(下)
「なんだ、起きたのか。具合はどうだ」
薄く目を開けて問う言葉を無視して布団をはぐと、ガウンをまとった体が現れた。
白いガウンの両脇に小さな血のしみ。
膝を曲げているのは、身体を伸ばすとつらいせいか。
机の引き出しから簡易手袋を拝借し、はめて触診する。
ガウンを肌蹴、じくじくと血のにじむ止血パッドをはがすと、右は弾痕と出血のみ。
だが左は後ろにポツリと穴があるが、貫通していない。
手袋越しにも熱を持っているのがわかる。
切開しないと。
機材を持ってくるにはもう1往復か。
取りに行こうかと思ったが、それより男を下に移動することにする。
これからの食事や排泄の度に俺が階段を上り下りできるかどうか自信がない。
一度降りさえすれば、病室にはベッドが二つあるし、忘れ物でもう1往復、なんて事にならずに済む。
「一人で歩ける」
という男の足取りはあまりにおぼつかなくて、でも俺もたいした支えにはならず、どっちがどっちを支えにしているのかわからない状態で何とか下まで降りた。
「こんな状態でよく俺を担いだな」
と言うと
「火事場の馬鹿力さ」
と嘯く。
なら今度は俺がその馬鹿力を出すしかない。
診察台にうつぶせに寝かせ、オペ開始。
簡単な切開で良かった。
大動脈が切れてなかったのも幸いした。
臓器にも損傷無し。
終了後、とりあえずお互いに点滴を打つ。
30分後、少しはましな気分になり
「何か食うか?」
と聞いたが、男は眠っていた。
毛布をかけると俺も先ほどのベッドに戻り、枕に頭がついた途端、引きずり込まれるように眠る。
ふと気がつくと、部屋にはまた俺しかいなかった。
あいつは、と思っているとドアが開き、顔を覗かせたキリコが
「目が覚めたか。お客人が来ているが、会えるか」
と言いながら入ってきた。
顔色がかなり戻っている。
弾丸を摘出したのが良かったのか。
逆に今度は俺の方がなかなか起きあがることができず、手を借りる羽目になる。
馬鹿力は、使った後ガクッと来るからな。
何とか体を起こして上着をかけてもらい、客人と対面する。
客人は勿論、先日の組の幹部だ。
「すみませんでした」
「こちらの手違いがありまして」
そんな言葉とともに口止め料を差し出された。
俺のビデオやなんかは処分したと言うが、どんなもんだか。
患者の容態を聞いたが、口を濁された。
「先生は本当によくやってくださいました。本日組長は来られませんが、感謝していると伝えるよう、言い付かっております」
と言うだけ。
金は前払いでもらっている、と突っぱねようとしたが
「お約束どおりあの屋敷を離れた今、これをもってすべてお忘れください。先生方にはご足労をおかけし、また多大なご迷惑をおかけしましたが、お互いに縁がなくなるのが一番の道かと思います。受けとっていただかないと、貸し借りの関係が残ってしまっていけません。先生にはお嬢さんもいらっしゃいますし」
と言われては受け取るしかない。
確かにやくざの抗争に巻き込まれるのはごめんだ。
相手から引いてくれると言うなら願ってもないこと。
だが、俺は。
「どうした。うなされていたぞ」
揺り起こされてもしばらく自室だとわからなかったのは、この男に起こされたせいか。
すべては終わったのだ。
体の傷もふさがったし、あの金もなくなった。
だからもう元通りの日常を過ごさなければならないのに、何故俺はこんな夢ばかり見るのだろう。
疲れているのに、もう眠れそうにない。
「そっち、行っていいか」
そんなことを言いながら、男がベッドに入ってきた。
「俺はまだいいとも言ってないぞ」
と言いながら身体は端につめているのだから、俺も現金なものだ。
俺の横に陣取った男は俺に乗り上げて髪をかき上げ
「お前さん、結構いいデコしているな」
と言いながらそのまま後ろに撫で付けた。
すぐに戻ろうとする髪の毛を2度、3度と撫で付け、戻らなくなったところで傷をたどられる。
こそばゆい感触に目をつぶると、口付けられた。
思わず体がこわばり、舌の侵入を止めようとすると、唇を割って滑り込んだ舌はほんのちょっと前歯をくすぐっただけで出て行き、俺の唇をそっと舐めた。
「まだ、嫌か?」
と言われ、逡巡する。
そう。
あの後しばらく奴の家に厄介になったと言うのに、どうしてもそういう気になれなかった。
その時は体が本調子ではないから、と思っていたが、すでに丸1日屋外で過ごせるまでに回復している。
なのになぜか別にしなくてもいいんじゃないかと思えてしまう。
わざわざ勃起して出すなんて、エネルギーの無駄遣いではなかろうか。
なんか己が恐ろしく枯れてしまった気分。
そういえば昔はこんなこと、思っていたような気もする。
何故みんなわざわざこんなことをするのか、と。
「俺が、怖い?」
と聞かれ、反射的に首を振る。
そんなわけ、あるもんか。
「ならいいな」
という言葉と共に動き出した指先に鳥肌を立てながらも、怖いわけあるか、と心の中で唱えながら歯を食いしばる。
本当に枯れてしまっていたら、こいつは失望するだろうか。
そんなので離れられるのはほんの少しつまらないけれど。
だが、そんなのは杞憂だった。
鳥肌を立て、緊張に冷え切っていた肌は、いつの間にか煮えたぎっていた。
執拗に煽り立てる、だが機械とはまったく異なる熱い指、ぬめる舌。
「BJどうした。怖いのか? そうでないなら眼を開けろよ」
そんな挑発も、目を開けるとそれが下卑たヤジではないとわかる。
欲望と熱さに潤む隻眼に舐めるように見つめられて、また体がかっと熱くなる。
その体の熱さがじわじわと俺の核に厚く張った氷を溶かしていくようで。
一度堰を切った欲望は、次からはやすやすと奴の手に応えた。
勃つだろうかと心配していたのが馬鹿らしくなるほど。
「声が大きい」
と耳元でささやかれ、あわてて口に手を当てるとそれを待っていたようにえぐられた。
衝撃に反射的に締め付けで返し、それが倍になって戻ってくるのを待ち構える。
優しい訳ではない。
どちらかと言うと乱暴な動作で、けれどそんなことに安心する。
ここで腫れ物に触るように接されていたら、俺は自分が情けなくて仕方なかっただろうから。
そう、こんな感じだった。
肌を合わせるって事は。
もう大丈夫だ、と何度も思う。
何が大丈夫なのか、そんなことすらわからないのに。
後始末が済むと寝かされ、布団の端をぽんぽんと軽く叩かれた。
「眠れよ」
と言う低い声は思い出の母とはまったく異なる音程なのに、どこかに似た響きがあるように思う。
子ども扱いされているような気もするが、今は面倒くさいので抗議はしないでおく。
こいつは何であそこにいたのか、まだ聞けないままだ。
もやもやした気持ちが治まったわけではない。
それでもあれは過去の事だ。
夢を見てももう煩うまい。
しばらくしてあの組は解散したと聞いた。
組長はしがらみを断ち切るように外国に旅立ったという。
それに付き従った少数の供の中に息子らしい男がいたという噂が立ったが、本当かどうか、俺は知らない。
長々とお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
シー関連の話はこれにて終わり。
このシリーズの二人を書きたいと思っていたら、前振りばかり長くなり^^;
でもやっとここまで来られて、本人は満足しています。
感想などいただけますと、嬉しいです。