逃避行

 

 

俺は逃げ回っていた。

どうやら俺は相続関係のトラブルに巻き込まれたらしい。

世の中には本人の意思と関係なくその早い死を望む者、遺言状を書き直す間だけでも生き延びさせたい者など、いろいろいるのだ。

依頼人には気の毒なことをしてしまった。

彼は一刻も早くこの苦痛から逃れたいと言っていたのに。

 

しかし何故俺は逃げ回らねばいけないのか。

すねに傷持つ俺が警察に密告するなんてことあるわけないのに、被害妄想に陥った奴らはヒステリックに俺の口を封じようとする。

きっと又依頼人の様態が変わったり、遺言状のごたごたに進展があれば風向きも変わるのだろうから、ヒートアップした頭が冷えるだけの間、逃げ切れればいいのだが。

 

「いたぞ」

と言う声から逃れる為走り出すが、路地の反対からも男が出てきた。

挟み撃ちか。

先の声に向かって走り、飛び掛ってくる腕を受け流しつつ、足を踏む。

勢いあまって転ぶ脇を抜け、路地の外に出ると、もう2,3人走ってくるところ。

なるべく人の多いほうに逃げたいのに、逃げられるのは意に反して暗く寂れた方だけだ。

参るな、と思いつつもつれそうな足を動かすが、そろそろやばい。

ほら。

 

しばらくは持ちこたえていたが、やはり視界の欠けた左からの攻撃に弱く、不覚を取った。

後ろで両手をぎりぎりと締め上げられながら

「先生、散々手をわずらわせてくれたな。でもここで終わりにしよう」

と言う声を聞く。

鬼ごっこはつかまったらおしまいだ。

ま、俺は逆縁の不幸だけはしようがないし、妹も独立して働いている。

いつかはこういう日が来ると思っていたんだし、と目をつぶった時、唐突に黒い男を思い出した。

 

口論でぎゃんぎゃん言い立てる声はうるさくて癪に障るけれど、プライベートではなぜか馬が合った。

気取りなく話したり飲んだりするだけの関係が、変わったばかりだったのに。

あいつは俺がいなくなったのに気がつくだろうか。

それともどこかの患者にかまけている間にそのまま忘れてしまうだろうか。

 

何かが空を切る音がしたかと思うと

「うわ」

「ギャッ」

と言う声があがった。

後ろの手が緩んだ隙にすねを蹴り、体を入れ換えて腕を振り切る。

向かってくる体をうまく受け流して、相手の力のまま投げた。

「キリコ、こっちだ」

という声に向かって全速力で走る。

ちらりと視界の端にメスの刺さった腕や脚を押さえる男達。

 

奇跡的に大通りに出ることができ、そのまま男に遅れないように走るが、息が切れてきた。

このままではすぐに追いつかれるだろう。

俺と一緒にいたら、こいつまで巻き込まれる。

このまま立ち止まってしまおうか。

そんな俺の弱気を察したのか

「もうちょっとだ。そこの路地に入るぞ」

と手を引かれた。

 

路地に入り、やっと足を止めると息を切らせながらも

「お前、携帯持っているだろう。貸せ」

と俺から奪い、あわただしく番号を押す。

「いんこか、俺だ。ここか? ○○1丁目って書いてある。え、近くにいるって? ああ、○ビル、見える。横の路地だな」

と俺を引っ張って走る。

「入ったぞ。うわ」

路地の中、電気系統のドアだろうと思っていたものが急に開き

「早く入れ」

と手招きされた。

大急ぎで入る。

 

そこはほんの小さな部屋だった。

まるで衣裳部屋のような、狭い場所。

それでもシャワーとトイレ、洗面台が付いている。

ぎりぎり最低限がそろった感じだ。

「お前、こんなところを持っているんだ」

と言うBJに、サングラスをかけたおかっぱの気障そうな男が

「上得意への特別サービスで教えたんだから、絶対口外するなよ。今隠れ家の手配をしているから、その間にちょっと休んでな。それ、そこの洗面台の下に食料があるから」

と指し示す。

指された場所をごそごそ探ると缶詰やペットボトルが出てきた。

とりあえず上着だけ脱いで、食い、かつ飲む。

格闘なんて久々にしたので、缶詰のパンに缶詰の惣菜をはさんだだけのものでもありがたい。

奴もパンにかぶりついていたが

「あ」

と言うと俺の携帯を又勝手に使い始めた。

 

「手塚先生か、俺だ。悪いがまたピノコを2、3日預かってくれないか。まあそう言わずに。お前さんだって俺の手を使いたいこともあるだろう? お小言は今はなしだ。どうしてもって言うなら迎えに行ったときに聞くから。大丈夫だ。ああ、すぐ頼む。」

「ああ、ピノコか。悪い、お前ちょっと手塚先生のところに行っていろ。ちゃんと戸締りするんだぞ。先生が30分後に迎えに行くから。ああ、たいしたことじゃない。俺は大丈夫。一人じゃないよ、キリコの奴と一緒だし」

それから俺を手招きして

「ちょっと出てくれ。あいつ本当にお前が一緒か出せって言うから」

と携帯を押し付けた。

 

耳に当てると

「キリコのおじちゃん? 二人とも大丈夫? 怪我してない?」

と女の子の声がした。

いつも思うが、自分のほうが親のような言い方だ。

そこが逆に子どもらしくて、つい微笑んでしまう。

「大丈夫だよ。俺が先生を巻き込んじまっただけで、先生のトラブルじゃない。二人とも元気だ。ただ変な奴がうろつくといけないから、念のためお嬢ちゃんも移動してほしいだけだよ。」

と説明していると、目の前の奴が変な顔をした。

何だと思いつつも電話を返す。

23話すと電話を切り、今度は警察のお偉いさんに電話。

今度は横柄な、ほとんど脅迫めいた言い方でどんどん話を進めていく。

 

こいつは本当にどんなコネを持っているんだろうと思う。

俺もそれなりにつてはあるし、目のハンデがあってもそこそこ格闘も出来るし逃げ足も速い。

だがこの男は格が違う。

一瞬の判断力の速さと的確な行動。

度胸の良さ。

男として嫉妬に駆られるほどの、男。

 

こいつのコネは金のせいだけじゃない。

この男としての格に惚れる奴も多いのだ、きっと。

そういう男惚れの感情が他のものになってしまっている奴はいないのだろうか。

俺以外に。

 

ふと気づくといんことかいう男がこちらを向いてニヤニヤしていた。

俺と目が合うと

「あんたとこの格好で会うのは初めてだね。あの時はいつも傲慢な先生が目の色変えていて面白かったよ。俺は探偵のいんこだ。これからごひいきに」

と全開でにやり。

胡散臭い男だ。

「キリコ、そいつはぼったくりだ、気をつけろ」

と言うBJに

「へえ、先生がそんな事言うんだ? ぼったくりなんてどの口でおっしゃれるんで?」

と混ぜ返すいんこ。

そうしながら、ちらとこっちを見たような気がしたのは目の錯覚だろうか。

 

「さて、俺の手配はついた。このビルの地下でライブをしているからその客にまぎれて出て、そのまま3ブロック歩け。すると地下鉄の入り口の近くにタクシーが待機しているから、それに乗れ。そいつがもうちょっと広いアジトに連れていくから」

と言いつつ俺たちを見る。

「あんたたちそのままじゃ目立つから、少々変装してもらうよ。」

と俺を立たせて

「でかいね」

と言いつつ服を見繕っていく。

 

「カツラより、メッシュを入れてポニーテールにでもした方がいいかな。眼帯はやめてこのサングラスをかけるんだ」

と一そろい渡され、しぶしぶ着替える。

他人のペースに乗るのは癪だが、これだけの衣装をそろえているのだ、きっと変装を得意としているのだろう。

 

後ろで

「何だこれは!」

と怒る奴と

「くっくく」

と笑う声がする。

確かにこんなパンク崩れのような服、俺だって嫌だ。

なんだって使い道のない金属がこんなに色々ついているんだ。

上着なんてきつくて、ボタンを留められず前全開の、妙に若者じみた姿だ。

こんなの20代までの若造しか似合わないだろうにと思うが、確かに普段の俺とはかけ離れているから変装にはなるのかもしれない。

しかし、何が悲しくてこんな腹の見えるような服、と思いつつ振り向いて思わず

「ぷ」

と吹き出した。

そこにいたのはブラックジャック子と源氏名で呼びたいような、スカートを穿いた男だった。

 

正直、不気味だ。

スカートからにょっきり出た仁王立ちの素足は傷だらけ、すね毛あり。

顔もいたって男らしい。

なのに服装だけが女物なのだ。

襟元から覗くのど仏が悲しい。

 

「ほら、こいつも笑っただろう。絶対に不気味だから、男の格好をさせろ。」

と怒る男にめげず

「大丈夫。まずこのゲイバーご用達の超サポートストッキングを穿け。その後俺がどぎついあんたにぴったりな化粧をしてやる。最後にこの赤毛のカツラをかぶって首にチョーカーを巻けばライブ帰りのカップル一丁上がりだ。

今日のライブはカップル限定だ。こっちの兄さんも案外と女装が似合う顔をしているけれど、背があるから美人にすればするほど目立つよ。背の順で言ってもあんたが女装だね。この兄さんとつりあう美人になりたかったらその髭剃りを適当に使ってからストッキングを穿くといい。先生が穿いている間にあんたの髪を整えるから、あんたはこっちの洗面台に移動して」

と立て板に水だ。

「あっちが赤毛だから、あんたのメッシュも赤がいいな」

と言いつつほんの少し髪を取っては赤いクリーム状のものを練りこんでいく。

「シャワーを浴びれば取れるから」

と言いながら手早く髪をすき、前髪もすべてまとめて一つにされた。サングラスをかけているとはいえ、開けすぎた視界が妙に恥ずかしい。

「あんた、いい額してるね。こういう総髪にすると時代劇に出てもおかしくないよ」

と言われたが、これは俺にも恥ずかしい思いをさせればあいつも我慢すると思ってのことだろうか。

やり手婆みたいな奴だ。

 

「はい、次は先生だよ」

と俺は衣裳部屋に戻される。

どんな風になるか怖いもの見たさもあるが、絶対に吹き出さないようにしなくては。

とにかく変装にはなるだろうし。

変態装にならなければいいのだが。

 

「ほい、2丁上がり。やっぱり俺の目に狂いはないな」

と並ばされ、お互いをまじまじと観察する。

驚いたことにあの男くさい顔の土台はほとんど変わっていないのに、見事女の顔になっていた。

下地のために皮膚の色の違いはわからない。

だが嫌味たらしく、元の傷跡の上にわざと傷跡を描いてある。

元の傷より大げさに。

だがそれが逆に作り物めいていて、下に本物の傷があるとはわからない。

まつげは上げてあるだけのようだが、もともとまつげの長い奴なのでマスカラを使っているように見える。

目の下と唇の脇に小さなつけぼくろ。

確かにこういうものをつけるとその部分に視線がとどまるから、変装にはいいのだろう。

だが、それにしても。

 

「ふふふ、いい男になっていて驚いたか。この兄さんは着やせするたちだな」

といんこに抱きつかれたのは俺のほうだった。

腹筋から胸板をなでられて怖気が立つ。

「いんこ、お前の服装倒錯に付き合ったんだから、今回の料金はチャラだぞ。早く案内しろ」

と奴が目を怒らせる様は、だが女の格好だと逆に色っぽい。

「最低限の必要経費だけは欲しいね。あと5分待ちな。俺も支度がいるんだから」

となにやら服を持って洗面所に入った男はかっきり5分後に現れた。

BJの格好になって。

よく見ると傷がなく、黒髪のままだが、雰囲気その他、驚くほど似ている。

「傷がないじゃないか」

という男に

「そこまで似せたら俺の命が危ないよ。俺は先生の目くらましなんだから、ほんのちょっと似ているくらいがちょうどいいのさ」

と笑う表情は、だが俺の知る男とはまったく異なるもの。

 

「さ、こっちだ。あんたらの荷物は別便で運ぶよ」

と言いつつカーテンで隠されていた別の入り口をあけ、BJを出した後

「あの先生は感情が高ぶると色気が増すね」

と俺にだけ聞こえるように話す男。

人をからかって遊んでいるのだろうか。

それとも、こいつも。

 

「本当にあんたら、面白いね。あの先生もあんたも、お互いが絡むとかわいいもんだ。言っておくけど、俺は売約済みだよ」

と背を押された。

 

その時ちょっと先の階段から人がどっと上がってきた。

確かに俺たちの服装なんてましに見えるくらい、珍妙な格好の群れだ。

はぐれそうになる男の手を取り、俺の腕に絡ませる。

ちらりと目を上げるのに

「似合うぞ」

と言うと

「そっちこそ」

と笑われた。

 

外に出る。

なるべく他の人間のようなだらけた歩き方を心掛けるが、何処からか視線を感じ、落ち着かない。

敵でなく、単に回りの連中に後ろ指指されているのかもしれないし、もしかしたら二人とも長身の部類なのでそれだけで目立ってしまうのかもしれない。

背後で

「おい、あれ」

という声を聞き、走り出したくなったが、ばたばた走る音は別の方角に向かった。

いんこのおとりかもしれない。

 

指定された場所にタクシーなんているのか半信半疑だったが、あまりタクシーらしくないのが予約待ち状態で止まっていた。

「やっぱりあいつか」

と小さくうなる声がする。

「知り合いか?」

とたずねかけた時ドアが開き

「先生たち、早く入れ。変なのがうろうろしだしているんだ」

と運転席から声がした。

 

席に座るが早いか、車が走り出した。

驚くべきスピードだ。

「キリコ、シートベルトをして死ぬ気でどこかにしがみついてろ。この車、どうにもならなくなると変形して、壁でも河でも走っていくぞ」

と男が言うのは誇張にしても、確かに荒い運転だ。

なのに運転手は曲芸のようにハンドルを捌きながら

「先生、今日はおもしろい格好だね。そっちの彼としけこむ所かい?」

などとのんきに話しかけてくる。

「ありがたいことにな。ミッドナイト、お前、いんこと知り合いだったなんて初耳だぞ」

と俺の隣。

「知り合いって程じゃないけど、何回か乗せてるかな。今回はメーターの10倍むしっていいからっていう話だったんだけど、先生の仕事って知っていたなら20倍って言っておくんだったな。相変わらず先生の周りは物騒だね」

と男。

その間にも回りでカーチェイスが繰り広げられている。

寄せてくる車をひょいひょいとかわしながら、矢の勢いで走る車。

高速を降り、又乗り、そして降りるたびに脱落者が増え、気がつくと車は止まっていた。

「さ、ここが言われた場所だよ」

という、そこは郊外の別荘という趣の家だった。

「鍵は呼び鈴のふたを取ると入っているってさ」

と言われて外に出ると

「これ、荷物」

と紙袋を放り、タクシーはすぐにまた闇に走り出していった。