ある男達の場合ーキリコ(中)

 

 

 

翌日はオペだった。

こいつの助手は何度かしたが、いつ見てもその正確無比なメス捌きに目を吸い寄せられる。

血管や神経を迂回しつつ病巣に至る速さ。

細心の注意を払っているのに大胆なところは大胆な、一瞬の逡巡も感じられないきらめき。

この男の手には神が宿っている。

そう思わずにはいられない。

 

「術式終わり」

という男の声と共に渡された最後の器具を使用済みのトレーに置く。

並んで手を洗いながら、改めて隣の男を恐ろしいと思う。

時計を見ると、驚くほど時間が経っていた。

その間この男はたった一人の助手しかつけずに難手術をこなしていたのだ。

ドアを開けると、恐ろしい開放感。

 

オペ室から出ると、病院の態度が露骨に変わっていた。

難手術を自分の手柄にカウントするからだと思ったが、オペの様子をモニターから見ていた医師たちが奴の腕に驚嘆したらしい。

助手になればこの技を身近で見られたのに、と院長に抗議する医師もあったとか。

とにかく経過は病院が見てくれると言うので、二人してホテルに戻る。

 

奴は勿論ベッドに直行。

俺も疲れてはいたが、奴のオペを見た興奮に眠れそうもなかったので、バスタブに湯を張って疲れを取ることにした。

体を洗い、湯に浸かりながらぼんやり患者のことを考える。

依頼人は体が治れば厭世観も消えるだろうか。

これからはソーシャルワーカーの出番が多くなるだろう。

病院もそこら辺の事はわかっていると思うけれど、明日一応引継ぎをしておく方が親切ってもんだろうな。

ところで俺、今回本業はお役御免だった訳だが、助手代だけは請求しても罰は当らんよな。

その場合、どこに請求するべきだろう。

そんなことを思いながら着替えて外に出、開けっ放しの奴の部屋のドアを閉めようとして、開け直す。

何だ、こいつ。

どうせならベッドの中にもぐればいいのに、靴まで履いたままで、あーあ。

 

部屋に入り、うつぶせの男をひっくり返してタイを抜き去り、ベルトを緩め、靴をはずす。

靴下は・・・はがしておくか。

予備の毛布はクローゼットの中にあったはず。

引っ張り出し、掛けてやろうと振り向くと、奴の目がじっとこちらを見ていた。

内心の動揺を抑えながら

「なんだ、起きていたのか」

と言うと

「お前が起こしたんだ。乱暴に足を引っ張るから」

と憎らしい口を利く。

「そんな格好で寝るほうが悪い。ふとんに入るか、これを掛けるか」

と毛布をちょっと掲げて見せるが

「お前がいい」

引っ張られて倒れこむ。

「何だよ、乱暴だな」

と一応抗議するが

「いいだろ。気分いいんだ。キスしてくれよ」

と、まるで悪気がない。

 

「何で俺が」

「お前がいいんだ」

そんなやり取りの中、結局折れたのは俺だった。

片手で奴の目を覆い、少し肉厚の唇に触れにいく。

 

いつの間にか奴は体勢を変えて俺にのしかかり、ガウンをはだいて俺の体をまさぐっていた。

けれどやはり己は服を脱がず、乱れもしない。

ただ俺が乱れる様をじっと見るだけだ。

俺もシャツを脱がそうとすると

「いいから」

と手を押さえ、急所に攻撃を仕掛けてくる。

こんなの、変だ。

じゃあ同じことをしろと言われれば躊躇するだろうし、別の次元に進もうと言われても逡巡するだろうけれど、俺だけ良いように声を上げさせられるなんてとんでもない。

屈辱ではないか。

 

そんな風に切れ切れに思ううち下半身を直にしごかれ、体がはねた。

せめて、と奴の股間あたりを手で包み込んだ途端、急に熱が冷める。

反応していないのだ、ほとんど。

やはりこいつ、俺をもてあそんだだけだったのか。

 

「手をどかせ」

恐ろしいほど冷たい声が出た。

「どかせよ。何のつもりなんだ」

さっきまでいいようにされていたのは何故だったのか。

どうしても振り切れなかった手は、本気になるとたやすく外れた。

力の差なんて無いのだ、きっと。

 

「何だよ」

と不服そうに呟く男に

「それはこっちのせりふだ。お前さん、何のつもりなんだ。俺だけ良いようにして、自分は冷め切っているじゃないか。そんなに俺が滑稽だったか」

となるべく冷静を装うが

「別にそういうわけじゃない」

と返されると己がヒートアップするのが分かる。

「じゃあどういうわけだ。馬鹿にするな。不能だとでもいうつもりか」

とわめいたが

「ああ」

という言葉にのぼせが取れた。

 

そうだ、俺は不能だ。

昔、爆弾事故で体がばらばらになったことは話したよな。

生きていたのが不思議なくらいの事故だったし、当時の俺はまだほんの子供だったから精通なんかあるはずなかった。

中学生の頃まではリハビリに励んでいたから、色々発達が遅れていても当たり前の感覚だった。

高校になると流石に精通がないのは遅いかな、と思いだしたけれど、そういう悩みってなかなか人に言えるもんじゃなくてな。

今考えれば主治医にはなんでも相談するべきだったと思うけど、あのころはそんなの言うくらいなら一生誰とも付き合わないほうがましだ、くらいに思っていた。

ちょっと見が特別小さいわけじゃないから銭湯でも困らないし。

状態は……うーん、子どもでも触れば勃ちはするだろう。

あんな感じになることはある。

触っていれば気持ちいいとは思うけれど、それ以上は行かない。

 

俺の目を見ながら話す男の目は、だが本当は自分の心の中でものぞいているようだった。

「じゃあ何故俺に手を出すんだ。俺なんか触ったって別に楽しくないだろう」

やっと口を開いてそれだけ言うと

「楽しいね。俺はお前が乱れる顔を見られるだけでぞくぞくする。こういうのが性的な興奮て奴なんだろう。駄目か? 俺は器用だから、励めばどんどん良くしてやれると思うぞ」

とじっと目を覗かれた。

思わずうなずきそうになるのをこらえて

「俺ばかり乱れるなんて、ごめんだ」

と言いながら目をそらす。

本当は半分くらい、それでもいいと思った。

けど、それを許したら俺は与えられるだけだ。

そんなの、いやだ。

けれど

「じゃあ仕方ない。俺も努力するから、お前も協力しろ」

という、その先のことを求めるつもりではなかった。

 

男が己のズボンに手をかけ、脱いでいく。

「とりあえず準備が必要だからな。萎えるなよ」

シャツ一枚になった男はかばんからワセリンの小瓶を取り出すとベッドに乗り上げ、ふたを開けた。

そしてそれを右の指にたっぷり取ると、そのまま後ろに持っていった。

 

しばらくはたいした動きがなかったが

「う」

という軽いうめきと共に指が入ったらしい。

きついのか、口元が曲がる。

膝立ちの腿に力が入り、筋肉があらわになる。

眉間にしわを寄せながらも薄目を開けた男が俺を見、口の端を曲げると

「見てみたいか。なら見ろよ」

と体をずらした。

思わず後ろに回ってみると、男のワセリンにまみれた指が二本、ゆっくり出入りを繰り返していた。

「どうだ、この指はお前だ。あと少ししたらこんな風にお前を飲み込んでやるぜ」

と嘯く男。

いつの間にか汗でシャツが張り付き、その下で筋肉が盛り上がり、捩れ、ふ、と弛緩する様がつぶさに見える。

男の体。

それは征服する性のものだ。

挿れるのは俺のほうだ、と思おうとしても、無駄。

俺はこれから食われるのだ。

ここまで迫られては、もう逃げられない。

けれど、その絶望はなぜか甘い。

「萎えないな。同意と受け取るぞ」

男が俺を軽く掴んだ。

確かに俺は硬く興奮しきっている。

 

軽く俺を押し倒すと、男が乗り上げてきた。

そのまま俺の上に座り込んでいく。

 

女とは明らかに違う、きつさ。

男の方がつらいはずなのに、その汗の半分は冷や汗だろうに

「どうだ、入れてやったぞ。どうして欲しい」

と聞く様はまるで王者だ。

そのまま動かされたらすぐ爆発してしまいそうで、情けないと思いつつもしばらく動かないでくれと頼むしかない。

これはこの男のオペそのものの、患部にすばやくたどり着き、鋭く切りつけるようなセックスだ。

どっちが入れているから、なんて関係ない。

明らかに食われるのは俺の方。

 

だが、しばらくすると違和感が強くなる。

強気でなぶるような言動を繰り返す男の顔がどこかこわばっているせいだろうか。

当たり前だ、多分痛いに違いないのだ。

あまりの潔さにこんなことこの男には朝飯前、今までに幾度も繰り返してきたのだろうと思ったが、本当にそうだろうか。

確かさっき

「そんなの言うくらいなら一生誰とも付き合わないほうがましだ」

と言ってなかったか。

大体俺が動かないでくれと言うのにそのまま従っているのはおかしい。

本当は痛みで動けないのでは。

 

男が牙を剥いたのはその瞬間だった。

「お前、何を考えてる? まさかと思うけど、俺を哀れんでいるんじゃないだろうな」

言い捨てた男が動き始めた。

激しい動きについていけない。

引きちぎられるんじゃないかという恐怖と体の上で暴れられる苦しさと、ぎゅうぎゅうと上から押さえつけられる腕の痛みとぎらぎら光る男の目と鬼のような形相と。

男が快楽を感じているわけはなかった。

その証拠に男の頬は痛みに引きつっている。

そんな。

やめろ、やめてくれ。

わめいても頼んでも、男は

「ここまで来て止まれるか。お前をものにしてやる。痛み? こんなの痛いなんて言っていたら俺なんてない。お前ばかり乱れるのはいやなんだろ。俺がこれだけ乱れてやっているんだ。楽しめよ。ほら」

と笑いながら動きを早める。

やめさせたいのに、混乱して手を上げることも出来ない。

いやだ、やだ。

否定の言葉だけを撒き散らしながら、俺は果てていた。

 

ぺたりと座り込んではあはあ息を荒立てていた男が、のろのろとどいた。

汚辱にまみれた俺自身が吐き出される。

いつの間にかつけられていたスキンには血がついていた。

冷静に見ればたいしたものではなかったのかもしれないが、俺の目には血がべったりついているように見える。

怪我をしたのは俺ではないのに、なんでこんなにひどい気分なんだろう。

やっとのことでガウンを掴み、部屋を出る。

自分の部屋が別にあってよかった。

手が震えて、なかなか部屋の鍵を閉めることができない。

やっとの事で閉めた後、終わってから一度も奴の顔を見ていなかったのに気がついた。