満腹感

情報屋

 

 

「先生、久しぶり。あんたが気になりそうな情報があるんだが、買うかい」

受話器から気障ったらしい声が聞こえてくる。

いんこ。

この男とはそれなりに長いが、いつになってもうさんくさい奴だ。

 

この男と出会ったのは無免許医になった頃だから、もう何年になるだろう。

今でこそ無免許医はほぼいないが、昔は全くいないわけじゃなかった。

政府や医師会が「保険医を利用しよう」と躍起になって宣伝していたのがいい証拠だ。

政府の定める保険制度に反旗を揚げて医師免許をはく奪された硬骨漢もいたという。

多分今でも過疎地の無医村なら、腕さえあれば大歓迎されることだろうが。

 

俺も崖の上のあの家で、そんな無免許医になるつもりだった。

いろいろあって俺の医師人生は最初から躓き、もう無免許医になるしかなかったのだ。

かといって、過疎地で細々暮らすのは嫌だった。

俺は復讐のため金を必要としていたし、情報を得るためにはせめて関東にいたかった。

 

とはいっても看板を出すわけでもない俺のところになど、依頼が来るはずはない。

シャチ相手に医療の真似事をしていた俺は、貯蓄がなくなるのが先か、俺の腕が売れるのが先かと毎日焦燥を抱えていた。

当時でも自分の腕にそれなりの自信があったから、例えば出先で事故でも起こればこの手腕を見せることができるのに、どこかに患者が落ちてないか、なんて物騒なことを、用事で駅前に行くたびに思っていた。

ひとたび患者が来れば、口づてに来る人もあるだろう、なんて。

 

そんな時にやってきたのが、この男だった。

おかっぱのかつらに妙なサングラスをした気障なしぐさのこいつは

「俺は情報屋だ。腕のいい外科医を探している。患者は少々後ろ暗い職業のやつなんで、正規の医師では困るんだ。あんたが将来を嘱望されていたこと、医師免許をはく奪されたって噂を聞いたんで、依頼を受けはしないかと聞きに来た。ただし金は破格だが、手術が失敗したら俺もあんたも消されるだろうから、受けるかどうかは慎重に考えてほしいね」

と数枚のレントゲン写真を机に放った。

うさん臭すぎる話だったが、その時の俺は破れかぶれの気持ちだった。

数多の挫折で、俺に残っているのは復讐くらい。

いつ死んだって悲しむ人などいないのだ、ここで消されたって構いはしない。

 

熟練の医師でも尻込みする難手術をこなしたことで、俺は裏の世界でそれなりの評価を得たらしい。

いんこはそれから数件の依頼の橋渡しをし、そのあと俺自身が直接依頼を受けるようになると、今度は俺に情報を売るようになった。

うさん臭い依頼の背景を、奴は驚くほどよく知っていた。

また国内未承認の薬品類も、ヘリや爆発物ですら奴に頼めばほぼ間違いなく手に入れることができる。

情報も。

かといって、どこかの組織に属しているのでもないらしい。

値段が高いのが玉にきずだが、その分垂れ込みの心配もない。

安心できる相手ではないが、それなりに信頼のおける男だ。

 

「またふんだくるつもりか」

と答えつつ催促した、情報は驚くべきものだった。

うちからかなり離れた場所で、ピノコらしい子供を見た奴がいるというのだ。

「もちろん他人の空似の可能性もあるけど、頭に赤くて大きなリボンを4つってのは余りないから一応ね。先生のお嬢ちゃんは今、どこにいる?」

と聞かれ、慌てて時計を見るともう夕方だ。

確か2時ごろ

「夕飯のお買い物行ってくる」

と言ったきり声を聞いてない。

「見たのは○という組織の関係者の家の前らしいぞ」

と言われて、用件の見当がついた。

先日断ったオペの再要請か、見せしめ。

見せしめでないことを願う。

 

だって、患者本人に生きる気が無いのだ。

生きる執着が無ければオペの成功率は下がる。

それは難手術であればあるほどそうだ。

ほんのちょっとの気力の差が、人の生死を分けることもある。

以前、生き延びたらまた戦場にやられるから、と使ってはいけない麻酔を注射して自殺した若者がいた。

今回の御曹司も、助かっても組織の跡取りになるだけだから死にたいのだ。

「もしオペを受けさせたいなら、息子さんを自由にしてやるんですな」

と言ったが聞き入れられなかったので、蹴った依頼。

寿命を削って難手術をして、直後に自殺されるなんてこりごりだと思ったのだが。

 

「じゃあコンタクトが来るかもしれないね。もし見せしめが心配なら、特別料金で○との橋渡しを斡旋するよ。もちろんその時はオペをすると確約してもらわないといけないけどね」

と持ちかけられ

「頼む」

と言いかけたが、受話器と逆の耳に手を添えて

(かけなおせと言え)

と吹き込まれた声を捉え

5分考えさせてくれ」

と言って切り、体を振って耳を取り戻す。

「漏れ聞いただけだが、何か変じゃないか。よかったら詳しく聞かせてくれないか」

という男はキリコ。

この男、この頃ふらりとうちに来る。

多分今日は成田からの直行だ。

肌から異国の香りがしたから、外国帰りなのだろう。

どこでどんな仕事をしていたかぎゅうぎゅう絞るつもりだったが、今はそんな場合じゃない。

 

いんこの話を順序立てて説明するうち、俺もその奇妙さに気が付いた。

これ、何だかおかしくないか。

相手にとってだけずいぶん割がいい話になっている。

大体こんな風に都合よく誘拐されたピノコを見かけるものだろうか。

俺だったらもし誘拐なんてしたら、目撃者が出ないようによくよく周りに気をつける。

元から張っていたなら別だけど。

 

いんこは一匹狼だが、多様な依頼を受ける。

俺だけがあいつの客の訳はない。

 

タイミングよく鳴った電話に出

「お前さん、まさか相手だけじゃなく俺からも二重取りするつもりじゃないだろうな」

とかまをかける。

この誘拐は狂言臭いと思ったのだが

「おや、ばれたか」

とまったく悪びれないところ、天晴れな男だ。

 

「実は先方から先生をどうしても指名したいって相談を受けていたんだ。勿論こんな予定じゃなかったけど、先走ってお嬢ちゃんを誘拐した輩がいてね。こんなことしても先生には逆効果だって言ったら、話をこじらせずに何とかして欲しいと泣きつかれたんだ。

けど、先生相変わらず鋭いね。次に何か情報があったらタダにするから、今回の依頼は前向きに考えてくれないかい」

という図々しすぎる提案などすぐさま蹴り飛ばしたかった。

が、ピノコが相手のもとにいるのは変わらない。

こいつが噛んでいるからこそ、彼女の無事が保障されるのだ。

「最初に先方に言った通り、患者に生きる気が無い限り無理だ。彼を自由に生きられるように画策しろ。ついでにピノコに何か不自由をさせたら、その時点で依頼はなしだと言っておけ。その点を違えたらお前さんの責任にするぜ」

と言って電話を切り、外出の準備をする。

「受けるのか」

と問うキリコに

「奴が絡めばこっちの要求もかなえられるからな。自由になれると知れば患者も前向きになるだろう」

と答える。

難手術と言っても今までに何度か手がけたことのある症例だ。

術後のリハビリがかなり必要だが、本人にやる気さえ出てくれれば。

 

「ふむ、俺の予定が一つ消えたな。せっかく日本に帰ってきたのは無駄足か。ま、現場でお前さんとかち合うよりましか」

手帳を引っ張り出して何やら線で消す男に絶句する。

聞き捨てならないことを聞いてしまった。

だが胸元を掴んだ途端電話が鳴る。

多分、いんこから。

 

俺の手から逃れた男は、癇に障るにやり笑いをすると

「邪魔したな」

と出ていった。

今度会ったら今日の分までとっちめてやろう。

 

 

すべてが終わった後、俺は身近のいんこをとっちめることにした。

と言っても、金銭的なとっちめ方はだめだ。

次回の情報料がその分上乗せされるだけに決まっているので、今後数回の情報料をタダにすることで手を打つ。

ピノコに実害はなかったし(それどころか拘束中はごちそうとデザート食べ放題、マンガとテレビ見放題にゲームと遊び相手のお姉さんまでいて結構快適だったらしい)こちらの言い分がほぼかなったからだ。

結局患者のしがらみをなくすことはできなかった。

だが政略結婚でなく好いた女と連れ添えることになったので、生きる気力がわいたらしい。

患者は俺にはそんなこと、何も言っていなかったのに。

 

後日、キリコと俺がバーで酒を飲んでいると

「この姿を病人のみなさんに見せてやりたいね」

と言いながらいんこが席に割り込んできた。

「病室ではあんなに侃侃諤諤言い合っているのに、プライベートじゃ静かなバーでしっぽりなんだから」

と軽口をたたく男に

「変装と芝居と光物好きが高じて情報屋になった男に言われたくないね」

と返す。

妙なサングラスで表情を隠す男は軽く肩をすくめただけで飲みだした。

 

一通り差し障りない話をしているうち、なれそめの話になった。

と言っても、俺といんこだ。

たかが首になった1インターンのことを、なぜいんこは知っていたのだろう。

 

「実はあんたがインターンだった時、知り合いが救急で世話になっていたんだ」

といんこが言った。

「舞台事故で足がぐちゃぐちゃになった時にね。担当になったあんたの先輩医師に、他の奴が執刀医だったらこんなに完璧に治すことはできなかったと言われたらしいよ。。粉砕骨折だったのに、元通り歩けるようになるなんて奇跡だって。お蔭さんでその男、ロングランは無理でも代打ちの役者としてそこそこやっているらしいぜ」

俺は眼だけでいんこを見た。

キリコが顔も上げずにいんこと俺を注視したのがわかった。

いんこの妙なサングラス越しじゃあ表情なんかつかめやしない。

この男の食えなさ加減はキリコと張る。

 

「とりあえず俺達の次の1杯はいんこ、お前さんがおごれ」

そう言うと俺はこのバーで一番高い酒を3杯、バーテンに注文した。

 

 

 

 

「DSゲームのいんこがらみの話」を神無月様とT様からリクエストいただきました。

神無月様からはピノコが誘拐されて、なんてのはどうか、T様には腐れ縁的な関係のいんことBJのお話で2人の密会かオリジナルキャラクターの出てくる話、とのことでしたが、私はいんこがらみの設定の話にはヒロインにキリコ(攻)を入れないと気が済まないので、なんだかカオスな話になりました。

神無月様、T様、遅くなってどうもすみません。

ご覧くださり、ありがとうございました。