逃避行の翌日
翌日起きた奴は、布団から抜け出そうとして真っ裸なのに気づき、あわててもう一度布団の中に入りなおしていた。
「どうしたんだ?」
と聞くと
「俺のパンツ、知らないか」
とぼそり。
「今洗濯中だ」
と言うと
「乾くまでどれだけかかるんだ」
と文句をいうので、昨日の荷物にパンツがあったと話す。
このパンツが難関なんだが。
ここまで布部分の少ないTバック、俺も初めてで、台所にあったエプロンをきっちり着込んでいるくらいだ。
少し伸縮性のある布とゴムひもでできていて、別にシースルーとか象さんという訳ではないのだが、尻の中央にゴムが食い込む感じが落ち着かない気分にさせる。
しかも色は黒と赤。
あのいんこって奴、どこまで遊んでいるんだか。
立体裁断だから窮屈ではなく、慣れれば好みになるのかもしれないが。
朝食の準備を進めていると後ろから
「そのエプロンよこせ」
とリボンを解かれ、もみ合いになる。
「お前は卵を半熟にできるのか」
という一言が不毛な戦いを終わらせてくれ、男は不承不承シーツを身にまとっていた。
とりあえず食事が終わると他の服を見繕うことにする。
何しろこの家の寝室はほぼ衣裳部屋状態で、布団を敷くスペースもないくらいなのだから。
衣装はいろいろな種類があり、ほとんどは俺には小さいが、時には俺でも大きいくらいのサイズもある。
何でこんなにあるのだろう。
普通、現代の探偵に変装など必要なものだろうか。
本当にあのいんこって奴はただの探偵なのだろうか。
「これ、お前着てみろよ。絶対似合うから」
と半ば無理やり赤い地の着物を着せられた。
俺でも長目なのだから、普通の女が着たらかなりのお引きずりだ。
こんな衣装何に使うんだ。
「フフフ、似合う似合う」
とニヤニヤ喜ぶ男に、ではお前はこれを着ろ、と袴の和装をさせてみる。
今まで袴の穿き方なんて知らなかったが、こいつはくるくるとうまく着る。
着物を着て帯をつけ、袴の前を帯の上下にきっちり紐を巻きつけるようにして結び、後ろのへらをしっかり押し込むようにして固定し、紐を前紐にくぐらせてからきれいに固定する。
「うまいものだな」
と感嘆すると
「まあな」
とはにかむ。
ほんの一瞬で単なる仏頂面に戻るのがとても惜しい。
「しかし俺の着物はともかく、袴はトイレが大変そうだな」
と言うと
「だからこうして片足の袴を上げて、そこから小用をしたりしていたらしいぞ」
と右の袴をまくって見せるので
「こうやって?」
と後ろから腰を抱き、半分ほどまくっていた右足の袴を上まで上げ、前をまさぐる。
後ずさろうとすると俺の股間を刺激することになり、進退窮まった男の首筋から汗のにおいがする。
少しずつ前のめりになっていく体。
「昨日は自分だけ楽しんでそのまま寝ちまったろう? 今日は俺にも楽しませてもらいたいものだな」
と言うと
「こんな格好で」
と弱々しくつぶやいた。
鏡の中、黒っぽい着物から脚だけが白く浮かび上がる。
ああ、いい顔、してやがる。
「前を見な。鏡にお前のかわいい顔が映っている」
と言っても
「変態め」
と言うだけで目をつぶったまま。
だが
「昨日みたいなのがいい?」
とささやくとぱちりと目が開いた。
鏡越しに目が合う。
火照っていたほおの赤みがさらに増した気がした。
腰に置いていた手を懐から入れ、胸をなぶると目をすがめ、でも俺から目を離さない。
「感じる?」
と聞くと
「お前、蛇女だな。その格好、似合うけど、食われる」
と言いながらゆっくり目をつぶった。
「俺じゃなくて、お前だよ」
と言いながら返事を待ったが、後は貝のように口をつぐむ。
しばらく無言の攻防が続いたが、とうとう我慢できなくなった男が目を開け
「自分の姿なんて毎日見飽きているからいいじゃないか。俺はお前を見たいんだよ。鏡越しじゃなくてこっち向け」
と怒り出した。
「俺が無様なことなんて知っているんだから、わざわざ見せるな。ああ、こんなことされてもうっとりしちまうくらい、俺は変態なんだよ。お前こそその格好目に焼き付けたからな。これから何回だっておかずにしてやるぞ、この蛇女。」
とまくし立てる。
「そのおかずは蛇女を犯すのか、それともお前が犯されるのかい」
と聞くと
「・・・機密だ」
とそっぽを向いた。
この格好のまま犯してやろうかとも思ったが
「こんなもの、汚したら洗えない」
という現実的な話になり、断念する。
なんとも無粋きわまる話だ。
けれど『無理してます』と顔に大書しつつ
「これを脱いだら続きをしてもいい」
と言う姿に免じる。
居間のソファに戻り、今度こそ着物を脱ぐ様をじろじろ見る。
奴は怒った目を向けたが
「色っぽいな」
と言うと
「どこが」
と乱暴に吐き捨てつつ、そっと目をそらせるのだ。
ランニングとパンツになったところで待ったをかけ、不審気な男を指で呼ぶ。
昨日の二の舞になるのではとかなり及び腰の男の腰を取り、自分の上に座らせる。
驚いて暴れようとしてもがっちり捕まえ、でもまだそれ以上はしない。
男が暴れるのをやめ、おずおずと体を預けてくるまで。
「何で昨日は俺を助けた?」
と聞いてみる。
最初は
「通りががりにぼこぼこにされそうな知り合いがいたから、ちょっとからかおうと思っただけだ」
などと減らず口を叩いていたが、しばらく抱きしめていると
「いんこがお前を見かけて俺に連絡したんだ。あいつ、あそこらへんがシマだから。どうやってか俺のオペの場所まで電話をかけてきた。オペが終わってすぐ伝言を聞いて、飛び出した。何でなんて聞くなよ、俺だってわからないんだから」
と重い口を開いた。
何でだろう。
俺が最初に手をつけたからだろうか。
すごく接触に過敏な男だった。
飲んでいてほんの少し肩が触れるだけで体が硬くなるのがわかった。
なのにこうして抱いていると、この男は接触に飢えているのがわかる。
なら俺がその飢えを満たしてやるから。
いつも邪魔される分、こういう時くらい意地悪してやりたいと思ったりもするのだが、結局大事に抱くことになる。
俺も年かね。
ランニングの脇から片手を入れ、筋肉をなぞってやると、大きく震える。
少し慣れたところで胸をもむと
「女じゃないぞ」
と怒る。
「こんな女がいるもんか。俺は片目だが、そこまで眼は悪くない。ちゃんと委ねな。大丈夫、感覚がわかってくるから。ほら、問診だ。こうされるのと、こうと、どっちがいい?」とさまざまに乳首をなぶる。
問診と聞くと目をつぶり、一心に感覚を追おうとする男。
「男だって、どこでも感じられるんだよ。そういうのは弱みじゃないんだ。セックスで普段溜まっている澱を出しちまえ。お前は俺の弱みをたくさん知っているんだ、怖くないだろ?」
ささやきつつ内股に爪を立ててゆっくり引きずると、堰を切ったように反応し始めた。
多分この男は暗示にかかりやすいのではないかと思う。
不思議な気もするが、つらかった時代に一心に自己暗示して何かを乗り切らなければならなかったのかもしれない。
もしかして、俺への気持ちも何かの思い込みがそうさせているのかもしれないと思う。
それにつけこむのでもいい。
パンツの紐ゴムをずらしただけで直には触らず、後ろをほぐしにかかると口汚く文句を言われたが、時間をかけないとほぐれないのだから仕方ない。
前なんて触っていたら、また自分だけ昇天しちまうだろう?
触りもしないのに黒い布地が少しずつ湿った色に変わっていき、文句が哀願調に変化していく。
ローションをたっぷり使ってそれなりに時間をかけたのに、しばらく使わなかったせいか、少々しつこくしてしまったせいか、前回よりダメージがひどいようだった。
最中は気持ちよさそうだったが、しばらくして腫れてきてしまい、薬を塗ったが今日明日は触れるだけでも痛いだろう。
洗面所にあるような器具を使ってきちんと拡張してやったほうがお互い楽かね。
そうも思うが、そんなことをしたらこいつは俺のものだと錯覚してしまいそうで怖い。
どろどろに溶かしてしまいたいと思う。
俺がいなければ昼も夜もなくしてやりたいと思う刹那がある。
けれどそんなことになったら、俺自身が一番後悔するだろう。
あいつをどろどろに溶かしたら、きっと俺も溶けてしまう。
芯がなくなったら、俺たちはきっと二人とも弱い。
俺たちは二人とも何かが欠けているから、二つの人間に戻れなくなる。
金の卵を産む鶏の腹を割いても金塊は出てこない。
節度を持てば、少しはいい関係でいられるのだから。
そのときの俺は、まだ自分の変化に気づいていなかった。
いつ死んでもいい、誰にどう思われてもいい、明日があってもなくてもいい。
そう思い続けていた俺の中に未来を期待する気持ちが出てきていたことに。
結局後は食事を作り、退屈するとまたお互いを着飾らせては笑い、何となくだらだらとくっついて過ごした。
2日後いんこからタクシーの迎えが来ると連絡があった。
逃避行はこれでおしまいです。
お読みくださり、ありがとうございました。
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