということだったけれど、それだけではない様だね。
あの目の色の変えようはどうだい。
すぐまた連絡するといって帰っていったがこの先生、普段はごり押しをする尊大な奴だが、こんな顔もするとは面白い。
『誤診』の男
急にBJが来た。
あいつ、来るときはいつも急だ。
「今日はどんな難問だ。また手術室を貸せというのか。」
と聞くと
「今日はお前の情報網を貸してほしい」
と言う。
「お前のようなモグリの方がいろいろなつてがあるんじゃないか」
と嫌味を言ってみたが
「東西大学病院のことが知りたい。お前は顔が広いから、いろんなうわさを知っているんだろう」
と言われてちょっといい気分になる。
他の誰かでなく、まず俺を頼る所、よくわかっているじゃないか。
そう、俺はいろんな場所にコネがある。
顔つなぎのためにいろんな会合に出て、お偉いさんにこびへつらって。
それもこれも俺はこんな病院の院長に納まっていられる器じゃないからだ。
俺にはもっとすごい人生が待っているはず。
こいつのような人生の落伍者でなしに。
と言ってもこいつのオペの腕は一流で、同窓の中でもピカ一だった。
将来を嘱望されていたこいつがあんなことで転落していくのを俺はすぐ横で黙って見ているだけだった。
歯車が狂わなければ、俺の病院に雇って、ゆくゆくは外科医長にする予定だったのに。
あのときの未練が、こいつに付き合う理由なのかもしれない。
それともあの時遠巻きにしていることしかできなかった自分に、ほんの少しだけ後悔があるのかも。
いや、ビジネスビジネス。
こいつに恩を売っておけば、なんかの時に役に立つぞ。
東西大学病院の院長は、白拍子康彦という。
財力をたてに最新機材を多用して最先端医療とやらを追及している男だ。
まあオペの腕もあるとは言うが、どんなもんかね。
人のことを歯牙にもかけない、嫌な奴さ。
中元や歳暮に金をかけたってなんとも思わないんだから、鈍感な奴だな。
それに比べて副院長はさばけていて、贈っただけのことはある人だ。
結構金遣いが荒いってうわさも聞くな。
女でもいるのかもしれないし、医師会に金をばら撒いているってうわさもある。
そういうところが潔癖な院長には気に入らないらしくて、このごろ二人は対立しているらしい。
でも院長はオペはうまくても経営はみんな副院長に任せているんだから、下手なことをしたら自分の首を絞めかねないと思うがね。
あそこはこのごろ変なうわさがある。
暴力団につながりがあるとか、ないとか。
多分その手の人間が入院したとか、そういうことからのうわさなんじゃないかと思うが、火のないところに煙は立たないって言うし、案外何かあるのかもな。
おい、もういいのか。
お前、もうちょっと感謝の気持ちをだな。
ま、いい、今度同窓会で絡んでやろう。
白拍子
私は今日もいくつかの患者を掛け持ちつつ、部下の医者に指示を出したり、その手に余る処置を手ずから行ったりという忙しい1日を過ごしていた。
夕方、やっとコーヒーを片手にカルテをめくっていた時、内線がかかり
「ブラックジャックという方が面会を希望されています」
という受付の声がした。
「どうぞ」
といいつつ、胸騒ぎがする。
あの男は無免許の癖に腕だけは超一流という、やくざのような男だ。
また何か難癖をつけにきたのだろうか。
今までの悪行を悔いて医師免許を取りたい、と頭を下げるなら尽力するに藪かさではないが。
入ってくるはいいが席にも座ろうとしない男に
「本来は君のような無免許の人間にこんなところに来て欲しくないが、来たからには用向きだけは聞いてやる」
と促すと
「お前さん、Y会についてどう思う」
と予想外の事を聞かれた。
Y会と言えば時々新聞をにぎわすこともあるやくざだ。
だが、それが私に何の関係があるのか。
そう問うと、しばらく私のことをじっと見ている。
なんなのだ、この男は。
「ふん、やっぱりあんたは蚊帳の外か。お前のところの副院長、ちょくちょくY会の人間と会っているようだが、そんなのまったく知らないんだな」
とさも軽蔑したように言う。
「何だ、脅迫か。他人のプライベートまでこそこそかぎまわる趣味はない。昔からの知り合いがたまたまそういう人間なのかもしれないし、彼がそういう人間を相手にしていると知らないかもしれないだろう。大体そんなうわさ、誰かを陥れるための捏造じゃないのか」
と平静を保って言ったが、心の底で本当かもしれない、と思うのを止められない。
確かにあの副院長には、何かしらを感じるのだ。
「今の病棟に、X会の幹部がいるのを知っているか。ついでに、ついこの間までW会の人間がいたのは知っているんだろうな。表向きはまったく普通の患者のように見せているが。患者は快方に向かうが、急に原因不明の死に見舞われる。死に神、ドクターキリコの手によって」
そう語る無表情な彼のほうが死に神のようだった。
「まさか、そんな」
という言葉が思わず口をついて出る。
だめだ、だまされるな。
こいつは無免許医だ。
警察幹部に賄賂を送り、色々お目こぼしされているという、汚い奴だ。
そんな奴の言うこと、信じられるか。
なのに、私は長年一緒に働いている副院長より、目の前の無免許医の話が真実ではないかと疑っている。
確かに不信な急死があったのだ。
私が執刀して、経過も良かったのに。
「そのドクターキリコがあんたの病院に入ったきり、出てこない。どうも強引な勧誘に遭ったらしいな。あんたも噛んでいるかと思ってこっちに来たが、副院長のほうに行くとしよう。ところで」
と赤っぽい目が私を射抜き
「あんたも来るかい」
と無免許医が言った。
私はいつの間にかうなずいていた。
まるでそうしなければならないと言うように。