電話を置き、コートをかける。
上着もかけようか逡巡していると、いつの間に近づいたのか後ろから手を回され、ボタンを1つずつ外された。
「急に後ろに立つな」
と文句を言いつつそのまま上着を取らせ、大またでソファに行き、どかりと座る。
勢いに飲まれてはだめだ。自分のペースを崩さずに、自宅にいるのと同じつもりで。
「何を飲む?」
と聞かれ
「お前と同じものを」
と答えたが、そういえばこいつは何を飲むんだろう。
俺の家では何も飲まなかった。
「飲むか?」
と聞いても
「コーヒーを」
と言うから、なんとなく俺もしばらく禁酒をしてしまった。
キリコが持ってきたのは小さいグラスに入った透明な酒だった。
「ウォッカだ」
と1つ渡され、興味深く匂いを嗅ぐ。
よくカクテルのベースに使われているのは見るが、原酒で飲んだことはない。
軽くグラスを上げてから一息にあおる姿を見て、つられて一息に飲もうとしたら思い切りむせた。
ティッシュを渡されてあわてて拭くが、ベストがぐしょぐしょになり、かなり気まずい。
「ズボンにまで垂れている」
という声が笑い交じりで、本当にしまったと思う。
「度数の低いのにすれば良かったかな」
と肩を震わせる姿をちらりと盗み見て、こんな顔もするのか、と少し意外だった。
追加のタオルを持ってきてもらい、水気を叩いていたら
「どうせなら脱ぐようなことを始めよう」
とささやかれた。
こんな調子の崩れた時にそれは困る。
今そんなことをされたらポーカーフェイスが保てない。
「顔が戻るまで待て」
と言ったら思い切り吹き出された。
「お前って面白い奴だったんだな、BJ」
と言われたが、俺のほうが驚きだ。
いつもすかした顔しか見せなかったこいつが。
酒のせいか、それとも自宅にいるせいか。
リラックスしている奴を見ていたら自分だけ構えているのが馬鹿らしくなり、立ち上がって
「どこでするんだ」
と聞いてみる。
「じゃあ俺の部屋へ」
と言う奴はまだ涙を拭いていて、案外可愛い奴なのかもしれないと気が緩んだ。
緩めてはいけない相手だと知っていたのに。
部屋はほんの少し埃っぽく、いわゆる本の匂いに包まれていた。
俺の部屋と一緒だ。
それで余計に気が緩んでつい本の表紙を目でなぞっていたら、後ろから羽交い絞めにされてそのまま後ろへ。
うわ、と思ったらベッドの上だった。
すぐに体勢を変えられ、上に乗られる。
これってもしや、俺がいただかれる立場なのか?
うかつにも、俺はそれまで漠然と俺が抱く側になるんだろうと思っていた。
だってどう見ても俺のほうが腕なんか太いし、体力もありそうだし。
怪我したこいつをおぶったことがあったが、火事場の馬鹿力のせいもあって全然重く感じなかった。
でもそう言えば、さっきからこいつはそういうことにはずいぶん積極的そうだし、俺より経験を積んでいそうだし(正直言って、俺より経験を積んでいない奴の方が珍しいのだが)。
考えてみるとさっきからのくどき文句もアプローチも奴からだったような気が。
あわててもがき始めたら
「今更抵抗するつもりか。この期に及んでやめろと言うならそのサスペンダーとリボンでくくりつけてやろうか」
と脅された。
その顔が安楽死装置を持って近づいてくるときそっくりで、あのときの恐怖がよみがえる。
闇雲に暴れようとしたが、肘の付け根近くの1点に親指を押し付けられた途端、手がしびれて動けなくなる。
なんか骨と骨の間に丁度指が潜りこんでしまったようで、腕どころか体のどこも動かせない。
「手を離しても動くなよ」
と言われ、こくこくとうなずく。
指が離れた途端しびれるような痛みは消えたが、呆然としているうちにタイやボタンを緩められ、手や舌が俺の体を探っていく。
「あ、あ、あ」
と自覚のない声を出していたのに気付き口を閉じようとしたが、口の中がからからでなかなか閉じられない。
まごついているうちに奴が気付き、人の目の前でにやりと笑うと口付けてきた。
こいつ、こんなに体温の高い奴だったのか。
絶対に爬虫類のように冷たい肌をしているのだと思っていた。
絡められる舌が熱い。
重ねられる肌が熱い。
脇の下をぐっと押されて鼻に抜けるような変な声が出た。
それを聞いた奴の顔が脇の下に移る。
脇をかぐように鼻をもぐりこまされて、羞恥心に顔が火照る。
まさか匂うとか?
昨晩風呂に入ったきりだから、少しは汗をかいたかもしれない。
さっきから気が動転しているし。
めまぐるしくそんなことを考えていたら、腋毛ごとざらりとなめられて鳥肌が立った。
背が浮きそうになるのをがっちりと押さえられ、体も腕も動かせない。
さっきから、どこにそんな力を隠していたんだ。
俺だって腕っ節には多少の自信があったのに、まるで歯が立たない。
これがプロとアマの差なのだろうか。
ざりざりとひそかな音がする。
「そんな、犬みたいな真似、やめろ」
と言うのにいっかなやめる気配がない。
繰り返されているうち、最初は気持ち悪いとだけ思っていたはずの鳥肌がほかのものに変換されてきた。
動かないはずの体がはねる。
閉じていたはずの口がいつの間にか開いて、気付くとまた変な声が漏れている。
「本当に、やめろ」
と思い切り空いている方の腕を振り回したら
「うぐ」
といううめきと共に奴が崩れた。
大急ぎで這い出して、奴を見る。
この間の手術の痕に思い切り当たったらしい。
体をくの字に折っているのをなだめて手をどかせ、シャツを上げる。
俺の手術の痕。
抜糸直後だが、傷が開くなどはないようだ。
ろくな設備がなかったが、それでもゆがんだりせずなかなか綺麗な痕だと思う。
「大丈夫か」
と聞くと
「ちょっとすれば直る」
と言いつつ脂汗を出している。
当たり前だ。
こんな傷が治った直後なのにあんな力を出して。
さすってやると少し楽なようなのでしばらくそうしていたが、いたずら心がわいてぺろりとなめてみた。
最初はぴくりと緊張したが、おとなしくしている。
動物は皆なめて直すものだし、指を切ったりどこかにぶつけたときには思わずなめるものだし、気持ちいいのかもしれない。
そんなことを思いながらなめているうち、変な気持ちになってきた。
舌に微妙にわかる縫い目のでこぼこを丹念になぞっているうち、さっき自分がされていた事を思い出してしまったのか。
「もう、大丈夫だ」
と言う奴の声がかすれていて、思わず顔を覗き込んだ途端どきりとした。
とろりとした淫蕩な顔。
あ、こいつも感じている、と気付いたらもっとそんな顔を見たくなり、そのままさっきされたように奴のシャツを脱がしていった。
包帯の交換をするときにもそう思ったが、こいつは着やせするタイプだ。
すごく細くて華奢そうに見えるのに、触ってみると結構密度のある体をしている。
鍛えているようにも見えないが、あんな大きなカバンを軽々と運んでいるのだからそれなりに力があるんだろう。
それに多分、少ない力で効果的に動くことを知っているのだ。
そんな腕を、胸を、筋肉をたどるように触っていく。
ところどころに傷跡の目立つ体。
銃創、刺し傷のようなもの、やけどのようなもの、拷問らしき痕。
軍隊時代とは決して思えないような新しいものもいくつか。
そういう傷の感触を手でたどり、舌で感じる。
少し汗の味がするが、それもうまい。
汗なんて成分は小便とそう代わらないんだぞ、と思おうとしても、今ならそっちだって大丈夫かもしれないとさえ思う。
俺はおかしい。
奴の体臭を嗅ぎ、その中に混じるタバコとコーヒーとアルコールの混ざった香りに興奮しているのだから。