夜中

 

 

奴と寝た夜、夜中に目を覚ますと、時たまふと恐ろしくなる。

俺はこんなに幸せでいいのだろうか。

手を伸ばせばぬくもりを感じる、こんな幸福を一瞬でも味わってしまってよかったのだろうか。

さっきまで見ていた夢の中の俺は、ただ一人、歯を食いしばって荒野を歩いていた。

周りには何もなく、ただ粗い地面の感触だけがあった。

夢の中だというのにリアルに感じる、凍りつく寒さ。

それは凍てつく周りの視線だ。

あの荒野、それは俺がずっと歩いてきた道だ。

そしてこれからも歩き続けるはずの道なのだ。

 

運命のめぐり合わせで、ピノコが俺の家族になった。

最初は一緒の部屋で寝ていたが、今は部屋を分けている。

一緒の部屋で寝息を聞いていると、あの子が俺のものだと錯覚してしまいそうで怖かったのだ。

あの子はいつか本当の恋をし、俺から独立するだろう。

いつかは巣立っていくもの。

それを祝福できないと困る。

俺はまた一人に戻るのだから。

そこまで明確に思ったわけではないが、そんな気持ちがあったと思う。

 

けれどこの男と過ごす時、俺は部屋を分けることができない。

この男はピノコのように安定を連想させない。

いつもこれが最後かもしれないと思う。

奴を表す言葉は、刹那だ。

どんなに穏やかな顔をしていても、身近に死をまとったこの男は長生きできないだろう。

もしかしたら、俺よりも。

 

この男が死んだ時、俺は何を思うのだろう。

慟哭は、多分しない。

母の時、拾い集めるのに何年もかかったように、心はばらばらにならないはずだ。

瞬きもせず、すんなり受け入れるかも知れない。

ああ、そうかと納得するだけのような気がする。

正直、ピノコに何かあった方が俺は嘆き悲しむことだろう。

こいつがいなくなっても、俺はあの夢の俺に戻るだけだ。

ただ、もしかしたら今より少しだけ寒がりになるかもしれない。

 

道を交えてしまった。

同じ道を、言い合いしながら歩いてしまった。

そしてぬくもりのある夜を知ってしまった。

知らなければ、ないで済ませられたのに。

この道を歩むのが俺ひとりだと気づいた時、その道は今までよりもっと凍える場所になっているのではないか。

もちろん、それでも俺は歩き続けられるだろうが、体に滲みこんだ男が消えた部分に無数の小さな穴があいて、そこを風が通り抜けることだろう。

 

キリコの手が、俺に触れた。

驚いて振り向くと

「あ、悪い。起こしたか」

とすまなそうな声がした。

「いや。起きてたのか」

と聞くと

「外の風がうるさくてな。この外はどんなに寒かろうと考えていた」

と言ってからしばらくして

「俺、冷え性なんだ。この時期はどんなに布団をかけても手足が冷えて眠れないことがある。けど、今日はなんか体がぽかぽかしている。こんなに風がひどいのに珍しい、と思った時、お前がいるのを思い出した」

と俺に手を伸ばしてきた。

 

頬に手を当てられる。

今まで布団に入っていた手は充分温かかった。

なのに

「お前は温かい。触ると奥からじんわりする」

と言ったまま俺の頬を、髪を、なで続ける。

「なあ、やっぱり寒いから今日はくっついて寝ていいか」

と言う体に触れると、温かいのに、少し鳥肌が立っている。

「何だ坊や、怖い夢でも見たのか」

と言ったのはちょっとからかっただけなのに

「どうかな」

と言う声の調子で俺の言葉が図星だったのだとわかった。

 

奴の背中に両手を回して、きゅっと力を込める。

「俺も寒い夢を見た。ここの部屋、立て付けが悪いんじゃないか」

と言うと

「なんだと」

と髪をちょっと引っ張られたが、しばらくすると

「そうかもな」

と横抱きに抱え直された。

 

何を話すでもない。

沈黙が続くだけなのに、なぜかとても気持ちが凪ぐ。

こいつの夢はなんだったのだろう。

戦争の夢か。

今までの依頼人のことか。

それともさっきの俺のような気持ちになることもあるのだろうか。

 

わからないけれど、聞く気もない。

俺のことも、言う気はない。

それは俺自身の問題で、他人と分かち合うことではないのだから。

 

目を閉じてもさっきの荒野が見えてこないのに少し安心して、体の力を抜いた。

奴の下敷きになった左腕がちょっと痛いけれど、奴の右腕も同じことだろう。

一人に戻った時、無数の穴が喪失を訴えるとしても、今のときめき、喜び、そんなものを味合わないのも馬鹿らしい。

この時間の思い出は、残るのだから。

もし最後がつらいものだとしても、時が経てば傷は癒える。

どんな経験も、きっと俺に何かを付け加えてくれるはず。

だから。

 

「何だ、寝ちまったのか?」

と顔をのぞかれた気がするが面倒で反応せずにいると、奴が抱擁を解いて体をずらすのがわかった。

下敷きから開放された腕は血の巡りが良くなってじんじんするけれど、軽いのが寂しい。

もう一度抱きつこうと腕を伸ばすと

「左でも、大事な手だろう」

とそのまま奴の手に包まれた。

上の手がもう一度俺の背に回ったのに安心して、体の力を抜く。

窮屈な姿勢だから明日は寝違えているかもしれないけれど、それでもいい。

この男にも、睡魔が早く来るといい。

 

こんな夜中に、ふと忍び込む考え。

穏やかな日は、いつか終わる。

本当にこれが最後かもしれない。

お互い、いつ後ろから刺されてもおかしくない身だ。

どちらかが死ななくても、また真っ向から対立して、今度こそ2度と会わなくなるかもしれない。

 

けれどこんな風に穏やかに過ごせた夜もあったことを、忘れたくない。