テレクラの歴史

 

 

夜中、自分の大声で目が覚めた。

ここは某国の片隅にあるホテル。

俺はオペに呼ばれて来て、キリコと鉢合わせた。

犯罪の匂いのぷんぷんする胡散臭い依頼だと思っていたが、何と狙いは俺じゃなくてキリコ。

キリコと俺が知り合いだとどこかで知り、俺の命をたてにキリコを脅迫したのだ。

 

曰く、俺をつぶされたくなければある人物を仮死状態にしろ。

俺には詳細を知らされなかったが、ある女を安楽死させる振りして仮死状態のまま運び出し、組織から逃がす、という計画だったらしい。

キリコも商売敵の俺のことなんて放っておいてもいいものなのに、言いなりになり、俺は俺でそいつの待ち時間の遊び道具に使われた。

それが、今まで見ていた夢だ。

 

あんな男どもに己の体をまさぐられるだけでもぞっとするのに体内にまで…というところで、大声を上げて飛び起きた。

実際は中にぶちまけられたわけじゃない。

本人はそのつもりで無理やり入ってきたが、興奮しすぎたのか動いているうちに大量吐血した。

精液の代わりにそんなもんを体に浴びるのも、最悪といえば最悪だったけど。

もともと俺はそいつのほぼ手遅れの体を何とかするために呼ばれたので、何もしないで見殺しにしたら寝覚めが悪い。

仕方なく救命活動をしたけれど、それまで腕をぎゅうぎゅう掴みながら下卑た言葉を投げかけていた手下が真っ青になってがたがた震えるだけで、まったく役に立たないのが参った。

こっちは誰かに心臓マッサージを代わってもらってオペの準備をしたいのに。

そんな時、奴が飛び込んできたのだ。

 

男は

「BJ!」

と叫びながら入ってくるなり俺の姿を見て絶句したが、状況を一瞬で見て取ると

「オペをするつもりか」

とすぐに手下をどやして心臓マッサージを代わらせ、俺がオペの支度をしている間に道具などを用意して、俺が

「助手やれ」

と言うとやれやれと言う顔をしながらも手を抜かずに手伝ってくれた。

 

結局患者達は自業自得のことをして、最後に奴の手を借りる羽目になったのだが。

 

おれのオペなんて、何の役にも立たなかった。

所詮俺は体の傷を治せても、心の傷は治せない。

せっかく敵対組織から愛しい相手を奪っても、その相手の心が冷めていてはどうにもならない。

女は単にそこから逃げ出したいだけだったのだから、いつかは悲劇になっていたのだろうが。

 

俺のしたことはなんだったんだろう。

 

酒でもないかと起き上がり、痛みにうめく。

チクショウ、また感触を思い出してしまった。

こんな時は酒に限るのに、冷蔵庫には何もなし。

ルームサービスを頼もうにも、内線が全然通じない。

どうやらフロントも寝静まってしまったようだ。

外に買いに行くにも時間が悪いし、腰が痛いし、足の変な場所が筋肉痛だしで長時間歩けそうにない。

ああ、でも酒が欲しいな。

 

その時、こんこんこん、とノックの音がした。

誰何すると

「俺だ」

という男の声。

「キリコか、どうした」

とドアを細く開けると

「一人で飲むのが寂しくてね。ちょっとどうだい」

と酒瓶を掲げる。

そんな訪問なら、否はない。

 

いすが1つしかないのでキリコに譲り、俺はベッドに腰掛けることにする。

「高いものじゃないが、気に入りの寝酒でね。それなりにうまいよ」

というその銘柄は初見だったが、確かにうまかった。

そのままだと喉にひりつく酒をゆっくり口に含んで唾液で薄め、そっと喉を通過させる。

ほーっとため息をついた時、変に力んだのか体の奥が痛んだ。

目をつぶって痛みと、一緒にやってきた反吐の出そうな感触の記憶を散らし、目を開けると奴が俺をじっと見ていた。

「何だ」

と言うと

「大丈夫か」

と聞かれる。

「何が」

と言いつつ残りを一気にあおって、むせた。

 

なんでも気管に入ったら痛くて苦しいが、強いアルコールはことに痛い。

ごほがほと咳をしながらグラスを置いて枕元のティッシュを取って口にあてようとし、筋肉痛だかほかの痛みだかわからないものに足を取られた。

転倒しそうになった体を何かに支えられ、背中をさすられる。

気が付くと、俺はキリコに抱え込まれていた。

「すまんな」

と顔を上げたが何を考えているかわからない眼に射すくめられ、動けなくなる。

 

「痛むのか」

喉のあたりに手を当てられ、反射的に身がすくむ。

さっき首を絞められたので、その感触が体に濃厚に残っているのだ。

だがこの男に弱みを見せるのも癪で

「別に痛くなんかない」

と手で振り払おうとしたら、今度はその手首を握られた。

思わずうめく。

痛いのも痛いが、そこを握られ抵抗を奪われているうちにされたことが一瞬の間に襲い掛かってくる。

嫌なこと。

心の中に大急ぎで蓋をしたもの。

アルコールのせいで普段容易にコントロールできる感情を制御できないらしく、恐怖に襲われ、体が逃げる。

 

「おい、俺だって医者の端くれだぜ。さっき介抱したんだから状態はわかる。お前さんが勘ぐるようなことはしないから、落ち着け」

逃げた体が悲鳴を上げ、くず折れそうになったところをもう一度支えられて、我に返った。

そういえばそうだ、別に奴は変なことなどしていない。

俺が接触に過敏になっているだけ。

「悪かった」

とため息をつき、手を借りてもう一度座る。

「吸うか?」

と差し出されたタバコは、俺の普段の奴より軽いくせ、独特の風味があった。

肺一杯に煙を入れ、吐き出す。

深呼吸に似た動作だが、実際には肺を汚す行為。

けれど今の俺には気を落ち着かせる効果があった。

 

ベッドヘッドの近くに陣取り、灰皿とグラスに時々手を伸ばす小さな幸福。

この2つとオペくらいしか楽しみがない俺だ、今の状態はかなり幸せなはず。

そう思おうとしても、時間がたつにつれ昼間の感触が体をめぐり、思考がその時点に戻っていく。

 

「おい」

気が付くと、奴が目の前にいた。

男は俺の手からグラスを取ると

「手は無事だったな」

とそのまま手を取り

「さすがにお前の手の価値だけは知っていたとみえる」

と言いながら指の側面をマッサージし始めた。

指先が終わると指の股を丁寧に押し、そのまま掌と甲を挟むようにして揉み解す。

かさついた指が離れるのが惜しくてもう片方の手も差し出すと、そちらも丁寧にマッサージされた。

寝ていても冷たいままだった指先が温かくなる。

 

「こういうの、力が抜けて気持ちいいだろう」

と言われ、

「なんだか気味が悪いな」

と返すと

「気にするな。実はもしかしたら男と付き合う羽目になるかもしれないんで、俺も攻略法を考えているだけだ。男同士で自然に接触するっていったら、お前さんが昼間された逆をするしかないからな」

と答えられ、こいつ、そういう趣味だったのか、とちょっと驚く。

まあ、商売を抜きにそういう目で見れば、こいつは男の俺が見たっていい男の部類に入ると思うけど。

顔は踏めるし、タフだし、何よりこんな商売敵の俺のことまで心配して付いていてくれるんだし。

確かに商売さえ何とかすれば俺だって何かの折にすがりたくなるかも、なんてことまで考えて失笑する。

こんな想像、さすがにこいつに悪いだろう。

 

「そうだな。確かに昼間の記憶のない場所ならなんともない。じゃあ俺は今のお前の手のことだけ憶えていることにする。もう平気だから寝ていいぞ」

と笑ってみせたが、キリコは手を離さなかった。

「なあお前さん、さっき血まみれだったが、それ以外に顔とか口に何かされたか?」

と聞かれ

「キスでもされたら入った舌噛み切ってやるって思っていたんだが、残念ながらチャンスはなかったな」

と言うと

「ならちょっとキスさせろ。俺、女としかしたことないんだ」

と言われる。

俺は試供品かい、と思ったが、俺自身もほかの男がどんなキスをするのか興味がないでもない。

「今日の借りはチャラにしろよ」

と憎まれ口をききつつ、男の手が頬を包むのに合わせて目をつぶる。

 

俺、今までキスってドキドキするもんで、ゾクゾクするもんじゃないと思っていた。

時々洋画で

「んーっ、んーっ」

と鼻声を出したり体を震わせたり、力が抜けてくず折れるなんてシーンを見ても、あれは西洋人の好きな過剰演技だと信じて疑わなかった。

途中でもがいたり相手の体をどんどん叩くなんて、合意の上だったはずなのに何やってんだ、わがままだな、と位に思っていた。

まさかこの俺がそんな普遍的な動作をすべて踏んでしまうとは。

 

舌を入れるくらいまではまだ想定のうちだったが、その3秒後には想定外の未知の領域に突入。

試供品にこれはないだろう、と思ったが、奴も己の神経がどこまで耐えられるか試しているのか、それとも目をつぶれば男も女も同じだと思っているのか、もがいてもだめ、胸を叩いても逆に深く抱き込まれてしまい、抵抗すらできない。

そのうち抵抗なんて考えられなくなっていく。

 

奴の顔が離れたときにはなぜか二人してベッドの上に乗り上げていた。

シーツを握り締めてハアハア呼吸を繰り返しても、なかなか動悸が治まらない。

キリコは

「男でも思ったより抵抗感がないもんだな」

と言いながら俺の体に体をこすり付ける。

腿にあたる、この妙に熱いものは。

 

顔色の代わった俺ににやりと不気味な笑いを見せたキリコは

「インパクト、あっただろう。今のをもう一度お見舞いすれば、昼間のことなんか本当に忘れちまうかな」

と嘯くとまた覆いかぶさってきた。

 

その後の記憶がないのはもしかして失神、いや、急な眠気に襲われたせいだろう。

 

朝、気が付くと俺は毛布に包まって眠っていた。

奴はいつの間にか帰ったらしい。

大慌てで起きて着衣を確かめるが、乱れはない。

だがシャワーを浴びると、覚えのない鬱血痕がなぜか両肘の内側にあった。

こんなところシャツを脱がないとつけられないはずなのに…謎だ。

 

あいつ、今度男と付き合うって言っていたっけ。

どんな奴なんだろうな、そいつ。

そのまま別れてしまったので聞きそびれてしまい、しばらくは気が付くとそんなことばかり考えていた。

ちょっと悔しいが、確かに昼間のことなんか吹っ飛んだ出来事だった。