何もないのに
とうとうこの時が来てしまった。
ずっと逡巡を続けてきたが、これ以上伸ばし伸ばしにしていても苦しみがいや増すだけのこと。
親父。
苦しい。
もうお前の手で終わりにしてほしい。
あんたはいつもそんな目で俺を見ていたな。
なのに俺には勇気がなかった。
そのあげくもう一度、後一度だけとオペを繰り返してずいぶん苦しみの時間を長くしてしまった。
でも今日こそは覚悟を決める。
重い足を何とか前に出し、ドアの前でまた一呼吸。
俺はプロだ。
動揺はしない。
さあ、今こそ彼を楽にしてやるんだ。
軽くノックをして、中に入る。
「親父。親父!? チクショウ、ユリか!」
部屋はもぬけの空だった。
狂ったように知り合いや思いつく限りの場所を探し回った。
いない。
いない、いない。
後はどこだ。
治らない病人を連れてあいつはどこに行ったのだ。
その時、治らない病気を治す男のことを思い出す。
もうあそこしか思い当たる場所がない。
車を走らせながらあの男なら治せるだろうかと気弱に思い、一瞬後に無駄だと切り捨てる。
あんなに探したのだ。
検査を繰り返し、専門医に見てもらい、我慢出来ずに自分でも探した。
丹念に丹念に調べたのだ。
それが逆に親父を絶望に追いやってしまったのかもしれない。
何度も切開したせいで、親父の身体には余計な傷がついてしまった。
それと共に希望にも傷がついていく。
何度痛い思いをしても治らない。
手の施しようがない。
それが親父を弱らせてしまった。
昔はあんなに強い男だったのに。
山のように安定した、俺の憧れだったのに。
「お前のママに早く会いたい」
と呟く親父の目には、俺もユリも、もはや映っていなかった。
思えば俺は親父に反発してばかりだった。
奨学金が出るからと軍立の医大に入り、支払い免除の為に軍医になったのは、親父を早く超えたかったからだ。
つっぱらかって俺なら大丈夫と過信して出た戦場は、でもまったくそんなものじゃなくて。
心をぼろぼろにして帰ってきた時でさえ、親父に「ほれ見たことか」と思われているような気がして早々に家を出て放浪して、逆にずいぶん心配をかけてしまった。
しかも金を稼いで家に入れるようになったと思ったら安楽死医だ。
どれほど失望を重ねさせたか。
最後なのだ。
これが最後。
これだけが俺が親父に出来て、俺にしかやってやれないことなのだ。
探さなくては。
そして今度こそ、俺が引導を渡してやるのだ。
遠くにぽつんと男の家が見えてきた。
あそこにいるのか。
親父。