コスメ娘。

(下)

 

 

「ここもか」

手首を押さえつけられたのは、だが一瞬だった。

「こんなに真っ黒にして。痛かったか」

じんじん痛む手首をそっとさする指。

「ここも」

「ここも」

腕を通すの精一杯だったガウンなんて何の役にも立たず、さらけ出された俺の体を男の指が辿っていく。

よせ、やめろ、と言うのがいいのか、無視を続けていればいい加減に飽きるか判断に迷い、結局動きの取れないままだった俺は、だが腰にぐり、と硬いものを押し付けられて我に返った。

渾身の力をこめて男を押しのけ、そのままベッドをいざるようにして距離を置く。

信じられない、なんだそれは。

 

「はははははは」

俺を見つめ、狂ったように大声で笑った男は一瞬でまた俺を押し倒して馬乗りになると、俺の腰に勃起したものをこすりつけながら

「興奮するんだよ、お前さんのおののく顔を見ると」

と言うと凶悪に顔をゆがめた。

顔を横切る傷が男の修羅場慣れした雰囲気を高め、息苦しくなる。

「お前さん、そんな顔をさっきの奴らにも見せたんだな。そりゃあ行動がエスカレートもするだろうさ。きっと本当は少しからかうだけだっただろうに本気にさせやがって。おい、口は使われたのか、それとも舌をねじ入れられて半泣きになって余計その気にさせたか」

とんでもない侮蔑の言葉を吐きながら俺の唇を奴の指がたどる。

 

はーっ

はーっ

 

緊張のあまり、閉じようとしても口を閉じられずに、馬鹿みたいに呼吸を繰り返すしかない俺。

過呼吸でも起こすか気絶でもできれば楽なのに、あいにくそこまで柔じゃないのがつくづく恨めしい。

「どうなんだ、されたのか」

再度問われてかろうじて首を振ると指が唇から離れ、ほっと目を閉じた瞬間唇を覆われた。

あわてて口を閉じて舌を締め出そうとしたが、からからに干上がった喉は入ってきたぬめりを歓迎してしまい、意思と関係なく舌が絡まる。

さっきの揶揄ではないが目の裏が妙な感じに熱くなり、勝手に水分が分泌されていくのがわかる。

 

嫌だ。

こんなの俺じゃない。

俺はこんなことで感情をかき回されたり、しないはずだ。

昼間の強姦だって生理的な涙が出はしても、こんな風にガタガタにはならなかった。

それとも本当の俺はこんなことで涙を見せるほどの意気地なしなのか。

 

裏切られた思い。

そんなの持つほうがおかしいけれど、俺は確かにこいつを信頼していたんだ。

医者として。

ライバル、友人、言葉にすると陳腐だけど、そんなのを一緒くたにしたものとして。

けどもう全部おしまい。

昔読んだ小説で悪漢にいたずらされた女が悲しんでいるのを、ずっと好きだった男が抱いて慰めて…なんてのがあったが、あんなの、想像力のない奴の発想だ。

こんなのに乗じて人を踏みにじる奴、俺なら絶対許せない。

信じていれば、余計に。

今は力が入らないから、このまま蹂躙されても仕方ない。

けれど、こんなことが2度あると思うな。

これ以上何かしたら一生軽蔑を続けてやる。

 

渇きが潤い勝手に喜ぶ体に舌打ちする思いで男が離れるのを待つ。

男はキスを終えるとまた腰を押し付けながら俺の目を覗いた。

今度は目をそらせず、ガンを飛ばす。

来るなら来てみやがれ!

絶対に絶対に軽蔑を続けて…胸のうちの憤りをこころの中で繰り返しつつ目をそらさずにいると男のまなざしがやわらかくなり、ふと目がそらされ、それと共に重みが消えた。

 

「そもそもの用件は酒だったんだ。俺の部屋も何もないから、こっちもないんじゃないかと思ってな。持参の寝酒だ、うまいぜ」

そんなことを言いながら男が洗面所に消えていく。

いつの間にか窓近くの机の上になにやら瓶がおいてあった。

男はゆすいだコップを持って戻ってくると瓶から液体を注ぎ、まだベッドの上から降りていない俺にしっかりグラスを握らせ

「お休み」

とまた窓から出て行こうとする。

あわてて

「おい、危ないぞ。出るならドアから出ろ」

と引き止めると

「あわてたからドアの鍵を忘れた」

と、こうだ。

こんな小さなホテル、きっとフロントも寝静まっていて朝までドアを開けてもらえないだろう。

「これ以上変な事するなよ」

と釘をさして晩酌の相手をさせることにする。

 

しばらくして

「何で怒らないんだ」

と男が言った。

 

それは気づいてしまったからだ。

さっきは死ぬほど驚いたが、よくよく考えたらこいつは医者だ。

しかも名だたる名医なのだ、意味なくあんなことをするわけがない。

きっと俺が取り乱しているのに気づいてショック療法でもやらかそうとしたんだろう。

「違うか?」

と聞くと

「…チクショウ」

と小さくつぶやいた男はグラスを煽り

「で、どうだ。効き目はあったか? 俺のほうがインパクトがあったろう」

とふてぶてしく笑う。

「ふん。途中から演技っぽくなかったぞ。雰囲気に飲まれてそのままヤッちまえなんてことになっていたら俺は日本を引き払うつもりだったからな」

と横目でにらむと奴の持っていたコップが大きく揺れた。

やっぱ俺ちょっと危機だったのかもしれない。

男ってのはこれだから嫌だね。

頭と体とで別々のこと考えるんだから。

と自分も男なのを棚に上げて思ったりする。

まあここまでけん制したんだから、今晩はもう平気だろう。

ここで手を出してきたらこいつは本当に下半身だけのケダモノで、俺は見る目がなかったということだ。

 

「正直インパクトはあって、その前のことなんて忘れちまったがね、今度はお前さんの悪夢を見そうだ」

責任取ってくれるか? と続けて軽口を叩こうとして、やめた。

万一取る、なんて言われたら、態度に困ってしまうから。

今の俺は普段の精神状態とは言いがたい。

こいつも多分トチ狂っているから、後先考える余裕がなくなるだろう。

死神に、それは滑稽。

肩をすくめて震えをごまかす俺のことを観察する男の視線と、何か言いたげな口元が気になったが、無視した。

今はほかの意味など探したくない。

 

朝、気が付くと俺は一人ベッドで寝ていた。

あいつ帰ったのかな、と周りを見回すと、机に突っ伏して寝る男。

確かに昨晩、変なことはしないと約束させてベッドを半分貸してやったはずなのに。

 

弱っている時にこういうことするなよ。

こういう、見聞きしたら全身痒くなってしまう様なあからさまな気遣いって奴。

きっとこいつは患者の女からさぞかしもてることだろう。

みんなこの気遣いをほかのものと間違えちまうんだよ。

 

俺も間違えそうになると困るので、乱暴に肩をゆすって男を起こすことにした。

 

 

ジャキリ未満の二人。

 

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