逃避行の夜

 

 

今回はまだましだったな、と言いつつ少々ふらついている男を支え、ドアをくぐる。

かくいうおれ自身も三半規管が狂ってしまった。

なんてタクシーだ。

玄関を入ると、風呂、トイレにキッチンと大き目の居間、それに寝室がひとつあるだけの簡素な別荘だった。

だが電気と水道は通っているようだし、キッチンの棚にレトルトや缶詰が入っている。

最低限のライフラインは整っているから、しばらくの篭城はできるだろう。

 

そんなことを調べていると、奴のお説教が始まった。

「お前、本当に気をつけろ。そんな仕事の仕方をしていたら命がいくつあっても足りないぞ」

と言われ

「先生にだけは言われたくないね。危ないうわさならお前のほうが多すぎるくらいだ。どうせ俺はいつどこでくたばっても構わない。扶養家族がいるわけじゃなし。」

と言うとむっとした顔をする。

お前には扶養家族がいるんだから、俺にそんなこと、言う権利なんてこれっぽっちもない。

「人間、いつか死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いだけだ。最後に少しくらい痛い思いをしたって、そんなの自業自得だ。俺はそれだけのことをしてきたし、手足を生きながら切られるような地獄を味わう人間なんざ、この世界には嫌っていうほどいるよ。悲しいことに」

そう、そんな人間、たくさんいた。

今もこの地球上で多くの人間が生き地獄を味わっている。

俺がどんな拷問を受けて死んだとしても、一番むごたらしい死に方ではないはずなのだ。

 

腹に不意打ちをくらい、一瞬前かがみになった所に蹴りが来た。

必死に防御して立て直そうとするも、2波、3波が来て、よけるのが精一杯だ。

なるべく腕でガードしながら隙をうかがう。

組み合えば、多分こっちのもの。

だがどうしても間合いを詰められずににらみ合う。

 

わざと滑ったふりをして体制を崩すと奴が蹴りを放ってきた。

片手で払いざま、もう一方の足を攻撃し、そのまま組み付く。

二人分の体重で床が鳴る。

受け身をとりそこなった男の手首をぎゅうぎゅう掴んで動きを封じる。

両方を頭の横に縫い付けた瞬間、右腕に噛み付かれた。

わめき声を上げながら左手で奴の頭を床に叩きつける。

2度、3度。

そのまま食いちぎるつもりか、このけだもの。

ののしりつつ相手のこめかみを圧迫し、力が抜けたところで口をこじ開ける。

腕が自由になると思い切り頬を張り、今度こそ力の限り組み伏せる。

 

「何だお前は。気に入らなかったら暴力か。俺は紳士だが、無抵抗主義者じゃない。それなりのことは覚悟しているんだろうな」

とどすを効かせるが、男はまったくひるまない。

「最後に少しくらい痛い思いをするだって? 簡単に死なせると思うなよ。ここは戦場じゃないんだ。お前が手足をもがれて芋虫みたいになっていたって、俺がまた探し出してオペをするぞ。体に穴が開いていたって、ばらばらになっていたって、脳さえ無事なら死体でも何でも使って生き返らせてやる。

お前がどんなに死にたいと言ったって、俺は聞く耳持たないからな。ばらばらになってそれを縫い合わせた後の体は、自分の意思じゃ全然動かない。それを無理やりリハビリさせて、どんなに苦しんでも動けるようになるまで許さないぞ。

本当に本当に苦しいんだからな。もがれるのも痛いけれど、生き続けるのはもっと痛い。

つらくて生きたくなくなる奴だっているだろうさ。だがお前にはそんなこと、許さない」

 

カツラが半分取れ、化粧がはげかけた、目をぎらぎらさせた男。

山姥のような外見以上に言っていることはもっと恐ろしい。

狂気の塊。

 

「それでどうするんだ。俺がそれを喜ぶとでも? お前を恨み続けるんじゃないか?」

と返すも

「そんなのわからない。生きていて良かったか悪かったかなんて。でも俺は嫌なんだ。俺の大事な人がいなくなるのは嫌だ。だから医者になったのに、じゃあ俺の腕は何のためにあるんだ」

と叫び返される。

 

それは堂々巡りだ。

俺には答えられない。

本当に俺の腕は何のためにあったんだ。

 

あの時の無力感が押し寄せ、動けなくなる。

 

 

「ごめん。言いすぎた」

下から声がした。

「手、離してくれ。もう暴れないから」

と言われ、羽交い絞めを解き、上から退く。

そのまま手近のソファの脚にもたれかかって、頭を抱えた俺の横に男が座った。

汗が冷えてこわばる体の中、片方の腕だけじんわりと温かい。

 

しばらくして、男がぽつんと話し出した。

「俺は昔爆発でばらばらになった。それを縫い合わせてもらって助かったんだ。ピノコは今はあんな格好をしているが、元は奇形嚢腫だ。嚢腫の中にばらばらの体一式が入っていたのを俺が組み立てた。」

 

ぶるっと震える肩。

初めて聞く、こいつの修羅の道。

俺が地獄をさまよっている間、こいつは修羅の道を突き進んできた。

さっきのリハビリの話はこいつの体験でもあり、あの女の子に課したものでもあるのだ。

他人が聞けば狂気の行いを、多分何度も行っている男。

 

「同じ事故で母は芋虫のような姿でしばらく生きた後、死んだ。俺は医者になって天才なんて言われるようにもなったけど、神様にはなれない。人は死ぬときには死んでしまう。だから生きられる人間には生きていてほしい。ばらばらのお前なんて見たくないんだ」

 

横を見る。

カツラが取れ、化粧がはげかけた、まるで山姥のような格好の男は、ここでなくどこか宙の1点を見ていた。

そっと肩に手を回すと、頭が俺に寄りかかる。

温かい、重さ。

生きている間だけ感じられるもの。

俺のような者の命もこいつは温みと感じるのだろうか。

 

奴が身じろいだので横を見ると顔を伏せながら

「化粧を落としてくる」

と立ち上がろうとする。

その途端温かかった肩が寒くなり、たまらず再度抱きこんだ。

「おい」

と何か言おうとする口をふさぐ。

今は誰かといたかった。

それがこいつなら文句なしの気分だった。

「俺、こんな格好でカツラも取れて頭はピンだらけだし、顔も化粧がぐちゃぐちゃで気持ち悪いし」

と言う男のスカートの中に手を差し込み、太ももをなでながら

「別にそういうプレイだとでも思えばよかろう? それともお前はこういうのはしたことないのか」

とわざと意地悪を言うと、2、3度口をパクパクさせた後視線をそらせた。

 

したことがないことくらい、わかっている。

それどころか、普通のセックスだってしていたかどうか。

俺からして、特別こういう格好に興奮する趣味は持っていない。

化粧したてのさっきのこいつ相手ならあるいは・・・いや、やはり美人だとは思ったが興奮はしない。

そんな奴より、今自分の乱れた格好を恥じて目を合わせようとしないこいつにぞくぞくする。

こいつは女装より、自分のだらしない姿を気にするらしいのだから。

 

わざと顔をまじまじと見て

「お前、まつげ長いな。それにすごく濃い。これ、上げただけだろう。普段見慣れた目なのに、ちょっとしたことでずいぶん変わるんだな。」

と言うとぎゅっと目をつぶる。

「目を開けろよ」

と言ってもかぶりを振るので顔の傷跡をたどりつつ

「お前の顔がこんなに良く見えること、めったにないな。あいつ、生え際まできっちり傷跡を描いている。いつも不機嫌な顔してないで、さっきみたいに顔をあげて笑って見せるといいぞ。こう見ると整ったいい顔立ちしているのに、わざと髪で隠すような真似をして」

とささやく。

と、それまで逃げようとしていた体が止まり、ぱちりと目を開くと

「同じことをお前さんに言うね。さっきのいんこの言い草じゃないが、そんなうっとうしい髪型じゃなく、そうやって総髪にするとすっきりしていいぞ。眼帯じゃなくサングラスにすれば、傷だってそんなに気づかれないし。ついでだから、それも取れ」

とサングラスをむしりとった。

 

男は俺の傷を見てちょっとはっとしたようだった。

あまり見場の良いものではなかったから。

衛生状態が悪かったため化膿して、かなりひどいケロイド状態になっているのだ。

眼帯で隠せるからと形成手術は受けなかったし。

 

左眼をそっとなでられ

「お前も傷を残したままなんだな」

とぽつんと言われた。

そのまま目をつぶるので、誘われるまま口付けた。

わざと意地の悪いことをするのは馬鹿らしくなっていた。

 

「やっぱり顔を洗いたいのか」

と聞くと

「なるべくなら」

と言うので、体をどかす。

俺はそのまま見送っていたが、寝室が衣装だらけだったのを思い出し、布団を居間に運び込む。

ソファの前が空いていたので二つ並べて敷き、シーツをかぶせる。

枕を放って余ったシーツを二つ折りのまま片方の布団の真ん中に。

男同士は汚れるからな。

 

さっきの紙袋を開くと、牛乳と卵と野菜が少々、それに替えの下着が2組ずつ入っていた。

しばらく篭城の可能性ありと言うことか。

「洗面台の下も使用可」

というメモ。

なんだろう。

 

男の向かった風呂場に行く。

洗面台に向かって化粧を落とす男はコールドクリームの使い方を知っているようだ。

今までにも変装したことがあったのか。

後ろをすり抜け、風呂に湯を張る。

「すぐに湯が溜まりそうだから、そのまま入りな。きれいにしておいで」

と後ろを通り様、尻をなでる。

飛び上がってどいた洗面台の下の扉を開け、中を確認。

 

コンドームやローション、大人のおもちゃの類が入っていた。

「何だこれ」

とおもちゃの一つを手に取った男がスイッチに動くそれを見て驚いて放り出した。

手を振りながら

「いんこの奴、何考えてやがるんだ」

とつぶやく。

何の病気がついているかわからないし、いんこのを使うなんて絶対嫌だという男の主張を受け入れ、コンドームと封のついたままのローションだけ持っていく。

俺も誰が使ったかわからないものは使いたくないし。

しかし何で各種サイズ取り揃えてあるのだろう。

この隠れ家、何に使っているんだ?

 

俺も次に入ろう、と思いつつ、ソファに寝転んだ後の記憶がない。

気がつくと、キスの真っ最中だった。

口の中に舌が入り、俺の眠りを覚まそうとしている。

でもどうやら覚めたのは意識だけのようで、舌一つ動かすことができない。

ああ、キスだ、とぼんやり感じるだけだ。

しばらくするとキスが解かれ

「お前、ずるいぞ」

と声がする。

俺の胸をなでる手。

「まあ、俺が悪いんだけど。けど、俺」

腹の辺りに頭の重み。

戯れに乳首をいじられ、体がびくりと動く。

少しずつ体も起き始めているらしい。

上着をはだけられ、乳首にぬめった感触。

「ん」

と鼻声を漏らしつつ、俺の体にいたずらする男。

 

急速に覚醒した。

相手をホールドし

「寝込みを襲うとは、紳士じゃないな」

と目を開けると一瞬暴れた体がおずおずと寄りそってきた。

「俺のことを抱きたいのか」

と聞くと

「そうじゃなくて」

と絶句している。

「じゃあ何がしたい?」

と聞くとしばらく言葉を捜していたようだが

「わかっているんだろう。」

と抱きついてきた。

「なんだろうな」

ととぼけると

「もういい、俺は寝る」

と離れようとしたが、もちろん放すはずがない。

接近戦なら、力の強い俺のほうが圧倒的に有利なのだから。

怒ってもがく体をがっしり掴んで、はねる様を楽しむ。

目を三角にして手を突っ張って、でもそれは本気ではない。

本格的に捕まりたいんだろう?

お望みどおりにしてやるから。

 

「眠ってしまって悪かったな。きれいにしてきたか」

と言うともがくのをやめ

「きれいかどうかは知らないが、清潔にはしてきたぞ」

といつもの仏頂面。

「俺も風呂に入ったほうがいいか」

と問うと

「いい。俺も寝ちまったら困るし。それにお前の両目を見るチャンスだ」

と笑われた。

そういえば眼帯もしてないし、髪も縛ったままだった。

「こんな顔を見たいなんて、お前も物好きだね」

と言うと

「お前の方こそ」

と返すので

「じゃあ物好きの俺はお前の体をあらためさせてもらおうかね。ふふ。さっきの格好でも良かったのに。だがそのガウンでもいい。思い切り扇情的に脱いでみな」

と言いつつ男の体を放し、ソファに座りなおす。

男はしばらく困ったようにしていたが、急に思い切ったように顔を上げると

「そんなことできるか」

と叫んでガウンを脱ぎ捨てた。

残ったのはパンツだけ。

だが、それは。

 

セミビキニの形はそんなにきわどくない。

だが赤地に大漁旗のような波しぶきが上がり「天晴!」と大書してある。

 

ぶぶーっ。

 

つい吹き出してしまった。

こいつは何でこうタイミングよく俺の笑いのポイントをつつくんだ。

仁王立ちの男は自分の股間を見て

「しまった」

と言う顔をした。

「これは俺の趣味じゃないぞ。この間ピノコにパンツが古くなったし新しいのに替えようかと言ったら、あの子が出してきたんだ。みんなあの子が買いためていたものなんだからな」

と問われもしないのに叫ぶようにしゃべる。

口元を抑えながら見ていると、頬の赤みがどんどん増す。

だめだ、完敗だ。

多分あっちもそう思っているだろうが、俺も白旗。

この男はなんて。

なんて。

 

ちょいちょいと指で来いと誘い

「天晴って俺に言っているのかい。それとも自分のを指しているのか?」

とパンツに指をかけて引っ張る。

何だ、まだまだだな。

頭上でなにやらわめいているが気にせず膝まで下ろし、先端をぺろりとやると、うるさい声がぴたりとやんだ。

うつむいて何かをこらえている表情を見ながら舌先でもてあそんでいると、頭に手がかかり、催促される。

なぶるには毒気が抜けてしまったので、そのまま要求に応えてやる。

 

俺が人のコックを喜んでしゃぶる日が来るなんて。

そう思うが、今俺はこいつを喜ばせたい。

すすり泣くような息遣い、熱い体が俺の舌に過剰に反応する。

強い、強すぎる男がさらけ出すこんな姿。

今だけはこいつは俺だけのものだ。

 

しがみつく力が強くなってきた。

「立っていられない?」

と聞くと盛んにうなずくので、いったん放して布団に横たえてやる。

こんなときだけしか素直になれない男を際限なく構いたい。

どうせ朝になれば普段の顔に戻るのだから。

 

とはいっても疲れていたらしく、1回飲んでやったところで相手に沈没されてしまった。

ちょっとじらせすぎたかな。

頬をつついても、引っ張っても起きない。

仕返しにぶっかけてやろうかと思ったが、大人気ないので代わりに布団をかけてやる。

「お前だってずるいぞ」

と言いつつ、俺自身も枕に頭がついたところで目の前が暗転してしまった。

 

 

果てしなく下品な話になってしまってすみません。

感想などいただけると、とても嬉しいです。