ユリの帰宅後

 

 

部屋に戻ってお茶を片付け、酒を片手にぽつぽつ話をする。

いったん服を着込んだ今では、性的な雰囲気は無い。

スーツというのは不思議なもので、襟を正してリボンタイを結び、ジャケットを着込むと一種気が張った状態になるのだ。

ガードが固まる、という感じ。

それに気づいているのだろう、奴は俺が行くと必ずすぐにコートとジャケットを脱がせ、タイを緩めるように言う。

 

だからこうして接触なしにこいつの家で話をするのは久しぶりだ。

以前はこうやって深夜まで特別なことを話さずに酒を酌み交わし、そのままソファで雑魚寝していたんだっけ。

そんなことする自分が不思議で、でもそんな相手がいなかった俺には特別にわくわくする経験だった。

いつも呼ばれたから行くだけ、と自分に言い聞かせながら、それでも何を話そうか、今日は何を手土産にしようかと一生懸命考えながらハンドルを握った。

 

こんな関係になるとは、本当に思っていなかったけれど。

そう思いつつ奴を見ると、こいつ、まだうっとりしている。

妹に招待されたのが、そんなに嬉しかったのか。

確かに縁切りされるはずだったのが、すんでのところで逆転したのだ。

 

たった一人の肉親、か。

俺にはもう誰もいない。

いや、父には後妻がいたのだ。

20年も連れ添ったというのだから、もしかしたら俺にも半分だけ血のつながった妹か弟がいるかもしれない。

でも、もしそういう人間に会ったとしても、俺はこいつのように情を持つことは無いだろう。

そういえばピノコは今でも姉に会いたいのだろうか。

 

ちょっとぼんやりしていたらしい。

気がつくと、奴が俺を見ていた。

「ユリのこと、改めて礼を言う。ずっとどうすればいいかわからずに手をこまねいていたんだ。俺一人だったら、たぶん決定的にあいつを怒らせるか失望させるかして、兄弟の縁を切られていただろう。結婚式も、本当は迷惑になりそうだから行かないつもりだった。婿さんに『花嫁を俺にくれる役が必要だ』と無理やり出されたんだ。」

と苦笑する。

「何で。お前の妹はお前のこと、大好きだろう」

と言うと

「そうかな。母が死んだときには俺は軍隊にいたし、父の看護もまかせっきり。その挙句殺してしまったんだ。恨みに思いこそすれ、好かれる要素はないんじゃないか」

と言う。

本気でそう思っているような顔。

これじゃ妹も切ないな。

「馬鹿。グマの時、ユリさんは俺のところに来たんだぞ。俺たちが犬猿の仲だった時で、しかも父親を亡くした後の話だ。その経緯を知っている俺に頭を下げたんだ。どれだけお前を心配していたか。」

と言うと、ちょっと呆けてから、あ、本当だ、という顔をした。

鈍い奴。

 

何となくこの雰囲気をぶち壊すのがもったいなくて静かにしていたが、しばらくして

「そうか」

と言って破顔する奴の顔を見たら何かがむらむらとこみ上げてしまい

「なあ、しよう」

と言っていた。

 

お前、今は俺と会っているんだから俺を見ろよ。

妹のことは、今はもういいじゃないか。

酒もあいまってそういう気持ちがするりと抜け出てしまったのだろうか。

え、という顔をしているのにむっとして

「それともキリコ先生はご高齢だからもうそんな元気はありませんかね」

と意地悪してみると

「ブラックジャック先生よりデリケートなだけだと思うがね。もちろん先生が奮い立たせてくれるんなら話は別だが」

とにやにやしながら口元を触られた。

そういう要求に来たか。

「じゃあお前も俺のをしろよ」

と言って席を立つ。

 

勝手知ったる奴の寝室はいつも通りほんの少しだけ雑然としたところがあり、いつもはそれにほっとするのだが、階段を上がるうちに緊張してきてしまい、落ち着かない。

さっきはすごく素直になれたのに、と奴の妹をちょっと恨む。

風呂ではいい感じだったのだ。

リラックスして、俺の表情筋も普段より良く動いた。

今はそのツケがきた気分。

 

奴を座らせてその前にかがみこんだら

「俺もするんじゃないのか」

と起こされた。

いや、俺は同時に、というつもりはなかったのだが。

あわてる俺を見て

「それともお元気な先生は早すぎて俺とは勝負になりませんかね」

と鼻で笑われ、闘志に火がつく。

俺が元不感症だと忘れているな。

俺は絶対にこいつに勝つ。

 

「早く脱げ」

とせかしながら、俺もばさばさと音を立てて服を脱ぎ捨てる。

ズボンだけはしわになるのが嫌で、折り目であわせて逆さにぽんぽんと弾ませてから椅子の背にかけていたら

「そういうところ、几帳面だな」

と笑われた。

俺は几帳面なんじゃない。

無精者でアイロンをかけるのが面倒くさいから、なるべく丁寧に扱うのだ。

 

ベッドでのんびりと待っている奴の隣に逆向きに横になり

「同時に開始だからな」

と念を押して

「いっせーのせ」

でかぶりつく。

む。むごむご。

しばらく一生懸命動かすが、すぐに舌だのあごだのが疲れてくる。

普段無口なので、大口を開けることなんてほとんどない。

口周りの筋肉が衰えているのかもしれないな。

こういう運動は表情筋を活生化するのに役立つかも、と顔面手術後のリハビリ方法を考えだし、自分が逃避に入っていることを自覚する。

だめだ、だめだ、そんなことでは。

 

ちょっと気が緩んだその瞬間、奴が先端を舌でくすぐってきて、一言うめき声が出る。

急に意識が口の中から下半身に移動してしまい、これはやばい。

奴の片手が腿だの尻だのをするするとたどっては時々軽くもみしだいたり引っかいたりする。

ほんの小さな刺激なのに、そのたびに先端が引くつくのがわかる。

 

そうだ、俺は手が留守だった。

口が疲れたなら手を集中的に使うとか、あれ、でもなんか負けそうな気がしてまずい。

何とか刺激を、と思い切り奥までくわえ込んだらえずいてしまい、あせってひどく歯を立ててしまった。

「あいたたた、こら、それじゃ逆に出なくなるから!!」

とわめかれる。

確かに悪いことしたが、ずいぶん大げさに痛がりすぎじゃないか?

「そんなにひどくは噛んでないだろう」

と文句を言うと、くびれに歯を立てられた。

 

痛い!

反射的に足が動いてしまい、ごつっと鈍い音がする。

あわてて体を起こすと、奴が壁の近くで頭を抱えている。

まずい。

「つい足が動いちまって・・・」

と言い訳すると

「その前に、まず謝罪の言葉は出ないのか」

とすごまれた。

 

「俺は衝撃にも歯を食いしばらずに吹っ飛んだがね」

とゆらり起き上がる顔は、鬼。

急に血圧が跳ね上がり、頭の芯がぐらぐらする。

そのまま押し倒され、上から押さえ込まれた。

「さあ、何か言うことは」

と低い声でもう一度問われる。

こわばる口を何とか押し開け、でも出たのは

「お前、さっき妹さんがすごんだ顔とそっくりだ」

という、なんともとんちんかんな言葉だった。

 

うわあ、俺の馬鹿。

こんなこと言ったら絶対ひどい事される。

俺は何でこう口が悪いんだ。

いつも自分で墓穴を掘って。

 

今までいろんな奴にされた思い出したくないことが次々と浮かんでは流れていく。

さすがのこいつも絶対怒る。

いつも穏やかに見える奴ほど実は変態的で。

 

目を閉じたら負けだ、という思いから必死に目だけは開けているが、もう視線を合わせるのも限界、というところでぷっと吹き出された。

「お前、今無表情で必死に対策を練っていただろ。こんな状態で何するんだ? そういう時には一言ごめんでいいんだぞ。」

とくすくす笑われる。

「ごめん」

と言うと

「お前も一匹狼だから言いにくいのかもしれないがね」

と顔が降りてきて、耳を甘噛みされた。

 

ぞくぞくする。

こいつはあいつらとはやっぱり違っていた。

安堵と共に頭に上っていた血が、冷たくなった指先に戻っていく。

「今日はユリのこともあるからな、お前に奉仕してやる。だから悔しいから俺も、なんてするなよ。」

と言われたが、本当にこれは仕返しじゃないのか?

なんか本当に一方的に声を上げて身悶える羽目になった。

口の中がからからになって、キスで相手の唾液を求めてしまうほど。

 

こういう風に素直になるはずではなかった・・・それともこういう風になってみたかったのか。

いや、これは奴の妹のせいで、俺の願望では断じて。

ない、はず。

 

翌朝トイレに行こうと起きた時、机の上に写真が1枚、裏返しに置いてあるのに気がついた。

アルバムからはがしたものらしく、裏にわずかに糊の跡があり、端がちょっとそり返っている。

昨日、妹にアルバムを渡す前に大急ぎではがしたのだろう。

悪いかな、と思いつつも好奇心に負けてひっくり返す。

 

妹の式の写真だった。

多分、バージンロードを父親代わりにエスコートして歩いているところ。

まっすぐに前を向いているらしい妹と、その手をささげ持ち、そっと彼女を伺い見ている、奴。

普段と違い、眼帯も紐もなるべく髪に隠すようにして。

この顔は俺が見るべきではないな、と思い、そっと元に戻して今度こそトイレに行った。

 

 

 

はるか様がもうちょっと書いてくれてもいいとおっしゃったのをいいことに、蛇足です。