クリスマス
「先生、おみやげ! 幼稚園で作ったの! エゴなのよ!」
と元気に扉を開けて入ってきたピノコは、丸くて茶色いものを持っていた。
「何だ、エゴって?」
「これ! クリスマスリースよ! 秋にサツマイモ掘りがあったでしょう。その後焼いもパーティーの時に落ち葉やおいもの葉っぱは焼いちゃったんだけど、先生がおいものつるは残してたの。それをね、けん君と一緒に端っこからぐるぐるーっと巻いてむすんでね、みんなで飾り付けしたの。お飾りもみんなお庭で拾ったどんぐりとかまつぼっくりを絵の具にポトンと落としてね。みいんな捨てたらごみだけど、こんなにきれいになるんだよ。こういうの、エゴって言うんだって」
と興奮して喋り捲るピノコを制して
「それは、エコだ」
と水を差す。
いや、幼稚園の先生はすごいな。
こんな風にしゃべくりまくる子が、常時回りに何人もいるんだから。
こんなのを聞き分けられる男なんて、聖徳太子以外にいないだろう。
そんなことより、けん君って誰だ。
ピノコの持っているものは確かに丸い形状だったので、リースとは言える。
だがお世辞にもきれいとか、豪華だとかは言えない代物だ。
サツマイモのつるは今ではきれいに乾燥して、茶色い枝のような感触になっている。
その上に赤や青に着色されたどんぐりやまつぼっくりがいくつか鎮座しているのだが、すでに1つ2つは取れそうになっているし、もうちょっと沢山ついていてもいいと思う。
が、作った彼女は誇らしそうだ。
「ふうん。これ、どうするんだ」
と聞くと
「おうちのドアにつけていい? 誰かに見てもらいたいんだもん。でも鳥さんが食べちゃうかなあ」
と不安そうだ。
「風で飛ぶといけないから、飾るなら家の中だ」
ときっぱり言う。
「お外なら、郵便やさんが見てくれるかもしれないのに」
と言うこの子を不憫に思うが、外の風に当たったらこんなのすぐにただの芋のつるだけになってしまうだろう。
うちは海風が強いんだから。
クリスマス位してやりたいなと思ったが、イブの日に急にオペが入った。
手塚の所だ。
今回のオペは人手があるのでピノコは留守番させようかと思ったが、彼女が同行を申し出たので連れて行った。
患者は母親で、子供がいたからだ。
「ピノコ、家族に家事分担の心得を教えてやっていてくれ。患者に無理させられないからな」
と言うと
「アラマンチュー!」
と力強いうなずき。
何度も言うようだが、これ、どういう意味だろう。
小さな子に仕事なんて、と言われるかもしれないが、人間は何かの役に立ちたいものなのだ。
そんなこんなで俺はクリスマスの朝、サンタになり損ねた。
患者に最終的な検査をし、オペに入ったのは24日の深夜、終わったのは25日の昼近くだ。
長時間のオペで疲れ果ててしまい、クリスマスなんて頭から消えて、その日はカップヌードルをかっ込んで二人ともバタンキューで寝てしまった。
プレゼントもイブに買いにいこうと思っていたので、何もない。
朝、何を家中探しているんだろうと思ったら
「やっぱりサンタさんを待つの、忘れたのがいけなかったのかなあ」
とポツリもらした彼女の言葉に心がずきり。
ああ、俺はその寂しさを知っていたのに。
だからと言うわけではないが、奴からの電話は歓迎すべきものだった。
しかもそれは
「今から行ってもいいか」
というもの。
大歓迎だぜ。
「キリコがくるぞ」
と話すと、ピノコの顔がぱあっと明るくなった。
くそ、キリコめ。
何であいつはこの子にこんないい顔をさせられるんだ。
「私、買い物いってくる!」
と言うピノコを呼び止め、今日は車で送ってやる。
さすがに荷物が重いだろうとスーパーの駐車場まで。
ここで彼女は食品売り場、俺は本が買いたいからと上の階へ。
もちろん、何かプレゼントを探すのだ。
が。
いつの間にかディスプレイが変わっている。
確かに11月ごろからそこここにあったツリーがなくなり、すでに正月っぽい飾り付けがされているのだ。
そういえば、聞こえてくる音楽もクリスマスの曲じゃない、『もういくつ寝ればお正月』だ。
おもちゃ売り場すら、なんとなくうそ寒く見える。
急いで何か買わないと、と思うほどに目がさまよってしまい、結局何も買えずに時間切れ。
あせってエスカレーターに飛び乗ろうとしたところに子供用の手袋のワゴンを見つけ、ないよりはましと1つ買う。
ピノコと落ち合い、荷物を持つと
「ケーキを見たい」
と言われた。
そういえば、クリスマスにケーキは付き物だ。
スーパーの前でも売っているだろうときょろきょろするが、ない。
店員に聞いてみると
「昨日の午前で販売は終わりました」
と言う。
ええ!?
だって今日はまだ26日だぞ。
「すみませんね、クリスマスの商品はおとといまでで、昨日の内に処分品で売り切ってしまったんです」
という話にがっかりする。
「スーパーもお節ばっかり売ってたのよ。骨付きの鳥のモモもないんらから」
とピノコはぷりぷりしている。
結局、ケーキ屋に足を運び、小さなデコレーションケーキを選んだ。
メリークリスマスとプレートに書いてほしいと言うと
「あら、お祝いまだだったの? じゃあサンタを載せてあげる」
と砂糖菓子をおまけしてくれたおばちゃんに感謝。
まだ骨付きの鳥モモにこだわっているピノコの繰言を聞きながら、車を走らせる。
そういえばファーストフードの店にそういうのが売っているかも、と思い出したのは丘に登る道に入ってからだったので、言わずにおく。
もし時間があったら、もうひとっ走りすればいい。
けれど、家に帰るともう客が来ていた。
入り口の前の階段に座ってのんびりタバコをふかしていた男は、俺たちの車にちょっと手を上げた。
脇に大きな袋を置いている。
まるで黒尽くめのサンタだ。
中に入った男は、出しっぱなしのツリーとリースににっこりした。
まず
「これお嬢ちゃんが作ったのかい。なかなかセンスがいいな」
とほめるあたり、抜かりがない。
だがその後の
「なあお嬢ちゃん、おじちゃん仕事が忙しくて今年はクリスマスを祝えなかったんだ。もし料理がかぶっていたら悪いけど、もう1回祝ってもらえるかい」
という言葉がどんなに彼女を喜ばせたか。
「ご馳走作らなきゃ」
という叫びを上げるピノコを制して奴がかばんの中身を取り出す。
ローストチキンの真空パックとチーズがいろいろ。
それにワインが2本。
ツリーのきれいな飾り物がいくつかと
「そういえばさっき、これをここのお嬢さんに渡してくれってことづかった」
とラッピングされたプレゼントらしき大きめの箱。
なんで。
何でこいつはこんなこと。
「サラダとご飯だけ作るね」
と台所に駆け込んだピノコを見つめる男に
「おい」
と詰め寄ると
「実はおとといと昨日も電話したんだ。連絡がつかなかったから、もしかして仕事が入ったんじゃないかと思っていたんだが、図星か?」
とちょっと得意そうな顔。
ちぇっ、図星だよ。
テーブルの上には奴の持ってきたローストチキンが温められ、ピノコのサラダとチーズの盛り合わせが花を添える。
趣味のいいワイン。
食後にはケーキも待っている。
十分なクリスマスの晩餐だ。
「メリークリスマス!」
と乾杯。
「ちょっと遅すぎるけろね」
とピノコが笑うと
「そんなことないぞ」
と奴が微笑んだ。
「クリスマスは確かに25日が本番だけど、カトリックの盛んなスペインなんかではそれから2週間くらいがお祝いなんだ。何しろクリスマスはイエス・キリストの生まれた日だろう。生まれてから喜ばなくちゃってことなんだろうな」
という奴の言葉にピノコの目はまん丸。
「えーっ、クリスマスってサンタさんがいい子にプレゼントをくれる日じゃないの!?」
と驚いている。
うーん、幼稚園では行事に宗教色はつけられないから仕方ないけど、知らなかったのか。
「ヨーロッパでは、どこでも正月くらいまではツリーや飾りをそのままにしているよ」
と苦笑しながら奴が言うと
「じゃあうちもヨーロッパと同じにする」
とさっきの飾りをつけたツリーを見ながら嬉しそうにピノコが宣言した。
食後、ピノコが
「あの箱、開けていいかしら」
と聞いた。
「お前宛なんだろう、開けてみなさい」
と言うと、大喜びで持ってくる。
「本当にピノコ宛? 先生宛じゃないのよね」
と聞くピノコに
「ここの女の子にって言っていたよ」
とキリコが答える。
「うふふ」
とくすぐったそうに笑ってそっとリボンを解く彼女は、歳相応の無邪気な女の子だ。
だが
「お人形かな、おもちゃかな」
とがさがさ紙を破っていたピノコは、中に入っていたものを見た途端、固まった。
大きな包みの中には、子供用の、だがおもちゃではなく一目でかなりいい品だとわかる調理道具一式が入っていたのだ。
包丁、果物ナイフ、皮むき、泡だて器、おろし金。
どれも小型というだけではない。
おろし金はストッパーで滑りにくくなっていて、弱い力でもすりおろしが簡単にできるし、皮むきは握り手部分だけが小ぶりでも剥く部分は大人用と同じ幅がある。
包丁やナイフも握り手がただの筒状ではなく、子供の手に沿った形になっている。
しばらく口をOの字にして固まっていたピノコは
「ピノコが一番こういうのを欲しかったって、サンタさん、何でわかったのかなあ。おうちのはみんな大きすぎるんだもの」
とにっこりした。
本当に、何でこいつはわかるのかなあと一瞬どす黒い嫉妬に駆られたが、もちろんこの子が喜ぶのが一番だ。
ケーキは早速新しい包丁の使い初めになった。
満腹なのと、幸せなのと、昨日の疲労が残っているのと。
どれが一番の理由かはわからないが、ピノコの寝つきは早かった。
枕に頭をつけた途端の急転直下。
「お前さん、やっぱり女たらしだな。あんな小さい子にまでよくもまあ」
と嫌味交じりの軽口を叩くと
「仕事柄、相手の本当の気持ちを汲み取れるよう、努力しているからな」
とその場に合わない、凍えそうな表情で返された。
「悪い。本当は仕事帰りなんだ。12月になってから立て続けに仕事があった。特にここ最近は多かったんだ」
と目をそらす男の頬を気がつくと叩いていた。
ぱん! と鋭い音がして、手のひらがじんじんする。
わかっている。
このままでは歳を越せないから、一家心中になる前に。
そんな依頼が多かったのだ、きっと。
以前出会った母親のように。
どうせならイブに死にたい。
クリスマスに死にたい。
そんなわがままな願いを聞いたりもしたのだろう。
残された家族がそれからどんなクリスマスを迎えるかなんて、死を焦がれる人間は自分のいいようにしか考えない。
何も言わずに逝くならいい。
けど。
そんなのを全部自分ひとりで受け止めていたのだ。
俺にも言わず。
いや、言えないのだ。
俺の腕なら治るとわかっていたといって、そのすべてを格安でオペすることなどできない。
恐ろしいほどの持ち出しになるから。
それにいくつかのオペは引き受けられたとしても、すべての患者をたった一人の人間が治せるわけがない。
奴はそれを良くわかっているから、依頼人に平等な死を与えてきたのだろう。
わかっている。
わかっているけれど。
何度叩かれても反撃しない男に息を切らす。
「ごめんな。お前さんに言うべきことじゃなかった。もう帰るよ」
そう言ってコートを取って羽織ろうとする男の前に回り、思い切り突き倒し、のしかかった。
無表情な男が憎い。
いや、憎いのは俺自身だ。
叩きたいのは己自身をだ。
身を切る苦悩にもがくこいつにどうしても手を差し伸べられない、俺こそを。
そっと顔に触れられた。
「色男が、台無しだ」
と見せる指が濡れている。
「どこかで雨が降ったようだな」
と言うと
「ずいぶん局地的な雨だな」
と頬を緩める男。
その薄い唇を奪いにいく。
奴の腕が俺をしっかり抱きかかえるのを感じながら、その見た目より抱き応えのある背を抱きしめる。
俺には言うべき言葉がないから。
ただ、こうしてぬくもりを分かち合うしか術がないから。
「BJ、BJ」
と奴は何度も俺の名を呼んだ。
その度
「キリコ」
と呼び返す。
凍えそうな気持ちになった時、お前が電話してくれていたのを知って愛しく思った。
今お前が一人じゃなくここにいるの、すごく嬉しいんだ。
そういう気持ちを俺は何で言えないんだろう。
気持ちの万分の1でも伝えたくて、俺は何度も
「キリコ」
と言った。
冬の最中、こんな床なんかで抱き合わなくてもいいようなものだが、視界の端で点滅するツリーの明かりがとてもきれいだった。
俺の部屋に行く前に、ピノコの部屋をのぞいた。
あんなに大きな音を立てたのに気づかないほどぐっすり寝ている。
枕元に手袋の包みを置いた。
置く時に包みがあのスーパーのものだと気づいたが、仕方ない。
彼女はこれが誰からのものか気づいてしまうだろうか。
「気づいたとしても、あの子はきっと喜ぶよ」
という男の言葉を複雑に聞きながら、そっとドアを閉めた。