気がつくと俺はまた頭をなでられていた。
「四つんばいになりな」
と言われてその通りにし
「肘をついて、足をもうちょっと広げて」
と言われるのにも従うと、腹の下に枕を二つ押し込まれた。
何だ何だと思っていると、腰を掴まれ肛門をなめられる。
うわあ、何だ、これ。
ぎゃあ、何をするんだ。
叫びだしたくなるのを寸前で堪える。
もしかして、みんなこんなことするものなのだろうか。
さっきも陰茎をなめられたし、女とのセックスでも女陰をなめたりするっていうし、ここも入り口だから普通になめる場所なのだろうか。
俺はすごくアブノーマルなことだと感じるけれど、もし「何するんだ」と言って「こんなことも知らないのか」と馬鹿にされたら嫌だし。
頭の中に肛門周辺が大写しになり、いま舌がどこを探っているのか、見ているみたいに浮かび上がる。
うわ、舌がは、入ってきた。
雑菌だらけなのに、うわあ。
そりゃあ俺がなめているわけではないが、そんな錯覚を覚えるほど、俺の頭はリアルにその細部までを思い出させる。
オペや診察で見慣れているから仕方ないけれど。
うわあうわあ。
そんな風に頭は混乱しているのに、なぜか変な声が漏れて、それも嫌だ。
舌が指に変わったときにはつかの間ほっとしたが、奴がのしかかって
「気持ちいいらしいな」
と耳元でささやいてきたときにはもう片方の手が俺の前をいじっていて、がくがく首をうなずかせることしかできなかった。
そのまま入れられて、ゆさぶられて。
でもこの間みたいに往きたくてもいけない苦しさはなく、我慢できなくなって頼むと
「我慢がきかないな」
と笑いながらも俺を解放してくれた。
目を開けると朝だった。
「適当にルームサービス、頼んだぞ」
という言葉にうなずき、シャワーを浴びにいく。
俺、いつの間に寝たかなあ。
昨日のことも全部夢だったような気がしてくるが、腰の辺りに鈍痛が残っているので本当だろう。
よかった、こんな性夢を見るようになったら世も末だ。
それとも現実にしている今のほうが末期だろうか。
熱い湯を浴びた後、よれよれのシャツと薄汚い下着を、悲しい気分でつける。
今度から診療かばんに必ず替えのシャツと下着も入れておこう。
次を期待するわけではない。
急に病院に泊まり込むこともあるのだし。
話すこともなく、もくもくと食事をした。
食後タバコを吸いながら、また一つとんでもない思い出が増えてしまったと思っていると
「お前、俺が怖くなかったか」
と聞かれた。
「お前の何が」
と問うと
「俺と仕事がらみで会った時、関係をばらされないかとか、こんな関係を続けて自分がおかしくならないかとか」
と言われる。
何だ、そんなことか。
「関係くらいばらされたって、屁でもないね。俺の芳しくないうわさは多すぎて、あと一つや二つ増えても誰も驚く奴なんていやしない。
俺がおかしくなるって? どういう風に。何度も言うようだが、俺はお前が安楽死をするのに反対だ。これからだっていくらでも邪魔をするさ」
そう嘯きながらも、半分は自分がやせ我慢しているとわかっていた。
本当は何を言われるか、それにどう対応しようかと何度も何度も考えうる限りのパターンを考え、頭の中で問答を繰り返した。
そういう面で、俺はこいつを信用していない。
俺自身、こいつをはめて留置所に入れたこともあるのだ、報復はあって当然と覚悟している。
シミュレーションを繰り返せば、余程の不意をつかれない限りその型通り対応できるようになる。
武術と同じだ。
おかしくなるって、もうなっている。
夜毎お前を思い出すのだ。
ただ一度の経験があまりに鮮烈過ぎてどこかがおかしくなっているなら、会わずに忘れればそれで済むかとも思った。
でもこの間の探索行を思い返せば無理だとわかる。
お前がさらわれたとわかった時、どれだけ動転したか。
なるべくなら顔を合わせたくない奴の顔を見、莫大な金をばら撒いても動き続けずにいられなかった。
ずっと怖くて近づけなかった。
でも一度踏み入ってしまったのだから、ぎりぎり最後まであがくのだ。
恵の時、俺はどうしても1歩を踏み出せなかった。
意気地なくぐずぐずと周りをうろつくばかりだったせいで、彼女は取り返しのつかない体になった。
もし俺が勇気を出して性交渉をするような関係になっていたら、そうでなくても気軽に話のできる関係になっていたら、きっと彼女の不正出血の相談も受けられただろうし、もっと早期に癌を発見できたはずなのだ。
あのときの後悔のせいで誰かと親密な関係になることをずっと避けていたけれど、お前が俺に手を広げた時、死ぬ気で食らいついてやるとその場で決めた。
踏み出すことで何かが変わってしまっても些細なことだ。
俺はお前が気になって仕方ないのだから。
「それよりお前こそ、昨日は何で、その・・・優しかったんだ。お前のことを邪魔したんだから、正直報復を覚悟していたのに」
と逆に問いかけると
「最初はそのつもりだったがね。うわばみがジョッキ2杯目にしてうたた寝を始めるくらい疲れている時には無茶しかねるさ。それに寝ぼけたままキスに夢中になるお前に毒気を抜かれちまった。お前、素直なときにはなかなかかわいいぞ。今の顔見ていると信じられないがな」
と額をはじかれる。
白々しい。
何を見てそんな歯が浮くことを言えるんだ、と思った後、こいつは外人なのだと思い出した。
西洋人には日本人ってみんな華奢に見えるらしいし、きっと「かわいい」の感覚が日本人とは違うんだろう。
それにこいつは片目だから物の見え方が少々おかしいのかもしれないし、戦争中何かにぶつかって頭のねじがいくつか抜けているのかもしれない。
そういう奴に付け込むようで少々悪いが、最初から俺は悪い男なのだ。
俺みたいな男にちょっかいをかけるこいつも悪い。
めまぐるしく考えていると、目の前の奴がふふと笑いながら
「また何かたくらんでいるだろう。チェックアウトまであと1時間ちょっとしかないんだから、そういう顔はその後にしな。今は昨日の続きをしよう。昨晩お前は勝手に寝ちまうから、ピロートークもできなかった。ほら、おいで。お前がかわいくなるところを俺に見せな。俺も寝る前思い出せるように」
と言いつつ俺の手を取り、自分の指を間に絡ませた。
そのまま親指の爪で指をなぞられ、それだけでつい目をそらしてしまい、しまったと思う。
タイマン勝負では先に目をそらしたら負けなのに。
いや、負けるもんか。
「おまえ、朝っぱらから何言っているんだ。俺を肉欲の奴隷にでもするつもりか」
と啖呵を切るが、ニヤニヤと
「それもいいな、男のロマンだ。でもそういうのが嫌なら清らかにお話しするだけでもいいぞ。何しろこの間は世話になった。お前、俺が女にいたぶられているのを見て逆上したな。いつもオペに使う大事な手が、荒事をしたせいで真っ赤になっていたぞ。
まったく容赦なくメスを投げたこの腕の筋肉。力を込めると固いのに、昨日俺が触ると柔らかく解けたな。
ふふ、まだ覚えているぞ。刑事に先導されて車に乗るまでの間、ずっと俺をおぶっていたな。体格のいい奴が俺を背負うと言ってくれたのに、そいつらに触らせようともしなかった。
お前に背負われているとき、俺はお前の首筋ばかり見ていたよ。この首筋に舌を這わせたらお前はどんな反応を示すだろうかとね」
などとわざとらしく話すのだ。
顔が熱くなってきたのがわかる。
奴に握られた手も汗ばんできた。
そんな俺をじっと見てから
「おいで。服は脱がさないから。抱きしめるだけだ。お前の体の厚みを俺が覚えられるように。お前も俺を知りたいだろう」
と立ち上がって俺の手を引っ張った。
抱きしめられる。
俺は日本人の中では大きいほうだと思うが、こいつは俺よりまだ大きい。
細く見えるが俺と同じくらいの肩幅があり、たぶん拳での喧嘩なら引けを取らないだろうが、指先一つで俺をぐずぐずにすることをこの身で知った。
夢見心地になっていたら
「お前、昨日のオペの患者のとき、俺にオペの説明をしたな。患者とその家族の前でそのオペの成功率やその後の生活、そんなことを熱心に話して自分のオペに同意させた。俺が失敗した時の最悪の状態のことを話しても、目を三角にしながら黙って聞いていたな。『人殺し』と頭から否定しなかった、それが俺は嬉しかった」
と言われた。
顔を見たいと思ったけれど、抱きしめられているので見ることができない。
仕方なく奴の背に回した腕に力を込めると、同じ力で抱き返された。
俺とこいつはどうしても相容れない、決定的な一面がある。
今まで患者やその家族の前で醜くののしり、逆に患者の不安をあおったことがあったのを思い出した。
いつもこいつに弱みを握られまいとしていたけれど、俺のほうがよほどこいつの弱みを握ろうとしていた。
冷静に話し合いができなかったのは俺のほうだったのか。
「時間だ」
と言われ、夢から覚めた気持ちで離れた。
上着を着ながら見やる奴の顔は、普段どおりの皮肉げなものだった。
俺もきっといつもの仏頂面だろう。
それでいいのだ。
たまにこんな風に交われることがあれば。
部屋を出ようとしたら奴に声をかけられ、振り向くと軽く口付けられた。
「この間の論文、お前持って帰らなかったからうちに置いたままだ。気がむいたら取りに来な。てぐすね引いて待っているから」
とニヤニヤされ、もう自分から交わることも可能なのだと気がついた。
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