手紙
「こちらをキリコ先生から言付かりました」
と「護衛」と称する監視役に渡されたのは、封筒に入った手紙と赤い花一輪。
どうせ中を調べられるとわかっていたのか、封筒には封もされていない。
中を見ると
「燃えるような愛を込めて」
の一言と、サイン。
ふざけた野郎だ。
ここはある国の王宮。
依頼は鎖国状態の小さな国の、国王のオペだった。
とにかく秘密裏に、と言われ、ピノコにすら居場所を教えていない仕事。
電話は一度だけ掛けられたが、勿論居場所を言わないよう、監視人立会いの元だった。
護衛と称する人間は部屋にまで居座ろうとしたが
「外科医の繊細な指は、ストレスが影響するんだ!」
と粘ってどうにか寝室のプライバシーだけは確保した。
とはいえ寝室から部屋の外に出るには次の間を通るしかなく、護衛はそこに陣取っている。
彼の前を通らなければトイレにも風呂にも入れないのだから、窮屈な思いには変わらない。
明後日がオペという日、キリコに出会った。
まさか依頼が重なったのかと思ったが、まったく別口の依頼だとのこと。
それでも奴にも安楽死の依頼があるのなら何とか阻止してやりたくなったが、双方の監視に引き離された。
どうやら奴はここでの顔らしく、俺はとんでもない無礼者扱いだ。
それから何とかして奴と話をしようと思ったのだが、監視がどうしても許してくれない。
単なる話し合いだと言ってもだめ。
食事も時間や場所を変えられているらしい。
そんな時に来た、気障で不可解な手紙だった。
ばかばかしい。
と思ったが、ふとテーブルに飾られたフルーツの盛り合わせが目に留まった。
燃えるような、か。
もし奴も俺と同じような待遇を受けているとすれば。
監視を退け、タバコを銜え、ライターを出す。
タバコに火をつけがてら、ついでのようにそっと手紙をあぶってみる。
まさか本当にあぶり出しだなんて思ってはいなかったのだが。
「オペの後、飲み食いするな。南門で待つ」
の文字が浮き出る。
あぶり出しではこれが精一杯だったのだろうが、これでは何もわからない。
だが、単なる遊び心でこんなことをする男じゃない、ということは知っている。
手紙は証拠隠滅のため、そのまま燃やした。
もし見られていたとしても、変な手紙に怒って燃やしたとしか思わないだろう。
灰皿の上で燃え尽きるのをもったいない、とちらり思って
「ばかばかしい」
と声に出して打ち消す。
オペはそれなりの難易度ではあったが、不可能というほどでもなかった。
それでもくたくたに疲れてどうにも眠いから、こちらが出るまで起こさないで欲しい。
そう言ってドアを閉め、ため息をつく。
のどが渇いたが、水差しの水をコップに注いだ時にあの手紙を思い出し、戯れに窓の近くにある小魚の水槽にコップの水を注いでみる。
それは劇的な変化だった。
気味が悪いくらいに。
ほとんど暴れもせずに腹を上にした魚を見て、腹を決めた。
ベッドメイクを乱した後、布団の中に枕とソファを入れて人型のふくらみを作り、マントを羽織る。
この寝室側のベランダは木が生い茂っているので余り眺望が良くない。
つまりは木伝いに降りられる、と言うわけだ。
細心の注意を払って南門に急ぐ。
門の衛兵をどうしようかと思ったが、行ってみると衛兵はいない。
いや、詰所を覗き込むと、床に伸びている。
かばんを忘れたのを悔やみながら中に入ろうとしていると、後ろから肩をつかまれ、硬直。
「俺がやった。眠っているだけだ」
というキリコの声に一瞬肩の力が抜け、その内容に又こわばる。
「訳は後だ。殺されたくなければ来い」
とささやく姿に尋常でないものを感じ、思わず続く。
走り出した時、背後がざわめいた。
構わず走る。
茂みに飛び込んだキリコが少し先で
「こっちだ」
と手を振った。
またがっているのはおんぼろバイク。
嘘だろ。
後ろに飛び乗った時、カバンを忘れた、と気づいたが、両手を使わなければ木を降りられなかったのだ、仕方ない。
バイクは追っ手をまくのに役立ったが、乗っていればいずれガソリンが底をつく。
そのぎりぎりのところである家に着いた。
奴はそこでバイクの代わりに食料と水と、道案内を調達した。
その家の主と知り合いらしい。
それからは山道をひたすら歩きだ。
バイクに乗っているうちは話すどころではなかった。
だがもう説明なしには我慢できない。
「そろそろ教えろ。何で俺が逃げないといけないんだ。報酬をもらい損ねたじゃないか」
と言うと男は
「命あっての物種だろ」
と鼻で笑ってから話し始めた。
この国の信仰を知っているか。
多分過酷な土地がそんな信仰を生み出したのだろうが、生とは前世の罪業を償う苦役だというのだ。
死ぬ瞬間が安らかなものだけが次の生を受けることなく永遠に眠っていられる。
怪我や病気は罪業を償う為の行為なのだから、と熱心な信者は治療すら拒否する。
オペなんて、論外なんだ。
「だがあの国王にはオペの跡があった」
と言うと
「ああ。だが今まで国王の診察をした医者は、ことごとく行方不明になっている。信仰を司るはずの国王がオペなんかするわけがないからな」
と返し、俺の顔色が変わったのに気づいたのか
「やったのは俺じゃないぜ。俺に監視がついているのは、ほかの医者から切り離すためなんだろう」
と一瞬老け込んだ顔になった。
もしかして、誰かを逃がそうとしたことがほかにもあったのだろうか。
「俺は別口でたまに招かれていた。つまり、いわゆる上流階級の人が倒れた時、その最期が安らかになるようにってさ。今まではちょくちょく声をかけられていたけれど、そろそろ連中も俺を知りすぎたと思い始めて不思議じゃないから、お前に会ったのは渡りに船さ。案内のこの男は、前に恩を売ってあるから大丈夫」
とかすかに笑い、
「俺達はとにかく国境を抜けなければならない。鎖国状態のこの国の人間は他の地を忌み嫌い、めったなことでは外に出ないから」
と結んだ。
正直、いつどういう恩の売り方をしたのか気になるところだが、道が険しくなってきて無駄口をたたけなくなってきた。
国境越えは大変だった。
当たり前だが、きちんとした道のあるところには検問がある。
検問のない場所は恐ろしく切り立った道なき道を行くしかない。
最後の難関は高圧電流の走る鉄条網だが、案内の男はその下に、ちょっと見ではわからない裂け目のある場所を知っていた。
ここは地元の人間のごく一部と密輸業者だけが知るルートなのだそうだ。
国境を越えたところで案内が帰ったので、そこからの道はさらに大変だった。
それでも命の危険から遠ざかった形の野宿は、昨日の緊迫したものとは違う。
火も熾せるし、食料と水はまだどちらも残っている。
獣よけに絶やさずにいる小さな火を見つめながら、ずっと気になっていたあの手紙のことを聞いてみた。
あんな文面、どう考えても怪しいじゃないか。
なに考えているんだ、と。
そうしたら奴め、あっけらかんと
「あの国では一番怪しまれないからな」
と言うのだ。
奴曰く。
あの国は愛には寛容なんだ。
愛と言うより、情と言うべきか。
他人と情を交わすのは、生きる苦行の中で許された数少ない娯楽の1つとみなされている。
結婚したら相手を最優先するが、祭りの時なんかの一夜限りの営みに目くじら立てる奴はいないし、それが同性でもまったく構わない。
独身なら、なおさらだ。
どうせ監視にチェックされることはわかっていたけれど、手紙での告白はこの国の皆が日常的にすることだから、逆にほとんどノーチェックなんだよ。
だと。
「なんだ、ときめいたか? 俺からの熱烈なラブレターだもんな」
とにやにや笑う男に
「あんなの、その場で燃やしたに決まってるだろう。あぶり出しがばれたらまずいし。大体俺が気づかなかったらどうするつもりだったんだ」
と反論するが
「あぶり出しに気づかないでくれたら、窓から侵入して掻っ攫ってやろうと思っていたさ。本気にしてくれた証だろう?」
と笑うのをやめない。
もうこっちは下を向いてうなるしかない。
「なあ、どうなんだ。ちょっとでもときめいたか」
なぜだか火の向こうにいたはずの男の体が俺の隣に移ってきて、その腕が俺の肩をそっと抱いていた。
男の体臭がかすかにする。
「そんなの聞いて、どうするんだ」
と何とか搾り出すと
「これからすることに影響するかもしれないからさ。いい加減、観念しろよ。俺も観念したからあんな手紙を送ったんだぜ」
と肩に回る腕の力が強くなった。
屋外がロマンチックだなんて、まったくの大嘘だ。
下は土ででこぼこして硬いし、逃亡中の俺達は汚れ放題の格好で汗まみれなのに風呂にも入ってないし、遠くの藪なんかでたまに遠吠えとか獣の悲鳴なんかが聞こえるし。
けれどもそんな風に命の危険を感じていたからこそ、今しかない、と覚悟を決めたのかもしれないとは思う。
それに次第にそんな細かいことに気が回らなくなってしまったのは確かだ。
目の前の現実についていくだけで精一杯だったので気がついたら火が消えそうになっていて、二人してあわてて枯れ枝を放ることになった。
朝になったら俺たちは常態に戻っていて、そこから3時間ほど歩いただけでふもとの村に着くことができた。
そこには件の案内人に教えてもらった抜け荷屋がいて、入出国のスタンプを偽造してくれ、俺たちは何とか体裁を繕って帰国することができた。
帰国して服をクリーニングに出そうとポケットのものを出していると、見慣れない紙が出てきた。
いつの間に入れられたのだろう、これは帰りに一緒に泊まったホテルの便箋。
書かれていたのは、一瞬で脳裏に焼きつけてしまった筆跡の、同じ文字。
念のためにあぶってみても、何の文字も出やしない。
少々黄ばんでしまった紙をどうしようか迷い、結局机の引き出しに放り込んだ。
リリコ様からの120062番ニアピンリク(どうもありがとうございます!)は『BJに手紙を書くキリコ』でした。
「キリコが便箋なりメモ用紙なりを探して、机や壁に向かって、ペンを走らせる、その仕種が見たいだけです」とありましたので、絶対にキリコの側からの話をお望みなのだろうとわかっていたのですが、さてキリコはBJにどんなシチュエーションで手紙を書くだろうと考えるとなかなかどうにも思いつかなくて。
以前メールですが「恋文」は書いてしまっているので、今度は必要に迫られて、というシチュエーションがいいなあと考え、しかもどうせなら思い切りクサい科白を書かせたいよな、たとえば「燃えるような愛を込めて」とかさ、などと思ってしまい、さらに泥沼に・・・。
すみませんリリコ様、キリコがどんな風に書くかという大事なシーンが丸ごと抜けていてすみませんが、とりあえずキリコは手紙を書いている、ということで何とか及第点をいただけないでしょうか。
この度はリクエストをしてくださり、ありがとうございました!