べろり
二人は部屋の中で対峙していた。
相手への自分の執着を知っていた。
相手の自分への執着を悟っていた。
一瞬触発の事態がずっと続いているのを感じていた。
この部屋で、それが臨界点を超えたことを、肌で悟った。
1歩近づく。
相手の熱が感じられるほど近く。
熱からは、自分とは違う匂いがした。
確かめたくなった。
目の前のタイを引き抜くと、男の目が一瞬見開かれ、だが無言のまま。
首筋のボタンを2、3個はじき、その首筋に舌を当てた。
べろり。
舌の上に、汗の味が乗る。
緊張の為か、少し酸味がある。
俺だけではない、緊張しているのは。
髪をどけ、耳の近くをなめる。
べろり、べろり。
耳の穴近くはほんの少し甘酸っぱい匂いがした。
髪の付け根は、ほんの少し脂っぽかった。
汗の味、脂の味、タバコの味。
匂いを嗅ぎ、舌で味わう。
べろり。
シャツをはだけ、肩を、腕を舐める。
筋肉の硬さ。
動かすと、それがわずかに変わる。
さっぱりとした汗の味。
ほんの少し、埃の味が混じる。
べろり、べろり。
男はそんな様を見下ろしていた。
舐める男から立ち上る体臭を嗅ぎ、自分とは異なる唾液の匂いにまみれ、じっと立っていた。
当初は相手の行動に戸惑いを、おびえさえを感じていたが、自分の身体を味わうように無心に舌を動かす男の動きを見るにつれ、喉が干上がってきた。
味わいたい。
この男を。
男を自分から引き剥がす。
男のタイを取り、引きちぎるようにボタンを外す。
シャツを剥ぎ取り、一番に目に付いた脇を上げ、そのざらざらする毛ごと、男の味を確かめる。
べろり。
そこは男自身の匂いが強くした。
鼻をうずめ、犬のように嗅ぎ回り、唾液を擦り付ける。
男を味わい、自分の匂いに染める為に。
べろり、べろり。
胸の大きな筋肉を、口を大きく開け、舌をなるべく引き出して舐める。
べろり。
首筋にじんわり汗が浮いていた。
コーヒーと、タバコの匂い。
同じ男の匂いのようで、自分のものとはまったく違う。
首に鼻をうずめ、肺を男の匂いで満たし、それを慣れ親しんだ自分の匂いと混ぜていく。
べろり、べろり。
自分で始めたことなのに、舐めるのと舐められるのではまったく違う。
立場を逆転された男は驚いていた。
患者に対する真摯な姿勢とも違う。
それより尚真摯で、能動的だった。
男の伏せた目、舌の動き、喉仏。
相手の匂いを、味を奪い、確かめていたのに、いつの間にか自身から相手の匂いが立ち上る。
自分の腰に廻る男の手を取り、1本ずつ指を舐めてみた。
男が口を離し、じっと自分の舌の動きを凝視しているのがわかる。
指には、きついタバコの味が染み付いていた。
それをこそげるように何度も舐める。
自分の味しかしないように。
いつの間にか男たちは全裸になり、床に転がっていた。
足の裏、指の股、ひざ小僧、すね。
それらはみんな少しずつ違う匂いと違う味がした。
1日行動した後なのだ。
これは、汚れだ。
頭の隅からは自らをあざける声が響く。
だがそんな声を吹き飛ばす、味覚。
行灯の油を舐め取る猫のように。
獲物を前にした蛇のように。
べろり、べろり。
男たちは交互に、或は同時に互いを味わっていく。
甘味。酸味。苦味。辛味。塩味。
相手の身体にはすべての味覚があった。
それをすべて味わい、自分の匂いに染めてやろうとするうちに、己自身が相手の匂いに埋もれてしまった。
この匂いは体の表面からだけか。
体の中にこそ入っていったのではないか。
べろり、べろりと舐めるうちに。
男は目の前の物にためらっていた。
自分は技巧を凝らしたわけではない。
ただ、舐めた。
味わった。
それだけなのに、目の前にはそそり立つものがあった。
己のものとはたたずまいが異なる、男のもの。
先端から汗をかき始めている。
この汗を舐めてしまっていいだろうか。
それまでどこを舐めるにも躊躇がなかった。
だが、ここは。
きゅうっとしびれる感覚とともに、自身が包まれたことを知った。
その途端、目の前のものから汗が滴る。
それをこぼすまいと舌で受け止め啜るうち、その滑らかな弾力に夢中になった。
しゃぶる音、すする音、秘かな呻き、上がる体温。
むっとする熱気に強く相手の匂いを、自分の匂いを感じ、それが男たちの動きを促した。
動きが同調する。
本当は蛇のように身をくねらせ、自分のものを銜えているのではないか。
自慰をしているのではないか。
だがそれがはじけた途端、そうでないと知った。
自分とは明らかに異質な匂い、初めての味。
唾液が乾いて、体中がぱりぱりする。
汗が引くと、そう思った。
物憂げに頭を上げると、男もこちらを向いたところ。
うつろな表情の半開きの口の中、ほんの少し舌が見えた。
まだ味わっていない部分があった。
気づいたのはほぼ同時。
起き上がり、目の前に迫る顔をじっと見る。
舌を出し、それを合わせる。
次いで口が重なった。
相手の唾液を啜り、自分の唾液を送りながら、男は満足していた。
これで味覚が満足した。
今までの飢える、餓える、恐ろしい気持ちは満たされただろう。
だが。
さわり。
ざわり。
手が動く。
肩を、背中を、手が行き来する。
その動きに、飢えていたのは舌だけではなかったのを知る。
この手が。
この身体が。
もっと奥深くが。
知りたい、弱みを握りたい、すべて赤裸にされたい。
弱みを握られ羞恥に赤面し、その一瞬後に相手の恥ずかしい姿に狂喜する。
知りたい。
このままでは終われない。
もっと、もっと。
それは、終わりのない探究の緒についた日のことである。