父親参観

 

 

「ちぇんちぇい、今度の土曜は参観日だから絶対来てね」

と言うピノコの声に、俺は新聞から目を上げた。

普段なら「無理だ」の一言で終わらせるべき話題だが、先日の授業参観と懇談会に欠席したのは俺だけだったらしい。

最後に親子で手遊びをした時、ピノコは先生としなければならなくて帰ってから散々愚痴られたし、先生からも

「今度は必ず来てあげて下さい」

という電話があった。

そういえば俺も、自分だけ誰も来ない授業参観が大嫌いだったっけ。

 

普段の母親しか来ない奴はごめんだが、今回は父親参観らしいから、俺が行ってもそんなに目立たないだろう。

今のところ週末に予定は入っていない。

「急患が入ったらあきらめろよ」

と言うと

「先生大好き」

と抱きつかれた。

みぞおちに体が飛び込んできて、むせそうになる。

この子も力が強くなったな。

最初は筋力が弱くて、本当に歩けるかと思ったものなのに。

幼稚園でほかの子供にもまれ、色々成長したこともあるだろう。

忙しいときにはまた寂しい思いをさせるのだから、たまには付き合ってやるか。

軽い気持ちで行くことに決めたが、幼稚園とは侮りがたい魔境であった。

 

9時半までに着くようにと言われ、車で登園。

彼女の幼稚園は郊外にあるため結構大きな駐車場があり、園バスの出ない日は車で行ってもいいことになっているのだ。

俺たちは時間ぎりぎりだったようで、入ってすぐに園児の集合がかかる。

 

「前へならえ」

と言われた時にきちんと列がそろう一団、あれはきっと年長組だろう。

ピノコたちのクラスはゆがんでいるし、前後の間隔もぐちゃぐちゃで、しかも前の人の肩にわざと手をぶつけたり、急に後ろに下がって「どんケツ」のように相手をすっ飛ばしたりしている奴がいる。

と思ったら、ピノコもか。

男の列にはそういう奴が何人もいるが、女の子はあいつだけだ。

これががさつな男親育ちと言う奴なのだろうか。

ちょっぴりショックだ。

先生が笑いながら注意しているけれど、えらいな。

あの笑顔を1日中保つなんて、まるで聖女だ。

 

「ではお父さんお母さんもお子さんのお隣に入ってください」

と言われ、ピノコの横に入る。

本当は嫌だが、先ほど

「先生、あたしだって18の乙女なのに、毎日こんなこと我慢しているんらよ。たまに来たときくらいしっかりやってみせるよのさ」

と言われてしまったのだ。

もしかして、俺が根を上げるのを口実に幼稚園を辞めると言い出したらそれも困る。

父親参観は年に1度なので、今日だけ我慢だ。

 

朝礼台の上に、おそろいのエプロンをつけた女性が2人登った。

あのエプロンはここの職員の印らしいから、どこかのクラスの先生だろう。

「さあ、まず動物ダンスをしまーす。幼稚園のお友達は毎日やっているから知っているけれど、お父さんお母さんは初めてだから、お手本になってね」

と言われ、子供らの喜んだ声があちこちから響き渡る。

「まず最初は足踏みから」

と言う声と共に壇上の先生が足踏みを始め、子供や親たちもそれに倣う。

ぼんやり見ていたらピノコに肘でつつかれ、慌てて足踏み。

俺もやるのか。

そうか、ここに並ぶってそういうことだ。

 

「ウサギさんのダンスはー、ピョーンピョンピョンピョンピョンピョンッ」

という歌にあわせて手を頭につけ、前後にはねる。

子供たちはうまいな。

ちゃんとリズムに乗っている。

それに比べて親の列の無様なこと。

みんな子供や壇上の先生やほかの親のやることを見てから体を動かすので、1拍も2拍も遅れるのだ。

子供は間違った振りの奴もいるし、ほかの親は参考にならないので、ひたすら壇上の先生を手本に手足を動かす。

だが俺は昔からこういった踊りの類が下手で、きちんとできたためしがないのだ。

帰ってからピノコに馬鹿にされたくない一心でたぬきさんや熊さんや象さんの踊りもクリアしたが、正直足が絡まりそうだ。

 

ひと踊りすると結構暑い。

整列の前にコートだけでも脱いでおくのだった。

本日は晴天なり。

しかもすそが絡まって踊りにくい。

 

早く休憩にならないかな、と思うが

「次は好き好きダンスです。今日お父さんお母さんと踊るために園児が毎日一生懸命覚えました。ぜひ親子のふれあいをお楽しみください」

という無情な声。

慌ててコートを脱ぎ、丸めて後ろに放る。

「1番はハグでーす」

という声の後に

「好き、好き、好き好き、好き、好き、好き好きー」

という軽快な音楽が流れ、園児が激しく踊りだす。

壇上の先生も結構激しい。

でもちらりと視界に入ったピノコがお尻をフリフリ踊る様はかなりかわいいので俺も倣う。

俺が踊っても気持ち悪いだけだが周りの親も相当だし、踊っているときほかの親なんて見る暇ないだろうし。

「だーいすきなのぎゅうしてぎゅ」

という歌詞と共にピノコが飛びついてくる。

壇上の2人も抱き合っていて、先生同士だとちょっとレズっぽいが親子だったらほほえましい光景だ。

「ぎゅ、ぎゅ、ぎゅーでくるくるくるー」

という声に合わせてピノコを飛びつかせたまま回転。

きゃーははははと笑う顔は、絶対この園で一番可愛い。

俺にとっては。

きっと俺の前の奴も後ろの奴も自分の子相手に同じことを考えているとは思うが、思うことはやめられない。

これが親ばかの闇である。

 

「2番は抱っこでーす。赤ちゃん抱っこしてくださーい」

の声と共にピノコを降ろし、また激しい踊り。

俺は多分テンポが後れていると思う。

ピノコに何度もぶつかってしまうのでそうとわかるが、どうにもならない。

でも俺が子供の頃のお遊戯は、もうちょっとおとなしかったような気がするぞ。

合図と共に横抱きにすると、ピノコが「お姫様みたーい」と喜ぶ。

普段は18歳だの何だの言っているが、こういうのも好きだったんだな。

赤ちゃん抱っこが好きなんてちょっと意外だ。

 

「最後はほっぺにチューです。みんな、大好きなお父さんお母さんにチューしてあげてね!」

という声。

おいおいと思うが、ここまで来て離脱はできないだろう。

まあみんな親ばかででれでれしている事だし、と合図と共にかがんだら、すごい勢いで口に吸い付かれた。

チューというよりちゅううううううという感じ。

勢い余って尻餅をついてしまった。

すぐに飛び起きて体勢を立て直したから誰も気づかなかっただろうが、少々恥ずかしい。

 

やっとトイレ休憩になり、ほっとして上着を取ろうとしたが、ない。

あれ?

まさかと思うが、誰かに盗まれたら非常にヤバイ。

何しろあのコートには麻酔薬だのメスだの針だの、いたずらでは済まない物がたくさん仕込まれている。

万一小さな子がメスを振り回したりしたら。

スーッと血の気がなくなるのを感じながら周りを見回していると

「よう」

と聞きなれた声がした。

 

後編に続く