数年後 (下)
朝になったら起き、朝食を食べて歩く。
「休憩するよ」
と言われたら立ち止まり
「飯にするか」
と言われたら食事をする。
「この宿でいいか?」
と問われたら頷き、シングルルームだけを所望する。
それを数回繰り返して、気が付いたら俺はカラ・パタールの頂上にいた。
雪がすごくて、酸素が薄い。
すぐに息が切れてハアハア喘ぐ。
喘ぎながらガイドの後ろを、ひたすら足元を見ながら延々とついていったら、そこが頂上だったのだ。
標高5500メートルらしいから、息苦しいのは当たり前ではある。
そこには数組の人々がいて、エベレスト近くの雲が切れるのを辛抱強く待っていた。
風が強い。
天気がいい日は360℃の絶景が味わえるらしいが、残念ながら、今日はその限りではないようだ。
それでも、今日はここ数日の中で一番天気がいいらしい。
「何しろ、雪が止んでいるからね」
と言うが、周りの雲海がすごい。
俺たちが来た道は、帰りも雪で確定だろう。
それでも〈父〉は
「やった!」
と喜び、何枚も写真を撮っていた。
翌日は、エベレストベースキャンプに行った。
〈父〉は荷物からポーランドの国旗を出してきて、大はしゃぎでそれをはためかせ、ガイドに写真を撮ってもらっている。
俺はそれをぼんやり見ていた。
ベースキャンプと言っても、今年は春が遅いので、まだエベレストにチャレンジする隊は一つも来ていない。
あと1月もするとテントだらけになるというが、想像もつかない。
「写真を撮ろうか」
と言われたが、丁寧に断る。
俺の写真はない方がいい。
その代わり、景色の写真を数枚撮った。
楽しんでいるよ、と示すために。
厳しい自然。
恐ろしいほど高い空。
美しい風景は沢山あった。
足りないのは一つだけ。
髪の毛一筋。
それだけの縁が欲しい。
帰りの方が順調だった。
体が動くのに慣れたせいもある。
だが、それよりも単純に酸素濃度が上がっていくからでもあるだろう。
一度息苦しい生活をした後では、本当に楽なのだ。
歩いて、食べて、泊まる。
そしてまた歩いて、食べて、泊まる。
気が付くと、眼下に大きな集落が見えた。
ナムチェ・バザールだった。
同じ宿に泊まるが、やはり個室は取れなかった。
本格的なトレッキングシーズンに入ったのだという。
先日より、町はもっと混んでいる。
換金して宿に戻ると、俺に声をかける男がいた。
あの二人のガイド。
その横に、男とお嬢ちゃん。
髪の毛の一筋はつながっていた。
途端に景色が鮮やかになり、周りに音が溢れ出す。
この世界の、なんと美しいことか。
何とかゴーキョまで行けたと言うガイドの肩を叩いてねぎらい、お嬢ちゃんを大いにほめる。
それから奴を誘って外に出た。
近くのアイリッシュバーに入り、お互い1杯だけウィスキーを飲むことにする。
高所に行った後だから、そろそろ飲酒もできるだろう。
本当に話したいことは、他にあった。
けれど、口から出るのはお互いのトレッキングについて。
俺はほぼ反射で話していた。
多分、あいつもそうだったと思う。
話したいことを話すには、俺はまだ赤裸だった。
触れるには痛すぎて、だけどあいつの声や相槌を逃すのが惜しくて、当たり障りのない話を続け、それも限界になると、お互いの顔をただじっと眺めていた。
「あの。よかったら一緒にお土産を見に行きませんか?」
とお嬢ちゃんに声をかけられ、思わず〈父〉を振り返ると
「いいじゃないか。楽しんでおいで」
と背を叩かれた。
「俺と二人でいいのかい? 君は若い女の子なんだから、君の先生が忙しいなら、うちの〈父〉も」
と言うが、〈父〉は笑顔で首を振り、お嬢ちゃんは
「ほんの近くだから。それにあなたは変なこと、しないでしょう?」
と笑う。
あざといな。
こんな風に信頼されたら、よほどの悪党でない限り紳士でないといられない。
何軒か土産物屋を回って、友達に渡すというキーホルダーなどの小物の選定に付き合い、彼女が立ち止まって長いこと見つめていた、美しい細工の施されたちょっと値の張る小さな飾り物だけ、彼女がほかの買い物をしている隙に買う。
最後に山中と思えないくらい小綺麗なコーヒーショップに誘い
「魔除けだそうだから、居間の隅にでも置いてくれ」
と先ほどの飾り物を渡しながら、あいつの目に入るといいな、と思う。
ちょっと恐縮してから、素直に
「ありがとう」
と言った彼女は、小さく
「キリコのおじちゃん」
と続けた。
サングラスで目を隠していても、俺が目を見開いたのに気づいたのだろう。
「やっぱそうなのね。髪が違うから、最初は全然わからなかった。死んだはずの〈お父さん〉がいるのも変だし。ね、もし逃げるんなら、先生も私も手伝うわよ」
と、今までと同じように笑いながら小声で続ける様が、あいつそっくりの胆力で。
「大丈夫。そういう相手じゃないよ。訳あって日本には帰れないけど、他の国なら何でもない。しかしびっくりしたな。お嬢ちゃん、すごい観察力だね」
と感心すると
「女の子同士ってメンドクサイんだから。それに比べたら楽勝よ! なんて本当は、さっき先生とお酒を飲んでるところを見て思い出したの。昔、こんな先生を見たことがあったって」
ちょっと得意げな表情が、小さかった頃の彼女に重なる。
ああ、表情が明るい。
ずいぶん元気になったんだな。
連絡先を交換しようと言われて、何もないと言うと、彼女は小さな紙に何やら書き
「これ、わたしのFace mookだから。今、登録しちゃってね。ID変えないといけなくなったら、プロフィールの画像に足か靴、最初の投稿の写真に小さくてもいいから手を入れて。先生にもそうしてもらう。そうすればヒミツでもわかるでしょ?」
と笑う。
「私が学校に入ってから、先生ずっと大変だったの。PTAとか教育委員会とか役所とか、本当にうるさいのよ。ここに来て、先生やっと深呼吸してたわ。先生は世界の黒医者よ。これからはどんどん出かけてもらうから、見かけたらよろしくね。その時には先生にもアカウント取らせて、出先の写真を1枚はアップしてもらうんだから」
と言う彼女は、幼いころとはまた違う、輝ける娘だった。
先生も、そろそろ子離れの準備が必要かもしれない。
俺も、そろそろ一人で歩く準備をしなくては。
お嬢ちゃんを宿に送り届け、俺も部屋に戻ると、〈父〉がどこかつまらなそうに
「なんだ、送りオオカミにならなかったのか」
と言った。
「そういうんじゃないよ。でも、あんたの言う通り若い子はいいね。元気になるのは間違いない」
と言うとびっくりしたように俺を見、
「あんたはもう、そんなにすぐにはくたばらないな」
と頷いてくれた。
トレッキングから戻ると、俺は組織の長にこれまでの感謝を込めて礼を言い、もう一度独り立ちしたい旨を述べた。
何も礼をしていないのだから交渉は難航するかと思ったが、1年に1度は必ず顔を出すことを約束されるだけで、他に特別な要求はなかった。
もしかしたら、その時につけの支払いを請求されるかもしれないが、1年の猶予を貰えたとも言える。
旅先で、俺は時々今いる場所の写真を投稿した。
そしてお嬢ちゃんのアカウント越しに、奴の投稿をチェックした。
俺たちの投稿はいつも写真1枚きりで、有名なランドマークでないことも多い。
だけど、よく見ると以前バッティングした場所だったり、見覚えのある景色だったりして、
「ここはどこだったか」
と頭をひねる時、あの男は俺の中でふふん、お前さんは覚えているかね? と憎らしい笑みを浮かべるのだった。
お互い、連絡は取らなかった。
髪の毛1筋のつながりがあればよかった。
偶然、出会ったりしなければ。
再会した時、俺達は髪の毛一筋の縁では全く足りていなかったことを知った。
若い頃と少し趣を変えた男と話すのも、騒動に巻き込まれるのも、それを乗り切るのも楽しかった。
そしてまた俺の手も奴の手も、お互いの肌を全く忘れていなかったのに気づいた。
気づいてしまえば、もう忘れたふりなどできそうになかった。
ただ命があれば生きているってことじゃない。
生命維持装置にただ縛られるだけの人生に疑問をぶつけてきただろう。
あれが俺の生き方だったのに、俺も焼きが回っていたようだ。
伝染病の蔓延地域に潜り込み、感染して、自爆死を決意したことを思い出せ。
死の前の走馬灯には、俺の人生にもあった満足を映したい。
俺達はどうすればこの縁を強固にできるかを検討しあった。
それは刹那だけを生きてきた二人が、未来があることを明確に信じる区切りになった。
続きものの二人は、おそらくこれが最後です。
キリコをかくまっていた組織の長は、以前受けた恩を返したいと思っていたので、年に1度の縛りは「生きているのを確かめたい」だけです。 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。