一晩ぐっすり寝て朝になると、すっかり熱も下がって起きられるようになっていた。
ちょっとふらつきはするが歩けるし、簡単な食事くらいなら作れそうだ。
そう思い、1階に降りるとソファにBJが眠っていた。
こいつ、泊まってくれたのか。
冷蔵庫を見ると、それまでなかったパンや牛乳、卵などが入っている。
とりあえず朝食の用意だけは買っておいてくれたらしい。
これに缶詰の野菜スープを加えれば立派な朝ごはんだな。
食欲が出たのだから、もう直ったも同然だ。
卵を焼いているうち奴が目覚めたので、二人でテーブルを囲んだ。
この家で誰かと食事をするなんて、どれだけぶりだろう。
なんとなく、心が浮き立つ。
食後、ソファに席を替えてコーヒーをすすっている時、奴に具合を聞かれる。
「結構良くなった。世話になったな」
と言うと、奴の雰囲気が少々変わった。
「良くなったか。じゃあ代金をいただこうか」
と言われ、ああ、やはりこいつは心底から守銭奴なのか、と少し落胆する。
さまざまな噂の流れている奴だが、もしかしたらガセが多いんじゃないか、と思いかけていただけに。
「いくらだ」
と聞くと
「いくらになるかな」
と言いつつこっちに来た。
そのまま両肩に手を置かれ、上から押さえ込むように俺を拘束すると
「俺と付き合え」
と真顔で言われた。
付き合えって、どこに。というお馴染みのボケを入れる間もなく口をふさがれる。
勢いだけのへたくそなキスだが、気迫に負けて先に目をつぶってしまうと同意と取られたらしく、無遠慮な手が這い回ってきた。
上ずった声で
「何で」
と聞くと
「俺の患者になったからかな」
と言われる。
こいつの数多い芳しくない噂の中に、「オペをする時患者の体にいたずらをする」というのがあったっけ。
普段の行状からまさかと笑い飛ばしていたけれど、それは今まで個人的に患者になったことがなかったからとか。
こいつはどういう趣味なんだろうか。
そういえばこいつ、オペ代がものすごく高いかものすごく安いかの両極端だという噂も聞いたことがある。
もしかして、金か体かの二者択一なのだろうか。
そんな馬鹿な。
ズボンの上からまさぐられ、半ばパニックに陥りながら手をはずそうともがくと
「縛るぞ」
と脅され、もがくのをやめる。
こいつがこんな奴だったなんて。
今まで俺はこいつのことをある意味尊敬していたのだ。
その天才的な腕を。
努力を続けるさまを。
へこたれない根性を。
だからこそ、奴が撃たれると思った時、とっさに銃口の前に飛び出せたのだ。
自分の見る目のなさにがっくりしているうち、ズボンの前を開かれ、手が潜り込んできた。
さすがオペの鬼。
ではないが、緩急自在というか、つぼを心得たものすごく的確な動きをする。
やはり噂は本当だったのか。
敗北感とともに流され、いかされた。
呼吸を整えていると奴が抱きついてきた。
首に腕を回し、人の膝の上に馬乗りになって人の腹あたりに股間を盛んにこすりつけてくる。
動物的な示威行動だ。
でも、この体勢を考えると俺は抱く側なのか?
でも、だったら何で先に俺をいかせたのか。
そんなに早いとでも思われたんだろうか。
ひそかに落ちこんだが顔には出さず、せめて場所換えを提案する。
このソファは気に入っているのだ。
処分したくなるような思い出を作りたくない。
さっきの強引さが嘘のようにうなずかれ、拍子抜けしながら寝室にいざなう。
この部屋で看護を受けていた時にはこんなこと、考えもしなかったのに。
感慨にふけっていたら後ろから抱きつかれ、耳元でささやかれた。
「初めてなんだ。痛かったら悪いな」と。
なんだと。
腕を振り解きざま振り向いて胸元を握り
「オペした奴にいたずらするという噂は」
と詰め寄ると
「何だそれは。昔誰かにそんな法螺を吹いたことはあったが1回だけだぞ」
と言われる。
「じゃあなぜお前の患者になった俺に手を出す気になった」
と問いただすと
「うなされているお前を見ていたら妙に劣情をそそられたんだ。船の中ではそうでもなかったんだが、昨日のお前は高熱で目がとろんとしているし、抜糸のときに妙につやっぽい表情をするしで、衝動を抑えるのが大変だった。俺は今までずっとそういうことに奥手だったんだが、この間35の誕生日を迎えて決めたんだ。今度俺に好意を持ってくれる人に出会って、自分もいいなと思ったらとにかくアタックしようって。それが男だったとは自分でも意外だったけれど。」
妙に長々と語られてしまった。
圧倒されて聞いていたが、ちょっと待て。
「何で俺がお前に好意を持っているんだ。商売敵ですぐに仕事を邪魔しようとするような奴をどうして好きになる」
「好きでなければなんでお前は俺を殺さず一緒に逃げようと言った。なんで銃相手にかばんを振り上げた。正直、俺はお前があんな無謀なことをする所、見たことも噂に聞いたこともない。それにさっき何でほとんど抵抗しなかった。俺よりタッパはあるし、あんなに重いものが軽々持てるんだから結構力もあるだろう。なぜ逃げなかった。」
答えられないでいたら、外側から腕が回った。
「とにかく1度してみないか。やっぱりどうしてもだめだったら仕方ないけれど、俺はしたい。さっきのお前を見て余計にそう思った。それとも本当に俺が嫌いか」
じっと見つめられて降参した。
だって俺はずっと前からこいつに一目置いていたし、なんとなく近しいものを感じていた。
いがみ合うばかりでなく友人のように話せればいい、と多分心の隅でずっと願っていた。
ものすごく一足飛びな話で物事の順序をてんで考えていないが、もしこれがきっかけになって少しでも近しくなれたなら。
それに、今拒否したらこいつは単なる知り合いとしても付き合ってくれなくなるだろうという確信もあった。
「嫌いじゃない」
と言った途端、急に奴の手が震え始めたのに気づいた。
震えはすぐに全身に回り、あごまでがくがく震えている。
「どうした」
と聞くと自分でも不思議なのか
「あれ」
と言いつつ頬の辺りに手をやっている。
人はすごく緊張すると手や顔に無理な力が入る。
その緊張が急に解けると震えが出たり歯ががちがち鳴ったりするが、こいつは修羅場に慣れているはず。
こいつにとって、誰かと付き合うというのはこんなに大変なことなのだろうか。
頬に両手をつけて震えを止めようと無表情に格闘しているのがおかしくて、自分の手を重ねてしばらく温めてやると、やっと震えが止まったらしい。
じっと見る目に引かれるように、こちらからキスしてみた。
本当に反応が摺れてない。
さっきは自分から舌をねじ込んできたのに、俺から舌を差し出すと、躊躇するように逃げてからおずおずと絡ませてくる。
すぐに慣れて夢中で絡ませてくるところも若い子みたいだ。
35なら俺とそんなに違わないのに。
男でもこいつ相手なら抱けるかもしれない。
そんなことを思いながらキスを繰り返し、そのかたわら思い切り良く脱ぎあう。
ベッドに上がり、奴を振り向こうとしたらあっちから飛び掛かってきた。
先ほどまでとは打って変わった男くさい表情に、やはり喰われるのは俺の方か、とちょっとがっかりする。
触ったり舐めたりするだけでなく時々体に頬擦りするのが、まるで匂い付けをする動物みたいだ。
今までスキンシップが足りなかったんだという風な、妙に動物じみた、子供じみたしぐさをする奴には、孤高の医師という面影などどこにもない。
それに答えて奴の背中をさすったり脇腹にいたずらしたりする俺も、とてもじゃないが死神には見えないだろう。
背筋の中心を人差し指ですっと逆立てると体をくねらせくすぐったがる。
そういう表情に妙に色気を感じてつい色々したくなってしまい
「そんなにふざけるな」
と苦情を言われる。
でも、そんなことを言うその顔だって初めて見るもので、こいつはずいぶん勿体ないものを出し惜しみしていたんだと気づかされる。
こいつの誕生日の直後に会っていてものすごく幸運だったのかもしれない。
あの時撃たれたのは、災い転じて福だ。
そんなことを思えたのは、本格的に乗っかられるまでの短い間ではあったが。
痛いイタイ痛いイタイ痛い。
ギブだ、ギブギブ。
必死で奴の二の腕を叩くも、煩がられてひと括りにされてしまった。
クソ、病み上がりでなければこのくらいの力、撥ね退けるのなんて造作ないのに。
どうも理性が飛んでしまったらしい。
これだから童貞は。
うう。
これだから、童貞、は。
腹の中が煮えくり返るのは、頭にきているからか、腹の中で暴れまわっている奴がいるからか。
行為のあとぐったりした俺を見てさすがにまずいと思ったのか、風呂を沸かして入れてくれたのは良かったが、人の体を洗っているうちに興奮してきてもう一度を要求されたのには参った。
手で天国に行かせてやったが。
結局俺は風邪をぶり返してしまい、奴の家にしばらく厄介になり、お嬢ちゃんの手料理に慣らされる羽目になった。
そんな風にして、俺と奴のある意味親密な付き合いは始まったのだった。
30000打リクエストは「弱キリコ(怪我とか病気)でジャキリ」でした。
天馬様、リクエストをありがとうございます。
ジャキリジャキリと唱えていたのになぜかキリジャになりそうになり、しかもあまりそういうシーンがなくてすみません。
少しでもお気に召せばいいのですが。