眠れぬ夜

 

 

 

さっきまで奴と睦みあっていた。

今まで背中を向けさせると体がこわばるので、嫌な思い出でもあるんだろうとあまり無茶はしてこなかった。

だが思い切りくすぐった後で表情もほぐれていたし、反応もよかったので今日はいけるかな、と後ろから抱いてみた。

最初は緊張していたが、声をかけたら急に体がほどけて、もしかしたら俺は受け入れられているのかもしれないと思った。

嬉しくてことさら丁寧に扱ったら普段聞けないような反応をするので、そのまま後ろに引っ張り、座った上に乗せるようにして横顔を盗み見た。

 

長引かせたくてほかの事を考えようともしたが、せっかくの反応も見ずに何が楽しいんだ、という気がして自分の欲求に任せたら、正直長時間はもたなかったが妙に深いところで気持ちよかった。

奴が放心してぐったり寄りかかってきたときの重さもいい。

汗ばんだ奴の胸に置いた手のひらから早めの鼓動が伝わってきて、こいつは生きているんだな、とほっとする。

 

正直俺は性には淡白な方で1晩に何回もするようなことはあまりなかったのだが、こいつとは1回で終わったことはほとんどなく、それは今日も同じだった。

奴が妙に積極的だったのでこちらも限度を忘れてしまい、つい無理をさせてしまったようだ。

3度目の後奴はもう無理だ、と苦笑した後俺を見て

「お前、優しい奴だな」

とつぶやいた。

え、と聞き返そうとしたときにはもう眠っていた。

 

俺も疲れているのだけれど、さっきの一言が妙に気に触って眠れない。

宴の後のせいか、妙に落ち込んだ思考ばかり繰り返してしまう。

 

俺は優しいんじゃないんだ。

お前を利用しているんだ。

ほんの少しでも自分は必要だという自己満足に浸りたいだけなんだ。

 

俺が奴を構うのは、同じような空洞を持った奴がほんの少しでも癒される様を見たいだけなのかもしれない。

奴が癒されて少しずつ変わっていくのを見て、自分の穴も少し修復された気になりたいのかも。

全部自分のためなんだ。

 

もし俺が優しく見えるとしたら、それはせめて生きている人には生を楽しんで欲しいからだ。

いろんな境遇はあるだろうが、それでもその中に楽しみを見つけて欲しいと思う。

死に場所を見つけるために生きるなんてこと、ほかの誰にもして欲しくない。

 

生きているのがつらくて仕方なくなった人の所に俺は行く。

苦しくてつらくて、それでも自分では死ねない人々。

体力的にもう自分では死ねない人、宗教的に自殺を禁じられていて、誰かの手を待っている人。

依頼人は皆、病気や怪我で、戦うのに疲れてしまった人たちだ。

俺はその人たちに引導を渡す。

最後の瞬間に立ち会って、その人の信じる神や、人生の中で楽しかった事を思い出してもらう。

なるべく楽に逝けるように。

神など信じてもいないくせに。

 

俺はキリスト教の教えの中で育った。

汝殺すべからず。

戦いの時、軍医なら殺さず生かせるだろうと、青臭かった俺は思った。

とんでもない。

設備がない、薬がない、人手がない。

効率がものをいう世界。

 

軽傷者は回復して働けるし、手もかからないから直す。

でも重傷者は薬や包帯の無駄遣いとばかりにおざなりな治療のまま、死を待つしかない。

うめきと苦鳴とハエと蛆虫の支配する世界。

神なんか、どこにもいなかった。

 

銀バエが群れているうちは、大丈夫。

でも、死肉のみを食らう金バエが近づくようになった奴は、まずその晩を生き抜くことができない。

朝になると死んだ人間をどかし、ベッドの順番を待つものを乗せる。

傷口には蛆虫がうごめいているが、取ってやる暇のある人間はいない。

自力で取れなくなれば、死の確率が急激に上がる。

 

機械のように早朝から深夜まで働いても、どうにもならなかった。

一度安楽死を始めたら止まらなくなった。

 

戦時はそれでも大義名分がある。

でも軍医ではなくなり平時になると、じわりじわりと過去が俺を食いつぶしていった。

本当に俺は最善を尽くしたのだろうか。

本当はもっと助けられる命があったんじゃないか。

本当にあの中の全員が、苦痛からの解放を願っていたのだろうか。

本当は。

本当に。

 

ああ。

何でこんなにナーバスなんだろう。

明日行く街が、初めて戦争以外で安楽死をした所だからか。

恩のある人を殺したのだ。

 

何で俺は拾われたのか。

死を渇望し、だが無念のうちに死んでいった人々のことを思うと申し訳なくて自死などできず、ほとんど狂い掛けていた俺に、忍耐強くそれでも償えないことはない、と言ってくれた人がいた。

死病に冒されていて、気付いた時には手の施しようがなかった。

でも痛みのために七転八倒し、強い鎮痛剤でも眠れなくなった時。

ごまかしの治療で意識をなくしてただ生き延びるよりは、安らかに俺の手で死にたいと言ってくれた。

 

あの人を墓に埋めて俺は戦場以外での安楽死を始めた。

それでも安楽死は必要なのだと思い切り、誰とも深く付き合わず、物事を深く考えまいとして。

生きる価値のない俺でも誰かを安らげることができるのなら、それこそが俺の仕事であり、償いなのだ。

 

それからあの町には行ったことがない。

ずっとあの頃のことは思い出すまいとしてきた。

 

でも今は妙に思い出す。

いつか俺が

「何で俺なんかの面倒を見るんだ」

と聞いた時、あの人は言った。

「順繰りなんだ」と。

昔自分もすごく世話になった人がいたけれど、その時は恩返しできなかったから、その分お前に返しているんだ。

だからお前は何も煩わなくていい、と。

 

もしかして、彼もこんな風に俺の寝顔を見たことがあったのだろうか。

俺を見て、何かを償い、自分の何かを癒していたんだろうか。

 

ずっと寝ているとばかり思っていた奴の目が急に開いた。

そういえば、しばらく前から豪快ないびきが途切れていたが。

「眠れないのか」

と問われ、つい

「明日行く国のことを考えていただけだ」

と言ってしまい、しまったと思う。

こいつに仕事の話はタブーだった。

又険悪になる。

いやみを言われ、なじられ、俺の価値観を奪われ、しばらく立ち直れなくされる。

もうずっと言わないように気をつけていたのに、俺は馬鹿だ。

 

奴は飛び起き、しばらく口をパクパクさせていた。

罵倒の言葉を捜すか、患者の事を聞きだそうとしたんだと思う。

だが俺のことをしばらく見た後ため息をつき

「それ以上言うなよ。俺は単にお前がどこかに行くとしか聞いてないからな。理由を聞いたら止めたり邪魔したくなるかもしれないから絶対言うな。あと、そんな顔はやめろ。俺がいじめているみたいじゃないか」

と又俺の横に寝転んだ。

 

なんで。

 

奴が俺の方に向き直って髪をすく。

「お前が闇雲に殺す奴じゃないのはもうわかっている。単に死にたいだけの奴は見向きもしないのも。俺なら救えるかも、と思って邪魔してきたけれど、俺の方が患者の意思を無視していたことも正直あった。わかっているけど知ったら絶対邪魔したくなる。だから言うな。おまえも自分の正しいことをしているんだろ」

そう言ってぷいとそっぽを向いた。

 

何か言いたくて、でも言葉が出ず、奴の腕にそっと触ると

「何も言うなよ」

と釘を刺された。

「お前には悪いけど、やっぱり自己嫌悪もあるんだ。死なないで済む奴を俺は見殺しにしているんじゃないかって。でもやっぱりお前はきちんと病状を見て、本当に手遅れのやつしか手を出さないと思っている。俺ならいけると思うなら、大サービスで呼ばれてやるから。もちろんただじゃないけどな」

それだけ言うと、奴はもう何も言わなかった。

俺も何も言わなかったから寝室はしんと静まり返っていたけれど、お互いに相手が起きているのはわかっていた。

 

あんなことを今は言っても、又依頼人がかち合えばこいつは俺をなじり、患者の意思など無視してなんとしてでも患者を奪い取ろうとするだろう。

でも、今こう思ってくれた気持ちも、多分真実なんだろう。

 

どのくらい経ったのか。

奴が急に振り向いて

「旅するなら、ちゃんと眠れ」

と俺の頭を胸に抱え込んだ。

 

抱え込まれてくっついた所から、奴の鼓動が伝わってくる。

依頼が終わったら時間を作って墓参りに行こう。

そう決めたら今まで来なかった眠気が急に襲い掛かってきた。

 

 

いろんな意味ですみません。

叱咤でも批判でもお受けします。

 

 

 

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