じゃんけん
奴に来ないかと誘われて、のこのこと車を走らせている。
前回初めてあいつを抱いた。
正直言ってお世辞にもうまくいったとは言えないが、奴のかすかにうめくような声とかほんの少し抗うようなしぐさが忘れられない。
2度目はないとは言われているが、あの時は余裕がなさ過ぎた。
もう一度くらい見てみたくて、途中で見つけた薬局で車を止めた。
ちょっと敗北感を味わった。
奴の家に行くと、リビングに通された所で肩を抱きすくめられてキスされる。
そのしぐさがいかにも自分の優位を確信しているようでむっとした。
「一度抱けたんだから2度目があったっていいだろう」
と言うと、奴めすごく渋い顔をする。
「あの時これきりと言ったはずだ」
と言われるが、折角できたんだし、ああいう時の奴の姿を今度こそじっくり見てみたいのだ。
せめてじゃんけんでどちらかを決めようと提案したのだが、却下されてしまった。
「それより、持ちこたえられて方が上な」
とズボンの上からまさぐられる。
それは不利だ。
まだ一度も勝ったことがない。
でも
「色事に関する勝負なんだから妥当だろう」
と言われると反論できず、勝負に入る。
あ、この、キスなんかするな。
ほかを触るな、余計気が散る。
なんだってこいつは気持ちがいいんだ。
猫になぶられるねずみの気分だ。
もしくは釈迦の手の上を飛ぶ孫悟空。
自分は反撃したつもりでも、相手がまるきり余裕なのがわかる。
この、この。
むきになって手を動かしていたら
「ちょっと痛いぞ。気持ちよくする勝負じゃなかったのか」
とささやかれ、もうぎりぎりいっぱいになる。
「ほら、勝負を投げるな。手を動かせよ」
と言われ、おざなりに手を動かすが既に白旗を揚げたい気分だ。もうだめだ。
またしても負けてしまった。
じゃんけんなら半分の確率で勝てたかもしれないのに。
息を整えている俺を尻目に何かごそごそしているなと思ったら
「じゃ、お前な」
と青い小箱を渡された。
イチジクだ。
こいつ本当になんて用意がいい。
仕方なく手にしてバスルームを占領する。
こっちは薬局で小箱を見つけたはいいが、店員が女性だったためにどうしても手に取れず、いりもしないハンドクリームを買う羽目になったのに。
やはり1人でコンドームを買えない内は、下に甘んじるしかないのだろうか。
いや、やはりあの時じゃんけんで押し通せばよかったんだ。
むかむかしながらついでにシャワーを浴び、積んであったバスローブを羽織って部屋に戻ると、奴が1杯引っ掛けていた。
「冷蔵庫に『蜜蜂』のあんみつ、買ってあるぞ」
と言われ、ついいそいそと取り出してしまう。
「日本茶か?」
と聞かれるが、俺にも1杯作ってもらうことにする。
ここの寒天はさくさくしてうまい。
あんこも程よい甘さで酒に合うと俺は思うが、どうも他人はそうは思わないらしい。
食べ終わると
「もう一つくらいいけるだろう」
と奴の前に置いた分を渡された。
正直こんなものいくつでも入るのでぺろりと平らげたら
「ちょっとは機嫌、直ったか」
とグラス越しに苦笑された。
悔しいが、腹が満ちたついでに腹の虫も収まってしまったようだ。
俺は何でこう甘いものに弱いんだ。
「ほら、行くぞ」
と促され、ベッドに向かう。
ベッドを前にして未練たらしく
「やっぱりじゃんけんにしないか」
と言ったら、無言のまま押し倒されて馬乗りにのしかかられたかと思うと、思いっきりくすぐられてしまった。
手足をじたばたと動かすが、腰の上に乗られているのでどうにもならない。
声が出なくなり、呼吸困難になるまでくすぐり倒され、解放された時にはさっき食べたあんみつを戻しそうになるほど笑ったあとだった。
「こんなになるまでくすぐって」
と誰かをたしなめる、でも嬉しそうな母の声。
ずっと昔にもこんなことがあった。
あの時俺は笑い過ぎで吐いてしまったんだっけ。
あれは誰にされたんだったか。
思い出す前にほとんどはだけきったローブの襟口から肌を探られ、そちらに注意が行ってしまう。
さっきまでくすぐられていたせいか、ちょっと触られるだけで又くすぐられるのでは、と体が過剰に反応する。
どうもくすぐったいと気持ちいいは近い部分にあるようで、まだ触られてもいないのに気が早いことになってきて
「さっき出したばかりなのに元気だな」
とからかわれる始末だ。
強面を作ろうにも、さっき表情筋を酷使したせいか、引き締めることができない。
きっとだらけきった顔をしているはず。
「お前、もう不感症とは言えないな」
とささやかれ、そういえばそうだ、と気がついた。
いつからだろう、こんなに人の手が気持ちよくなったのは。
「後ろからしていいか」
と聞かれ、うなずいて体勢を変える。
そういえば、こいつ今まで前からしかしなかったな。
何故だろう。
後ろから押し入れられて、どうして今までされなかったのかがわかった。
今まで無理やりされた時のことが急に思い出されたのだ。
あの時もあの時もあの時も。
後ろからの方が入れやすいからか、抵抗が難しいからか、それともやはり自分の顔を見られたくないという卑屈な思いがあるからか。
無理やりされる時、こういう格好でされることが多かった。
もちろん抵抗ができなくなってから改めてひっくり返されて本格的に食われるのだが。
「やめるか」
という声に、縮こまった体が緩んだ。
こいつ、やっぱりなんか察していたんだ。
こんな弱みみたいな事知られるのは嫌なはずなのに、なぜかそんなに気にならない。
慎重そうなこいつがしても大丈夫だと思ったのなら、きっと大丈夫だ。
「そのままでいい」
と答えたら、多分今までになくいろいろ丁寧に、された。
今までもこいつに乱暴にされたことなどないが、たぶん次に後ろから、と言われてももう過去のあれこれなど思い出さないだろうと思う。
今まで変な薬を使われたこともあるし、奴がしたこともそんなに特別なことだったわけではないのだが。
正直、自分がすごく昂ぶってしまった自覚がある。
終わってもお互い何となく名残惜しくて、処理した後も着替えもせずにだらだらしていた。
無骨な手が俺をたどるのが気持ちいい。
時々戯れにくすぐられて、やっぱりこんな風に楽しかった、と思い、急に誰にされたか思い出した。
父親だ。
ずっとそんなこと、忘れていた。
俺の父親は、いつも仕事優先であまり俺とは接触がなかった。
帰りも遅かったし、家の中でもあまり話さないし。
俺はいつも母とばかりいたような気がする。
ただ時たま機嫌のいいとき、急に俺を引きずり倒して思いきりくすぐったり、抱っこしてくれたりしたことがあった。
そういう時は、母もニコニコ笑っていて。
多分、俺がずっと小さい時。
あの男もそんなこと、したことがあったんだ。
最初俺が喜んでいると楽しそうに際限なくくすぐり続け、結果、最後に吐いたり泣いたりするので、そのうちそれもしなくなった。
もしかしたら、子供の扱いがわからなかったのかもしれない。
あの男のことはずっと母を裏切った憎い奴としか思っていなかった。
死ぬ前も、死んでからも。
でも今、母の臨終の言葉が思い浮かぶ。
いつもなんであんなことが言えるのか、と思っていたけれど、もしかしたら母にもつらいばかりでない、いい思い出も少しはあったのだろうか。
もう誰に聞くこともできないけれど。
「どうした」
と問いながら奴が俺を覗き込んでいる。
父と母もこんな風にピロートークをしたりしたんだろうか。
正直想像もできないけれど、していたらいい、と思う。
「もうすぐ母の墓参りの季節だな、と思っていただけだ」
いつも母への線香の香りが行くのももったいない、と思っていたが、今度の墓参りでは線香の1本分くらいはあの男の分と思ってやってもいい。
それでも母が愛しただろう男なのだから。
俺への分だけでも母を愛してくれれば良かったのに。
「もう一度しないか」
と俺から誘ってみたら
「明日腰が立たなくなるまでしてやろうか」
とまんざら冗談でもなさそうな口調で言われてしまった。
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