夜中だというのに、家の周りがほの明るかった。

 

普段なら闇に埋もれた俺の家。

昔は高級住宅街だったろう一角にある俺の家は、木が多いために落ち葉がすごい。

だから秋は高齢者人材センターに清掃をお願いしていたのだが、春のこの時期は盲点だった。

 

うちには桜の木があるのだ。

たった1本だが、枝の一部が塀の外に出ているのでこの惨状か。

 

仮眠から覚めても、まだ朝の時間帯だった。

熱いシャワーを浴びて、外に出る。

コンビニで食料を買い、家の近くの道に入ると惨状にくらくらした。

道が桜でいっぱいだ。

 

ありがたいことに近所も樹のある家が多いから、特別苦情を言い立てられることはない。

高齢化の進んだ一帯だから。

とはいえ、これはまずいよな。

いつもの人材派遣センターに電話しなくちゃ、と思ったが、今日来てくれるとは限らない。

物置から、竹ぼうきと大きな塵取りを取り出す。

それに、ポリ袋だ。

 

ちょうど満開を過ぎたところらしく、風もないのに音もなく花弁が舞い落ちてくる。

道いっぱいに広がった花弁はご容赦願うとして、歩道の隅に積もった分だけでも掃いておかないと、雨が降った時に悲惨になるだろう。

このご時世、転んだのはお宅のせいだとねじ込まれないとは限らない。

陽気もいいし、少しだけ身体を動かすか。

 

竹ぼうきで集め、塵取りに受け、ポリ袋に入れる。

積もった花弁は美しく見えるが、それは表面だけ。

ほうきで寄せると、下の方はしおれて変色してきているのがわかる。

それはそれで、俺は嫌いじゃないけれど。

道の半分も終わらないうちに、袋のあらかたが詰まってしまった。

袋の位置をずらそうとして、驚く。

重い。

口を引っ張ったら、袋が破けそうだ。

こんなにはかなげな風情なのに。

 

何度か掃いた落ち葉とは違う。

花弁には水分があるんだな。

常緑樹の落ち葉だって青々としたまま落ちてきたりもするが、こんな重さになったことはない。

花弁は美しいまま、命の重みごと落ちるのだ。

 

なんてね。

 

余り入れると袋が心配なので、上に余白を残したまま門をくぐる。

庭の隅に穴を掘ってあるので、そこで袋を逆さにして中身を空ければいい。

そう思っていたのに、桜の傍らを過ぎる時、袋は握ったところから破れてしまった。

あーあ。

面倒だから、花弁はここに積んでしまうことにする。

敷地内なら、文句もあるまい。

移動距離が減った分作業もスムーズになり、3袋分の花弁をまいたところで門前の道路はすっきりした。

 

そして桜の下にはうず高く積もった花弁の残骸。

 

近くで見ると、本当にひどい。

道にあった時にはまだ表面が取り繕われていた分綺麗に見えたのに、こうして一度まとめてからばらまくと傷んだ部分ばかりが目についてしまう。

しっとりした花弁は樹から離れた途端埃も吸うのか、花弁は砂だらけ。

 

こんなのにまみれて死にたいもんかね。

いや、彼女の言ったのはこんな風にゴミになってしまった残骸でなく、自然そのままに積み重なった花弁だったのだろうけど。

 

昨晩の依頼人は桜が好きで、本当は桜の絨毯の上で死にたかったのだと言っていた。

厚みだけ考えれば、これも十分絨毯に見える。

ちょっと均してから寝転んでみると、しおれた花弁の惨状は背中に消え、目に入るのは頭上の桜の花だけになった。

手触りは、まだいい感じだ。

ひんやり冷えてしっとりしているのに、水っぽかったり汁が出たりはしない。

もちろん長いこと寝転んでいたら、出てくるのだろうが。

 

空は薄青い。

春の空はぼんやりしているが、桜の背景にはちょうどいいかな。

うん、きっと彼女はこんな風に死にたかったんだろう。

できるなら。

何で家に樹があること、忘れていたのだろう。

ま、家族には秘密裏にとの依頼だったから、どの道ここに連れてこれはしなかっただろうけど。

 

「桜が好きなの。この季節まで生きられてよかった。本当は桜のじゅうたんに横たわって死にたかったけど」

「花の下にて春死なん、てご存知? 西行という人の歌でね、その如月の望月の頃、と続くのだけど、その人本当にその十数年後、その頃に亡くなったんですって。お釈迦様の入滅の日よ。と言ってもドクターは外国の人だからわからないわよね」

 

それまでほとんど物言わなかった依頼人が、機械が作動し始めた途端しゃべりだすことがある。

話しているうちろれつが回らなくなっていくのを見ながら、機械を止めたほうがいいか、迷う。

特にとりとめのない内容の場合は。

迷っているうち、声が途絶えていく。

昨日の彼女がそうだった。

 

彼女が本当に話したかったのはなんだったのだろう。

きっと俺でない誰かが相手だったに違いない。

自死をだれにも悟られたくない、と言っていた。

だが最後に恐怖や後悔はなかったのだろうか。

 

桜の花弁がはらはら落ちる。

このまま、この残骸と一緒に俺まで隠してはくれないか。

 

この桜がすべて落ちても、隠せるのはほんの一時。

変色して縮れた花弁はすぐに地面の一部になれるが、異物の俺はそうはなれない。

そんなことわかっているのに根が生えたように動くこともできず、ただ日の動くのを感じながら花弁の残骸に埋もれ続けていた。

 

 

 

先週桜を掃いていて、重いな、と。