鳥の夢
気がつくと俺は生まれてから数年間を過ごした田舎町の小道に立っていた。
『ああ、これは夢か』
と不意に脳裏を現実が過ぎる。いくらここが『バスも一日に一本というレベルの田舎』だとは言え数十年も全く変化していないなどということは有り得ないし、天気の良いのどかな田園風景の中に人影が一つもないなんてことは尚更有り得ない。薬品の研究に没頭していた父がどこかの研究所などではなくこんな田舎に数年間も暮らしていた、というのを子供の頃は不思議に思いもしたが何のことはない、研究に必要な物質が近くの山で摂れるからだったと知ったのはいつだったか。
どうせ夢ならば・・・と父と一緒に入った山へと足を向けてみる。夢だからなのか、それとも子供の頃には長く感じられた距離も成人した今では大した距離ではない、ということなのかあっという間に山の麓の森に辿り着いた。
明るく木漏れ日の差す、今の『死神の化身』と呼ばれる俺にはあまりにも不釣合いだとしか言いようのない、お伽噺に出てくるような森の中をゆっくりと分け入る。小さな池の脇を抜け更に山の中腹を目指せば父が研究用に採取していた植物が群生している場所に出るのだが、そこまで行くのはやめた。実際父が採取している現場に居合わせたのは数えるほどで、子供の頃の俺はむしろこの森で父が『仕事』を終えてくるまで遊んでいたから今立っているこの場の方がずっと懐かしかったからだ。
池の脇の少し開けた草地には陽が燦々と降り注ぎ、その気持ち良さそうな場に誘われるようにして仰向けに寝転がる。そのまま俺は夢の中だというのにうとうととし始めた。
しかしその眠りを妨げるようにそれまで俺が踏みしめていた草の音や葉ずれの音以外全く音がしなかった世界に第三者の立てる音が入り込んできた。
小鳥の鳴き声だ。
耳障りというほどではない。ただ普通に耳にする小鳥の鳴き声にしては少し低音の、どこか物悲しげな囀りに興味を持って声のする方へと視線を向ける。
すると小鳥の方も俺の存在に興味を示したのか高い枝の上から更に下の方、片目しかない俺でもはっきり見える高さの枝まで舞い降りてきた。
宗教画に描かれるような天使ですらここまでではないだろう、と思えるほど美しい純白の羽根を持つその小鳥は不思議そうに俺をじっと見詰めている。その瞳はどこかで見たような紅。
どう考えてもこんな羽根の色の小鳥が野生でこの森に生息しているとは考え難い。多少の警戒心は見受けられるが野生動物ほど人間を恐れていない様子からも恐らくはどこかの誰かのペットが逃げ出してきたか何かなのだろう。試しに片手を掲げ呼び寄せるように口笛を鳴らすと暫しそれに耳を傾けていた後徐にその翼を広げ、やけにゆっくりとした・・・『ふわり』といった形容詞がぴったりくるような動きで俺の指先に留まった。
人の心の中まで見透かすような不思議な紅玉の瞳がじっと俺の一つしかない目を見詰めた後、まるで何かを語りかけるように先ほどの少し低音な囀りを再び始める。雲雀などの甲高い囀りならばこの明るい景色の中、違和感もなかったかもしれないし、もしかすると俺の気分を高揚させるものだったかもしれないが相も変らぬ物悲しげな声はむしろ俺を更に穏やかな気持ちにさせた。
小鳥も俺が何も危害を加えない、とすぐに悟ったのか俺の指先から肩、頭へと何度か飛び移りじゃれ付くように時折その小さな嘴で髪を引っ張ったりする。それどころか鼻の先をつつかれても俺が笑っているので完全に気を許したのか寝そべっている俺の腹の上で羽繕いまでし始めた。
そこまで懐かれれば元々そんなに動物嫌いでもないせいもあって、こちらもその小鳥がやけに愛しく感じられるようになる。夢の中の出来事だ、と自覚があるのにこのまま連れ帰って自宅で飼いたいとすら思った。
が、夢だという自覚と共にこの愛しい小鳥が以前は誰かのものだったことも脳裏を掠め、不意に明るくて広々としていた森が薄暗い闇に包まれたような錯覚に襲われる。
この小鳥は顔も知らない誰かから溢れんばかりの愛情を受けていたからこそ、これほどまでに人懐こいのだろう。そしてそれほどの愛情を受けていたにも拘らず飼い主の元を逃げ出したのだ。
そう思い至ると愛しさと憎らしさが頭の中でゴチャゴチャに混ざり合ってそれだけで一杯になった。
俺がこれほど愛しいと思ってもこの小鳥はまた逃げ出すかもしれない。
俺の不穏な気配を感じたのか、小鳥が飛び去ろうとするのを素早く捕まえ掌の中でじたばたともがく純白の塊をじっと見詰める。
ならば逃げられないようにすればいい。
結論が出るのにさほど時間はかからなかった。鳥かごに閉じ込めたところでいつか逃げ出すかもしれないという不安がなくなるわけではない。それなら最初から飛べないようにしてしまえばいいのだ。
握りつぶしてしまうほど力を入れているわけではないが、それでも体全体を大きな手で握られている恐怖からか未だ無駄な抵抗をしている小鳥の羽根を無造作に掴むと俺はなんの躊躇いもなくその羽を引き抜いた―――。
甲高く響いた小鳥の悲鳴。断末魔の叫びのはずのその声はどこか歓喜を含んでいた。
一瞬のブラックアウトの後、足元には腕を?がれた見慣れた青年が既にその紅い瞳に何も映さない冷たい骸となって転がっていた。
俺の右手には未だ生々しく血を滴らせた奴の左腕。
『ブラック・ジャック!?』
信じられない光景に、ただその名を叫んだ瞬間唐突に俺は夢から覚めた。
「キリコ?」
目の前には半裸姿のBJ。心配そうに俺の顔を覗きこんでいる。
「ブラック・・・ジャック・・・?」
目の前にいるBJと先ほどの夢の中のBJが重なって、信じられない気持ちがまず湧き上がった。確かめるように未だ震える手でその暖かな頬に触れる。
生きている、と感じられた途端自覚ないままに篭っていた力が全身から抜けた。
「どうしたんだ?魘されていたんだぞ、お前さん」
嫌な寝汗をかいていたことにも、奴がそっと羽織っていたシャツの袖で拭ってくれたことで気付く。
「何でもない・・・ちょっと、嫌な夢を見ただけだ」
本当はちょっとどころではない。BJを・・・いや、例えあの小鳥が小鳥のままだったとしてもあんな風に生き物を残酷に殺すことに躊躇いがなかった自分の内面を見せ付けられたのだから。
「・・・疲れてるんだよ」
汗を一通り拭った後の額に軽く口付けを落とすBJ。その仕草にはもしかすると俺が見ていた夢の内容を知っているのか?とすら思いたくなるほどの慈しみが感じられる。
昨夜、ある患者の依頼を果たした後、偶然バーで会ったBJを半ば強引にこのホテルに誘い・・・まるでレイプするかのように力づくで抱いたというのに、だ。
以前、興味本位で読んだことがある『夢占い』の本の内容が何の前触れもなく脳裏に浮かび上がってきた。
『いつの間にか故郷に帰っている・・・わずらわしい現実から離れてのんびりしたい気持ち。子宮回帰願望。母親に甘えたい気持ち』
『美しい鳥の夢・・・身近に伴侶となるべき人が存在していることを暗示』
『鳥を捕まえる夢・・・臨時収入があったり、新しい恋が始まるかもしれないことを暗示』
ざっと一瞬にして俺の夢に関係のありそうな項目。確かに仕事をした後は無性に現実がわずらわしく感じる時があるのであながち間違いではないような気がする。だが鳥の夢は・・・
目の前のBJをじっと見詰める。
こいつとは商売敵でありながら何故か時折体を重ねる関係になっていた。セックスの相性は良かったが、そこに特別な感情があるとは考えたこともなかった。
奴の顔を見詰めたまま黙って考え込んでいる俺を、奴もまたじっと見詰め返している。俺の考えていることを読み取ろうとしているのか、元々紅っぽい瞳を更に不思議な紅色に染めて。
夢の中の小鳥と同じ二つの紅玉に見詰められているうちにあの愛しさが蘇ってきた。
あんな鳥の捕まえ方の夢がこの夢占いとやらに該当するのかどうか、第一これが『恋』というものなのか、まして奴が『伴侶となるべき存在』なのかも分からない。
だが『何か』が始まる予感がした―――。
End.
先日あゆみ様3周年の記念イラストをいただきましたが、その時のこちらのコメントを元にこんな素敵な掌編を作ってくださいました。
重ね重ねありがとうございます!
実はこのお話、BJ視点とキリコ視点からなっておりまして、その片割れのBJ視点はあゆみ様のサイトに飾られています。
状況は同じなのに、まったく違うお話なんですよ!
ぜひ! ご覧になってください。
あゆみ様のサイトはこちらからどうぞ!