ユリの来訪

 

 

俺はあいつの家に来ていた。

しばらく外国に行っていたので、久々の逢瀬。

なんとなく二人とも浮かれていて、一緒に風呂にでも入ろうということになった。

洗い場で髪を洗いっこして、体を洗いっこして。

奴の髪の毛は長いので、洗うのに気を使う。

俺の髪のようにぐしゃぐしゃと洗うとあとが大変なことになりそうな気がするので、丁寧に地肌をこすり、髪を梳くようにして洗う。

「そんなに丁寧にしなくてもいいぞ」

と笑われるが、俺が好きなのだ。

この髪を洗うのが。

 

背中を流し合うのも好きだ。

ナイロンタオルを泡だらけにして、少し力を込めて、肩からごしごしこすっていく。

「ふう」

という気持ちよさそうなため息。

親父臭いが、その気持ちは良くわかる。

自分ではどうしても背骨のくぼみあたりが洗いにくいし、何と言っても誰かに洗ってもらうというその行為自体が気持ちいい。

腕からわき腹からきれいにこすり、交代だ。

 

なんでこいつは、こんなに洗うのがうまいんだろう。

この力加減が、好きだ。

それとも、俺がこいつの手を好いているから、そう感じるのだろうか。

うっとりしているうちに背中が終わり

「こっち向け」

と催促される。

「前は洗えるぞ」

と言うが

「久々だから洗ってやる。又怪我なんてしてないだろうな」

と言われ、たまには洗ってもらうか、という気になる。

本当にこんなに気持ちいい三助がいたら、俺はその銭湯に通いつめるな、と思う。

一度垢すりマッサージというのをやってもらったことがあるが、あれは垢すりというより赤剥けだった。

 

そんなふうに体を預けてうっとりしていたが、局部を洗われ始めてあせる。

「お前、いつになっても無防備だな」

とくすくす笑われて、赤面。

「どうする? ここで1回抜いちまうか、それともあとでゆっくりするか」

と言われるが、そんなの我慢しようたってもう遅い。

奴だってわかって言っているのだ。

「次に俺もするから」

と言うと、じらさずに手を動かしてくれた。

 

気持ちいい。

なんか今日は、すごく素直になれそうな気がする。

体を支えるのが億劫になり、奴の肩に掴まると

「一緒にするか」

と腰を抱えられ、二人で膝立ちになって、一まとめにして動かされる。

「お前も手ぐらい添えろよ」

と言われ、奴の上から握りこんで。

あとはずっとキスしていたので何も話しはしなかったけれど、たくさん話をした後のようにすっきりした。

 

そんなふうにふざけていたので、二人とも車の音に気づかなかったのだ。

うかつと言えば、うかつ。

体を拭き、ちょっと水でも飲もうか、と台所に行く時、バスローブを羽織った俺達は偉い。

いつものようにバスタオルを腰に巻いただけの姿だったら、それどころか面倒くさがって全裸だったらと思うと冷や汗が出る。

台所には奴の妹がいたのだ。

 

俺たちの気配に気づいたのか

「兄さん、お久しぶり」

と振り向いた途端、固まる彼女。

固まる俺達。

固まったまま、頭の中でいろんな言葉がぐるぐる回るが、役に立ちそうなことは一向に浮かんでこない。

一番最初に話し出したのは奴だが

「どうしたんだ、急に」

と言う声は少々裏返っている。

 

「兄さん、その胸元」

と言われ、俺も覗いてぎゃっと叫びそうになった。

洗いあった後、湯船でふざけて俺がつけたキスマークや歯形がくっきりと。

「先生、これはどういうことか、伺ってもよろしいですか」

と詰め寄られた時の彼女を見て、般若を想像したことは一生内緒だ。

奴を見ると

「言っていいぞ」

と口が動いたので

「あんたの兄さんと付き合っている」

と言ったら思いっきりひっぱたかれた。

俺じゃなく、奴が。

 

しばらくは奴の妹が何を言っているのかわからなかったが、どうもヒステリーに陥っているらしい。

「久々に来てみれば」

とか

「なんで何も言わないの」

とがみがみ言っている。

なんとなく今まで物静かな印象があったのだが、俺は表の顔だけ見せられていたのか。

もう着替えたい。

 

とりあえず俺は無視されているが、ここで逃げようとすれば追撃を受けることは目に見えている。

なら逆に、と台所に入り、湯を沸かしにかかる。

沸かしながらコーヒーの用意。

お茶とコーヒーだけは、俺でも淹れられるのだ。

ペーパーフィルターに湯を落とし始める頃、奴が静かに

「俺の客の前で、お前は恥をかきたいのか」

と言った。

ユリさんはそれまで本当に俺のことを忘れていたらしい。

顔だけでなく手の先まで真っ赤になり

「すみませんでした」

と頭を下げた。

 

後をキリコに任せて、着替えに行く。

風呂前に1杯引っ掛けたのは失敗だった。

車を置いて電車で家に帰り、又明日電車でここへ来る、と考えただけでうんざりする。

でも飲酒運転はやっぱりだめだし、どこかにホテルでも取るか。

それとも鍵を預けておいて、奴に持ってこさせるか。

 

上着は居間なので入っていくとコーヒーが3つ置いてあり、俺が持ってきたケーキも並んでいた。

そういえば俺の分を2つ選んだので、数はあるのだ。

キリコも俺と入れ違いに着替えに行ったのか、妹しかいない。

「先ほど兄から大体のところを伺いました。取り乱してしまってすみません。私はすぐに帰りますので、どうぞお泊まりになってください」

と言われるが、やはり気まずい。

「今日のところは帰る」

と言ったが

「それでは私が困ります」

と言う声には妙な迫力があり、有無を言わせない。

 

まあいい。

知られちまったもんは仕方ないしな。

緊張して腹が減ったので、ケーキを食べることにして座る。

 

「兄は今、子供のころのアルバムを探しています。私は1年ほど前に結婚したのですが、マンションを買って引っ越したので、今まで預かってもらっていた私物を取りに来たんです。あの、ぶしつけだとは思うのですが、兄とはいつごろから、その、付き合っていらっしゃるんですか」

と言われ、ケーキを噛まずに飲み込んでしまった。

もったいない。

 

何だ、あいつすぐ来るんじゃないのか。

「それはあいつに聞けばいいんじゃないか」

と言うと

「そうですが、年が離れているせいもあってあまり話さないんです。父が亡くなった後は余計に気まずくなってほとんど行き来をしなくなったし、私もその後結婚しましたし。今日兄に会ったのも、私の結婚式以来です。」

との答え。

 

そうか。

いくら兄弟とはいえ、奴は愛する父親を殺した人間でもあるのだ。

やはりわだかまりがあるのだろう。

 

「もうずっと兄のことはわからなくて、正直もう感情も凍りついているんじゃないかと思っていました。だから、男同士とはいえ付き合っている人がいるのが嬉しくて。ですが以前兄の手術をお願いしたときにもそんな雰囲気は全然なかったし、それどころか反発しているように見えたので。・・・すみません。」

と言われ、ちょっと意外な気がする。

あいつは感情が凍ってなんかいない。

表面に出すまいとしていただけで、慌てたりびっくりするとぽろっと感情が出る。

それに旅をしているときは風景に溶け込みそうなくらい、穏やかなのに。

 

もしかしたら家族の前でだけ、疲れきった本当の顔を見せていたのかもしれない。

それが奴の家族への甘え方だったのだろうか。

 

「そうだな、あの頃はまったく付き合う気なんてなかったよ。多分お前さんが結婚して寂しくなったからこっちに来たんだろう」

と言うとやっとくすりと笑った。

奴とそっくりの笑い方にドキッとする。

もしかして、俺が今帰らずにのんびりケーキなんて食っているのは、この人が奴に似ているからなんだろうか。

 

「アルバムって言っていたが、奴の小さいころの写真もあるのか? 正直あいつの小さい頃なんてまったく想像つかないんだが、頬はこけてなかったんだろうな」

と言うとくすくすと笑い

「身内の贔屓目もあるかもしれませんが、すごく格好よかったです。面倒見も良かったし。私と遊びに来たはずの友たちもBFも、兄がいると私を放りっぱなしで兄とばかり話すんです。それでけんかになって別れた人もいるくらい。自慢の兄だったんですよ。」

と言ってから

「だから、戦争から戻った兄の変化をなかなか受け入れられませんでした。母がいれば良かったのかもしれないけれど、従軍中に亡くなっていたんです。どうやって接すればいいかわからずに、おろおろしているうちに失踪してしまって・・・次に会った時には安楽死医として名を知られた存在になっていました。」

そしてため息をつく。

 

「昔はすごく優しい人だったんです。年の離れた私の話も良く聞いてくれたし、私の友達が悪いことをしても怒らずに諭してくれて。なのになんで」

とうつむく姿に奴が重なる。

何か言ってやりたくなり

「奴は奴なりの信念を持ってやっているんだ。俺は正しいとは思わないけれど、時々俺のほうが間違っているのかもしれないと思うこともある。やっぱり間違っていると、大喧嘩になることもある。でも、たぶん奴は基本的に優しい奴だと、俺は思う。」

と話していた。

 

俺はそんなこと、思っていたんだろうか。

仕事の面では奴とは絶対に相容れられない、絶対に奴のほうがおかしいと自分に言い聞かせようとして、そういう気持ちを押し殺していたんだろうか。

 

「本当は今日アルバムを受け取ったら、兄はいなかったものとして生きていこうかとも思っていたんです。でもだめだわ。私、やっぱり兄が好き。だって先生が好いてくださるような人なんですもの。」

奴の妹がそう言った時、階段を下りる音がして

「コーヒー、冷めちまったかな」

と言いつつ奴が入ってきた。

「私、淹れ直すわ。今度は紅茶がいいかしら」

と奴の妹が立ち上がる。

俺の隣に座った奴が

「悪かったな、妹の相手をさせて」

とつぶやいた。

「貸しだな」

と言いつつ、奴の持っていたアルバムを取る。

「見るぞ」

と一言断ってから、中を見た。

 

奴は今も味のあるいい顔をしていると思うが、少年時代のちょっといきがっているこの写真は、生意気な子供好きの俺の心をがっちり・・・いやいや。

「なるほど、お前さんが自慢の兄とのろけるだけあるな」

と戻ってきた妹をからかうと、ほんのり赤くなってにっこりした。

それにつられて隣の奴が赤くなったのは、きっと妹の笑みがとてもきれいだったせいだろう。

 

去り際

「兄さん、今度うちに遊びに来て。私の彼も兄さんに会いたがっているの。ね、きっとよ」

と妹に手を握られたとき、奴は幸せを隠しきれない顔をした。

二人きりになった時

「お前はどんな魔法を使ったんだ」

と聞かれたが

「お前の恥ずかしい話で意気投合したのさ」

とだけ言って、奴の背中に腕を回した。

 

 

リクエストは「BJがキリコの家に来たユリと鉢合せて関係を気付かれ、ユリがキリコの話(昔話やキリコの豆知識)を教えてくれるみたいなお話。キリジャキリ風味で出来ればキリコの昔の写真が出て来てくれると嬉しい」ということでした。

うちのキリコとユリはかなりぎすぎすした関係ですので、よそ様のような楽しい話にはなりませんでした。

キリジャキリも、本当に風味だけで。

とりあえず昔話と昔の写真は、何とか入りましたが。

はるか様、あまり想像とかけ離れていてご不快でしたら、別のリクエストをなさってください。

本人はとても楽しく書かせていただきました。