薬
奴に電話したら暇だということだったので、家に誘った。
旅から帰り、家に落ち着くと奴の顔を見たくなる。
旅先では(特に仕事の前では)見たくない顔ナンバー1なのだが。
そうと決まれば現金なもので、旅の荷解きと洗濯に精を出す。
換気もしたし、リビングと寝室だけはおざなりに掃除機もかけた。
これが一人だと1週間も荷解きせずにぐつぐつしていることもあるんだから。
奴をリビングに通し、上機嫌でキスをしたら、奴め「もう一度抱く側に回りたい」と駄々をこねる。
あんな乱暴で痛い思いはもうこりごりなのに、すごくしつこい。
せめてじゃんけんでどちらかを決めよう、と言われ、「俺が勝っても何もなしじゃないか。お前が負けたらペナルティくらいあるのか」と切り返すと「お前が決めていいぞ」と自信満々だ。
じゃんけん、ぽん。
俺の勝ち。
奴は自分の開いた手を呆然と見ている。
「最初にちょきを出すなんて、なんてひねくれた奴なんだ」
とつぶやいているが、ちょきだとなんでひねくれものなんだ?
「何か考えてくるから」
と書斎に向かう。
考えるまでもない。
今回知り合いに変な薬のモニターを頼まれたのだ。
いわゆる媚薬の一種だが、抑圧を解放するので自然に本音を聞けるぞ、と言われた。
麻薬成分が入っているんじゃないかと疑ったが、依存性はまったくないから、と太鼓判を押された。
変人だが信用の置ける奴だから体に害を及ぼすことはないと思うのだが。
2回分だというので、ビンの半分を小さなコップに移して渡す。
もっと嫌がるかと思ったが、依存性がないと知ると腹をくくった顔をした。
本当に肝の据わった奴だ。
後味を確かめているような奴に
「どうだ」
と聞いてみる。
しばらく目をつぶっていたが
「体がふわふわする。多幸感て言うのか?すごく難しいオペに成功した瞬間みたいな気分かな。今なら何でもできそうな。」
そう言ってぱちりと目を開くとやおら俺に抱きついてきた。
「体がむずむずする。力が有り余っている感じだ。なんかどんどんむずむずしてきた。腹の中がぞわぞわして使わないと爆発しちまう。うわ、本当に使わないと爆発する」
と言いざま俺は高々と抱き上げられた。
「ほら、お前がこんなに軽いんだ。肩車だってできちゃうぞ」と人を肩の上に乗せてぐるぐる回りだす。
こ、これは。
「馬鹿、やめろ」
としがみついても
「何だ、お前が飲めって言ったんじゃないか。すごく気持ちがいい。お姫様抱っこもしてやろう」
と人の腰をひょいと持ち上げ、そのままぽんと放り上げて空中でキャッチ。
ぎゃー怖い。
「お姫様抱っこだ。一回やってみたかったんだよな。力があるって気持ちいいな。お前、何でそんな変な顔しているんだ?そんな顔していると食っちまいたくなるぞ」
と言いざまベッドにダイブ。
ぐえ。
俺をつぶしながら
「お前、ちゃんと食べているのか?いつも顔色悪いじゃないか。料理は上手なくせに、一人の時にはちゃんと食ってないだろ。ちゃんと一人のときにも食べないといけないんだぞ。」
なんて言う。
そんなこと思ってくれていたのか、とちょっとほろりとしていたら
「顔だけじゃなく体も見せろ」
とシャツを破られた。
シャツどころじゃない、ズ、ズボンまでファスナーを壊す勢いで。
この薬、何なんだ。
「服なんて着ているなよ。全部はいでやる。」
と言いつつ楽しそうにシャツだのズボンだの下着だのを破っていくのを見て、逆らったら危ないと観念した。
あの知り合いには絶対に世に出すなと言ってやらなくては。
こんな恐ろしいもの世に出たら、絶対やくざなんかに悪用される。
それどころか兵士なんかに服用させたら。
ぞっとしているうちに一糸まとわぬ姿にされてしまっていた。
「おまえぜったいに着やせするタイプだよな。骸骨みたいな顔しているくせに、何だよこれ。お前のこと、今度からじじいマッチョと呼んでやる」
暴言の嵐だ。
こいつ・・・と握りこぶしを固めていたら
「でもさわり心地いいんだよな。お前の肌、気持ちいい。西洋人って肌の汚い奴が多いのに、何でお前はきれいなんだ。傷はあっても俺みたいにつぎはぎじゃないし。なあ、何で俺のことなんて抱くんだ。俺だったら絶対に気持ち悪いぞ、俺みたいなの。」
と今度は自分の服を脱いでいく。
シャツのボタンが2、3個はねたが別にどこも破っていない。おい、俺のとずいぶん扱いが違うぞ。
すっぽんぽんになってからまた俺に馬乗りになって
「なあ、何でだ。何で俺なんか抱くんだ。確かに俺は天才外科医じゃあるが、切ること以外のこういうことにはぜんぜん手が動かない。テクなんて全然ないし、感度が鈍いのも、お前が無理しているんだって知ってるぞ。やっぱり男なら若くてかわいい奴がいいだろう。こう考えると俺、いいところなんて1個もないじゃないか。なあ。何で俺を抱くんだ。それともやっぱり珍しいからか。」
言っているうちうなだれていく。
こいつ、こんなこと考えていたのか。
いや、無意識が出てきただけだろう。
「お前さんのその性格がかわいいね。すごくあくどくてアクがきついが、お前の器によく合っている。テクがないのや感度が鈍いのも、これから上達するさまを見られるならそれがいい。別に気持ちよくなりたいから抱くんじゃない。お前と近づきたいからこういうことをするんだろうな」
気がつくとあいつを抱き寄せ、髪をなでながらそんなことを言っていた。
薬も飲んでいない俺が何でそんなことを。
きっと素直なこいつなんて見たから調子が狂っちまったんだろう。
すごくあくどくて何度も煮え湯を飲まされているのに、それでも気になる。
抱き合うようになったらほかの女とのつまみ食いみたいな関係が馬鹿らしくなり、セックス抜きでも付き合いたい2、3の女以外とはまったく没交渉になった。
「じゃあ、上達に貢献してくれよ」
と笑う顔を見て失敗した! と思った。
今のこいつは恐い。
どんな貢献をさせられるんだ。
恐怖に固まっていると顔が迫ってきて顔中にキスされた。
額に、頬に、顎に、鼻に、最後に眼帯の上に。
「今、恐かったろ」
といたずらっぽく笑われて鼻白んでいたら今度こそ濃厚な接吻。
こいつ、いつの間にうまくなって。
いや、きっと今日は構えてないからいいんだろう。
慣れてきたとは言ってもいつもは羞恥心だの競争心だので力んでいるみたいだから。
キスしながら髪の毛をかき混ぜてやったらぞくぞくと身を震わせて、改めて身を摺り寄せてくる。
もしかして本来の催淫作用のほうに意識が向いてきたのだろうか。
「急にしたくなってきた」
と言う奴をじらさないように手早く準備をしていったのだが
「もう我慢できない」
と言う奴に乗っかられてまたがられた。
苦しそうにうめき声を上げながらも、どうにも我慢できないように身を揺らしながら腰を落としていくのを、憑かれたように見つめてしまう。
こんなに男くさくて柔らか味のない奴なのに、仏頂面で口が悪くて人を出し抜く名人なのに。
そんな奴が自ら歯を食いしばって俺を欲しているのだと思うと、それだけで猛る。
存分に揺らし、奴の方でも仕返しをして来、限界まで争いあって、いつもどこかでセーブしている分まで吐き出す。
こんな風に相手に負けまいとする行為もたまにはいい。
終わってからそんな風に思っていたら「まだしたい」と言う声が。
少し休みを取りたいんだが、きっとそんな暇ないんだろうな。
ベッドを抜けていた奴が戻ってキスするのに答えるべく口を薄く開いたら、のどに何か流し込まれた。
こ、これは?
「さっきの薬、お前もちょっと飲めば相手できるだろう」
と言う悪魔の顔。
目覚めた時には全身筋肉痛と腰のだるさで最悪だった。
普段無意識にセーブして出さない、人間としての限界の怪力を出したせいでこんなにひどい筋肉痛と脱力感を味わうんだろう。
でも目を開けたら更なる地獄が待っていた。
ベッドが壊れている。
スプリングが一部出、下の木の台座も底が抜けている。
窓ガラスが割れている。
本棚の本は全部落ちている。
そこここに破れた服の残骸。
部屋の隅で二人、毛布に縮こまって寝ていた。
そういえば途中からなぜかベッドをトランポリンにしたり、「模様替えしよう!」と持ち上げたりして遊んでしまったのだった。
ぎしぎしする体をだましてトイレに行き、風呂を沸かす。
あいつ、絶対に怒るだろうな。
だからせめて翌日のフォローをきちんとしようと決めていたのに、おれのほうもこの体たらく。
壁にすがりながら台所に行き、何とかコーヒーを入れ、さて、あいつに持っていこうか、でも座った椅子から立ち上がる気力が・・・と思っていたら奴のほうが来た。
やはり少々よろけているが、俺より大丈夫そうなのがなぜか悔しい。
怒られるかな。
それでも「おはよう」と声をかけると「コーヒー」と返された。
やはり怒っているか。
まあいい。
どんなに怒られたって、昨日はいろんな姿が見られたんだから。
奴はどのくらい覚えているのか知らないが。
そう思いつつコーヒーをすすりながら横目で見ると、目が合った。
一瞬そらそうとして改めてガンを飛ばす目を見て、結構覚えているんだと確信した。
「昨日の」
と言いにくそうに言うのを
「風呂、入るか」
とさえぎる。
しらふのときには言わないよ。
それは会っている時に仕事の話をしないのと同じ、暗黙のルール。
でももう薬は使わないと誓う。
ずるして言わせるんじゃなく、いろんなことをして、感じて、ゆっくりそういうことを言い合えるようになればいい。
一生そんな機会は来ないかもしれないけれど、来るのを待つ。
「ついでだから一緒に入ろう」
と言う奴の言葉は、だから俺には思いがけないプレゼントのように響いた。
「じゃんけん」で本当にじゃんけん勝負していたら、とある方に言われて書いたものです。
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