接触嫌い
「いっしょに寝ないか」
そう言われたのはキリコの家でいつものように飲んでいるときだった。
「なんだ、今日は早いな。疲れてるのか? じゃあ俺が後は片付けておくから先に眠れよ」
と言うと、
「眠りたいんじゃなく、セクシャルな意味で言ってるんだ」
と真顔で言われた。
俺は恋愛の経験が皆無に等しい。
セックスの経験がないわけじゃない。
こういう生業をしていると有閑マダムに押し切られて、とかどら息子にだまされて、とか1度付き合えば目こぼししてやると言われて、とか腹いせに監禁されて、などで、さまざまな経験をするものだ。
だけどそういうものは皆事故や暴力で、恋愛ではない。
たぶん医局員時代のただ1度の恋愛以来、そういう感情は俺にはないものとして生きてきた。
俺の望みは復讐、それだけを頼りに生きてきたし、そういう自分に満足してきたつもりだ。
だが、1年半ほど前、2人目の復讐者を見つけたとき、そいつはがんで死ぬ直前だった。
最初は見捨てようと思ったがやはり娘の依頼を受けて手術。
そいつが完治してから復讐をすればいいんだ。
そう思っていたはずなのに、1年も放っておいてしまって、その間に男は自然死してしまった。
ショックで眠れない日が続いた。
死んだことが、ではなく自分の中の復讐の気持ちがいつの間にかほとんどなくなっていたことへのショック。
ピノコとの生活が楽しい。
平穏な毎日が楽しい。
そう考えている自分が、まるで母を裏切ったようで眠れなかった。
ふらふら酒場を巡り歩いてばかりいた頃、キリコと鉢合わせした。
自棄酒のようにあおる俺をしばらく見て、
「俺の部屋で飲まないか」
と言われた。
何でついていったのか、その日何を話したのか、全然覚えていない。
でもきっと何かすごく恥ずかしいことを話したのだろう。
その日を境に急に心が軽くなって、眠れるようになった。
その日を境にキリコが「飲みに来ないか」と電話をよこすようになった。
俺は特別な用がない限りキリコのうちに行って、だらだら飲んだりくだらない話をして過ごしていた。
「何で急に?」
と聞くと、
「おまえともう少し深く知り合いたい」
と言われた。
「おまえはゲイなのか?」
とたずねると、
「経験がないわけじゃないが、自分からしたことはない。女の方がずっと好きだ。
でもおまえのほうがもっと気になる。おまえはどうだ。」
と返された。
正直言うと、キリコといっしょにいるのは肩がこらない。
ピノコといる時とはまた違った安らぎを感じてくつろげる。
だが恋愛感情なのか、と問われるとわからない。
そんな感情忘れてしまった。
大体。
「言っておくが、俺は不感症だ。やばい薬でも打たれれば別だがそういうのはお断りだし、そうでないときには皆あきれる。人形を相手にしているみたいだって。時間の無駄だ。やめた方がいいと思うぞ。」
そう忠告してやったのに、
「じゃあしよう」
と言われてしまった。
都合のいいようにしか聞かない、あきれた耳の持ち主だ。
酒の片づけをしながら思いついて
「浣腸をしときたいんだが、グリセリンあるか」
と聞く。
キリコはおもしろそうな顔をして
「あるぜ。用意するから待ってろ。ついでに入れてやろうか」
と言う。
萎えさせてやろうと思ったのに、そう来るか。
「別に医者どうしだし、医療活動と思えば入れてもらってもかまわない。」
そう言うと、
「じゃあ入れてやる。」
あっさり返された。
本当にベッドで横を向いて、少しだけ下着をおろして、入れてもらう。
5分待ってからトイレに行く。
とりあえずスカトロではないな、と安心する。
あれだけはどうしても嫌だ。
ついでにシャワーも使わせてもらい、入れ替わりにキリコを待つ。
氷水を飲みながら、心のどこかがむずむずするのに気がつく。
なにか期待をしているのだろうか。
何を期待しているんだ?
これからするのは、大嫌いなセックス。
患者以外の人に触るのが嫌い。
誰かに触られるのが大嫌い。
なのに。
寝室へ。
いつもは飲んだままソファーで毛布を借りて雑魚寝が多かったので、入るのは初めてだ。
机とベッドと本棚くらいのシンプルな部屋だが、床にバイク雑誌が1冊落ちている。
さしずめ寝る前の愛読書か。
ベッドの端に並んで座ってキス。
キスは大嫌いだ。
他人と唾液が混じるなんて、考えただけで気持ち悪い。
口の中を舌が動くと、ナメクジか芋虫でも動き回っている気がする。
でもキリコの口からは歯磨き粉の香りしかしなかったので、思ったより気持ち悪くなかった。
自分が酒臭いままなのに気がつく。
しまった、と思っている間にガウンをはだけられていた。
傷跡だらけのつぎはぎの体を見て萎えたかな、とキリコを見たが、別段動揺はしていないらしい。
最初の泥酔時に俺は何を言ったんだろう。
その間にもキリコが体や傷跡を触っていく。
俺が特別に反応しないのを見てそのままペニスを握りこんできた。
「うわ」
さすがにびっくりして声を出すと、にやりと笑って
「やっと声が出た」
と耳元でささやかれた。
吐息がむずがゆくて身じろぎすると、わざと耳元にささやきかけてくる。
「どうすると気持ちいい?」とか「東洋人ってサイズが変化するって本当か?」とか。
「俺のも触れよ」
と言われて恐る恐る手を入れて取り出し、触ってみる。
そのままどうすればいいかわからなくなった俺に
「どっちが我慢できるか競争な」
と、キリコが笑いながら指を動かし始めた。
競争、と聞くと習い性のせいかがんばらねば、という気になり、キリコのまねをして指を動かしていく。
キリコはわざとか偶然なのか、人の耳元で
「もうすこしやさしく」とか「そこ、もっと」などと吐息交じりの声を出す。
そうするとなぜか俺の体まで熱くなっていく。
限界近くになってきたか、という頃、急にキリコが耳をなめた。
気がつくと頭を片手で抱きこまれていて、逃げられない。
そのまま耳穴に舌が入るのを感じたとき、急に射精感があふれてきた。
「おまえのいいところは耳なんだな」
ニヤニヤしながら言われて何か痛烈な言葉を吐いてやりたいのに、思いつかない。
悔しいことに、やつのものはまだ限界にはほど遠いらしい。
むっとしているとベッドに転がされて
「その位顔に出たほうがかわいげがある」
と、また耳元でささやかれた。
尻を触られる時、心の中でいつも唱える。
大丈夫。
別になんでもない。
こんなことで傷つくようなけちなプライドは持ってない。
前立腺を刺激されて体が反応しても、それは生理的なもの。
心を閉ざしてやり過ごせ。
力を抜いて、ダメージを消して。
自分の中に入り込め。
「おい、BJ?」
心臓が飛び上がるほど驚いた。
いつもの習慣を繰り返していたが、そういえば今日は一応同意の上、というやつなんだった。
それにしても、なんて声だ。
急に現実に引き戻すような声。
いつもどんなに乱暴にされても、どんななぶられ方をされても無感動でいられるのに。
「急に表情を消すな。びっくりする。それより話でもしようぜ。何でもいい。」
そう言いながら指を動かすのはやめろ。
こんな状態でいったい何を話せばいいんだ。
言いたいことはたくさんあるが、言葉にできない。
じっとにらんでやると、
「じゃあ、今何本入ってるか、わかるか。」
と聞かれ、急に相手の指の動きをリアルに感じる。
「・・・2本」
「一応わかっているんだな。じゃあ、これは。」
一度抜かれて、また入ってくるのは。
「・・・・・・3本」
なんか変だ。
息が切れる。
耳元でしゃべるな。
髪を触るな。
「入れるぞ」
入ってきた。
体は慣れているから、衝撃はそんなにひどくない。
これより乱暴なことの方が多いから、全然、楽。
なのに、逃げたい。
受け止めきれない。
どうしたんだ。
「ほら、腕こっち」
両腕を相手の首に回されて、しがみついたら離せなくなった。
体がぴったりくっついている。
そのまま動かされて、声が出る。
かすれた、自分のものではないような声。
汗が出る。
コートを着慣れているせいで、普段ほとんど出ないのに。
汗に混じってかすかにキリコの体臭がする。
大嫌いなディープキスが、やめられない。
なぜだろう。
いつもは吐き気がするほどいやなことが、皆気持ちいい。
あ。なんか来る。
昇って、落ちた。
しばらく2人してそのまま脱力していたが、キリコがのろのろ動き出したので目を開ける。
ばっちり目があって、動揺しそうになるのを何とか踏ん張る。
しばらくにらみ合う形になって、本当にこの後どうしようと悩み始めた頃、キリコが吹き出した。
まるでにらめっこで負けた人のよう。
つられておかしくなって、つながったまま、しばらく馬鹿のように笑った。
「おまえのそんな顔、初めて見たぜ」
ティッシュをこちらに放ってよこしながら、ニヤニヤをやめずにキリコが言う。
腹の辺りは俺の精液でぐしゃぐしゃ。
でもいつの間にかキリコのほうはサックをつけていたらしく、気持ち悪そうに外している。
からかうつもりで
「おまえさん、いつの間にそんなの用意してたんだ」
と聞いたら
「おまえは絶対、中に出されるのがいやだと踏んだんだが、違うのか?」
と返された。
違わない。
下剤を飲んでも腸洗浄をしても、気持ち悪くてしばらく吐く。
「いや、助かる」
とつぶやくと
「欲しいならやるぞ。ほれ。」
と使用済みの口を縛ったのが手の上に降ってきた。
ぎゃー。
マジ殴り。
ベッドに並んで横たわると、すぐに眠くなってきた。
今日は顔の表情筋を酷使したから、きっと明日は筋肉痛だ。
くだらないことを考えながらうとうとしていると、誰かが髪の毛をすいてくれる。
なぜか母だと思う。
お母さん、ごめんなさい。
あなたのことが大好きなのに、俺は、復讐も忘れてこんなに幸せに浸っています。
考えたら涙が出たような気がしたけど、眠すぎてぬぐえなかった。
正真正銘、今までの人生ではじめてH小説というものを書きました。
とりあえず、今は書き上げられた、というだけでうれしいです。
よろしければ感想などいただけると幸いです。