コンドミニアムにて オーストラリア ケアンズ

 

俺はオーストラリアのケアンズにいた。

患者のオペは、機材の確保関係2日後と決まっている。

今日の診察も、他の医師との打ち合わせもわってしまった。

できることもないので、町に繰り出したのだ。

 

昼を回っていたのでとりあえず昼食を、と思って歩くが、昨日目に入ったすし屋はどこだう。

どうしても見つからず、結局カバブ屋で腹をごまかすことにしたが、さすがオーストラリア、カバブもでかい。

何しろチャパティ(分厚いクレープみたいなもの)枚を並べて肉を乗せ、その上にキャベツをドサッ、たまねぎとパセリをドサドサッと手づかみで乗せるのだ。

その上にソースをかけて巻くと、直径5センチほどの筒になる。

これを少しトーストしてから紙を巻いて手渡ししてくれるのだが、口をあんぐり開けてもななか頬張れなくて困った。

これじゃ丸かぶり寿司じゃないか。

でかすぎだ、うまいけど。

しかし口を限界まで開けさせるこの大きさはどこかで覚えがある。

どこだったかな。

 

満腹して歩いていると、ツアー会社の看板にシューティングの文字が踊っているのが目に入った。

銃か。

実は俺、家に拳銃を隠し持っている。

以前、ごろつきが置いていったのだ。

もそんなにないし、ほぼ無用の長物ではあるが、護身用にいる事があるかもしれないので秘密の隠し場所に入れている。

けど、俺、いざという時に撃てるのかな。

今まで撃ったことがないとは言わないが、回見よう見まねで撃っているだけ。

なぜうまく当たっているのかわからないくらいなのだ。

ビギナーズラックもそろそろ尽きてくる頃のはずだし、射撃場というものにも興味はある。

明日はまだオペじゃないから、万一筋肉痛になっても大丈夫だし、何のかの言ってもとにかく暇だ。

ちょっと試してみることにした。

 

申し込みの時に、銃のタイプを決める。

3タイプあり、小型、中型、それにマグナムだ。

応オペの前だし、俺が撃つこともないだろうとマグナムはやめ、2タイプを申し込む。

小型と中型を30弾ずつ。

初心者なら腕がしびれてくるからこのくらいがいいよ、と言われたのだ。

 

ほどなくピックアップの車が来た。

運転手は陽気なオージーだが、奥方が日本人なので片言の日本語もわかるのだそうだ。

こういうガイドの例に漏れず

「おっばっぴー」

とか

「かとちゃんべ」

などの一発ギャグを連発するのが少々うるさい。

「そのギャグは古いぞ」

といってやった方が親切ってものだろうか。

いや、俺にはその手のおせっかいを言う資格なんてないか。

今となってはがきデカなんても知らないんだから。

 

ギャグの鮮度はいいとして

「おっばっぴー」

の時に一緒にアクションをされるのが怖い。

面手をハンドルか離すのは本当にやめて欲しいものだ。

後ろを振り向いて反応を確かめるのは論外だ。

頼むから、奥さんの実家で車を運転しようなんて考えるなよ。

お前さんが運転できるのは、きっと車の少ないオーストラリアだけだから。

 

ガンショップは、町外れ近くにあった。

防弾ガラスのドアを越えてシューティングブースに入る。

ここで銃を渡され、銃弾を入れない状應で撃ち方や構え方を教わる。

その奥には個室のドアが並んでおり、その中に入って奥の的を撃つ。

的は模造紙くらいの大きさの厚めの紙に、同心円が書いてある奴だ。

 

個室に入ると店員が薬きょうを渡してくれ、装填法を教えてくれる。

そしてもう1度構え方の講義。

要は腕を曲げるな、初心者は両手でしっかり構えて撃て、特に中型以上の銃を片手撃ちなんてするのは映画の中だけだ、次元の真似してマグナム撃つと骨折するぞというようなもの。

ここら辺、日本人慣れしているとしか言いようがない。

きっと真似しようとした奴がいるんだろうな。

防音の為の耳あてをすれば、準備完了だ。

 

感想。

撃ったのが小型の銃ばかりなので、反動よりもずっと手を水平に保つことのほうに気を使った。

スコープのついた銃は狙いがつけやすかったが、中型の銃は昔ながらの凹と凸を組み合わせるものだったので、ななか的の中心にまとまらない。

特に最後の10発は疲れてきたのか、中心から外れがちになった。

とはいえ、初心者にしては上出来だろう。

店員にも

excellent!」

とほめられた。

 

気を良くして、店員の

「マグナムを10発だけ撃ってみるかい?」

という言葉にもうなずく。

こんな大型銃を使うこともないだろうが、万一ということもある。

いや、本当はどんなものかちょっと試してみたくなっただけ

文句あるか。

 

銃を手渡されて、まずその重さに驚く。

にこれを片手で撃つなんて、とんでもない。

単に構えるだけでも片手ではきついだろう。

両手で慎重に構えて打つが、反動もものすごい。

照準も、今までより下を狙っているはずなのに、上にぶれる。

発ずつゆっくり撃ったが、オペが明日じゃなくてよかたなと思う。 

こんな遊びでオペに支障をきたしたら、それこそ恥だ。

 

ブースから出ると、順番を待っている男がいた。

気分が高揚していたので、その男が

「げ」

と言わなければ、そいつがキリコだとは気づかなかったろう。

それからしばらくはいつものやり取りだったので割愛するが、奴は既に仕事を終えて骨休めに来たということらしい。

なんだってこいつは俺の行く所ついて回るんだ。

きっと奴の方こそ同じように思っているのだろうが。

 

「しかし、いつも命いのちと言うお前さんがガンショップとは、おかしな取り合わせだな」

と皮肉げに言われムカッとしたが

「俺も日本人だからな。好奇心さ」

とだけ言う。

まさか自分が無免許医だけでなく、銃刀法違反もしているとは言える訳がない。

「物騒な噂を聞くぜ。本当は腕を磨く為なんじゃないか?」

と言われ、鋭さに内心どきどきしながらも

「それよりお前さんも撃つのか。確かに死神には似合いかもしれないが、いつもと得物違うんじゃないか」

と皮肉を返す。

ちょっとバカンスしようと思って最初に来る所がここだというのか。

「暇だったんで、酔狂さ」

という顔にはいつもの笑い。こいつの仮面だ。

 

どうせなら、と奴の射撃を見てやることにする。

撃ち方は知っているのか、 店員の説明はない。

そうか、奴は従軍医だったから、小口径の銃は持っていたはずだ。

射撃訓練くらい、受けていたのだろう。

いつもちょっと猫背気味な背が伸びた、と思った途端、射撃が始まっていた。

少し顔を左にかしげているのは、右だけで照準を合わせるせいだろうか。

撃ち終わるとすばやくカートリッジを取り出し、又装てんして撃ち続ける。

弾が少し右にぶれ気味なのは、同じく目のせいなのだろう。

それでも腕は悪くない。

全部1番小さい同心円内に収まっている。

やるな。

 

射撃が終わると、店員が記念に的の紙をくれた。

左下に、日付と店員のサイン。

そして日本語で「ビミョー」といたずら書きが。

確かに俺のマグナムの玉はあっちこっちに行ってしまっているのだが。

ちえ、さっきは「excellent!」だったのに。

ホテルに戻ったらこんな紙、すぐに捨てようと決める。

 

帰りはさっきの運転手ではなくて、ほっとした。

町の中心で降ろしてもらい、なんとなく連れ立って食事に行く。

そのままバーに立ち寄って1杯引っ掛けると、奴の誘いに乗るだけの勇気がわいてくる。

 

奴はなかなかいいホテルに泊まっていた。

寝室が2つもあるコンドミニアムだ。

リビングダイニングも相撲が取れそうなほど広い。

海岸に面しているので、眺めもいいはず。

あいにく夜の今はライトアップされた庭のプールで泳ぐ人間しか見えないだろうが、広いベランダには白いテーブルとビーチチェアが恥ずかしげもなく並んでいる。

「しばらく奥地に行っていたから、ちょっとのんびりしうと思ってな。観光案内所で値段の割りにいいホテルを聞いたら、ここを勧められたのさ。俺は海が見えればそれでいいと言ったんだがね」

というその値段を聞くと、確かにそんなに高くない。

いや、1人で泊まるには少々高いが、2人で割り勘にすれば俺の今のホテル代より安い。

なんたって風呂が円形のジャグジーだし。

俺のホテルなんて、シャワーしかないんだから。

 

ま、 そこらの交渉は後回しにして、とりあえず俺たちはお互いを料理し、味わうことに熱中した。

奴のカバブは滑らかなので昼間の奴より食いつきやすいが、まさか歯を立てるわけに行かない。

だがスパイシーなソースがかかっているわけでもないのに、その熱さだけで俺を夢中にさせる魔力がある。

これを体の奥で味わうのも悪くないが、俺はこの頃もっとたちの悪い楽しみを知った。

それが物欲しげに暗がりを求めてひくつくのをあやしながら、俺自身を味合わせるのだ。

そんな快感を俺にえこませたのは、こいつ自身だ。

えたがったのはお前だろうと言われればそれまでだが、知れば知るほど奥深いその世界は、俺を夢中にさせずにいられない。

 

事の後、後味の良い俺怠感に身を任せて大の字になっていると

「お前、今までどおりクールな女嫌いで通っていたほうがいいぞ。女は事後を大事にするからな。相手をいたわる言葉の1つも掛けられないようじゃ、即別れ話になる」

と奴が覆いかぶさって笑う。

こいつはいつもこんな風に俺をからかうのだ。

俺なんかに誰が色目を使うというのか。

どうせ俺に色目を使うような奴は何か下心があるか、苦しみで正常な判断力がなくなっているに決まっているのだ。

あいにくそんなのに引っかかる俺じゃない。

 

「じゃあなんて言ってやればいいんだ」

と鼻で笑うと

「『ダーリン良かったよ』とかさ」

と耳元でささやかれ、思わず身をもぎ離して両手で耳を押さえる。

こいつの声は、凶器だ。

時にはやさしく死を誘い、そして時に俺の尾てい骨を震わせる。

1回転して飛び起きた俺を笑う、こんな時には大らかに響くのに。

 

朝、宿の交渉をするとあっさり了承されたので、診察の帰りに宿を引き払って、荷物を運ぶ

部屋に奴はいなかったが、フロントに話をつけてくれていたようで、鍵をもらって 入ることができた。

昨日使っていなかった方の部屋を自分の物と決め、クローゼットに上着をつるす。

それから椅子に腰を降ろし、患者のカルテを見ながら明日の術式の手順を頭の中でおさらいする。

欲しかった機材の一部がどうしても間に合わないらしいので、難易度がかなり増すことになるのだ。

それでも俺ならやれるはず。

 

いい匂いがしてふと顔を上げると、俺の前に紙包みが置かれたところだった。

中から焼きそぱの匂いがする。

「適当に寝ろよ」

と言う声に向かって軽く手を振り、包みを開ける。

1口食べた途端、空腹に気づいてきれいに平らげ、時計を見て時間に驚く。

もう寝てしまえ。

寝不足はオペ最大の敵だ。

 

朝、シャワーを浴びながら朝食をどうしょうか考える。

このホテル、レストランは付いてないらしいのだ。

コンビニかな。

そう思いつつ身支度して出ると、ドアの外にランチボクスが2つ置いてあった。

どうやらホテルのサービスらしい。

中に入れて中身を見ると、パンが2種類、パテとハムとチーズにりんご。

それにオレンジジュースが入っていた。

ジュースはまだ冷たい。

 

食べてから奴の部屋を覗くとまだ寝ているようだったので、奴の分のランチボクスを冷蔵庫に入れ、テーブルの上に「冷蔵」と書いた紙を置いておく。

さあ、仕事だ。

 

オペは無事に済んだが、家族への説明や経過観察のため、帰宅は夕方近くになった。

身体は疲れているが、気分が高揚しているので気にもならない。

帰りがけにちょっといい酒を買い、部屋に入るが、奴はいない。

なんだ、いないのか。

ほんの少し残念に思うのをなぜかと思いつつ上着を脱ぎ、テーブルを見ると「プールにいる」という置手紙と、ビニールの包み。

中を見ると、海パンだ。

バルコニーに出て下を見ると、小さなプールにぷかぷか浮かぶ男がいる。

いいな、貸し切り状態か

 

見たら急にうらやましくなった。

汗をかいてしまったから、どうせシャツを替えようと思っていたし。

己に言い訳しつつ、包みとバスタオルを持ってエレベーターに乗る。

 

プールに近づく俺を見て、奴は

「おいおい、こういうラフなホテルは部屋で着替えてきていいんだぜ」

とおかしそうに笑い

「トイレで着替えてこいよ」

とホテルの外壁にあるドアをさした。

確かにみんな部屋で着替えて来るらしく、中は障害者用のような広めのトイレだった。

一応物を置く台があるので、着替えるのに苦はないが。

 

しかし奴買い物はなってないな。

子供用を間違えて買ったのか? と思うくらい小さな海パンが入っている。

こんなに小さいパンツ、履けるわけ、ないじゃないか。

すでにプールに入る気になってすっぽんぽんになっているのに。

と恨めしく引っ張ると結構生地が伸びるので、試しに履いてみたら履けた。

なんか、本当にギリギリだけど、はみ出ているものはかろうじてないし、どうせ奴しかいないしな。

 

潜水から上がって

「おや、履いてきたんだ」

と俺を見る男に

「お前さん、これ子供用の水着だったぞ。泳ぎたいから無理やり履いてきたが、サイズくらい確かめたらどうだ」

と苦情を言っておく。

奴からしたら、せっかくの好意を踏みにられたことになるのかもしれないが、サイズ感がギリギリすぎてあまり人さまに見られる状態ではないのだ。

なのに奴は

「水着を贈られる意味を考えてみろよ。目の保養を狙っているんだよ」

なんてニヤニヤ笑う。

こんな俺相手に、嫌みかよ。

 

無視してプールに飛び込み、一気に潜る。

思った通り、プールの片面は5mくらいの深さがあった。

ダイビングが盛んな土地柄か、こちらのプールは潜水の練習ができるものが多い。

手すりがある側は十分に足がつくからと安心していると、泳ぎが苦手な人は途中でおぼれかねないので、注意が必要だ。

 

深く潜って地面を触り、上を向くと水面に向かって泡が舞う。

空気の粒を追いかけて水面を目指す時の、きらめきが好きだ。

息苦しさを耐えて水面に出た瞬間の息継ぎの気持ちよさ。

 

しばらく泳いで体が冷えたので外に出ると、奴は小さなプールに浸かっている、と思ったら、それはジャグジーだった。

いいな。

しかも温かい湯が入っている。

「入りたいなら入れよ。2、3人なら余裕の広さだ」

と言うので、俺もお邪魔する。

「お疲れさん。少しマッサージしてやろう」

と片足を取られた。

 

歳だとは思いたくないが、やはり長時間のオペの後は疲れるのだ。

集中すると足なんてまったく動かさないから、血行も悪かったろうし。

「いい眺めだな」

と言う男の声に片目を開けると、プールの周りに原色の花が咲き誇っていて、確かに美しい。

「なんて名の花だろうな」

と相槌を打つと

「まったくわかってないな」

と笑われる。

「どうせ俺は花の名前なんか、知らないよ」

とふてくされると

「あっちにサウナもあるぜ」

と話題を変えられた。

 

1人バスタオルを持って、サウナに行く。

扉が硬いので鍵が閉まっているのかと思ったが、思い切り押したら中に開いた。

熱気がすごい。

きっと使う奴がいないんだろう。

温度計を見ると、95度。

日本のサウナは80度ちょっとのところが多いから、すごい暑さだ。

バスタオルを忘れていたら、座ることもできないところだった。

 

 しばらくはその暑さも心地良かったが、5分ほどでのぼせてきた。

我慢大会じゃないんだからそろそろ出よう、とドアを引っ張ろうとしたが、開かない。

あれ、押すんだつけ? と力を込めて押してもだめだ。

やつばりこれ、引っ張るのか?

 

 

まさかと思うけど、外から錠を閉めちゃったんじゃないだろうな。

力任せにぐいぐい引張っていると、栓が抜けるようにドアが開いた。

転がるように飛び出てハアハア息をついていると、目の前には

「どうしたんだ」

とびっくり眼のキリコ。

トイレに来たらこもった音がしたのでこっちを見たところだったのだと言う。

立て付けが悪かっただけなのか。

とりあえず、出られて良かった。

キリコが肩を貸してくれ

「部屋に戻るか?」

と言ってくれたが、断ってプールに飛び込む。

これがいちばん。

 

気が付くと奴がいない。

どこに行ったのかと思っていたら、ビールとジュースを持ってやってきた。

「脱水になりかけているかもしれないから、お前さんはこっちだ」

と渡されたオレンジジュースを渋々飲んだら、体にしみこむうまさだった。

確かに身体はこっちを要求していたらしい。

しばらくするとほてりも収まったので、シャツだけ羽織って部屋に戻った。

 

「まだちょっとふらふらするな。バルコニーで休んでろ」

と今度はビールを押し付けられ、窓の外の白い椅子にどっかり座る。

汗をかいたビールを開ける瞬間の、この音は最高だ。

ごくりと1口。

さっきジュースを飲んでしまったから喉がからから、というわけではないが、やはりうまい 

 

やっぱりこのホテル、いいな。

思い切って押しかけてよかった。

疲れてもいたし、アルコールも入ったら余計にだるくなってしまい、夕飯で外に行くのは面倒だな、と考えていると、なにやら皿を持ったキリコがやってきた。

片方の皿にはチーズやハム、ソーセージなど、もう片方の皿は野莱の炒め物だ。

「疲れているんだろ」

と箸を渡され、思わずうなずいてしまう。

食べかつ飲みながら

「1つ借りだな」

と言うと

「じゃあ今日はいいって言うまでその格好でいろよ。視姦してやるから」

とにやり、笑われた。

 

 

こいつのこういう冗談は、いつもあざとい。

俺は暗示にかかりやすいからだろうか。

冗談に聞こえず、つい本気に取ってしまいそうになる。

しっかりしろ。

シャツに海パンなんて、ちょっとだらしないけどどこにでもいる服装だろう。

特別変なことなんて、ない。

 

だが、皿が空になり、どちらともなく部屋の中に入るころには俺の海パンの中身は形を変え始めていた。

奴など隱そうともせずに食器を運ぶ

ついそれを目で追ってしまっていたらし

「皿を食器洗い機に入れるまで、待てよ」

と苦笑されてしまい、あわててそっぽを向く。

「風呂、用意しておいてくれ」

 と言われ、逃げるように部屋を出た。

ああ、やばい。

俺、今日はあいつにのまれている。

ジャグジーに湯をどんどん入れながら我が身を見おろし、ため息。

怪我は男の勲章と言うが、それは喧嘩や他の人間をかばってできた時の話。

俺のこれは、違う。

いや、大人になってからはそういうのも増えてきたが、大多数のそれは命が漏れないように蓋をする為、縫われたものだ。

こうしなければ俺は生きていないのだから、誇っていい。

誇るべきなのだ、と何十度も何百度も何千度も己に言い聞かせてきたが、こんな風に夜を過ごす相手ができた今、ことの最中だけは自分の傷を目にしたくないと、つい思う。

 

こんな体しているくせに機能だけは健在なんだから、と己の海パンを恨めしく見ていると

「何しげしげ見てるんだ。まさか自分だけ適当に済ませようと思ってたんじゃないだろうな」

と後ろから抱え込まれる。

そんなわけ、あるか。

お前みたいな物好きがいる時、何でわざわざそんなこと。

そう言うと

「物好きね。ああ俺は物好きだから、今日はたっぷりかわいがらせてもらうぜ。昨日の倍返し、してやるよ」

と首筋を舐められる。

それだけで奴を征服する快感を忘れてしまう。

「できるもんならな」

と減らず口を叩く声がかすれているのが、我ながらおかしい。

 

ミミズがくねった瞬間に出た声が余りに大きくて一瞬うろたえたが、その声がミミズの動きを活性化したらしく、いまだ潜らないミミズが前に回ってきたために口を閉じられなくなった

後ろにのけぞり、倒れそうになったところですべて抜かれる。

「ベッドに行こうぜ」

とにやける男に1発食らわしたい。

チクショウ、本当に水着脱がせろ。

 

風呂場からベッドまでなんて10メートルもないのに、半分腰が抜けているので異様に遠かった。

のろのろ歩いていると手をつかまれてベッドに転がされる。

そのまま水着を剥ぎ取られ、一瞬後には奴もそれを脱ぎ捨てていた。

昨日はおいしく食らったものが、俺を食らおうと舌なめずりしている。

あ、あ、あ。

 

このやろ、昨日はあんなにかわいい声、上げたくせに。

俺、昨日はこんな声、上げなかったのに。

けど実は、こうやって奴を中に感じるのも好きだ。

こっちのほうが年季が入っているせいもあるが、とにかくこいつがうまいのだ。

長くじくじくと続く快感に声を上げずにいられない。

正気に戻ると布団に頭まで潜りたくなるような事を口走ってしまったりするので、 公私をきちんと分けるこいつに(これだけは)感謝せずにいられない。

終わったとたんに憑き物が落ちるような征服する快感とは明らかに進う、自分の体が自分の物でなくなるような快感が冷め切らずにぐったりしながら、昨日の戯言を思い出し、奴を手招きする。

寄ってきた男の肩に手を置いて

「良かった」

と言ってみた。

さすがに日本男子は

「ダーリン」

なんて言葉は出せないからな。

一瞬きょとんとした奴は、だが昨日のことを思い出したんだろう、眼帯の中の目の場所まで笑ったような気がした。

だがその後がいけない。

「俺もだよ」

と耳元でささやかれ、昨日のように逃げようと体をひねったが、いつの間にかがっちりとホールドされて身動きが取れない

まずい、まだ快感から冷め切ってないのにそんな声、出すな。

続けざまに睦言をささやかれ、その吐息が直接脳みそをなぶっていく。

気がつくと俺はどこを触られたわけでもないのにまた昂っていた。

ばつが悪くて身じろぐと、手を取られて奴のを握らされる。

それが十分に猛っているのに安堵したのを見破られたのか

「いまだにそういうのが恥ずかしいのか」

と笑われたが、こういうことは美意識なんかに関係する、デリケートなことだと思う。

それでも口にしては反論できずに睨んでやると

「こういう格好は平気なのにな」

とかなりあられもない格好を取らされた。

ま、確かにそういうのは

「俺にこんな体勢取らせるなんて、物好きな」

と思うだけだけどな。

くっついたまましばらく動かないので不都合でもあるのかと薄目を開けると、全身をなめるように観察されていた。

あわててぎゅっと目を閉じると

「ふふ」

と声がしてゆっくり揺すぶられる。

あんな目で見られているのかと思うと、どうしても目を開くことができない。

「目を開けろよ」

「いつものきかん気はどうした」

と憎たらしいことばかり言われているというのに、耳元で熱い吐息と共にささやかれるとそんな言葉まで剌激になり、軽い動きに我慢がきかなくなる。

妙な体勢のために動かしにくい腰をそれでも欲しいんだと動かすと、ようやく欲しかった時間に突入した。

 

翌朝、起きるとベーコンを焼く匂いがした。

畤計を見ると、いつも起きる時間。

大きく伸びをして、体が軽いのにちょっと驚く。

普段、変な姿勢でオペしないといけなかった翌日は体が重いことが多いのだが。

運動で体をほぐしたからかな、と思ってしまって、赤面。

俺、なんてことを考えているのだ。

 

今日はランチバスケットに、キリコのベーコンエッグとサラダが加わった。

昨日近所のスーパーで買出しした残りだという。

うまい。

これにコーヒーが付けば最高だが、と思っていたら、食後本当に出てきて驚く。

キッチンの棚を漁っていたらコーヒーメーカーがあったから、豆も買ったのだそうだ。

このホテル、至れり尽くせりだな。

 

病院に行って、患者の検査結果を診る。

うん、血液の数値も良好だし、患部の状態もいい。

だが、本来なら今日支払われるはずだった報酬をもらえなかった。

高すぎるって、どういうことだ。

命が助かるならいくらでも惜しくないと言って俺を日本から呼び寄せたくせに。

「このくらいでは

と押し付けられそうになった小切手は、0が1つ足りない。

そんなはした金で、俺をコケにするつもりなのか。

 

一瞬ここまでの経費を思い出して心が動いたのは事実だが、武士は食わねど高楊枝。

その場で小切手を破り捨てて、外に出た。

馬鹿らしい。

値切られるくらいなら、もらわない方がましだ。

 

むしゃくしゃしていたので、キリコに

「ちょっと水上バイクを試してくる」

と言われた時

「俺も行く」

と答えていた。

すぐに日本に帰ろうと膨空会社に電話したのだが、日本ではメジャーなその航空会社、ケアンズには週1便しか飛んでいなかったのだ。

 

どうりで買った時安いと思った。

あと4日、どうせなら遊び倒してしまえ。

 

奴はツアーを申し込んでいた。

パラセイリングとチューブと水上バイクのセットだ。

パラセイリンダと水上バイクだけを注文するつもりだったが、単独よりこの3点セットのツアーの方が安かったのだそうだ。

直前だったので俺も入れてもらえるか心配だったが、大歓迎された。 

なぜなら、俺が追加されても客は俺とキリコしかいなかったからだ。

岸のすぐそばでやるので1人でもツアーは行ってくれるが、相手にとっても1人よりは2人の方がいいというわけ。

 

パラセイリングというのは、パラシュートをつけてモーターボートにローブで引っ張ってもらうという、あれだ。

普通こういうものは上から飛び降りるのが怖いのだろうが、下から上がるだけなら怖いことなんて何もない。

そう思っていたが、いったん上がってがら急降下した時にはちょっとどきどきした。

 

降りてから

「サービスの為にちょっとエンジンを止めてみた」

と言われて力が抜ける。

どんどん下に向かいながら、俺そんなに重かっただろうか、落ちたらどんな風にパラシュートを外して泳ぐべきかと思案をめぐらせたというのに。

又急上昇された時にもびっくりしたけど。

ま、それもヘリの縄梯子で移動したこともある俺にはどうってことない。

次のチューブに比べれば。

 

チューブっていうのは、つまり丈夫な浮き輪みたいなもんだ。

それに体を入れて紐をつけたものをモーターボー卜が引っ張ってくれるんだが、こんな危険な遊びを考えたの、誰だ。

いや、俺だって子供の頃、浮き輪でぷかぷかしながらそれを母とかもう1人とかに引っ張ってもらうのは好きだたさ。

けど、それは常讖的な速度の話だ。

こんな風に息も出来ない、カーブのたびにぼんぼん宙に浮かぶような速度では、決してない。

キリコ、なんだってお前はこんなの選んだんだ。

 

終わったら海パンが脱げているんじゃないかと危惧したが、ちゃんとくっついていたのでほっとした。

1番ほっとしたのは命があったことだが。

だが、これからがメインイベントなのだ。

つまでも死んではいられない。

 

水上バイクは流線型の美しいものだつた。

なんか、特撮のヒーローでもでも乗りそうな奴だ。

運転は簡単、アクセルがあるから、スピードを出したい時はそれをずーっと握っていればいい。

右折左折は自転車と一緒だし、浮力があるからまず倒れない。

倒れるとしたら、猛スピードで走って急に曲がった時だね。

ま、そういう時でもバイクだけどんどん進んでいっちゃうなんてことはないよ。

アクセルを離した瞬間から速度が鈍るし、ほら、左腕とハンドルをこうやって繋いでおけばいいんだから。

 

恐ろしいまでに簡単な説明を受ける。

つまり、これはブレーキなんてしゃれたもんはないんだな。

ま、船ってそういうものか。

 

はじめはそれなりに安全運転をしていたが、しばらくすると俺たちは水上暴走族になっていた。

フラッグで示された運転可能域全体を縫うようにして走りまくる。

俺、もしかしてストレスがかなり溜まっていたのかもしれない。

スピードを上げるとバイクが水切りの石のように海面をジャンプするのが面白い。

1度倒れてみたいものだが、さすがに達動神経が邪魔してできないものだ。

水面とは言ってもスピードが乗っていれば衝撃はアスファルトと同じ。

それはさっきのチューブでわかってしまっているから。 

 

散々遊んで帰る時

「しまったかな」

という奴の声を聞いた。

何がしまったのかはホテルに帰って分かった。

こいつ、いつもちゃんと日焼け止めを塗っているのに、今回のチューブはそんな日焼け止めを全部洗い流してしまていたらしい。

長袖のシャツを羽織っていたから少しはましだが、首周りや足の部分が日焼けして真っ赤になってしまっている。

やはりこいつも白人、俺のような黄色人種と比べると恐ろしく日焼けに弱いのだ。

せっかくの風呂も、ほとんど水風呂にしてこわごわ入る様がひどく新鮮。

「自分じゃできないだろう」

と親切ごかしでボディソープを手にたらすとぬるぬると伸ばし、そっと洗ってやる。

「う」

「く」

多分自分でも言うつもりじゃないだろう小さなうめきが時々漏れる。

そんな声を聞いていると下半身がもぞもぞしてきてこっちもやばい。

さすがにこんな状態じゃ、こいつも無理したくないだろうし。

けど、本当にしたくなってきた、と思いつつ腿の方も洗ってやろうと手を伸ばすと、軽く身をよじられた。

何で、と前を覗いて得心が行く。

 

それに触りながら

「やっぱりお前、痛い方が好きなんだろう」

と耳元でささやいてやる。

つも言われっぱなしじゃいられない。

俺だってこんなことも言えるのだ。

どうせならいつもからかわれている分まで恥じ入らせてやる。

鼻息荒く挑んだのだが、あっさり

「言われつけてるから、間合いがうまいな」

と返され、俺の負けだ。

それどころか

「お前にだったら痛くされてもいいかな」

などと殺し文句を言い返され、煽る手を止められなくなってしまう

いいんだな、もうやっちまうぞ。

 

勿論お互い翌朝後悔するのだ。

あんな無茶しなければよかったって。

日焼けの跡はひりひりするし、そんなところに爪を立てたから、弱った皮膚が破れてしまった。

仕事もないのだし、今日は1日部屋でだらけるしかない。

けれど、いつもより寝坊した分ぬるくなってしまったランチパックのオレンジジュースを飲みながら、こんな日があってもいいだろうと思ってしまう。

滅多にないんだから、こんなこと。

 

もし明日も晴れたら体験ダイビングでもしてみようか。

そんなことを話していると、電話が鳴った。

 

キリコの携帯。

 

顔を強張らせたキリコが、それでも携帯を取りにいく。

その背中を見ながら、俺は甘ったるい男から商売敵に変貌すべく、気を引き締めた。

 

 

 

どのくらい前に作ったか、ちょっとわからないのですが再録していなかったみたいなので。

ギャグはわかる方、いらっしゃるかな。

元になった旅が1990年代なので、今の日本食はずっとおいしいことでしょう。