K

 

「あんなことを言うんじゃない。ヤクザだったらどうするんだ。あんなに体中傷だらけの奴、ろくでもない人生送ってるに決まってるんだぞ。次に何か言ってお前が殴られても、父さん他人の振りするからな」

気が緩んだのか、ほっとして軽口をたたく父親に

「なんだよ父ちゃんのけち。よわっちいの」

とゲラゲラ笑う子供。

子が子なら、親も親だ。

不愉快な。

 

浴場への扉がきちんとしまっているのを確認してから親子の方を向き

「兄ちゃん」

と声をかける。

「な、なんだよ」

と及び腰の子供に

「あんなのお化けじゃねえよ。お化けってのはこういうのを言うんじゃないのかい」

と勿体つけて眼帯を外し髪を上げてにやりと笑う。

「ぎゃあ」

と声を上げた子供は父親にしがみついたまま小便を漏らし始めた。

慌てた父親が引きはがそうとするがますますしがみつくので、二人とも小便まみれだ。

「あーあ汚いな。俺が出る前にきちんと掃除していってくださいよ。でないと宿の人に言いつけないといけない」

と言いつつ風呂に行こうとすると、親父の方が

「ま、待て。元はと言えばあんたのせいじゃないか。あんた、子供を脅かしといて一言もないのか。トラウマになったらどうするんだ」

と切れやがった。

「俺のせいだって? 俺は単に風呂に入るから邪魔な眼帯を外しただけだよ。言っておくが、俺は傷病兵だ。そんな男の傷跡を見てわめくなんざ、とんだマナー違反じゃないのか? 慰謝料を請求したいのはこっちの方だよ」

と反論し、ぐっと詰まった顔をした男に引っ付いたままの子供に

「俺もよくは知らないが、お前さんがお化けと言ったあの男、お前さんと同じくらいの時にひどい事故に遭ってあんな体になったらしいぜ。お前さん、自分のせいじゃないことに巻き込まれて急にあんな体になったとして、化け物って言われた時、当たり前だから仕方ないって思うのかい。人間想像力が必要だぜ」

とわざと顔を近づけ、十分おどろおどろしい表情をして見せてからタオルを掴み、今度こそ風呂場に向かった。

フン、夢に見やがれ。

化け物顔ってのは俺みたいなのを言うんだよ。

 

がらりと戸を開けると、奴は体をこすっていたタオルを放り投げて湯をかぶり、次の瞬間するりと湯にもぐりこんだ。

平然とした顔で

「キリコか」

とつぶやいていたが、それ、思い切り不自然だぞ。

 

今までそんなことをするこいつを見たことがない。

そんな風に自分の体を恥じるのは、俺との閨の時だけじゃなかったのかい。

普段のこいつは傷なんて何とも思ってやしないのに。

 

いや、子供の時に受けた傷らしいから、俺のとは心に受けた深さが違うのかもしれない。

さっきの親子を見てもわかるが、日本人ってのは集団内の異分子にこだわる。

大陸にいれば歴史の上で何度も国境が変わり、人種も、宗教も、食べるものも、言葉さえ異なる人間が隣にいるのは当たり前。

すごく奇妙に見える姿格好をしていても、もしかしたらそれはその人の宗教的決まりや特別な習慣かもしれない。

だからあんな風に人を指さして笑うなんてこと、絶対にしてはいけない事として幼い頃から厳しくしつけられる。

人が自分と同じように考えると思うなんざ、傲慢なことだ。

 

けどこいつはきっと、子供のころからあんな風に嫌な思いをしてきたんだろうな。

だからこいつは閨であんなに恥ずかしがるのかね。

こいつはこの体だからいいのに。

 

傷なんかいくらでも消せるのに、自分を飾ろうとしないこの体。

なんてこいつにピッタリなんだか。

 

そんなことを思っていら、昨日の依頼人の話題を振られた。

ああ、昨日の今日だから、ちょっと弱っていたのかね。

俺と依頼人が被った時、こいつが折れることは滅多にない。

あの依頼人は本当にいいことを言ってくれたとせいせいしていたが、なんだって俺が正義の味方医者みたいなことになるんだ。

どんな世の中だろうと、俺は非主流派に味方するに決まっているだろうが。

 

そうして、お前さんもきっとどんな世でも悪徳医師のままなんだろうよ。

 

わざと鼻に水が入るように計算して湯の表面を叩き、むきになるよう仕向けて、夜中だというのに大騒ぎした。

宿の人間が注意しに来ないのが不思議なくらいだ。

さっきの親子が見たら、何て言うかな。

何て言われても、痛くもかゆくもないけどね。

 

風呂を出て

「俺の部屋でちょっとだけ引っ掛けていかないか」

と指を1本立てて誘う。

「まあ1杯くらいなら」

とのこのこついてくる男を心の中で笑う。

1杯じゃないよ。

1人。

 

「なんだって、こら」

追い詰められて焦っている男にニンマリ笑い

「ちょっと男1人引っ掛けていくんだろ」

と退路を断って内股に手を突っ込む。

浴衣ってのはいいね。

いくらでも手を突っ込むところがある。

帯を解けば簡単に落ちるけど、紐1本で布地が引っ掛かっているってのも悪くない。

焦ってバタバタする男をよっこらせと押さえつけ

「まあいいじゃないか。うまいもん食って、温泉入って、目の前には憎からず思う男がいるんだ。こんな日は少々羽目を外したって悪くないだろ?」

と笑いかけてやる。

「俺は憎いだけだがね」

何てほざく悪い口は、ふさいでやるのが一番。

つまんない事、忘れちまおう。

せっかくの気分直しの休暇なんだ。

ガキのたわごとなんか、聞くことない。

 

相方の体を煽り立てて、心を引きずり出す。

気持ちが昂ってきたのを見計らって、穴籠りする場所を探っていく。

しばらくぶりだから多少時間はかかるが、何度も行き来しているのでそれほど待たされることもない。

ゆっくり入っていって、落ち着く場所を探す。

 

男の中には俺の場所がある。

熱くて湿った、最高の場所。

俺は精気を渡して生気をもらう。

お嬢ちゃん、君の先生をほんのちょっとだけ引っ掛けるよ。

すぐに返すから、ちょっとだけ。

 

せっかくの温泉なのに、内風呂を使う羽目になった。

内風呂はただの湯だ。

とても狭い。

だがちょっかいをかける程度の余裕はあるので、1人でやりたがるのを制して穴籠りの後始末をしたり、そのままちょっとふざけあったりした。

 

こういう時に恥ずかしがるのはいいんだよ。

平気な顔して体をぎくしゃく動かすのも、お前さんらしくて好きだけどね。

わざとらしく耳元でささやくと、表情は変わらないのに顔だけが赤くなる。

あんまり意地を張ると、意地悪したくなっちゃうぞ。

 

奴の浴衣は汚れたので、俺のを着せて部屋に返す。

もともとちょっとだけの約束だ。

ちょっとにしては色々したが、時間的にはこんなものだろう。

 

少しだけベッドに横になって、夜明けとともに荷造りをした。

どうせベッドより、電車の方が眠れるのだ。

次の仕事は大阪だから、このまま在来線を乗り継いで移動しようか。

それもいい。

夜までに着けばいいのだから。

 

あいつの先生の話はぞっとした。

人が無理やり安楽死を選ばされる世界なんて願い下げだ。

生きたいものは生き、死にたいものだけが死ねばいいのだ。

あいつにはああ言ったが、そんな世の中になったら悪徳医師の助手かなんかに転職しようか。

 

己の妄想に苦笑すると、俺はフロントに向かって歩き出した。

 

 

 

「伊豆の旅」は表にアップした全年齢向けと、このおまけを入れた女性向きの2つのバージョンがありました。

表紙は、漁師さんにいただいたキンメダイの写真。

漁師さん、その節は本当にありがとうございました。