ある男達の場合ーブラックジャック 中
そんな中途半端な日が終わったのは唐突だった。
何度目だかわからない患者の取り合いになり、まず俺がオペをすることになったのだが、病院近くのホテルがいっぱいでスイート一つしか取れなかったのだ。
といってもベッドルームは二つあるので構いはしない。
バスルームやトイレが一緒だといっても、たった二人なのだからそんなに困りはしないだろう。
そんなことより困ったのは病院の応対だ。
外部の、しかもモグリの医者がオペをするのを渋られるのには慣れているが、今回のオペはなるべくなら助手を貸してもらいたかった。
機器の管理が複雑になるので、せめて一人は。
だが病院側は金を積まれても人を貸すのはごめんこうむるとのこと。
そうなれば、助手を頼めるのは奴しかない。
双方の依頼人からぶつぶつ言われたが、他にどうしようもないのだから仕方ない。
それに奴は俺と呼吸が合うのか、助手として使いやすいのだ。
俺が欲しいと思ったものをその瞬間に差し出してもらえる、欲しい情報を瞬時に教えてもらえる快感。
俺がそこまで評価しているというのに、本人が一番難癖つけるのだから嫌になってしまう。
病院を出て、夕食時も、その後も。
俺にとっては二人きりの食事も、こんな続き部屋も特別なものなのに、こいつは患者のことばかりなのか。
あんなキスなんて、外国人のこいつにはただの挨拶みたいなものなんだろう。
そう思うと悔しくてたまらなくなる。
何とかして俺の思いの万分の一でも思い知らせてやりたい。
目を上げるとおあつらえ向きに奴は自室のドアを開けており、その奥にはベッドが見えた。
足をかけざま斜めに力をかける。
角度によっては軽い力でも大の男があっけなくひっくり返るもの。
武道の心得があれば避けられるが、残念ながら男にそれはなかったようで、楽にベッドに引き倒せた。
のしかかって、薄い唇を吸う。
いつものような、触れるだけのそれとは明らかに違うことに、戸惑った顔をした男。
なんだよ、こういうのは嫌か?
けど俺はいつもこんな風に考えてきた。
お前をそういう対象に考えてきたんだ。
嫌ならいやだと今拒否しろ。
でないと俺は。
初めて舌を差し入れながら、だめならこの舌を噛み切れ、と思いつつ見つめていると、男の目が伏せられた。
少し大胆な気持ちになり、舌を絡めると乗ってくる。
服の上から触れても目をぎゅっとつぶるだけで抵抗はなかった。
どういう心境の変化かはわからないが、やるなら今だ。
数多の修羅場で培った俺の本能が、ここしかないと俺の体を後押しする。
首筋を舐めると、男の汗の味がした。
ワイシャツ越しに乳首をひねると身体が引きつる。
ズボンの前立てを開く時だけ抵抗があったが、その時には男自身も興奮しているのだから造作ない。
普通の男の物ってのはこんな風に簡単に勃起できるものなのだろうか。
誰の手でも見境なく興奮するものなのだろうか。
そんなことすらわからない己の不能が恨めしい。
追い上げて、追い詰めて。
「ブラック・ジャック」
「出る。出るから」
聞いた事のない調子の声。
こいつはこんな声も出すのか。
手のひらで受け止めきれると思っていたが、できなかった。
汚れてしまった下着から手を引き抜き、どんなもんかちょっと味見したら
「手を洗ってこい!」
とすごい剣幕で怒鳴られる。
その調子がいつもの物に戻っているのにほっとして、手を洗い
「お休み」
と声をかけて部屋に戻った。
ベッドに入って右手を見つめる。
この手があいつを高め、精を出させたのだ。
俺の大事なこの右手が。
明日のオペはきっと成功するだろう。
翌日は満ち足りた気分で目覚め、オペに専念することができた。
メスの調子もいい。
しかも今日の助手はかゆいところに手が届く。
ピノコは俺のことをよく知っているが、難しいことは任せられない。
病院で貸してもらう助手は大概俺の希望より一拍遅い。
今日のオペはかなりの難手術だが、失敗しそうな気がしない。
オペ後に患者の容態変化がないか観察するのは骨の折れる作業なのだが、病院が請け負ってくれるというのでホテルに戻り、ベッドに倒れこむ。
あいつも安楽死なんて止めて、俺の助手になればいいのに。
そうしたらずっといっしょにいられるし、俺はすごく大事にするのに。
身勝手な願望を抱きながら睡魔がやってくるのに任せる。
俺は直下型睡眠で一瞬の内に熟睡するが、満足すれば目覚めもいい。
だから奴がぶつぶつ言いながら俺をひっくり返した時には半分目が覚め、タイを引き抜くころには完全に覚醒していた。
だがせっかくなので力を抜いたままでいるとベルトをくつろげられ、靴と靴下まで脱がされる。
「本当にこの先生は仕方ないんだから」
「靴まで履いたままじゃ疲れるだろうに」
なんて小言が馬鹿に楽しそうで、俺まで愉快な気持ちになる。
だから起きている俺に気づいた奴を引き寄せ
「キスしてくれよ」
なんて言ってしまったのだ。
ほんのふざけ半分で、期待してはいなかった。
だから本当に吐息が降ってきた時には信じられなかった。
長い、長いキス。
体勢を入れ替えても、奴は俺を跳ね除けたりしなかった。
それに勇を得て、奴のガウンをはだける。
昨日は急く気持ちが強くて、素肌に触れることすら考えに及ばなかった。
でも今なら存分に触れる。
舞い上がっていた俺は、一番大事なことを忘れていた。
触れて、奴を往かせて、それからどうするのか。
昨日は不能だとばれなかったけれど、そんなの何度も続くはずない。
その後待っているのは破滅だけではないのか。
だが俺は目の前のことに夢中でそれどころではなかった。
男の骨格は美しかった。
その上に乗った肉に若者の張りはなかったが、その微妙なゆるみが逆に手に心地よい。
大小の傷が散らばった皮膚。
一番大きなのは、俺がつけたオペの痕。
一番新しそうなのは、どこでつけたのか弾がえぐったような腕の痕。
そのすべてに触れ、味わい、男の反応を引き出していく。
俺はセックスなんて与える側と与えられる側の二つしかないと思い込んでいた。
なぜ俺のシャツを脱がそうとするのか判らないまま奴の手をはずしていたのだが、こいつにとってのセックスはお互いが与え、受け取らなければならないものだったらしい。
俺の股間がまったく反応していないのに気づくや否や、今まで赤らんでいた顔が一瞬のうちに普段どおり、いや普段より青ざめて暴れだした。
嫌だとなれば、力だけでは俺のほうの分が悪い。
「何だよ」
と言いつつ、臍を固めて己の不能を告白した。
これでお終いか。
それでもここまでいけたんだから、俺にしては上出来。
今ならまだ哀れまれたり軽蔑されたりするにしても、決定的に仲が壊れたわけじゃない。
何とかそう思い込もうとしたが、どうしても出来ない。
なぜお前に手を出すのかって?
手を出したかったからに決まっているじゃないか。
快感が欲しいと思ったことはなかった。
ただ、この男の素顔を見たいという強烈な欲望があるだけだった。
俺の手に感じて表情を変えるさまを見たい。
乱れて息荒く俺の名前をささやいて欲しい。
俺がいると言って欲しい。
だがこの男はそれでは嫌だと言う。
一人で乱れるのはごめんだと。
けれど、己に快感が欲しいと願ったことはなかった。
俺にはそれがどんなものか、欠片もわかりはしなかったから。
他に一体どうすればいいのか。
やはり俺では駄目なのか。
もういい。
こうなればやけだ。
乱れて欲しいなら乱れてやろうじゃないか。
俺の内面を見たいと言うなら、見せてやる。
そのかわり、腰を抜かして逃げるんじゃないぞ。
無理だとわかっていることを無理やり唱える。
俺はまともな人間関係を築けない人間なのだ。
大体復讐に生きると決めた人間が絆を作りたいなんて、ずうずうしすぎるってもんじゃないか。
決心すれば早かった。
ゆっくりズボンを脱ぎながら手順を考える。
せっかくだから、萎えるなよ。
かばんからワセリンを取り出し、ベッドにしゃがんだままの奴のそばに乗り上げ、中身を手に取る。
こんな浅ましい夢を何度も見たっけ。
夢の俺も自分で広げて奴を乞うたけれど、現実の俺は夢のようにかわいくは振舞えない。
こうなれば高飛車に圧倒させるしかないと思い定める。
今まで拡張の真似事をしたと言っても入れたのは指一本がせいぜいだった。
だから一度に二本入れただけで気持ち悪くなったが、薄目を開けると奴が俺を凝視していたので少しでも扇情的に見えるように挑発する。
これが最後だ、と思えばなんでも出来るものだ。
俺なんかが擬似セックスのように指を出し入れしても気持ち悪いだけかも、と思ったが、先ほど一度萎えたはずの男のものが立っているのを見て嬉しくなった。
俺のこんな様でも少しは興奮できるなら、最後まで持ち込めるだろう。
萎えるなよ。
こんなこと、しらふに戻ったら気持ち悪くなるだろうけれど、俺にとってはこれが最初で最後なんだから。
軽く男を転がして、腰にまたがる。
肛門など排便時には勝手に広がるものだし、入り口さえほぐせば何とかなるだろう、と思っていたが、現実は甘くなかった。
あれは一瞬だから通過できるのであって、ずっと開いているわけじゃない。
だから直腸に来ると便意を覚えてなるべく早く体外に出そうとするのだ。
つまりここは物をずっと置いておく場所ではないわけで。
無理やり押し込んだので、入り口近くがぴり、と裂ける感じがした。
犬のように荒く口で呼吸し、痛みを逃す。
大丈夫、あともうちょっと。
よし。
「どうだ、入れてやったぞ。どうして欲しい」
何とか息を整えながら訊ねる。
正直、今すぐ動ける確証はなかったが、そうして欲しければそうしてやるつもりだった。
ざっくりと裂けてしまっても構わない。
どうせ次などないのだから。
男はきついから少し待ってくれと言った。
でもちらりと見た顔は紅潮している。
大丈夫、萎えてない。
入れたあたりの動脈がどくどく脈打つのを感じる。
じわじわと潤う感じがあるのは、粘液が自衛しているのか、それとも出血か。
体のどこに力が入っているのか良くわからない。
人によっては前立腺の辺りに快感があるということだが、存在するのは焼け付くような、凍えるような痛みのみ。
でも、それでいい。
俺はこいつを征服したのだ。
やっと奴の顔を見られるだけの余裕が出来、覗き込む。
そこにあるのは欲ではなく、懸念の色ばかりだった。
それは、俺への憐れみか。
悟った途端残った理性が四散した。
俺は憐れまれたいんじゃない。
お前の仮面を引っぺがして、軟らかい内側に爪を立てたい。
ものにしたいんだ、お前を。
俺のものになれよ。
対等になれないことはわかっていた。
男同士のセックスなんて、やるかやられるかだ。
俺はやることが出来ないから、他で圧倒するしかない。
痛みなんて関係なかった。
お前ばかり乱れるのが嫌だと言ったな。
俺がこんなに乱れる様は面白いか?
良いと言えよ。
ほら、俺がこんなに乱れているんだから、楽しめよ。
哄笑しながら腰を振った。
あいつが何と言っても聞かずに。
「やめてくれ」
と涙ながらに訴える様を見ると余計興奮した。
もっと泣け。
もっともっと。
ことが終わると奴は無言のままガウンを掴んでよろめき出て行った。
その時になって、形はどうあれ俺は強姦をしてしまったのだと気がついた。