キリコ屋敷
その日も奴は突然現れ「終電逃したから泊めてくれ」と酒瓶を出した。
と言ってもまだ11時にもなっていない時刻なのだが、奴の家の近くの駅までは電車があっても、奴の駅まで行く電車がないらしい。
いや、でもそんなの言い訳だ。
俺の所に来るときには酒の匂いがすることが多いから、もしかしたら飲酒して運転できない時に、車を取りにT県から戻るのが面倒だからと転がり込んでいるんじゃないのか。
仕方ない。
ここで大人気なく怒鳴っても、こいつの場合、馬の耳に念仏だ。
いつの間にかうちはこいつのセカンドハウス、もしくは朝食付きのねぐらと認識されてしまったようで、酒さえ持ってくれば何とかなると思われて久しい。
都内になんて住むんじゃなかった。
「本当になんで俺は定住なんてしてしまったんだか。」
つい思いが言葉に出てしまったようで、酒飲みが絡んできた。
「何だお前、前からここに住んでいたんじゃないのか? そういえば昔は出張専門だったよな。お前、こんな家買えるほど安楽死をしているのか!? このやろう、俺の情報は穴だらけなようだな」
と襟首を捕まれて酒臭い息をかけられる。
この酔っ払い。
何だ、その情報ってのは。
振り払ってもしつこく絡んでくるので、仕方なく昔話をすることにした。
思い出したくもない昔話を。
あれはまだそんなに昔のことじゃない。
カルディオトキシンを盗まれた後、次の次くらいに依頼を受けた患者だったような気がする。
そいつはいやみで頑固な爺さんだった。
大概の病人は俺が来る頃には疲れ果てていることが多いが、その爺さんは枯れるにはまだまだ、死に神だって追い返しそうな雰囲気をまとっていた。
いや、最初に病院に行った時には、今にも死にそうな老人に見えた。
なるべく早くの安楽死を希望すると言われて行った依頼先だったのだから。
だが契約の説明をすると
「3日後に連絡する」
と言われ、次に電話したときにはここに来いと言われたんだ。
この家は爺さん所持の不動産の一つだったらしい。
都心に近い割に緑が残っているのがお気に入りで、バリアフリーに改装して、入院するまで暮らしていたんだそうだ。
うちの診察室、あそこが爺さんの部屋だった。
爺さんはいつの間にか退院して、諸設備ごとあの部屋にいたんだ。
なんと専任の医師までついているのに俺を呼んで
「死ぬときには思い切りよく死にたいんだ。金なんてうなるほどあるが、どうせそんなのあの世に持っていけっこないからな。わしが死んで国庫に入るのもばかばかしいから、今のうちにたんと遊びたい。お前さんはわしと一緒にいて、何とかなりそうなら助け、どうにもならんと思ったら殺してくれ」
とこうだ。
俺は安楽死を取り扱ってもそんなことまで取り合わないと言ったが、帰ろうとしたらなぜか屈強な衆に取り囲まれた。
ほとんど拉致監禁状態さ。
とは言っても主治医に見せられたカルテは末期がんで転移も進み、余命いくばくもない。
別室でさっきの男どもに
「報酬は弾みますから、どうぞしばらく我慢してください」
と土下座するのに気おされる形で引き受けることになったんだ。
爺さんは男どもを顎で使い、車を仕立てては俺を繁華街に連れ出し、なじみだという店を1軒ずつ訪れては今生の別れを惜しんだ。
そのたびに俺をからかって店一番の女や男をけしかけたり、どう考えても俺が歌えっこないような高いキーの歌をカラオケで歌えと強要したりした。
ゲームセンターに俺が入ったことがないと知ると連れて行かれ、わけのわからないダンスのゲームをやれと言われたこともある。
嫌だと言っても屈強な衆が「俺と競争しましょう」とすごんでくるんだ。
本当に何度逃げようと思ったか。
でも俺を散々からかいからからと笑った後、ふと真顔になって俺の中に何かを追っている風なのを見ると、あと1日だけ我慢してみようと思い直していた。
正直、患者ってわがままなものだしな。
「最後のわがまま最後のわがまま」って心の中で念仏のように唱えていたな。
1週間ほどそんな日が続いた後、爺さんは急変した。
当たり前だ。
車椅子で点滴ごと移動し、家に戻ると毎日昏睡に近い状態になっていたんだから。
遊びまわれるような体力、どこにも残ってなかったんだ。
それでも本人がどうしてもと言い張っての外出だったんだが。
爺さんに呼ばれて部屋に行くと
「もう十分楽しんだし、遺言も書き直した。お前はこの家を使え。わしが在宅看護を受けられるように色々買ったから、お前さんも医院くらいできるだろう。」
と言う。
とんでもない、俺は報酬だけいただいたらすぐにいなくなると言ったが
「何が悔しいってわしが頑張って稼いだ金が国庫に入るのが一番悔しいんだ。屋敷の他の人間にも物や金をやってある。わしは生きたいように生きて死にたいように死ぬ。お前はその願いをかなえてくれるんだから、ちゃんと受け取れ。それとも死ぬ直前の人間の願いも聞けないか」
と最後まで脅迫さ。
そういうひねくれた物言いしかできない爺さんだったんだな。
安楽死を施した後、弁護士が爺さんのことを教えてくれた。
あの爺さん、昔戦災孤児としてすごく苦労した人らしい。
親父さんが戦争に行くときには「お国のため」と言われ、死んだときには「英霊」と崇めたてられ、でも戻ってきた骨壷の中にはたった1枚の紙切れが入っていただけだった。
おふくろさんは子供を育てるために働き続けたが、空襲で死んだ。
家も保護者もなくなった爺さんは生き延びるために何でもやった。
靴磨きから、闇米を運ぶ手伝い、GHQの車のガソリンを盗んでくるなんてことまで。
そうやってのし上がった人だから国への不信感は人一倍で、いつもどうやって脱税、節税できるかを考えていたらしい。
自分の金を1円たりとも国庫に入れたくなくて、俺たちに財産を分けた残りは全額を寄付することにしたんだそうだ。
最初は俺の安楽死をその場で受けるつもりだったのが、急に欲が出たらしい。
俺は昔、爺さんの兄貴分だった人に似ていたそうなんだ。
まったくいい思いをしないまま苦労だけしたあげく死んでしまったので、面影のある俺にいたずらを仕掛けたんだな。
あの爺さんやその代理人がどういう生業の奴らかは知らないが、何かすごい結束感があった。
1週間でも3日でもいいから生きたいと言う爺さんの言葉に、たった3日で医療設備を整え、在宅療養できるようにしたんだからな。
「最後に昔の頑固で威張り腐ったあの方にお会いできて、本当に幸せでした。病魔にどんどんお気が弱くなっていくのを拝見するのがつらくてならなかったものですから。『いい安楽死医を見つけてくれたな』と最後にお言葉をいただけました」
と言っていたよ。
威張っていたほうが嬉しいなんて、俺はまったく思えないけどな。
「そういうことですので、どうぞお受け取りください」
と何度も言われて屋敷を受け取ったはいいが、贈与税と固定資産税には泣いた。
そのときの報酬なんて、焼け石に水でしかなかった。
少しはあった蓄えがすっからかんになってひどくつましい生活をする羽目になったからな。
すぐに売り払ってやろうかと思ったが、何となくあの爺さんの怨念がこもっているようでできなくて。
その年は台所の食料庫に山ほど備蓄してあった缶詰やレトルトばかり食べていたら、奥のほうから不審な箱が出てきた。
中を開けたら手紙が入っていて、どうも敷地の地図らしい。
×印のついているところがあったので好奇心から掘ってみたらアタッシュケースが出てきて、中に使い古しの1万円札が結構入っていた。
ふたの裏に「税金分だ」と書いてあったよ。
最後まで嫌味で人をからかった人だったな。
俺、あの年は本当に極限近くまで貧乏だったんだから。
もし俺があれを見つけなかったら、すごく後に『謎の金発掘』なんてニュースになったんだろうか。
「お前って本当にじじいキラーだな」
と酒臭い息を吐かれる。
何だ、そのじじいキラーって。
「いつもそうじゃないか。どこに行ってもお前は爺さんに好かれてばっかりだ。アーア、俺もあやかってみたいね。」
わけのわからない嫌味を言い出すのを見ると、こいつずいぶん酔っているようだ。
黙って毛布を取りに行き、戻ると奴はすでにソファからずり落ちそうになって寝ていた。
靴下だけ脱がせて毛布をかける。
俺ももう寝ちまおうかな。
お休み、と一応声をかけ、電気を消して、俺も自分の部屋に戻った。
『小うるさい自殺者』の後、裏に入る直前くらいの二人ということで。
『自殺者』の頃になると、先生地図も見ずにキリコの家に行けるし、お互いの電話番号を交換しているようだしで色々妄想が膨らみます。
私、キリコ屋敷は依頼人からの贈り物だと固く信じているのです。
なんか彼、あまり儲けているようには見えない・・・