嫉妬

 

 

ヨーロッパはもう晩秋で、コートを羽織る人も多い。

こんな時期は俺にとっても居心地がいい。

こちらは民族が交差していることもあり、ちょっと位とっぴな格好をしていても日本のようにじろじろ眺められることはないが、俺だって情景に溶け込めている方が、目立つよりはいいと思っているのだ。

オペは成功だった。

患者は快方に向かいつつあり、笑顔も出てきた。

明日は発つから、土産でも買うか。

そんな気楽な道すがら、俺の先にあいつを見つけた。

 

最初、俺は患者がバッティングしたのだと思った。

快方に向かっている患者を相手にする気じゃないだろうな。

いつものように言葉の刀で立ち向かおうと最初の1歩を踏み出し、だがすぐ俺の脚は妙にゆっくりしたものになった。

他の男が奴に声をかけたからだ。

すらりとした敏捷そうな体を黒っぽい服でまとめた、若い男。

キリコは一瞬不審そうな顔をしたが、男の話にうなずくと一緒に歩き出した。

俺の近くを通り過ぎても気づきもしない。

だが何の気なしに連れの顔を見た俺は、そのままこっそり後をつけた。

男は俺も知った男、ジョナサンだったからだ。

 

あの男のことは知っている。

俺にそっくりの傷があった。

確か仲間に裏切られた男だ。

だが、落ち着きと自信を取り戻したらしい男はもともとの資質もあったのだろう、俺ですら見惚れるほどさりげない美しさを身にまとっていた。

もともと顔立ちの整った男だったが、生気のあるなしで人はこんなに変わるものだろうか。

 

二人は町を抜けていく。

何人もの女が二人をうっとり見つめるのに出会った。

時には男も。

奴は仕事の時は死神そのもので人を寄せない雰囲気を持っているが、時に驚くほど人目を引く。

たとえば、こんな風に穏やかな雰囲気の時。

ジョナサンは奴とどんな関係なのだろう。

俺にそっくりで、でも俺より若くて傷がなく、俺のように奴を傷つけはしないだろう男。

まさかと思うが、ジョナサンをあんな生き生きした男に変えたのは奴なのだろうか。

あの二人の接点はなんだろう。

 

そのうち二人は川沿いの遊歩道に入った。

日本よりずっと生い茂った木々の間に等間隔に並べられたベンチ。

ヨーロッパに日本のような鮮やかな紅葉はないが、それなりに赤く色づく葉もある。

それが薄茶色の枯れ葉の中のアクセントになっている様は、詩心のない俺が見ても美しい。

枯葉舞い散る中を歩く、男二人。

悔しいが、一幅の絵を見るような自然さがある。

ふとジョナサンがキリコの腕を引いて立ち止まった。

見詰め合う二人。

男が奴の肩に手を置き、寄り添うと、奴の顔が重なった。

 

あ、キスだ。

 

そんな単語が頭の中に一瞬ひらめく。

急に泥沼に突っ込んだように足が重くなり、驚いて下を向いたが何もなかった。

枯れ葉ってこんなに足に絡むものだったっけ。

それよりここは一本道だ。

まさか急にきびすを返すわけにもいかず、止まる事もかなわず、ただ足だけが機械的に前に進む。

 

「あれ、先生。お久しぶりです」

俺に声を掛けたのはジョナサンだった。

「ああ。元気なようだな」

と精一杯平静な声を心がけると

「お陰さまで。ではキリコ先生、さようなら」

とだけ言って、奴は去っていった。

後に残るは俺たち二人。

呆然と、ただお互いだけを見る。

風が通り抜けざま、並木から木の葉をもぎ取っていく。

 

普段俺は俺自身に満足している。

この性格も度胸の強さも、俺が長年かけて培ったものだ。

顔だって、この皮膚を誇りに思う。

これはタカシが残してくれた大事な形見だ。

 

けれどこういう時、俺に傷がなかったらな、とちょっとだけ思う。

そうしたらもうちょっとかわいい性格だったかもしれない。

こんな意地っ張りじゃなかったかもしれない。

この顔は俺のひねくれそのものだ。

 

「まさかまた安楽死の依頼じゃないだろうな」

と聞く。

もしかしたら、あいつはそういう斡旋屋なのかもしれない。

あのキスは、後を追う俺に気づいてからかうものだったとか。

けれど、奴は

「別件だよ。残念ながら、そっちはちょうど終わったところさ。他の町でね」

と小気味よさげに言う。

 

何を言っていいかわからず

「あの男、ジョナサンか」

と聞くと

「名前は知らない。お前の知り合いか」

と逆に聞かれた。

じゃあなんだってあんなに親しそうだったんだ、となじりたいのをこらえつつ

「以前オペをしたことがある」

とだけ言う。

もうあんな奴のことなんか、考えたくない。

それでも我慢できずに

「今のはなんだ」

と言っても

「知らないよ。こっちの人間はおおっぴらなだけじゃないか」

ととぼけるだけ。

「何を話していた」

と聞いても

「おや、嬉しいね、嫉妬かい?

と話をまぜかえそうとする。

 

ああ、これは聞いても無駄だ。

唐突に悟った。

これは、俺に教えるつもりがない領域なのだ。

本当に俺はこいつのことを何も知らないのだから。

元軍医で、今は安楽死医だということくらいしか。

 

本当はあいつとはどういう関係なのか、聞きたい。

俺に似ていると思わないかと聞いてみたい。

なあ、俺も傷がなくなれば、あいつくらいにはかっこいいと思わないか、とか。

無理だ、どんなに顔立ちが似ているにしても、俺とあいつはまったく違う。

復讐だけを考えていた、後ろ向きだった時のあいつは俺にそっくりだったけれど、今日のあいつは生きがいを持っているようだった。

自分のことに誇りを持った目。

多分、俺も仕事の時はそんな目でいられる。

けれど、こいつと二人のこんな時には。

きっと俺は今この世で一番醜い男だ。

 

急に頭をわしづかみされた。

そのままぐいと引かれ、奴のコートに顔を押し付けられる。

もがこうとしても、体勢故か力が出ない。

あきらめて力を抜くと

「嫉妬ってことにしときな、かわいいから」

と改めて抱きしめられた。

 

「明日オペじゃなければ、飲みに行かないか」

と誘われ、歩く。

俺だって、こいつのことばかり考えて生きているわけじゃない。

俺がいる時に俺を選んでくれるなら、それでいいのだ。

それ以上を望んでも仕方ない。

 

その日飲んだ酒はほろ苦かった。

奴は普段のように皮肉を言いはしなかったし、優しいとすら言えたのに。

俺の部屋に来たときも空恐ろしいほど優しかった。

まるで俺だけが特別だと言うように。

そうだ、とにかく今、俺はジョナサンよりは特別なんだから。

本当はあいつなんてただの使いっ走りで、ちょっとこいつにちょっかいかけようとしただけなのかもしれないし。

でも、きっとこいつには俺の知らないお気に入りが、俺以外にもいるんだろうな。

 

自分の想像にちょっと泣きたくなったので、もっと物を考えずに済むよう、事に没頭することにした。

 

 

 

110000を御踏みくださったわかば様のキリリクは「どこかのヨーロッパの街並みで、枯葉舞い散る黄昏時に、キリコが美しい少年と口付けを交わしているのを、偶然BJが見てしまった……」というものだったのですが、ちょっと脳内淫行条例に引っかかってしまったので、わかば様のご了解の下、相手の年齢を引き上げさせていただきました。

ジョナサンが美青年かとかBJとジョナサンが傷以外にそんなに似ているのかとか突っ込みどころはいろいろあるかと思いますが・・・そういえばこれは偶然ではなくストーカー行為の果てですね・・・

単にきれいなだけの男では先生が嫉妬してくれそうになかったので、「恋人が、自分が大した事ないと思っていた奴とキスしていた。しかもそいつ、いつの間にかすっごくきれいになってて・・・恋して変わったって言うのか!?」という要素を付け加えさせていただきました。

自分では思いつかないBJの姿を書くことになり、苦しくもすごく楽しかったです。

わかば様、どうもありがとうございました。