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ひとりぼっち

 

 

おれはタローという。

ペカンベの丘にひとりで住んでいる。

おれの住んでいるところは食料に乏しく、なかなか腹いっぱいにはならないけれど、時々奥山に行くことはあっても腹がくちくなるとまた戻る。

ここがおれの場所なのだ。

 

小さい頃のことはよく覚えていない。

ただ大きくて大好きなひとがいたことは覚えている。

ある時「だーん」と大きくて怖い音がした。

それからツーンとする嫌な匂いと血の匂いがした。

おれは怖くて大好きなひとに

「逃げよう」

って何度も鼻をこすりつけたのに、そのひとは全然動いてくれなかった。

どうしたらいいかわからなくてくんくん鳴いていたら、大きな手に首を掴まれた。

手からはツーンとするすごく嫌な匂いがした。

 

それからおれはしばらく泣いていたけど、知らない人たちがご飯をくれた。

ご飯をくれる人達からはあのツーンとする嫌な匂いはしなかった。

大好きなひとがなめるみたいに撫でてくれる人もいた。

おっぱいみたいに甘い、ヨーグルトももらった。

首に紐をつけられたから余り動けなかったけど、おいしいものをたくさんもらっておれは嬉しかった。

でもおれはみんなより大きくなりすぎたらしい。

ある日ペカンベの丘に戻された。

 

寂しかったけど、しばらくするとおれは紐がない生活のすばらしさを思い出した。

昆虫や木の実のおいしさも。

だが食べ物の多い奥山に行くとこわいクマたちがいて、おれにうなりかかってきた。

形は大好きだったあのひとに似ていたのに、おれはいつもいじめられた。

おれはクマの皮をかぶったヒトだというのだ。

だからおれは大急ぎでたくさん食べて、脂肪がつくとまたペカンベの丘に戻る。

そして食べ物を探したり、だれか来ないか見て回ったりする。

 

人が来ると嬉しいけれど、うかつに近づいちゃいけない。

おれは人でもないらしい。

おれも「だーん」にやられたことがある。

すごく痛くてすごく苦しくて、冬眠が終わった時より身動きが取れなくて、このまま目をつぶったらそれっきりなんだろうと思った。

なのにおれは目を開けられた。

 

そこはすごく奇妙な匂いがした。

なんだか舌がピリッとするような匂いだ。

鼻が変になりそうな奇妙な匂いが最初は嫌でたまらなかった。

けど、その匂いがおれの目を開けさせてくれたんだとすぐにわかった。

そこには白い皮を着た小さい人がいた。

その人がそばに来ると、傷を触られてすごく痛い。

でも、そのあとスーッと痛みが消えて楽になるし、頭や身体をなでてくれるのがすごく気持ちよくて、おれはその匂いが大好きになった。

白い皮も。

きっとこの白い皮は、人の皮をかぶったクマなのだ。

 

その日おれは腹が減っていた。

ペカンベの丘は木の実も虫もほとんどいない。

この間奥山に行った時は食べ始めてすぐにクマに見つかってしまったので、余りたくさん食べられなかった。

おれたちは普段、木の実とか虫を好んで食べるが、本当に腹が減れば何でも食べる。

魚とか、動物の死骸とか、弱った動物をしとめたりもする。

おれは狩が下手だから、冬の間に死んだ奴とか、怪我した奴くらいしか食べたことがないけれど。

 

突然

「うわァァァァ」

という声の後にバシン、ドスッという音がした。

ちょっと先の岩の割れ目のほうだ。

もしかして、間抜けな鹿でも落ちてくれたんだろうか。

何でもいいから食べ物だったらいいな。

足場を探して割れ目の下に降りると、血の匂いがする。

やった、動物だ。

しかも手負いだ。

喜び勇んで獲物に近づくと、それは黒い皮の獣だった。

息はあるようだが、おれが近づいても身動きしない。

どこから食べようかな。

そう思いながら数歩近づいて、懐かしい匂いに気がついた。

鼻が痛くなりそうなピリッとする匂いだ。

 

獣の顔を舐める。

ピリッとした、あの独特の匂いと味がした。

口元からは、大好きだった白い皮が漂わせていたヤニの味がする。

懐かしくてなつかしくて匂いがなくなるまで顔を舐め、それから皮を引っ張ってみた。

動く。

 

この黒い皮は、きっとあの白い皮の仲間だ。

怪我をしたなら白い皮に持っていこう。

腹が減っていたのは、もう忘れていた。

だっておれの大好きな匂いだったから。

 

白い皮が

「もう来ちゃ駄目だぞ」

と言ったからずっと行かなかったけど、どう行けばいいかはちゃんと知っていた。

引きずっている内に黒い皮は気絶していたけど、死んでないのはわかっていた。

途中で死んじゃっていたら食べてもいいかなと思ったから、ちょっと残念だ。

だけど、生きているほうが白い皮も喜ぶだろう。

電柱にぶつかって合図をして、白い皮の声を聞いて、満足して丘に帰った。

来ちゃだめだと言われているから、姿は見せられない。

 

しばらくして、丘がざわざわし始めた。

こんなこと、小さかった時以来だ。

もしかして、また遊んでもらえるんだろうか。

胸をときめかせて藪から顔を出すと、みんながワーッと逃げていった。

がっかりしているとしゅっと音がしてどこかがちくっとした。

 

それからおれは檻に入っていろんなところに連れていかれた。

騒がしいところも、そんなにうるさくないところもあった。

他のクマと一緒になることもあったが、まだ打ち解ける暇もないうちにまたどこかに連れて行かれた。

人のくれるご飯はごちそうだったけど、そればかりだといつもの虫や木の実が懐かしくなった。

誰も撫でてくれなかったし。

それでも誰かがおれに話しかけてくれるのは嬉しかった。

だから丸くてつるつるしたのに乗れと言われても頑張ったんだけど、急に胸が痛くなった。

 

気がつくと、おれの体からあのピリッとした懐かしい匂いがした。

傍らには黒い皮の獣がいて、おれの毛並みを撫でていた。

ごとごと音がする。

ガソリンの匂い。

またどこかに行くんだろう。

今度はどんなところだろうか。

 

ばたんと音がしてドアが開き、外の匂いが入ってきた。

懐かしい匂いを嗅いだ気がして、目を開ける。

まぶしくて余り見えないけど、この匂いはペカンベの丘だ。

黒い皮がおれに何か話している。

おれの行きたいところを知っていたんだろうか。

こいつもきっとヒトの中のクマなんだな。

 

いい匂いだ。

小さい木がたくさん植わっている。

こいつは食えそうにないけど、もうちょっと登れば朽木がある。

その中には丸々した虫がたっぷりいるだろう。

 

おれは外に向かってそろそろと歩き出した。