未収録話『指』を読んで
先日、ある人が単行本未掲載のBJの話をいくつか送ってくださった。
その中に、あの有名な「指」も入っていた。
これは私の間久部観、ひいては黒男少年の過去に対するイメージを一変させるものだった。
いろいろ考えているうち誰かに話したくなったので、ここに書かせていただく。
最初に申し上げておきますが、これは個人的に思ったことであり、ほかの方の感想を否定するものではありません。
不愉快になる方がいらっしゃいましたら、すみません。
(「指」の詳しい内容については 「指 刻印」などで検索するとせりふを掲載しているサイト様のページにたどり着けると思いますので、そちらをご覧ください。
また、近くの図書館から国会図書館に一部のコピーを請求することも可能だそうです(著作権の関係で1度に1話全部を複写することはできないそうですが)。)
さて、本題。
私の間久部のイメージは
嘘つきだが黒男の親友で、親は金持ちっぽい
と言うものだったが、「指」だけを読んでみると間久部が嘘つきという設定はない。
その代わりに6本指という設定があるわけだが(彼は両手両足が6本指のため、いじめられている)、この6本指を5本指にする手術は正直そんなに難しくない手術のはずである。
漫画内にも書いてあるがそれなりに多い症状で(1000人に1,2人くらい)、多指を縁起のいいこととするインドなどに行くと6本指、7本指の人も少なくない(正直、本当に多い。『僕の手は幸運をたくさんつかむ手なんだよ』とわざわざ触らせてくれた人もいる)。
私の子供のころでも指が1本多かったから赤ん坊のうちに切った、なんて話はよく聞いた。
日本人の場合多指は親指側に現れることが多く、親指二つの大きさが似通った場合は機能が半分ずつに分かれていることがあるので、2本の指を半分ずつくっつけるなど手術は大変らしいが、間久部の場合は小指側。
BJは一番発達の悪い指を切っただけのようだ。
そんな簡単な手術をわが子にさせなかった間久部の両親はどういう人たちだったのだろう。
手術をさせるだけの金がなかったのか、病院などで産まなかったので簡単な処置で治ると知らなかったのか、子供に興味がなかったのか。
もしかしたら、単にその子の個性と考え、外見に惑わされないような人間に育ってほしいと願ってそのままにしたのかもしれない。
多指は腫瘍のようにどうしても取り除かなければならないというものではないのだから。
「6本指かだから緑郎」にした、というエピソードを見ると、もしかしたら最後の説が有力なのかもしれない。
だがもしそうだとしても、間久部本人にとってそれはとても残酷なことだったようだ。
私が「刻印」の間久部を金持ちと考えたのは、「親のいないガランとした家」に両親をなくした小学生の黒男が一人で住んでいるわけはないから(親が留守がちな)間久部の家と考えたこと、またふとしたチャンスをつかんでフランスに行けるようなボンボンだと考えたためでもある。
けれども「指」の間久部は金持ちのボンボンだろうか。
この二人、「指」ではクラスで化け物扱いされていつも一人ぼっちだった間久部が車椅子に乗った「きみ」に出会い、お互いに同情しあってともだちになった。
毎日一緒に遊んで慰めあい、からかわれればからかわれるだけ歯を食いしばって必死で勉強した。
BJはそのうちに手術を受けて歩けるようになり、医者になろうと決めたが、間久部は奨学金をもらってアメリカの大学へ入れることになった。
とある。
彼は自費でなく、努力して奨学金をもらっての留学なのだ。
そしてアメリカ留学の前に間久部はBJに指を落としてもらう。
「君の手で切ってほしいんだ」とあるが、これは友情のためだったのだろうか。
この流れを見ていると、私は「病院で穴を開けると高いからお前がピアス穴あけてくれよ」と言う学生を見ているような気分になってしまう。
何しろ親は「6本指だから緑郎」と名前をつけてしまう人達だ。
アメリカに行く前に指を切りたいから金を出してほしいと言っても取り合ってもらえなかったのではなかろうか。
黒男についてはどうだろうか。
あくまで「指」の中だけの設定だが、ここでのBJは車椅子に乗っているが、それは爆破事故のせいではない。
彼は単に身体障害者と紹介されているだけで「たった一人のお袋」に死なれたなんて事は書かれていない。
つまり、二人が「いろんなことを語り合った」大きな窓のある家は黒男の家かもしれないし、黒男の両親も健在かもしれないのだ。
彼は「けが人」でなく「身体障害者」だ。
どんな障害かは知らないが、手術を受けて初めて歩けるようになるような障害を持っており、彼はその手術を受けられた。
現在は保険でカバーできるものも多いが、当時は財力がなければ受けられないものも多かったはずだ。
それだけの財力のある家に育ったのだろうことからも、あの二人で勉強した大きな窓の部屋は黒男の家だったのではないか(蛇足だが「二人でいろんなことを語り合った」あのシーンは「指」では二人で猛勉強をしているところである。この二人、顔つきあわせてなに話していたんだろうかと思っていたが、必死に勉強していただけなのか・・・)。
この話は連載初期(28話)なので、手塚先生もBJの生い立ちについて漠然としか考えていなかったと思うのだが、そのころの設定ではもしかしたら彼は体が不自由なだけで、ごく普通(か少し金持ち)の家庭に暮らす少年だったのかもしれない。
そんな目で見ると、彼の着ている服はなかなか凝っているように見える。
この黒男の両親はどんな人だったのだろう。
「指」の3話前の25話に「灰とダイヤモンド」がある。
この話中、BJは姥捨て山のような老人施設で母のことを回想している。
どうやら彼の母はどっちに転んでも薄幸の人だったようだが、老人になるまでは生きていられたようだ。
それとも若くして病を得るなどして、姥捨て山に捨てられるようにだんなにでも捨てられ、悲惨な最期を遂げたのだろうか。
父親はどんな人なのだろう。
今までのことを考え合わせると、それなりに資産家だったように思えるのだが、ここら辺になるとすでに妄想の域を出ない。
今回2つの話の両方ともに「親友」という言葉が一度も使われていないことに驚いた。
特に「刻印」の二人は仲がよさそうだったからどこかで使われていると思い込んでいたのだが、ほかの方の創作を拝見して勝手に思っていただけらしい。
間久部は黒男が母親をなくして一人っきりで一番つらかったときに出会ったたった一人の友達、と見るからこそ、その絆が強かったはずだし、その裏切りは部下の独断だったのでは!? との憶測も出てくるが、「指」のBJは間久部にそれほどの思い入れがないように見える。
そして間久部の方にも、BJにだけは嘘をつかなかったという設定がない分、ドライな感じだ。
手術をお願いするのに脅す、というやりかたに「刻印」では違和感を覚えたが、「指」では自然な感じを受けるのもそのためなのだろう。
こんな風に考えていくと、間久部はBJをどんな風に見ていたのかと疑問がわく。
今まで考えていたように甘ったるい感情ではなかったのかもしれない。
特に彼が手術を受けて歩けるようになった時、うらやむ気持ちはなかったろうか。
BJの手術はかなり難しいものだったろう。
それに引き換え自分はこんな簡単な手術すら受けることもできずに・・・と思ったことはなかったろうか。
6本の指でガムシャラにがんばっていれば今頃は大学者だったのにな と自嘲する間久部を見ているとなぜかそんなことばかり考えてしまう。
そうだとすれば、彼にとってはあんなふうにBJに爆弾を送るのも自然なことだったのかもしれない。
そしてBJの側も、彼が脅して手術を迫ったときには友情の終わりを予見していたのかもしれない。
と、ここまでいろいろ書いてきましたが、私がこの話を読んで一番に思ったのは、こんな中学生かわいすぎ! ということでした。
子供時代の回想、『刻印』では小学生として描かれているあのエピソードが『指』では中学での出来事になっているのです。
BJはきっとクラス1、いや学年1小さかったんだろうなあ。
こんなにかわいい中学生が手術を受けて歩けるようになった途端、運動するようになったおかげでぐんぐん背が伸びたんだろうか。
手術を受けた時点で彼は不幸がなくなってしまうわけだから、彼の本当の修羅の道はこの後なのだろうなあ。
など、読めば読むほど中学時代の彼妄想が膨らんでしまいます。
皆様も機会があればぜひご覧ください。