インフレ・デフレ

(中)

 

 

5階は宇宙の広がりを探るスペースだった。

宇宙船の中をイメージしたつくりで、隕石を持ち上げたり、惑星ごとの重力をイメージするため各惑星ごとの5キロの重さを持ち上げたり。

まあ園児にはそんな理屈より、自分で触って動かせることのほうが重要なのだが。

それなりにあるスペースにばらばらっと散らばった園児たちは、興味しんしんで様々な展示を試し始める。

ピノコも俺なんて見向きもせず、手近な展示に夢中だ。

ちょっと寂しい。

 

「で、お前さんは遠足の付き添いか何かか? なんか親の数が少ないような気がするが」

はっ。

なぜか横に来た男がそんな俺の顔を面白そうに覗いてニヤニヤしている。

「引率の手伝いだ。ピノコの幼稚園は基本的に遠足は子供だけなんだが、ここだけは何人か引率がいるらしくて、今年の仕事はこれにあたったんだ」

そう言ううちにも

「トイレ行きたい」

とズボンを引っ張る子がいて、あわててトイレを探す羽目になる。

戻ると今度は別の子が

「僕もトイレ」

「僕も」

「私も」。

 

端にあるトイレの前で入る子と出てくる子の数を数えながらピノコを目で追うと、二人ほどの園児と展示を動かしながら笑っている。

ほかの子を手招きしてもう一度スイッチを押し、今度はほかの子の手招きで別の展示に移動して。

転園する前のほかの幼稚園ではぽつんと一人きりだったあの子も、ずいぶん集団に溶け込めるようになった。

成長したんだなあ、としみじみしていると

「とろけそうな顔しているぞ」

と横でぼそりとつぶやかれた。

いつの間に。

「お前さん、先生が下の階に行くってさっきから言っているじゃないか。まだトイレに入っている子がいるのか?」

と聞かれ、途中から子供の数を数えていなかったのに気づく。

大慌てで中を覗くと、とっくのとうに中は空になっていた。

 

4階は目の錯覚や色の不思議を試す部屋だ。

白と黒だけのコマをまわすとなぜか虹みたいな色が見えたり、光の3原色と色の3原色を試す展示があったり、色付きの光を通すとほかの色が別物に見えるのを確かめる部屋なんかがある。

ここでも俺はトイレの付き添いに駆られそうになったが、なぜかキリコの奴が付き添ってくれたので少しだけピノコのお供をすることができた。

「これしたい」

と彼女が並んだのは、背景が白の変な場所だ。

足元に丸い線が引いてあり、この中でジャンプしたりしゃがんだりすると目の前の大スクリーンの中ではスペーススケボーみたいなのに乗った俺達がそれに見合った動きをする。

画面の中には隕石などの障害があるので、それをうまくよけながらゴールまで進むのだ。

方向などは体の傾きで変えられるので、気が付くと一人で百面相する羽目になる。

ああ、体がよじれた。

「移動しますよ」

の先生の呼びかけが救いの女神だ。

 

なぜか3階を追い越して2階へ。

ぎらぎらした目で

「ここは行かないの?」

と言う子供達に

「ご飯を食べてからね」

と先生が優しく諭す。

と言うことは昼食後もまだあるのか。

すでに3時間くらいはオペを続けている気分なのだが。

 

2階は化学実験のコーナーだ。

白衣を着た「ハカセ」が静電気や磁石の実験をする。

塩ビパイプを毛織物できゅきゅきゅっとこすり上げたものを

「はい持って」

と渡され、

「落とさないでね」

と荷造りテープの端を結んで細かく裂いたものをこすってからふわっと乗せられた。

それはクラゲかタコかケセランパサランのように風船の上をふわふわ舞い、落ちかけたところをうまく掬うと反発するようにまた舞い上がる。

おお、これは面白い。

「ワア、いいなあ」

「すごーい」

と子供らが賞賛の眼で迫ってくる。

なんだか尻がむずむずする思いだ。

「あったり前でしょ、ピノコの先生、何でもできるんだから」

となぜか鼻高々のピノコよ、多分これはそんなにテクニックはいらないぞ。

ほら、ハカセが失笑している。

 

ま、数種類の実験は幼稚園児でなくても十分楽しめるものだった。

雷を製造する装置なんか迫力十分で面白かったし、砂鉄をスライムの中に混ぜた黒い物体は、SFXの怪獣もかくや、の不気味な動きを見せた。

園長先生が

「これなら園でも作れますね」

としきりにうなずいていたが、これ、知らない人間が見たらかなり不気味だぞ。

ふいに来た保護者が見て失神しないといいんだが。

 

次は昼飯。

本来は外の公園で弁当を広げるはずだったらしいが、あいにくの雨のせいで地下の休憩室にぎゅうぎゅうにつめて座り、弁当を開く。

と言っても、俺とピノコは俺の作ったいびつなおにぎりだけなのだが。

せめてピノコの近くならいいが、俺はほかの保護者と一緒の隔離席だ。

両脇と前3人の女性に囲まれ、キリコでもいいからほかに男は、と見回したがキリコの奴、同じフロアの奥の食堂で優雅に何か食べてやがる。

そういえばあいつは引率じゃないから弁当なんてなかったんだっけ。

ほかの唯一の男の園長先生は園児達に囲まれてニコニコしているし、周りのお母さん方は

「やっと座れるわー」

「あたしお腹ぺこぺこ」

なんて笑っている。

 

逃げることもできずにラップにくるんだおにぎりを3つほどテーブルにごろんと転がし、黙々と食べ始める。

一瞬シーンとしたのは、やはり

「これだから男親だけなのは」

というやつだろうか。

とひがみ根性が出そうになったが、皆さんが出したのもやはりおにぎりだけだった。

「ピノコパパさん、自作? すごーい。やっぱり手が大きいのねえ」

なんていいながら隣の人が出したおにぎりも、俺のと同じくらいでかい。

「ここの園は、遠足の弁当はおにぎりのみだから楽でいいわよねえ」

と言うのを聞いて子供らを見ると、確かにみんなおにぎりばかりだ。

なあんだ、ピノコがべそべそ泣くからみんな気合の入ったすごい弁当作ってくるんだと思っていたけど、そうじゃないんだ。

ほっとして改めてかぶりつくおにぎりはちょっとしょっぱかったが、まあこのくらいなら許容範囲のうちだろう。

 

しばらくすると、お母さん方がカメラを片手に動き出した。

自分のクラスに行き、園児達の写真をぱちぱち撮りまくっている。

「ピノコちゃんパパ、カメラ持ってこなかったの? じゃあ私がピノコちゃんのかわいいところを撮っておいてあげるわね。いいのよ、みんなにも頼まれているんだから」

と同じクラスのお母さんもおっとり刀で歩き、おにぎりやおやつを食べたりカメラにポーズしたりする子供たちを写している。

そうか、いつも遠足の写真なんてないから、みんなこれを楽しみに引率するんだな。

もしかして、これも暗黙の引率の仕事だったんだろうか。

ピノコもお菓子は昨日のうちに買ってあったので、みんなと交換して食べられたようだ。

ミミズみたいなグミとかタバコの形のラムネとか、俺だったら選ばないようなお菓子をきゃあきゃあ言いながら分け合っていた。

 

「さて、みんなおなかいっぱいになったかな。じゃあこれからお楽しみの3階に行きます。時間は1時間。時計の長い針がぐるっと1周するまでです。他の階には行かないで、先生が時間だよって言ったらすぐに2列に並ぶこと。いいかな、みんなお約束できるかな」

園長先生の言葉に、みんな一斉にうなずく。

「はーい」

「できるよ」

立ち上がって手を挙げる子を見たピノコが椅子の上に登って手を挙げた。

立ち上がっていた子はテーブルの上に登ろうとしたが、近くの子に

「駄目だよ」

と言われてすごすご降りる。

大喜びで勝利の尻ふりダンスをするピノコ。

こういうところでオテンバするあたり、ピノコはピノコだ。

「ピノコちゃん、元気ね」

と言われ

「はは…」

と乾いた笑いをもらすしかない。

「ピノコちゃん、みんな行っちゃうよ」

と友達に言われてピノコの奴、あわてて靴を履いていた。