アフィリエイト

(下)

 

 

片肺を半分近く切断することになった。

同時に気管支形成術も行い、残った正常な気管支をつなげ、なるべく体に負担がかからないようにする。

心臓近くの腫瘍の方は、奥方よりはるかに小さかった。

後はこれだけ、と思ったところで目元がぶれる。

疲れが出たか。

「どうした」

と問われ

「なんでもない」

と返すが

3分だけ休憩だ、目をつぶれ」

と言われ、仕方なく目をつぶる。

目元を冷やされ、丁寧に汗をぬぐわれ、次に目を開いた時にはずいぶん疲れが抜けていた。

切開箇所の状態も変化なし。

大きく息を吸ってゆっくり吐ききった所でメスをひらめかせる。

隣からほう、とため息をつく音がした。

よし、成功。

 

倒れそうになりながら、ドレーンを入れて縫合。

「術式、終わり」

の宣言と共に、隣の男がうずくまる。

助け起こそうと下を向いた瞬間、俺もめまいを起こして崩れ落ちた。

だめだ、もう限界だ。

目を使いすぎて、開けていられない。

 

気が付いたとき、俺はベッドの上だった。

ジョーに

「急に倒れたのであわてたのですが、がーがーいびきをかかれて」

と言われ、少々赤面。

極限まで神経を使うと、俺の意識は急転直下なのだ。

というところで患者のことを思い出し、容態を聞くと、とりあえず急変はしていないとのこと。

ほっとしたところで、俺の助手を務めた男のことを思い出した。

キリコは。

 

キリコは一足先に目覚めて、患者のところにいた。

妻のほうだ。

彼女は麻酔もさめ、落ち着いていた。

すぐ俺に気づき

「私、生き延びてしまったのですね」

とあきらめたように微笑む。

「あの男は生まれた時からの許婚でしたけど、小さい頃から粗暴なところが嫌でした。結婚したくなくて一度外の世界に出たことがあったけど、すぐ捕まったわ。多分、その時二人とも感染したんです。だからあの人、私を許さないんですわ。」

そう言って瞳を潤ませる彼女に

「病巣はなくなったんだから、許すも許さないもないでしょう。きっと彼はあなたのことが好きでたまらないだけですよ」

と言ってみるが、目をそらされてしまった。

仕方ない。

外科医は患者の体を治せても、心までは治せない。

 

だんなの方の部屋に行くと、こちらはまだ麻酔が効いているようだった。

奥方の主治医が点滴を換えている。

どんな処置をしたのかを聞き、納得して部屋に戻ると、キリコは俺の隣のベッドをあてがわれていた。

「見事な処置だな」

と言いながら荷物をかき回している。

部屋の奥から、湯を入れる音。

バスを使うらしい。

そういえば、俺も術着のままだった。

次に使わせてもらうか、と思いながら何の気なしに男を見ていて、首筋の大きなあざに気が付いた。

まるで首を絞められでもしたような。

 

近づき

「おい、これどうした」

と首筋に触れた途端、男の体が飛びのいた。

首筋を覆う男の手首にも、強く握り締められたせいでできたうっ血がある。

「いや、何でも」

と言いながらそそくさと着替えを持ち、風呂場に向かう男の後を追う。

ドアを閉めようとするのを強引に開け、後ろで鍵をかける。

 

男が嫌がるのを構わず、患部の洗浄と手当てをした。

俺が最初のオペをしている間、とんでもないことがあったらしい。

やはりあの時、助手に使うと言えばよかったか。

こんなにひどい状態で、こいつは人でなしのオペの助手など務めたのだ。

 

部屋の奥で鍵をかけていたので、俺たちは外の物音に気づかなかった。

異変に気づいたのは、風呂場を出てからだ。

人が走る物音に廊下へのドアを開けると、ジョーというあの召使が走ってくるところだった。

押さえた腕から、血が出ている。

「どうした」

と尋ねるが

「だんな様が、だんな様が」

とどもるように叫んで逃げていく。

 

男と逆に走った。

そっちは患者がいるはずだった。

隣同士の部屋に、二人の患者が。

殺風景なだんなの部屋には誰もいなかった。

ごてごてと豪華な女の部屋にはベッドから落ちてもがく女と、とばっちりを食らった哀れな主治医と、とめどなく血を吐く男がいた。

急激に動いたため、縫合が開いたらしい。

女のほうも、服が血に染まっている。

「なぜ、こんな」

まず女性を楽な姿勢に横たえなおしていると

「この女が最後まで俺を拒否するからだ」

とごぼごぼいやな音を立てながら男が言った。

「俺だって、できるなら外に出たかった。俺を嫌う女じゃなく、好いた女と連れ添いたかった。けど、運命だからと努力したのに、こんなに努力してきたのに」

そこまで言って自分の血反吐に突っ伏した。

 

すぐにオペを。

 

そうは思ったが、すでに手遅れなのはわかっていた。

どちらか一人なら、ぎりぎり何とかなるかもしれない。

どちらかと言うと、奥方のほうが状態はましかもしれない。

だが。

 

「選手交代だ」

その時肩をたたかれた。

シャツのボタンを上まできっちり留めた男が重いかばんを持って通り過ぎ、男のそばに跪く。

血反吐の中から目だけを動かした男は

「あんたか」

と息を吐いた。

「八つ当たりをして悪かったな。無様な姿を見に来たか。最後の最後にしくじったよ。あの女を殺して俺も死ぬつもりだったのに、結局一人旅になり」

また、出血。

口と鼻から大量に出た血で喉がつまらないよう、キリコが男の姿勢を変える。

「頼む。妻だけは苦しめず逝かせてやってくれ。あいつは苦しむのが苦手なんだ」

都合のいいことを言い立てる男にこちらの反吐が出そうになる。

じゃあなぜこいつを受け入れなかった。

受け入れるどころか、散々乱暴を働いておいて。

 

だがキリコは

「あんたも俺の手が欲しいんだろう」

と言った。

 

「特別大サービスだ。彼女の礼金は、先にいただいている。それで二人分にしておいてやろう。苦しむのが義務なんてこと、ないさ。状態にもよるが、彼女もすぐ行くだろう。もし彼女が元気になったら、あんたは数十年待てばいいだけの話だ。すぐ楽になるから、力を抜いて」

そう言いながら男の後頭部に電極を当てるキリコ。

それまで苦痛にゆがんでいた男の顔の険が消えていく。

 

 

脈を測り、まぶたをひっくり返したキリコは

「さて」

とこちらを向いた。

我に返り女を見ると、物ほしそうにキリコを見ている。

奴だけを。

 

「本当に、苦しくなんてないのね」

と言った女は

「あの時5分早く来てくれればよかったのに」

と続けた。

「すみませんでしたね」

と苦笑する男。

「うそ。私が信じなかったからだわ。すぐに処置してもらえばよかった。あの人にも悪いことしたわ。でもあなたとおしゃべりできて嬉しか」

急に吐血した女は

「こんなに汚れちゃって」

と嘆いた。

 

「きれいですよ。あなたも用意はできたようですね」

いつの間にか電極を用意したキリコに気が付き

「まだあんたは生き延びられる。オペをすれば」

と言い募ったが、完全な無視にあっただけだった。

目の前で女の顔が歓喜にゆがむ。

「ああ、ほんとね、ほんと…」

そんなことを小さくつぶやいて、女も動かなくなった。

 

 

俺のしたことは何だったのだろう。

 

 

キリコが女を抱えあげようとして失敗した。

体に力が入らないらしい。

俺が女の足を抱え、二人がかりで男の横に運ぶと、キリコが二人の手を握らせる。

「依頼人は嫌がるかもしれないが、いいよな」

とつぶやくキリコに

「だんなもいい面の皮だが、お前さんのお人好しには反吐が出る」

と言うと

「俺は先生が来なければ何にも動く気、なかったよ」

と飄々とした笑みを浮かべられた。

こいつのこういうところが、すごく嫌だ。

 

今からなら町でホテルを探せるだろう。

俺達は荷物をまとめると、暇乞いをするための誰かを探しに行った。

 

 

 

Tororin5様のリクエストは

敵対するもの。
歪んだ権力、国、お上のような組織や、無とか闇とか時間とか自分の中に答えのあるものでも、渋滞とか行列とか台風で欠航とか、どうしようもないものでも。

飄々としつつ、信念を貫いているキリコ。

キリコを信用できない、自分しか信じないBJ。
3つが絡まるような物語、なるべくならほんのりジャキリテイストで、でした。

BJの部分が全然クリアできていませんし、相手が敵対するものかどうかも怪しいのですが、力不足ゆえ今回はこれで勘弁してください。

Tororin5,様、リクエストをどうもありがとうございました。

 





(上)へ