恋文

 

 

地方から帰り旅装を解いた俺は、昼飯後しばらくくつろいだ後、重い腰を上げて久しぶりにパソコンを立ち上げた。

メールをチェックすると受信トレイにどんどんメールがたまっていく。

数字を見ていると気持ち悪くなるほどの数。

受信トレイを開け、題名を見て明らかにいらないと思うものをどんどんチェックしていき、一括削除。

題名だけではわからないものだけ仕方なく開け、大部分を削除していく。

家を何日か空けた後のこれが毎回うっとうしい。

 

頑として携帯を持たない俺も、さすがにパソコンでメールはする。

外科関係のいくつかのメーリングリストに入っている為だ。

それに海外の知り合いとのやり取りには、時差の関係もあり、メールのほうが便利でもある。

だが、俺の知り合いは緊急の場合は電話で俺を捕まえようとする。

俺が余りメールチェックしないことを知っているからだ。

 

俺のアドレスは、海外の尊敬すべき医師数人のほかはいくつかのメーリングリストと国内のほんの少数しか知らないはずなのに、何でこんなに宣伝だのなんだののメールが届くんだろう。

うんざりだ。

そう思いながらチェックしている俺の目に、見慣れたアドレスが飛び込んできた。

メールを開く。

 

「これからカルカッタだが、ブルックボンドの紅茶はいるか?」

 

たった1行。

あいつからだ。

ある時あいつにメールアドレスを聞かれた。

手帳を出してメールアドレスを読み上げながら

「でもほとんどチェックしないぞ」

と言うと

「家にいる時だけでいいから1日1度くらいはチェックしろよ。溜めたほうが面倒だぞ」

と言われた。

あいつに言われたからではないが、確かに溜めると面倒なので、家にいる時は日に1度くらいチェックするようになったのだった。

 

ここの紅茶は俺の好物で、家で飲む時はこれと決まっている。

外では出された時以外紅茶は飲まないが、インドのカルカッタ本社だけで買えるこの茶葉は、味といい香りといい最高なのだ。

そう言えば、さっき食後に紅茶を飲もうとしたら

「今切れてるの」

とピノコに言われて日本茶に変えたんだっけ。

 

「欲しい」

 

と返信した後改めて日付をチェックすると、もう1週間も前のものだった。

残念だが、今回は縁がなかったみたいだな。

そう考えながら残りのメールをチェックし終え、パソコンの電源を切ったところで

「小包です」

という声がした。

「はーい」

という元気なピノコの声。

何だろう。

まさかピノコが通販に目覚めたんじゃないだろうな。

今は『すてきなおくたん』などを買って変な倹約料理を作ったりするピノコだが、一時期は金銭感覚がめちゃくちゃだった。

まあ今も『大根の皮のきんぴら』を作るために大根を買い、皮だけ使って中身を干からびさせたりしているようだが、台所は彼女の聖域なので、時々気が向いた夜にこっそり腐ったりかびた元食べ物をゴミに出す以外は彼女に任せている。

彼女が気づいて俺かと問うた時には

「夜中に小人が手伝ったんじゃないか」

と言うことにしている。

ほんのちょっぴり小人が手伝えば、あの子もけっこう有能なのだ。

 

「先生、小包開けていい? お菓子だったらピノコに頂戴」

という元気な声を聞いて、杞憂だったとほっとする。

「いいけど、誰からだ?」

と答えながら居間に向かうと

「英語だからわかんない。あ、これ先生の好きな紅茶だ。ほら、この缶そうでしょう」

と大きな缶をうんうん言いながら引き出した。

大きな缶が2個入った小包は航空便。

差出人の名前は、あいつ。

 

ふたを開け、果物ナイフで内側の金属を破ると部屋中に紅茶の香りが広がった。

「今日は俺が淹れてやろう」

と言うと

「わあい、昨日買ったクッキー出すね」

とピノコがにっこりした。

その日は1日いい気分だった。

 

翌日、家に運ばれてきた患者を診、緊急オペをして他の病院に搬送する。

この頃はよほどのことがない限り、入院患者を取らない様にしている。

以前は全部うちでしなければならなかったが、この頃は手塚病院などうちの患者を引き受けてくれる病院もいくつか出来たので、特別な事情がない限りお願いしているのだ。

うちはたいした設備もないし、絶対的に人手が足りない。

ピノコもがんばってくれるけれど、患者が重なると本当に大変なのだ。

大体患者がいる間は海外の依頼を受けられなくなるし。

 

まあ、そんなこんなで忙しい1日が終わり、コーヒーを片手にパソコンの前に座る。

今日の患者のカルテを作るためだ。

覚えているうちにきちんと打ち込んでおかなくては。

打ち進んでいるうちにメールのことを思い出し、ついでに受信しておく。

打ち終わり、もう一度読み直してからカルテを閉じ、本日のメールのチェック。

いらないメールの中にあいつのメールを見つけ、大急ぎで開ける。

 

「手紙並みにのんびりしたメールだな。送ってある。1缶は俺のだから後で取りに行く。」

 

と、又1行。

 

「昨日来た。うまかった。礼を言う」

 

と返信する。

 

インドからの航空便なんて、高いのだ。

紅茶の値段とあまり変わらないくらい高い。

自分の所ではなく俺のうちに送ったのは、家で引き取り手がいなかったからだろうか。

でもこれであいつが俺のうちに来る理由ができた。

居間に行き

「ピノコ、開けてない方の紅茶は今度キリコが取りに来るそうだから、紙袋にでも入れておいてくれ」

と言うと

「あらまんちゅー」

と言いながら走っていった。

いつも思うが、あのポーズはどういう意味なんだろうか。

 

夕飯はピノコ特製カレー。

昨日の残りだ。

うちはカレーの時は大なべで作って3日同じメニューと決まっている。

食べながら、あいつがいるだろうインドのカレーを思い出した。

インドにいると日本のカレーが妙に恋しくなったっけ。

でも今は、あの暑い国であのカレーを食べたい気持ちになっている。

あいつとあの国で出会った時のことを思い出す。

 

翌日の朝食後、なぜかパソコンをいじりたくなり、メールを開いた。

普段俺は予定のない日は朝食後、ゆっくり新聞に目を通すのが習慣なのだが。

このところ、あいつから立て続けにメールが来ていたので、もしやと思ったのかもしれない。

 

けれど、着ていたのは「恋人募集中」とか「濡れ手で粟」と言うようなくだらないメールばかりだった。

すべて削除。

医学関係や仕事のメールは別フォルダにしまっているので、受信トレイに残っているのはあいつからのメールだけ。

10件ほどのメールは

「牛タンがうまい。お前の舌が食いたくなった」

とか

「地酒を手に入れた。明日以降来い」

などの1行メールばかり。

もう用が済んだし、削除してしまおうかとも思うのだが、何となく残したままだ。

他のメールはかなり重要なものまですぐに削除してしまい、あとでゴミ箱をあさったりするのに。

 

腹いせにソリティアを続けざまにやり、飽きたところでパソコンを切ろうと思ったが、最後にもう一度だけメールチェックした。

今度は1通だけ。

あいつからだ。

 

「今空港だ。インドの菓子を持っていく。お茶くらいご馳走してくれ。」

 

送信時刻は2時間前。

「ピノコ、お湯を沸かしてくれ」

と居間に向かったが、いなかった。

そういえば

「今日はバーゲンに行って、帰りにランチするの」

とさっき言いにきていたっけ。

 

ここらへんの気持ちも俺には良くわからない。

何で女はわざわざ交通費をかけて遠くのバーゲンに行き、浮いた金でランチをするのか。

そんなことするくらいなら近場の店で定価で買っても一緒だし、労力も使わなくてすむと思うのだが、それを言うとピノコに

「女心がわからないのね」

と言われてしまう。

まあいい。

テーブルの上にボンカレーとサ○ウのご飯が置いてあるので、俺の昼食はこれだな。

空腹に気づいたので、湯を沸かしながら急いでかっ込む。

 

湯が沸いたのでポットを温めていた時、タクシーの来る音がした。

紅茶と湯を入れ、盆をテーブルに運び入れた時、ドアを叩く音がした。

俺がドアを開けるのに軽く目を見張り

「お嬢ちゃんは?」

と周りを見渡す男にハンガーを示し

「バーゲンに行ったぞ。ランチをしてくると言っていたから後12時間は帰ってこないな」

と言いながらカップをとりに行こうとしたら、引き止められた。

 

 

 

せっかくの紅茶が最高の状態で出迎えたというのに、気を取り直した俺たちがカップに紅茶を移した時にはすでに冷たく、渋くなっていた。

仕方なくもう一度湯を沸かし、ポットをすすいで新たに温めて茶葉を入れようとした時、又タクシーの音がした。

ピノコが

「ただいま! すごくいい買い物が出来たのよ」

と声を弾ませて帰ってきたので、今度こそ3人でお茶を飲み、菓子をほおばった。

 

 

わかば様の70003のニアピンリクは『恋文』でした。

手紙でもメールでも可ということでしたが、彼らの『恋文』はこれが精一杯でした。

これでも彼らにとっては恋文なのだ、ということでよろしくお願いいたします。