1週間後 − キリコ
電車の中に女の子の声が響いている。
舌足らずのおしゃまな声は誰かに似ている、小さい子なんて縁がないのに、と思ったところであいつの大事なお嬢ちゃんを思い出す。
この間、あいつと会って1週間。
まだ1週間しか経っていないのに、思い出すと顔位見たくなるものだ。
俺の家には来たがらないだろう。
先日はつい調子に乗ってしまったので警戒されているかもしれないし、お嬢ちゃんを置いての2週連続の泊まりは俺も気が引ける。
手土産でも持って顔だけでも拝みにいくかと思ったところで、今乗っているのが東上線だと気がついた。
確か鶴瀬という駅だった。
そこの何とか言う和菓子屋がすごく好きだといっていたが、なんて店だったかな。
降りてから、聞いてみようか。
俺は少し怪しい風体をしているかもしれないが、交番で道を聞いても不審尋問をされることはまずない。
いかにも外人だからか、それとも障害者に下手なことを言うと人権問題になるという意識からか。
それでも交番に入る前にはいつも心の中で
「俺は一般人」
と何度か唱える。
あいつに密告されてからついた悲しい癖だ。
交番で「駅から5分くらいのやたらとボリュームのある昔からの和菓子屋」と尋ねたら、
「たぶん伊勢屋ですね。餅菓子のおいしい所でしょう」
とわかってくれた。
教わった道順をたどって着いたのは、道にショーウインドーが面しているような、ドアすらない、本当に昔ながらのなんとも小さな店だった。
奴が言うとおり、腹がパンパンに膨れた餅菓子が沢山並んでいる。
「2倍の重さなら、ほかの店のを2つ食べれば一緒なんじゃないか」
と言ったら、
「迫力とか、噛んだ時の感触が全然違うんだぞ」
とわかってない、と言う顔をされたんだよな、確か。
そう言われてみればうまそうなんだろうか。
よくわからん。
奴が食べていたのは確かピンク色の餅だった、と探すと、味噌柏という名前だった。
それと豆大福、俺は豆餅。
お嬢ちゃんは和菓子をあまり食べないということだが、店の人に
「あまり和菓子を食べなれてない女の子」
と話すと、黄身時雨を選んでくれた。
買ったあとで、やつが家にいるかの確認もしていなかったのに気がついた。
自分に苦笑しつつ携帯を取り出す。
出たのはやはりお嬢ちゃん。
色々訳ありのようだが、家事一切を取り仕切っているすごい子だ。
おしゃまで気が強く、変にぐずったりしない所が俺も気に入っている。
なりは小さいが、話がよくわかるのでいつも助かる。
BJはいるそうなので、TOPSのケーキを買っていくからお茶をご馳走して欲しいと頼む。
ケーキ屋の名前などほとんどわからないが、ここのケーキはユリと父のお気に入りだったので何度か食べたことがある。
普段の俺だったら食べられないほどクリームがはさんであるが、チョコの味がしっかりしているので俺にも食べられるのだ。
非常食として慣れているからか、今でもチョコだけはよく食べる。
ケーキを買うついでに可愛い細工のついた砂糖も見つけたので買っていく。
がんばり屋のお嬢ちゃんへのサービスだ。
車でなら奴の家も近いものだが、電車で行こうとすると乗り継ぎが複雑で結構かかるものだ。
電車も嫌いではないが、乗り換えや人ごみにはちょっとうんざりする。
ケーキと和菓子の包みを持った俺は、いつもの死神みたいに見えるんだろうか。
だとしたら、ずいぶん滑稽な姿だろう。
それでも電車でなければあんな店、買えなかったな。
車を停車することも出来ないような、細い道だったから。
最寄り駅からはタクシーだ、と降り立った時ちょうどタクシーがいなかったので、そばの薬局に入って少々買い物をした。
こんなもの、使うことはないだろうがまあ万一を考えて。
あいつがこういうものを用意しているとは思えない。
使って欲しい方が用意してもいいものだとも思うのだが、惚れた方の負けだ。
引き出しの隅にでもしまっておいてもらえたら楽なんだが、そんな事言ったら怒るだろうな。
タクシーから降りて玄関につくかつかないかでドアが開いた。
お嬢ちゃんの出迎えだ。
ケーキが目当てでも嬉しいもの。
その後出てきた奴は
「来たか」
の一言もない内に顔がぱーっと明るくなった。
「伊勢屋だな」
という奴の顔。
「釣れた」と思う。
表情を変えまいとしているようだが、目の輝きが違う。
大急ぎで自分で茶を入れようと台所に急ぐ奴の後をゆっくり歩きながら
「ちぇんちぇー、子供みたい」
と言うお嬢ちゃんと、つい笑ってしまう。
とりあえず、今日の苦労は報われたな。
「可愛いお砂糖」
と喜ぶお嬢ちゃんに紅茶を入れてもらいながら、彼女にも和菓子があることを言うと
「あたちも食べてみようかな」
と言う。
あの顔を見たら試してみたくもなるだろう。
「ケーキは夕ご飯のデザートにするから、今日はお泊まりしてね」
と言われ、
「奴がいいと言ったらな」
とありがたく承諾した。
気配を感じて振り向くと、奴が茶を2つ持って立っていた。
俺の前の紅茶を見て「しまった」と言う顔をしている。
戻ろうとする所を呼び止めると、複雑そうな顔をしながら俺にも茶をくれた。
・・・渋い。
甘いものをがつがつ食べるには、こんなに濃くないといけないのか。
いや、でも考えてみれば奴が手ずから入れた茶なんて飲むのは初めてなんだから、ありがたくいただこう。
しかし濃いな。
和菓子の包みをバリバリ破く姿は、クリスマスプレゼントを開く子供そのもの。
今までも何度か和菓子を買ってきているが、こんな風に喜ばれたのは初めてだ。
そんなにうまいものなのか?
やはり俺にはよくわからない。
菓子についた葉を剥くとき、既に口が半開きになっている。
がぶりと菓子に食いつくこんな姿を見たら、誰もこいつが「無愛想な天才外科医」だとは信じないだろう。
よほど珍しいのか、お嬢ちゃんまで目を丸くして見ている。
1個食べ終わった所でお嬢ちゃんがタイミングよく
「ちぇんちぇー、あたちにもお茶頂戴」
と言うのに、ようやく俺たちの視線に気がついたようで、ばつの悪そうな顔をした。
なかなか面白いものが見られたので、電車移動の疲れも取れた。
「おじちゃん、お夕飯作るの手伝ってえ」
と言う声に答えるべく立ち上がったら
「こら、ピノコ」
と、奴のあわてた声がした。
いつもは清々したような顔をするくせに、変な奴。
お嬢ちゃんはがんばりやだが、残念ながら技術が伴っているとは言いがたい。
あまりすごいものを作られる前に脇からサポートした方が得策だ。
ついでに俺でもわかるような事を簡単に教えてやる。
例えば秋刀魚以外の魚を焼く前には内臓を抜いてから水洗いをして塩を振っておく、とか煮魚も内臓とうろこを取って、煮汁が沸騰してから入れる、位のものだが。
最初にご馳走になったときは食べるのに苦労したからな。
洋食はそれなりに料理番組などで勉強しているようなので、今日は簡単な煮物の作り方を教えてやる。
ほんだしやだしの素を使っても、食べられるものが作れればそれでいいのだ。
食後2人で飲みながら、おかしいなと思う。
奴が何か上の空だ。
昼間はあんなにご機嫌だったのに、俺が何かしたんだろうか。
俺が泊まる事になったからか?
でも今まで何度か泊まっているし、あいつが尻込みしているのがわかっていたから手を出したりはしなかった。
確かに今日はお嬢ちゃんが寝たら誘ってはみるつもりだが、この家でするのに抵抗があるならしないで済ませてもいい。
会ったら絶対にしないでいられないほどガキではないつもりだし、あいつの意思は尊重しているつもりなんだが、そんなにがっついて見えるのだろうか。
あ、酒にむせた。
こっちから何か言ってやったほうがいいかな。
そんなことを考えていた時だった。
「おい、キリコ。狭い家に住んでいても兄弟のいる家族、多いよな。そういう家の両親は、子供が寝静まってから隣の部屋なんかでしているんだよな。」
ええと。
これは誘いの言葉、と受け取ってもいいのかな。
かなり遠まわしというか、わかりづらい話だが、結論はそういうことだよな。
何だ、俺も少しはうぬぼれていてよかったのか。
少しずつ慣れてきていると知ってはいたが、いつも俺から誘うばかりだったから、流されて付き合っているだけなんじゃないかと思うこともあったんだが。
おっと、どんどん奴の顔がこわばっていく。
「部屋で待っていればいいのか? 俺がこっちに来るか?」
というと、ようやくほっとした顔になった。
お嬢ちゃんに話をせがまれて彼女の部屋に行くと、この間服を選んだ人形を見せられた。
似合うとほめてやってから何の話がいいか聞くと
「ちぇんちぇーのお土産は何でいつも変なのばっかなのかちら」
という疑問。
奴はお嬢ちゃんのことが好きで好きでたまらないから、誰も持ってないようなものを選びたくなるんだよ。
あまりがんばって選びすぎるから、最後はわけのわからないものになってしまうんだ。
今度お土産を頼む時は、何が欲しいか具体的に言えばわかってくれるんじゃないかな。
そう言うと納得したように
「うん。でもたまには変なのでもいいや」
と笑った。
奴には出来すぎたいい子だ。
せがまれて昔インドで奴に激甘菓子を食べさせられた話をしたら、吹き出していた。
奴と入れ違いに風呂に入り、借りたパジャマを着る。
最初泊まった時に借りたパジャマは小さめだったが、今はちゃんと1サイズ大きいものが用意されていて、お嬢ちゃんにもよく来る客人と認められているようでこそばゆい。
歯ブラシだって用意されているんだ。
使い捨てのじゃない奴。
「おじちゃんのは緑だから忘れないでね」
と、お嬢ちゃんがこの間出してくれた。
でも考えてみれば、今までの俺だったらこんなことされたら大急ぎで逃げ出していただろう。
誰かに執着するのもされるのもごめんだった。
誰とも深くかかわりあわず、誰にも知られない所でいつか犬死にしたいと思っていた。
腐れ縁を作ってくれたのは奴の方だ。
俺は逃げてばかりだったのに。
最初は俺から誘ったはずなのに、俺の方が変えられているような気がする。
奴の部屋で、抱くというより抱き合う。
ぎゅっと力を込めると同じ力で返されて、どちらが抱かれているのかわからない。
こいつは斜に構えた直情型で、こういう時にもそれが出る。
俺の背中が反応したのに気がつくと、他の反応を探して触診している。
夢中になると口の先がとがって、新しいおもちゃを見つけた子供のよう。
しばらくして俺の視線に気付いたのか急に顔を上げたかと思うと「あ、しまった」という顔をして、それでも目をそらせるのは嫌らしい。
今度はにらみつけてくるのでいたずら心がわき、鼻の頭をべろりとなめたら、盛大に飛びのきざまベッドにひっくり返った。
丁度いいので脱がせにかかると、真っ赤になって口をパクパクさせている。
体が硬直しているぞ。
結構どんな時でも冷静なこいつは、こういう時だけ不意打ちに弱いようだ。
そう思って油断していると、今度は急に抱きついてくる。
頭突きのようで正直結構痛かったが、乱暴なのはいつものことだ。
さっさと準備を済ませてしまおう。
女を抱く時には結構雰囲気を作ったりしたものだが、こいつとの時は何かのスポーツをしているような気分になることがある。
じらして思い切りもだえさせてみたいとも思うが、なかなかそこまでできない。
俺の方にも余裕がないのか。
あの無表情、ぶっきら棒なブラックジャックが俺の下で表情を変えている。
そのこと自体に高ぶってしまうのだ。
俺との行為を気持ちいいもの、と認識するにつれて良くなってきた反応に、俺の体も引きずられてしまう。
携帯用のローションとサックのセットをさっきの薬局で買っておいた。
用意はしておくものだな、と思いながらローションを使い出したら飛び上がるように反応したので、驚いて手を止めると
「それ、いつの間に」
と指差して固まっている。
「何だ、使わないと出来ないだろ」
と言うと、そのまま赤くなったり青くなったり。
あ、もしかしてさっきの、俺がその気がないと思って誘ったのか。
でも自分では何の用意もしてないのか。
「じゃあ何使うつもりだったんだ?」と聞いてみたい。
俺が持ってなければ中で出してもOKだったとか?
・・・ここでやめになるのはつらいので、そっとしておいてやる。
声を立てたくないと言うので、いつもより余裕を持って抱き合う。
鼻から漏れる声が普段より秘め事っぽくて、こういうのもなかなかいいな、と思っているうち、奴の雰囲気が変わってきた。
こいつ、又何かおかしいぞ。
初めてのときもそうだった。
又思い出したくない過去がやってきたのか。
俺はそれから逃れるために女と寝たが、こいつのそれは多分行為に関係する。
聞いた事はないが、そうだと思う。
ほら、目を覚ませ。
肩をゆすると暗い目が開いた。
なるべく見当違いの誤解をした風に話しかけると、ゆっくり普通の目に戻っていく。
男としては情けない限りだが、今日は日が悪そうだ。
今日は顔を見られればよかったんだから、と思い切って抜いてしまう。
1、2、4、8、16、32、64、128、256、512、1024、2048、4096…。
心の中で数を倍にしていったら、息子も何とか治まった。
そうして裸のまま、奴を抱きかかええるようにしてさっきの分まで話をした。
笑っているうち奴が積極的になってきたので、そのまま乗せて楽しませてもらった。
又悪夢に飲み込まれないよう、耳元でこっそり奴をあおりながら。
前言撤回。やはり2人でするのは楽しい。
こいつのとろけた顔を堪能できるし。
翌朝お嬢ちゃんが突然入ってきたのにはびっくりしたが、おおむねいい休日になった。
でも帰るとき、昨日のゴミを梱包されて
「どこかへ捨てろ」
と言われたのは参った。
テロの特別警戒で、ゴミ箱なんてどこも撤去されている。
こんなもの家に持ち帰らないといけないなんて今度から絶対車で来るべきだなと思いつつ、家までの長い電車に耐えるのだった。
1週間後のキリコ視点です。
話は同じなのに、何故こうも時間がかかってしまうのか。
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