クリスマス 2
俺は夕暮れの町を歩いていた。
今日は12月25日。
クリスマス。
なのに、町はもうクリスマスの仮装を解き、正月準備に忙しい。
おもちゃ屋さえも、すでにクリスマスの包装はなくなってしまったと言い、普通のラッピングしかしてもらえなかった。
それでもないよりはましだろうと、彼女がよく観ていた変身アニメのグッズらしい、平積みの商品を買う。
一昨日、オペの依頼があった。
都心の大学病院での仕事だ。
その日のうちに終わるはずだったオペは開腹すると思ったより厄介で、急変に備えてしばらくついていなければならなかった。
とはいえ、俺は昨日のうちに家に帰るつもりだった。
帰りに手塚の家に寄ってピノコを引き取ったら、近所のスーパーでチキンとケーキでも買い、彼女とのささやかなクリスマスを楽しんでやろうと思っていたのだ。
いや、もしかしたらあの子は何かを作りたいと言うかもしれない。
それならスポンジと生クリームでも買って、彼女が作る様を見てもいい。
そんなのんきなことを考えつつ帰り支度を済ませ、患者に挨拶をしている時、病院の前で玉突き事故が起こった。
さすがにイブ(しかも今年は祭日だった)の夕方には医者も少なく、俺も執刀医として駆り出されるはめになったのだ。
しかも今回は金を吹っかける暇もなかった。
運ばれてきた瀕死の母子を見たら無我夢中になってしまったのだ。
千切れかけた、それでも子供をかばうようになかなかはがれない腕を見たら、もう。
事前に話し合いができる状況ではなかったからには、タダ働きにするしかない。
俺は正規の料金では動かないのだ。
はした金を渡されるくらいなら、『巻き込まれて気まぐれに働いた』ほうがマシだ。
じゃないと高額を支払う客に示しがつかない。
というのもあるし、早く家に帰りたかったのもあって、目処がついたところでこっそり現場から逃げ出した次第。
アー、空が黄色い。
寝不足だ。
それでもせめてクリスマスのうちに帰ってやりたくて電車に飛び乗る。
座席に座ったところで手塚に連絡し忘れたのに気付いたが、まぶたが落ちるのを抑えられない。
ぐー。
最寄り駅に着いたところで手塚に電話をする。
「毎度悪いな。今からピノコを迎えに行くから」
と言うと
「君、帰ってなかったのか?」
と驚かれる。
「ピノコちゃんは昨日帰ったぜ。俺も心配だったから夕方電話したら『今から帰る』と連絡があったから、と言われたんだけど、違ったのか?」
そういえば、かけていた。
事故の直前、病院の電話から
「今から帰る」
と言っていたのだ。
だが直後にオペに打ち込むことになり、そのまま・・・。
俺はなんてことをしてしまったんだ。
イブの夜に1人っきり、クリスマスの朝にもサンタは来ない。
それがどんなに寂しいことか、俺は身にしみて知っていたのに。
慌てて家に電話したが、しばらくして留守電に替わってしまった。
タクシーを拾い、家に急がせる。
家の窓にはほのかな明かりがあった。
釣りももらわずに飛び降り、ドアに急ぐ。
風呂かトイレで、電話に出られなかっただけだろう。
きっとそうだ。
だが
「ただいま」
とドアを開けても、答える人はいなかった。
きれいに飾られたクリスマスツリー。
テーブルの上には少ししおれたサラダと、ケーキの箱。
箱の中には手付かずのケーキ。
なのにピノコだけがいない。
「ピノコ?」
「ピノコ!」
家中を探し回り、崖の裏から落ちたんじゃないかと海岸まで降りかけた所で、ふもとから登ってくる車の音に気がついた。
大急ぎで戻ると、車から降りてきたのはキリコ。
俺に気付くと軽く目をすがめ、そのまま助手席に回る。
ドアを開けると、そこにはピノコ。
「1日遅刻だな」
と皮肉げに言う男の横で
「ちゃんとでんわしなくちゃ メ! なのよ」
とかわいくふくれっつらするピノコ。
思わず駆け寄って抱きしめると
「せっかくキリコのおじちゃんよんだのに、パーティできなかったのよ。待ってるうちにジュースとおつまみがなくなっちゃったから、おかいものしてきたんだから」
とぷんぷんしてから
「でもおしごとごくろうさま。キリコのおじちゃんが教えてくれたの。だからきのうはおじちゃんとおしゃべりしてたの。うわきじゃないのよ」
とにっこり笑って抱きついてくれた。
家に帰り、食事をしつつ話を聞いた。
ピノコは俺からの電話の後、キリコに声をかけたらしい。
去年のクリスマスがよほど楽しかったのだろう。
今年のキリコは暇だったらしく(いい事だ!)二つ返事で駆けつけたが、待てど暮らせど俺は戻らない。
俺が行った病院名を聞き、車の中で玉突き事故のニュースが流れたのを思い出し、俺の行動を推測したらしい。
モグリで入っているといけないからと病院には電話せず、ピノコをなだめてくれたようだった。
借りを作ってしまったな。
「ところでサンタなんだが」
1日遅れるって連絡があったぞ、と続ける前に、ピノコは
「あ、プレゼント! 見せてあげる!」
と部屋を飛び出すと、一っ跳びに戻ってきた。
「すごいのよ、これ、つめみがき。これでこするとマニキアしたみたいにつめがひかるの。あとこれ、おふろに入れるとバラのかおりがするんだって。きょう入れていい?」
ニコニコするピノコの後ろで苦笑しつつ片手で拝んでみせるキリコ。
奴もきっとメインのプレゼントのつもりじゃなかったに違いない。
ただ、クリスマスの朝に空っぽの枕元じゃかわいそうだと思ったんだろう。
だけど俺の楽しみを奪いやがって・・・いや、ピノコが喜ぶのが一番なんだけど。
「使っていいぞ」
とピノコの頭を撫で、カバンに向かう。
がさがさと包みを取り出し
「土産だ。昨日は帰れなくて悪かったな」
と彼女に渡す。
「わあ、なに?」
と包み紙を開ける少女から目をそらし、そっとため息。
なぜいつも俺はこの子を幼児扱いしちまうのかなあ。
あいつみたいにほんのちょっと大人扱いしてやれば、あんなに喜ぶって言うのに。
だが包みを開いた彼女は狂喜した。
「わーい、キュアコンパクトだ。かがみとくしもついてる! これね、キューティークルーちゃんが変身するとき使うんだよ。いつもショートのキューティーちゃんがね、『キュアクーティ(キューティーだろう、多分)!』って叫んでこうやってくしでとかすと、髪がぶわー! にょろにょろって伸びてね、こーんな髪型になっておねえさんぽくなって「おんなの命、髪の毛で、ふせいでみせよう悪の道。キュアクーティ(だからキューティ・・・)さんじょう!」てさけぶの」
となにやら実演してみせる。
どちらかというと女の子より、薄毛に悩む中高年男性に似合いそうなアイテムだ。
でも
「先生ありがとう」
と飛びついてきた彼女の笑顔はきらきらしていて、サンタになり損ねた情けなさを忘れるのに十分だった。
それからずっとキュアキューティクルごっこにつき合わされたのには参ったが。
被害者の役なら倒れたふりをするだけでいいが、怪人の役が回ってくると大変だ。
「どらきゅらー」では厳しい女性監督からダメ出しが来る。
それはキリコがそっと抜け出して風呂を沸かし
「お嬢ちゃん、バラの風呂に入るんじゃないかい」
と言うまで続いたのだった。
風呂を満喫したピノコは、ベッドに入ってこてんと枕に頭をつけるや否や寝入ってしまった。
居間に戻ると、キリコがつまみとワインの残りを出して、グラスに注いでいた。
「勝手にやってるよ」
と言うのに片手で答え、男の隣にくず折れるように座る。
疲れた。
けど、それはどこかほんわりする疲れだ。
俺の人生にはありえなかったはずの。
グラスを渡され受け取るが、口に運ぶのも億劫でぼんやりしていると
「怪人、大熱演だったな」
とグラスごと手首をつかまれた。
目の前の唇が薄く開き、中身を啜る。
「こら、俺のだろ」
と文句を言うと手からグラスを奪われ、そのまま口付け。
程よい渋みの液体が俺ののどを通っていく。
「お前のだって知ってるよ」
奴はもう一度グラスを傾け、俺に顔を近づけてきた。
ワインと共に滑り込んできた舌に、舌を絡める。
このくらいで酔うわけがないのに、酩酊する。
そのまま流れていきそうになり、ここじゃ困る、でももう面倒だし流されてしまおうか、なんて自堕落なことも考えてしまったのだが、今日は奴のほうが冷静だった。
いつの間にかソファに寝転んでしまっていた俺の手首を引っ張り
「ほら、風呂行こう。ここでやって朝、お嬢ちゃんが来たら大惨事だぞ。それとも彼女にカミングアウトするつもりか」
なんて言う。
目もパッチリ覚めるってもんだ。
そして風呂。
そこにはバラの香りが充満していた。
「うへえ」
と思いながらも掛け湯して風呂に浸かろうとしたら、奴まで入ってくる。
「お嬢ちゃん、奮発したな」
と感心しながら我が家のように堂々と掛け湯をし、ちょっとどけとばかりに俺の体を前に寄せると、風呂釜と俺の間の空間にするりと忍び込できた。
湯がゆれて、またバラの香りが強くなる。
気が付くと俺は奴に後ろから抱えられるような体勢で、胸やへそにいたずらされていた。
はっとして抜け出そうとしたが、急所を探られ、身動き取れなくなる。
「本当に湯船に弱いな。いつもこんなに素直ならいいのに」
ささやかれついでに耳たぶを噛まれ、女みたいな声が出る。
うわ、気持ち悪い。
我ながらそう思うのに、こいつは
「もっと声出せよ」
なんて意地悪を言う。
「せめて洗い場で。湯の中はいやだ。ピノコに悪い」
と言ってしまったのが後の祭り。
湯気もうもうの洗い場で、濡れていた体が乾き、また汗その他の体液でぬめるまで絡み合う羽目になった。
疲れていたはずなのに久しぶりなせいだろうか、それとも嗅ぎ慣れない香りに興奮してしまったのだろうか。
「先生、朝ですよ」
とピノコに起こされた時はぎくりとしたが、俺はいつものベッドに1人で寝ていた。
起きようとしたら関節がぼきぼき鳴る。
「あててて」
とうめくと、ピノコが
「先生ごめんね。昨日お仕事だったのに、たくさん遊んでくれたもんね。キリコのおじちゃんも筋肉痛なんだって」
と申し訳なさそうに背中をさすってくれた。
いや、ピノコ。
謝るのはこっちのほうだ。
俺の体中が筋肉痛であざだらけなのは、キューティークルーのパンチやキックのせいじゃなく、多分風呂場のタイルのせいだ。
キリコの筋肉痛は、年甲斐もなく夜の運動をしすぎたせいで・・・。
いや、奴はただの寄る年波のせいかもしれないがな。
「ごはんですよ」
の声で入った食堂にはキリコがいて、彼女の指示で昨日の残り物をテーブルに並べていた。
奴も心なしか動きがぎこちない。
目が合ったので睨んでやろうかと思ったが、こちらににっと笑うさまが皮肉なものでなく、いたずらっ子のように見えたので毒気を抜かれてしまった。
ま、借りがあったのはこっちだ。
こいつとは稀にしか会わないんだから、たまにはいいか。
だがクリスマスの1週間後には正月なんて行事があるのだった。
続きません(笑)
24日の職場はさすがに暇で、突然に何か書きたくなりました。
ノートに鉛筆で殴り書きしたのを家で清書しましたが、見直しする暇はありませんでしたので、誤字脱字がありましたらこっそり教えてくださるとありがたいです。