けいれんを起こす
オペが怖い。
特に気胸が。
初めての気胸患者はインターンで救急にいた時だった。
救急には、いろんな患者が運ばれてくる。
脳溢血や心筋梗塞、誤嚥や高熱、そして交通事故。
俺はすぐに頭角を出し、施術を担当するようになった。
本来ならインターンは単独でそんなことできないものだが、救急というのは時にまったく手が足りない。
オペが重なっているのに急患が来、ほかの病院で受け入れられなかったら俺がやるしかないじゃないか。
インターンの分際で強行した最初のオペはなんだったか忘れたけれど、後でこってり絞られたのは覚えている。
けれど何度か同じことが重なるうち、俺のオペは黙認され、それどころかかなり高度なオペも(面目を保つための「補助」が入ることはあったが)任せられるようになっていった。
あの気胸患者をオペするまでは。
その子は小学生だった。
確か4年だったと思うが、小さいほうらしく低学年にしか見えなかった。
交通事故。
重症で気胸を起こし絶え絶えの息の中、苦しみに涙を流しながら、小さく
「お母さん」
とうめいた。
その時だ、俺がけいれんという闇のトンネルに陥ったのは。
メスを握っているというのに、どうしても手の震えを止めることができなかった。
応援の先輩医師が来なければ俺は子供を死なせてしまっただろう。
それでも次のオペは何とかこなせた。
その次もOK。
その時のことを忘れそうになった頃、俺の手はまた急にけいれんを起こした。
だが、それは克服したのだ。
自分の力で。
医者の仕事は患者の痛みを共に感じることじゃない。
患者の痛みを取り除くには、相手に思いを馳せ過ぎてはだめだ。
患者と距離を取る、というと冷酷に聞こえるかもしれないが、外科医には必須の条件。
でないと相手にメスなんて突き立てられないじゃないか。
患者に寄り添い、痛みを分かち合うのは家族や周りの人間の仕事だ。
俺の仕事は、冷静に患者の病巣を取り除くこと。
確かに俺はオペの時、けいれんを起こしたことがある。
周囲の妬みや足の引っ張り合いもあり、たった数回のそれのおかげで医師免許を取ることができず、俺は闇の仕事に手を染めた。
今は頭までどっぷりだ。
けど、弁状気胸の患者なんていくらでもいる。
今まで何例だってやってのけた。
最初にけいれんを起こした患者が気胸だったから、なんとなく今でも苦手だけれど。
これは気胸のせいじゃない。
これは、あの男のせいだ。
いや、あの男なんかに心をかき乱された、俺のせいだ。
この間、ある病院に足を運んだ。
患者に執刀を懇願されたのだ。
もちろん病院側はいい顔をしなかったが、そこの医師の腕では心もとない難解な術式。
医師の不安が患者に伝わっての要望だったので、最後は病院の医師を名目上の執刀医にするということで和解した。
オペさえ出来れば、名前なんかどうでもいい。
さっさとオペをして金をもらい、とっとと裏口から帰ろうとして、あの男の姿を見た。
もしかしたら他人の空似かもしれない。
遠目に後ろ姿を見ただけだ。
でも、あんな銀髪、そこらにいるもんだろうか。
いや、よく考えると非常口の標識の薄い照り返しで見ただけなのだから、髪の毛の色なんてわからなかった。
ただ、奴だと感じただけだ。
感じたのに、俺はあの時のように奴の前に立ちはだかれなかった。
「あの患者が死んだ。親子もろとも死んだぞ!」
と叫ぶ医師の声。
狂ったように笑うあいつ。
そのことを思い出した途端、胸が押し込まれるように息が出来なくなった。
俺は事故の前後の記憶が少々あいまいだ。
大怪我で意識がおぼろげだった時期もあっただろうし、痛みもショックも大きかった。
子供でもあったから、自分のオペの詳細を知ったのは、実は本間先生が亡くなり、先生の診察記録を整理するようになってから。
それまでは自分が弁状気胸だったということすら知らなかった。
だが記憶がなくても、気胸の苦しみを体はしつこく覚えている。
あの時と同等の痛みが俺の胸を襲い、手に力が入らなくなってカバンがすり落ち、重い音を立てる。
息が出来ない。
肺が押しつぶされる。
苦しくて、苦しくて、苦しくて。
違う、これは気胸じゃない。
俺は今、五体満足だ。
苦しいのは、手がしびれるのは、過呼吸かなんかだ。
何度も心の中で繰り返し、落ち着こうと努める。
だが、奴を追いかけることは出来なかった。
本当にあいつなのかを確かめることすら。
あいつの前に立つ自信がなかった。
俺の中に自信がなかったから。
悩んでいた矢先、手塚からオペの依頼があった。
難しくはない。
ただの弁状気胸。
なのに、オペをしようとしたら手がけいれんして止まらなくなった。
オペは交代だ。
あれが気胸でさえなければ、普通に出来たかもしれない。
だがメスを手にした途端、患者が事故で亡くなった時の無力感と事故に遭った時の恐ろしい体験が蘇り、手がけいれんしてオペできなくなった。
落ち着こうと入った喫茶店でも手の震えは収まらず、カップすら持てない。
次のオペもその次のオペも、なぜか手が震えてしまう。
俺には切ることしかないのに。
切ることだけが俺の人生なのに。
そうだ、この灰色の人生の中、俺が高揚するのはオペの時だけだ。
メスを握り無我夢中で執刀する瞬間、その時だけ俺は悲しみも怒りも復讐もすべてを忘れて己の腕だけに命をかける。
無我の一瞬。
その恍惚。
だが、患者は死んだ。
あの時狂ったように笑った男の声。
自分が生きるために、と俺は言った。
俺にはあの男の哄笑に対する答えがない。
これは罰なのか。
俺の慢心への罰なのか。
そんな時、山田野先生から電話があった。
俺に至急会いたいと言う。
行くと、気胸のオペを頼まれた。
何とか辞退しようとしたが、先生は強引だった。
気の進まないまま手術の支度をし、隣には先生がいらっしゃるんだから、もしけいれんを起こしても、最悪の場合先生が交代してくださるんだから、と心の中で唱えながら執刀を始める。
怖い。
けど、これはチャンスかもしれない。
俺が失敗しても交代がいる。
そんな状態なら、ほら、普段ほど手は震えない。
「ウーッ」
突然のうめき声に驚いて振り向くと、先生が倒れていた。
持病の心臓発作って、まさかこんな時に。
先生の応急処置を、だがオペはどうする。
ああ、俺一人でなんて、もう、とても。
その時先生に叱咤された。
「ほっとくと患者は死ぬぞ。きみひとりでやるのだっ。さあやりたまえっ」
声に頬を張られた気分で患者に向かう。
そうだ、俺しかいない。
今、目の前の患者を救えるのは俺だけだ。
それでも手に迷いがあるのを見透かされたのか
「もし患者が死にでもしたら、わしは君を訴えてやるぞ。ろくでなしのドシロウトとしてな」
と先生がわめく。
くそっ。
ドシロウトかっ。
けど、確かにこんな手つきじゃドシロウトと呼ばれても仕方ない。
こんなのろまな手つきじゃあ、開胸部分が店内をぐるぐる回る回転寿司みたいに乾いちまう。
そんなことにさせてたまるか。
無我夢中の感覚の感覚が戻ってくる。
ああ、そうだ。
俺は俺が救えると思うからオペをするのだ。
ほかの人間なら無理でも、俺ならできると思うからオペしてきたんだ。
人間は死ぬときには死ぬ。
それはそうだ。
時にオペは賭けだ。
けど、俺ならできるかもしれないなら、手を出したっていいじゃないか。
最後まであがくからこそ助かる命も絶対あるのだ。
俺だってそんな命だったのだから。
オペが終わり振り向くと、発作を起こしていたはずの先生がむっくり起き上がった。
俺を心配して下さっていたんだ、と気づいた時、心の底から喜びが湧いてきた。
俺の人生は灰色ばかりじゃなかった。
忘れてしまっていただけで、こんないい先生がいた。
闇稼業の俺を、こんなに心配してくれる人がいたんだ。
久々に晴れ晴れとした気分で病院を出ると、空が青かった。
次にあの男を見かけても、もう足はすくまないだろうと思った。
160001のニアピンリクは「『けいれん』でキリジャ」でした。
『けいれん』はチャンピオン掲載順では『二人の黒い医者』と『弁があった』の間に位置する話なので、二人の関係はその時点のものです。
山田野先生はけいれんの原因を事故の時の弁状気胸のせいと推測なさっていますが、天下のBJが今まで気胸のたびにこんな状態に陥っているはずあるまいという思いから妄想させていただきました。
160001のあなた様、妄想渦巻くリクエストをどうもありがとうございました。