怖い上機嫌

 

 

「なあ、今日うちにこないか」

とかかってきた奴の声は、何かしら普段と違っていた。

なんと言うか、いつものぶっきらぼうな、取り付く島もないような声と違い、妙な甘さがあったのだ。

頭の中に警告音が鳴り響く。

俺、何かまずいことをしていたっけ。

 

昨日の患者は自宅に寝たきりでオペの予定はなかったはずだし、その前の患者も似たり寄ったりだったはず。

次の予定は、実はまだ入っていない。

立て込む時には矢継ぎ早でも、何も入らない時にはまったく暇というのが俺の職業なのだ。

ま、俺が激務にあえぐようになったら、日本もおしまいだが。

 

ともかく奴とバッティングするような事例はしばらくなかったはずだ。

これは妙だ。

俺が奴にオペをけしかけることはあっても、やつが俺の力を借りたいなどということがあるはずはない(それこそ世も末だ)。

なのに俺は奴の声に、わずかだが人を懐柔しようとする時の猫なで声を感じたのだ。

 

「それとも、忙しいのか?」

と問う声はいつもの高圧的な声だったので、気のせいかと首をひねりながらも

「暇だがね」

と返す。

「じゃあ、いいだろう」

という声に、やはり何かを感じながらもつい

「色っぽいパンツ、穿いとけよ」

などとからかってしまい

「つべこべ言わずに早く来い!」

と切られてしまった。

 

おおこわ。

でもやっぱり普段通りの奴だ。

きいんと残響の残る耳を押さえて苦笑する。

 

そう、俺たちはわりない仲だ。

いまだに仕事上ではいがみ合いが絶えないが、口論しながら食事をし、酒を飲み、そのまま同じ部屋にチェックインしてベッドの中でまで自己主張しあうなんて仲に、なって久しい。

だが、恋人というわけでは決してないので、こんな風に奴の声に甘ったるいものを感じたことはなかった。

恋人だったら当たり前の声音なのかもしれないが、それこそまさかだ。

なぜか女装した奴を想像してしまい、うへえと思う。

 

とは言っても、ついいそいそと車に乗ってしまう俺は、下半身に行動を左右される男というカテゴリに属している。

奴も男なのだから、もしかしたら珍しく野生の血が沸き立っているだけなのかもしれないし。

ありえなさそうなことをこじつけつつ、車を転がす。

 

奴の家に近づき、その前に車を止める。

エンジンを切ってふとテラスに目をやり、ぎょっとした。

あいつがパイプを片手に笑顔で手を振っている。

思わず目をこすり、天井に頭をぶつけながら外に出てもう一度見ると、単にホタル族の男が(古いたとえだな。つまり、家の中で喫煙を嫌がられている奴が外で侘しくタバコを吸うと、夜はホタルみたいに見えるってことさ)知り合いに軽く手を上げて挨拶の代わりにしているだけだ。

顔だっていつもの仏頂面だし・・・さっきのはきっと目の錯覚だったのだ。

嫌だな、俺、潜在意識であいつにそんな夢だの願望だのを持っているんだろうか。

くわばら、くわばら。

そんな気色悪いことを考えていると知られたら、こいつの八つ裂きに遭っちまう。

 

でも

「なかなか早かったな。今日はピノコが張り切って夕飯を作るって言っていたから、泊まっていけよ」

という顔は、やはり上機嫌だ。

「なんだ、泊まっていいのか」

と一瞬尻を揉んでもいつものように鉄拳が襲い掛かる(これはこれで楽しいコミュニケーションだが)こともなく、それどころか

「お前はいつもそういう・・・」

とぼそぼそ言いながら何と頬に赤みがさしている。

今日のこいつはどうしたんだ。

それとも俺の目がどうかしちまったんだろうか。

 

変なのはこいつだけじゃなかった。

「あ、ドクターキリコのおじちゃん、いらっしゃい」

というお嬢ちゃんの目も、こころなしかぎらぎら光って見える。

普段なら土産のケーキを渡せば俺なんてお役ごめんのはずなのに

「わあ、お茶入れるから、先生キリコのおじちゃんにお手ふきタオルを出したげて」

なんて言いながら俺に席を勧める始末だ。

ケーキを食べながら

「おじちゃんピノコのこと好き?」

なんて唐突に言われて、紅茶を噴かなかった俺は偉い。

反射的に奴を見ると、恐ろしい迫力で俺を見ている。

これはどう解釈したらいいのだろう。

 

といってもこの場合、俺には

「好きだよ」

と言う選択しかない。

子供相手に

「特別興味は無い」

なんて言えないし、曲がりなりにもこの偏屈者の男と同居できているのだ。

きっと大人になったら忍耐力のあるいい女になることだろう。

すると二人して

「ほら、やっぱり」

とか

「そうだよな」

とか言いながら喜んでいる。

何なんだ。

 

俺の不審そうな顔に気づいたのか気づかないのか、奴が

「お前さん、しばらく暇か? もし暇なら今日と明日と泊まっていけよ。たまには家庭的な雰囲気の中でのんびりするのもいいぞ」

と上機嫌に話しかけてくる。

ま、確かに暇だから、1人で味気ない食事をするよりもお嬢ちゃんの爆弾料理を試してもいい気分ではある。

口論よりは機嫌のいい顔の方がいいんだし。

うなずくと

「わあ、じゃあ二日も泊まってくれるのね。あたしお客様のお部屋、見てくる」

とお嬢ちゃんがケーキの残りを口に放り込んで走っていった。

 

「別にお前さんの部屋に一緒でいいのに」

と言いつつ、スリッパを脱ぎ、足を伸ばして奴のふくらはぎを指で辿ってみる。

「こら、そういうのはあとにしろ」

といいながらもニコニコしたままの男が不気味だ。

いったいこいつはどうしたんだ。

 

その謎は、じきに解けた。

夕飯の席で奴がしばらくもじもじしたりお嬢ちゃんににらまれた挙句

「そういえば、明日はピノコの保護者参観なんだ。よかったら一緒に行ってみないか」

と言ったのだ。

さりげなさを装ったつもりらしいが、わざとらしい。

「楽しいよ。ピノコのダンスとかお歌とか、見るんだよ。先生はピノコほど美人じゃないけど、結構いけてるよ」

と話すところを見ると、お嬢ちゃんもグルか。

そういえば、以前お嬢ちゃんがこいつが参観に来てくれないって嘆いていたっけ。

きっと男1人じゃ嫌だから俺も引き込もうという魂胆なんだな。

 

魂胆がわかったからと言って、それから抜け出せるとは限らない。

今の俺が、まさにそれだ。

明日も泊りが決まっていて、宿の主がそこに行くというのなら、客? の俺だけ留守番していると言うわけにも行くまい。

ま、たまにはそんなのも仕方ないか。

正直、子供のお遊戯なんて俺にはまったく興味がないが、親馬鹿な顔をするこいつの顔を観察するのも一興だろう。

 

「なるほど、それで俺に電話したのか」

と言うと

「ごめんね。先生手持ちが少なくて」

とお嬢ちゃんに言われた。

俺は先生の駒の一つか。

がっくり来つつも、ようやく二人の不気味な言動の意味がわかってほっとする。

わかってみればたわいない。

本当はたわいないなんてかわいらしいことではなかったが、そんなこと、幼稚園という世界をまったく知らない俺にはわからなかった。

きっと翌日の俺が忠告できれば、『ケツをまくって逃げろ!』と言ったことだろう。

だが、その時の俺はわけのわからぬ悪寒の正体がわかってほっとしていた。

それに奴の機嫌がこれだけいいのだ、今日はたっぷり雄の本能を満足できることだろうと目を曇らせていたのだ。

 

お嬢ちゃんは俺と2、3度指きりげんまんをしたら満足したらしく

「美容の為には早寝早起きだぞ」

と言う奴の言葉に

「はーい」

と良い子の返事をしてベッドに入った。

ここからは、大人の時間。

そのまま抱き寄せようとしたら

「場所を考えろ」

と言うので、奴の部屋に移動する。

 

こいつはなかなか気難しくて、自分の家でこういうことをしたがらない。

お嬢ちゃんがいる家の中でやるなんて信じられないと言うのだ。

でも、じゃあ世の夫婦はわざわざ子供を置いて深夜ホテルにでも行っていると言うのだろうか。

本当にそんなことしていたら、育児放棄と言われるぞ。

お前の母さんだってお前が寝ている隣の部屋で父さんとこんなことしていたんだぞ、と以前言ったら、メスを何本も飛ばされた。

「俺は一人っ子だからそんなことない!」

と断言されて、どんなうぶなお嬢さんだ、とあきれたものだ。

(その後お嬢ちゃんから奴は筋金入りのマザコンらしいと聞いたが、その頃はそんなこと、知らなかったのだ。)

 

ま、とにかく今日は部屋さえ移動すればOKらしい。

部屋の鍵をしっかり閉めると、奴の方から俺に近づいてきた。

けれど、よほどのことがない限り、奴からキスをすることはない。

どうも人と余り近くで話すような関係にはならないらしく、こいつは接触全般が苦手らしいのだ。

議論を交わす時にはかなり顔を近づけても平気でいるし、そんな時には興奮のあまり奴から仕掛けることもあるが、こんな風にかしこまると、もうだめだ。

並んで座るときにも、必ず10センチは間を取る。

その10センチを縮めるのは、俺の役目。

 

キス嫌いの男の唇を犯し、舌を絡め、唾液を送る。

奴はこういうことが大嫌いだ。

最初にした時なんか「口内の細菌がどれだけ移動したと思っているんだ」と激怒していた。

今も最初の内は目をしかめ、身体を強張らせる。

けれどお構い無しに性感を煽っていくと眉間のしわが消えていき、最後は己から唾液を啜る。

そこまで俺が離さない。

我ながらしつこいとあきれるが、その位しないとこいつは乱れないし、冷めた男を抱くなんてこっちもごめんだ。

火がつきさえすれば、こいつも生来の研究熱心さが前面に出て、かなり楽しい夜になる。

それでもお嬢ちゃんのことを考えてか声を殺す様にそそられて、わざと急所を外して焦らしに焦らした。

口に出すのが大嫌いな奴が

「いきたい」

と言えないのをいいことに。

 

翌朝

「ご飯ですよ!」

と飛び込んできたお嬢ちゃんに一瞬ドキッとするが、そういえば最後に二人で風呂に入り(そこで又ちょっかいを掛けて軽くアッパーを食らい)きちんと奴の処理も済ませて別々の部屋で寝たのだった。

お互いに几帳面な俺たちは偉い。

そうでなくてはとてもではないが、この家なんかで出来はしないが。

朝食はお嬢ちゃんの気合がこもっていた。

気合の余りかなぜか味噌汁がカレー味だったが、そこらへんは不問にしておこう。

 

お嬢ちゃんの幼稚園は、古ぼけていて園庭の広い、なかなか趣のあるところだった。

先生は20代が多く、なかなかにかわいい。

所々に若くない先生もいるが、それはそれでベテランの風格がある。

やはり若い先生ばかりでは行き届かないし、若くなければ子供の体力についていけないだろうから、こんな配置なのだろう。

その証拠に、年少は若い先生と若くない先生がペアになっているようだ。

 

園庭で遊ぶ子供達を見ながら、確かに来ているのは母親が大多数なのを確認する。

とは言ってもごく少数だが父親もいるのは、共働きなのか、育児参加が進んでいるのか。

中には祖父母らしい人までいるなんて、少子化が進んでいるんだな。

それでもぽつぽつとでも男性がいるのは心強い。

 

だがしばらくして俺は重大なことに気がついた。

確かに男性はいる。

しかしそれはお母さんの代わりだったり、夫婦で来ていたりするのであって、男二人が一人の子供の保護者として来ているという事はない。

 

俺たち、どういう風に見えているのだろうか。

 

知り合いの独り者の男が園行事を見てみたいとついてきたとか?

だとしたら俺は変態決定だな。

男1人では気まずいから、知り合いを誘った?

こんな強面の男が?

心なしか、周りのお母さんの視線が痛い。

目をむけるとそらされるのに、戻すとひそひそ何かをささやかれているような気がする。

奴も気づいたようで、いつの間にかさりげなく俺の横にぴったりくっついている。

でも逆にばらばらで立っていた方が目立たないのではないだろうか。

 

そういえば、俺なんて眼帯をつけているし、奴だって大きな傷があったりして、園児に怖がられないだろうか。

今日の日程表によればこれから保護者と園児が一緒にダンスをするらしい。

近くの子供に泣かれたりして。

あやそうとしたら余計に大泣きされて、その子のお母さんに睨まれたりして。

 

だがそれは杞憂だった。

先生のマイクの声にせかされてお嬢ちゃんたちのそばにいくと、俺たち二人は物珍しそうな子供に取り囲まれた。

どうも、今クラスで海賊ごっこが流行っているらしい。

まさかと思うが、お嬢ちゃんが流行らせたのだろうか。

 

「わあ、ピノコちゃんちいいなあ。海賊みたいで格好いい。ピノコちゃんち、お父さんが二人もいるの?」

という言葉に

「違うわのよ。あたしのだんなさんと恋人よ」

と言うお嬢ちゃん。

ざわめく周囲。

俺は正直、倒れそうになった。

だがここで倒れては真実と肯定するようなものなので、必死にポーカーフェイスを保つ。

が、俺の健闘をあざ笑うように、俺の横の男が

「ピノコ、そんなことを大声で言うのははしたないぞ」

と爆弾発言をした。

かなりの確率で肯定とみなされる言葉にポーカーフェイスが崩れそうになる。

 

皆さん、この子は

「あたしのだんなさんとあたしの恋人」

という意味で使ったんですよ。

へんな勘違い、してませんよね。

と思わず口走りそうになったが

「静かにしてろよ。本当は家族以外の人間は来ちゃいけないんだから、この方が好都合だ」

という男のささやきに、俺の思考は限界に達した。

 

その後はどうも惰性で動いていたらしい。

気がつくと俺は奴の車に乗るところだった。

お嬢ちゃんはお弁当を食べてから園バスで帰ってくるらしい。

奴が乗り込もうとドアを開けたとき、園長先生が近づいてきた。

「大変ですね。一緒に暮らしていらっしゃるんですか」

という先生の問いに奴が

「いえ、さすがに。籍も入れられないし、商売上、余り表立って言えんのです。家庭の事情が複雑なのであの子も突拍子もないことを言ったりしますが、どうぞ受け流してやって下さい」

と答えている。

思わず口を挟もうとしたが

「急ぎますので、これで」

と車を動かされた。

 

しばらく奴が口を開くのを待ったが、我慢できなくなって

「どういうことだ」

と聞く。

「事実なんだから、いいだろう。俺とお前は実質上の婚姻関係なんだし、うちの幼稚園、不審者対策で家族と祖父母までしか園内に入れないんだ」

とけろりと言う奴に

「そんなこと言って、それでお嬢ちゃんがいじめられたり差別を受けたらどうするんだ」

と怒鳴っても

「これはピノコのアイデアなんだぞ。大丈夫、この頃はホモもメジャーだ」

と平然としたままだ。

「大体婚姻関係って何だ。婚姻関係って」

と言うと、急に車が路肩に止まった。

振り向いた奴の目が座っている。

「お前さん、まさか既成事実があるのにしらばっくれるんじゃないだろうな」

という言葉に、二人の認識のずれを感じた。

そういえばこいつ、自分は一人っ子だから両親は1度しかセックスしてないと思うような奴だった・・・。

 

その日から、俺はめでたく? 既婚者になった。

そして園では「いつも一緒に参観に来る、無愛想だが子煩悩な夫婦」と噂されるほど、毎回行事参加を強制されることになったのだった。

 

 

あゆみ様の96000番リクエストは『物凄く優しく接してくれるBJに反って怯えるキリコ、なるべくならキリジャで』でした。

何とか優しく接するBJを考えたのですが、うちのBJの優しさは常人には計り知れないようで、どうやってもうまくいきません。

せめてもとキリジャシーンを入れ、入れたら少しは翌日も入れないとおかしいか、と書いていく内にどんどんリクエストから遠のいてしまいました。

と言うより、この二人はいつの間にこんなことに・・・!

あゆみ様のお手にかかればキリジャも新婚になりますが、うちの二人は当日から古漬け夫婦のようです。

とはいえ、努力はいたしました。

あゆみ様、リクエストをありがとうございました。