俺はC国にいた。
オペは成功。
報酬を受け取り、屋敷を出る。
「今日は町でデモがあるらしいですよ。そのまま空港に行った方がいいのでは」
呼んでくれたタクシーの前で話す主人に
「荷物があるので一度ホテルに戻らないと」
と言いつつ握手を交わす。
タクシーの中で一息ついて煙草を出す。
「吸っていいかい」
とドライバーに煙草を見せると
「あんた、日本人かい」
と問われた。
手にあったのは日本を出る時、免税店で買ってきた日本煙草だった。
「そうだが」
と答えると、タクシーを止めて
「降りてくれないか」
と言う。
「俺をここで降ろしたら、さっきの金持ちは2度とお前のタクシーを使わないぞ」
と言うと少し弱気な顔になったが
「あんな日本製品ばかり使って日本人と付き合うような奴に乗ってもらわなくていいね」
と虚勢を張る。
「じゃあせめてほかの交通手段のあるところまで乗せてくれ。相場の倍払う」
と財布から札を1枚抜き取って渡すと
「3倍だ。日本人を乗せるとこっちにもとばっちりが来るかもしれない」
と言う。
「そんなに対日感情は悪くなっているのか。こっちに来た10日前はそこまでじゃなかったぞ」
と驚くと
「デモを政府が黙認したからな。一昨日あたりからどんどん過激になってきて、昨日はこの町でも日系デパートのガラスが割られたらしい。よその町ではデパートや工場で散々暴れ回った奴がいたらしいぜ。微博(ツイッター)を見てみろよ。そんな自慢がたくさん載ってるから。俺も時間があればいい思いをしたいくらいだぜ」
とため息をつく。
どうやら目の前にデパートの陳列品がちらついているらしい。
この国は驚異的な経済発展を遂げたけれど、日系のデパートを利用できるのなんてほんの一握りの特権階級だ。
労働者階級の彼はそこを出入りする金持ちを運ぶだけで、中で買い物などすることなどなかなかできないに違いない。
「やめといたほうがいいぞ。政府の方針なんてすぐ変わるもんだ。昨日デモが黙認されたって、今日はどうだかわからない。略奪なんて、初日はできても次の日は催涙弾を投げ込まれて散り散りになるのがオチさ」
と言うと
「ま、そうだがね。でも今日まで平気で催涙弾は明日かもしれないって思っている奴らは多いようだぜ」
と顎をしゃくる。
「ここで降りてくれ。ホテルまで行ってやろうと思ったけど、これ以上行けそうにない」
と言う男の前方は人の波だった。
どうやらデモに引っかかってしまったらしい。
当初よりチップを弾んでやると
「あんたはいい奴だから忠告するけど、1人でタクシーに乗るなよ。デモが終わるまで帰国を延期して、ホテルに閉じこもっていな。危ないぞ」
と言って去っていった。
今現在、日本とC国は緊張状態にある。
日本の馬鹿な政治家が、領土問題を蒸し返したのだ。
国境とはデリケートなものだ。
目に見えないものだから。
もし、その国境に線が引いてあり、水も魚もその線で反発するならわかりやすいが、そういうわけではない。
戦争のたびに国境線なんて変わるし、どの時点の条約が有効かという主張は泥仕合になりやすい。
お互いの主張は食い違うに決まっている。
だから能のある為政者は、国境問題には触れないものだ。
触れれば争いになるものだから。
触れなくてはならない時は、相手に逃げ場を作る。
何かしら、お互いにメンツが保たれる部分を作るのだ。
相手を完膚なきまでに叩き潰してはならない。
そんなことをしたら恨みを残すに決まっている。
なのに、小物は。
本当は大通りをそのまま歩いていけばホテルに着くのだが、群集心理は怖いもの。
俺が日本人だとばれたら、色々とまずいだろう。
少々遠回りだが、裏道を通ることにする。
普段からじろじろ見られることが多いが、今日は視線が突き刺さる。
ホテルが近づいたので大通りに戻ろうとしたところ
「おい」
と声をかけられた。
3人ほどに囲まれる。
「お前、C人じゃないな。日本人か」
と問われ、とっさに
「ネパール人だ」
と答える。
日本人とネパール人の区別は、他国人にはほとんどつかない。
だが
「ネパール人がそんな恰好、しているもんか。そのかばんはなんだ、C人のものを盗んだか」
と医療かばんを奪おうとする。
思わず鞄を奪い返した時、男を殴りつけてしまった。
周りがざわめく。
まずい。
踵を返して走る。
「待て」
と声がしたが、逃げ足には少々自信がある。
路地に入り、くねくねした道を潜り抜け、それなりに大きな通りに出る。
目の前に日系企業と、C国共産委員会の建物。
その手前にたくさんの人。
そこはデモの中心だった。
参加者は皆、普通の人たちだった。
普段着だったり、ちょっとした外出着だったり。
プラカードを持っている人もいたが、いない人の方が多かった。
パレードの見物のように周りで囃しながら見ている人もたくさんいた。
けど、1人が投石を始めると。
2、3の石がそれに続き、それはすぐに数を増やした。
ののしるものばかりではない。
便乗してストレス発散しているようなのも、競技のように楽しんでいるように見えるのもいる。
群集心理だ。
何かを拾っては投げつける。
しばらくしてガラスが割れると、大歓声が沸きあがった。
どこからか鉄パイプを持った男が現れてその穴を大きくしていく。
日系企業だけではない。
隣の共産委員会のフェンスをよじ登り、中の日本車の上に飛び降りるもの。
飛び跳ねてボンネットをへこませているもの。
武装警察が拡声器で何やら警告しているが、喧騒が激しくて何も聞こえない。
放水車がやってきて放水が始まったが、それでも群集の熱気は収まらない。
まるでお祭り騒ぎだ。
普段デモどころか集会すら禁止された人々が、「抗日」を免罪符に浮かれている。
いつもはかなわない自由を謳歌している。
と、どこかで「バン、ババン」と音がした。
もくもくと煙がわく。
わあ、ともぎゃあ、とも言えない悲鳴が続き、人が散り散りに逃げ出した。
催涙弾だ、と気づいた俺も走り出す。
風上に逃げようとしたのだが、人ごみにもまれ、小突かれ、ホテルからどんどん遠のいていく。
ちらりと振り向いた先で武装警察が逃げ遅れた群衆を小突き、拘束していくのが見えた。
気が付くと俺はどこかの路地にいた。
「いたい、いたい」
と目をこすりながらとめどなく涙と鼻水をたらす人が何人もいる。
「目をこするな。催涙剤は洗えば落ちる。顔と手をしっかり洗え。水道か、井戸はあるか」
と叫ぶと、近くのいくつかのドアがバタンと閉まった。
巻き込まれたくないのだろう。
他人に親切にしても、それを曲解されることもある。
だが
「こっちに水道がある」
「角に公衆トイレがあるわ」
という声も上がる。
たちまち押しかける人々。
並ぶという発想がないのは、最後まで水があるとは限らないという逼迫からか。
「助けて」
背後から弱い声がした。
「友達が怪我したんだ。頭を殴られた。だれか助けて」
見ると、頭を出血で真っ赤にした男を抱えるように支えた男が、周りに必死に訴えている。
だが群衆は遠巻きに見つめるだけ。
近づいて
「降ろせ。俺は医者だ」
と言い、傷口を見る。
ありがたいことに、患者の意識はあった。
ろれつもおかしくない。
頭蓋骨に陥没もなし。
頭の傷だから、出血が多いだけだ。
手近なドアをたたく。
「私は医者で、けが人がいる。水とタオルだけ恵んでくれ。礼は払う」
と言うと、3軒目でドアが開いた。
用心深く顔をのぞかせた男は何かを奥に叫ぶ。
奥方らしき女が洗面器になみなみ入った水と、黒っぽく変色した布数枚を持ってきてくれた。
傷口を洗い、周りの毛を少々剃り、消毒して縫合。
俺には朝飯前の仕事だ。
脳震盪を起こしているだろうからなるべく動かさない方がいいぞ、と言い置き、他に移る。
他に数人いたけが人の手当て終える頃には、人だかりもなくなっていた。
ここは基本的にデモ禁止の国だ。
今までは目こぼしがあったが、今日は弾圧があった。
拘束されれば、大変なことになる。
参加がわかれば反乱分子のリストに載るかもしれない。
その焦りが速やかな解散につながったのだろう。
洗面器と汚れてしまった布をまとめて奥方に返す。
1枚紙幣を添えて。
「こんなに」
と言いかけるのを、目で制す。
金があると知られるのは得策でないだろう。
ホテルに戻る途中に、さっきの3人組がいた。
1人の腕には真新しい包帯。
俺が作った怪我だと気付かないふりして、他のけが人と一緒に手当てしたのだ。
3人は俺を見ると目をそらし、俺なんて視界に入ってませんという顔をしながら、わざとらしく
「ネパール人は親切なんだな」
と声を張り上げて会話する。
かわいいもんだ。
うまく礼が言えない年頃なのだ。
そんな奴らとすれ違いざま
「日本だ」
とつぶやいてしまう俺の方が大人気ない。
翌日、ホテルにタクシーを頼むとスムーズに空港に行けた。
デモは規模を拡大してその日も盛んに行われたようだが、治安部隊が睨みを利かせるようになったので、昨日までのように無秩序な行動はできなくなったらしい。
日本への不満は結構だが、それが政府への不満になっては本末転倒。
すでに操作されたデモなのだ。
情勢が変わった時、デモの参加者が反乱分子とみなされなければいいのだが。
と言っても自由なはずの日本だって変らない。
きっとテレビは今、C国との領土問題ばかりを流しているだろうが、今一番の危機は原発のはずなのだ。
海外では日本政府の原発に対する姿勢に不安を抱いている。
4号炉の燃料棒は早急に処置しないと、大変なことになる。
もしまた地震でも起きたら日本は滅亡、北半球全体も甚大な被害をこうむるという試算もある。
それなのに今、東北以外で危機感を募らせる人々がどれだけいるか。
どれだけのニュースが出回っているか。
飛行機の下はもう日本のはずだったが、雲で覆われて何も見えなかった。