(下)
術後2度目のシャワーを使っていると、また奴が入ってきた。
「もう一人で大丈夫だぞ」
と言いつつ振り向いて後悔した。
今日の奴は何も着ていなかった。
医者の目でなく、男の目で俺を射抜いた。
なぜ動けないのだろう。
術後とはいえ、俺も男だ。
抵抗すれば逃げられないことはないはず。
なのに奴の目に押される。
「洗うだけだから、そんな顔するな」
と苦笑されたが、じゃあ何でお前のそれは元気な兆候を見せ始めているんだ。
そうわめくと
「そりゃあ楽しいからさ」
と石鹸をスポンジに泡立て、首や腕から洗ってきた。
この間と同じ手順のはずなのに、にやつかれながらされるとものすごくいやらしいことをされている気がしてくる。
この間はこんなに時間がかかったっけ。
確かにこの間も足指の間まで洗われたけれど、こんな風に下から覗かれると自分の無防備さを強調されるようで。
股間にふっと息を吹きかけられ、慌てて視線をそらす。
奴の目を見るのがいけない。
壁を見つつ感触を気にしないよう関係ないことを考えていたら、急に局部を握られた。
さっきまで跪いていたのに、いつの間に立ち上がったんだ。
もう片手でいやらしく触られ慌てて引き剥がそうとするが、急所を握られている男というのはある種生死を握られているようなもので、とても無力だ。
「洗うだけのはずだろう」
と言う声がかすれて、無様さが増す。
「洗うだけだ。どうせまだ腹の傷が痛くて起たないだろ」
と言う奴の顔は、いやに楽しそうだ。
顔をそむけると
「見ろよ」
とささやかれた。
「この間はこんな事したらすごかったろうに、今日はふにゃふにゃのままだな」
と言いつつ根元から丹念に洗っていく。
俺のはそのままなのに、触っていないはずの奴の方が反応し、呼吸と共にゆらゆら揺れる。
こいつは俺に興奮しているのだろうか。
それともこういういたぶる言動に興奮する奴なのだろうか。
「俺の、してくれよ」
と言われて、思わず顔を見た。
さっきまでのニヤニヤ笑いが消えた顔。
それが妙に真剣に見えて、とりあえず頬をつねってみる。
存外に伸びる頬を引っ張り切ってから放すと、いつものどすの効いた目になった。
わめく直前の口を、口でふさぐ。
舌を入れると、引き込まれた。
そのまま手を奴のものに誘導されるのに任す。
しごき始めると奴の舌が解け、ため息のようなくぐもった声がした。
気持ちよさそうな様子に、手の動きを早くする。
俺のものから手を放し、肩にかけてくるあいつ。
自分勝手な奴だが、今の俺はそのほうが気が楽だ。
心臓がものすごい勢いで鼓動を打つ。
こいつは俺の手に興奮している。
俺はまったくのヘテロで、野郎の物を触るなんて考えたくもないはずで。
でも今、俺はこいつの快感をなるべく引き出そうと懸命だ。
気持ちよさそうな顔を見たい。
もっと見たい。
もっともっと。
腹に勢いよくかけられてはっとした。
またこんなことをしてしまった。
いつの間にか体の石鹸が乾きかけて、腹の辺りとの差が激しくて。
めまいがし、腹を抱えて半ばうずくまる。
引きずり立たされてシャワーをかけられ、そのままベッドへ。
俺を布団でくるんでから自身を洗いにシャワーに戻り、お湯を使う音がする。
俺は今、女の代わりでも便所でもいいから奴とかかわりたいと思っていなかったか。
そんなことしたら奴は完全に俺から興味をなくすだろうに。
これ以上自分を貶めてどうする。
激しい動きが止まり、中に出された。
ずるりと奴が体から出る。
抜いたら奴はむこうを向いた。
俺の存在を完全に無視した。
俺はどうしても声をかけられなくて、のろのろとベッドを降りる。
力を込めると、中からどろりと出てきた。
それが足を伝わる感触。
髪に触られた途端、飛び起きる。
腹の傷が引きつれ、うずくまる。
見上げると、奴が驚いた顔をしていた。
「触るな」
と言っているのは俺か。
自分の声が遠くで奴をなじっている。
暴れる俺の体。
自分で制御できない。
気がつくと俺はがたがた震えていて、奴が布団ごと俺を抱きしめていた。
髪をすく、優しい手。
「飯、用意しようか」
と言われ、うなずく。
俺はどうしてしまったんだろう。
こんな俺は、俺じゃない。
食事中、奴が俺のことを見ている気がしたが、無視した。
何か言われたら、またわめきそうな気がする。
俺は行為が嫌なんじゃない。
それが奴との距離を縮めるのなら何でもしたかった。
結果的にそれによって奴が遠のいてしまったのを思い出したくなかった。
だからその前後の感触だけを強く嫌悪するようになっていたのだ。
ふとしたときのフラッシュバック。
こういう感覚は覚えがある。
除隊後の不調。
あの時俺は家族から逃げ出した。
今度はこいつから逃げるのか。
奴とかかわりなく生きるのはむなしいだろう。
仕事は楽になる。
生活に支障なんてない。
でももう会えないと考えると、胸が締め付けられるような気がする。
いがみ合いでいいのだ。
邪魔されるのでいいのだ。
あいつに会うと、いつも悔しくて悲しくて自分のふがいなさを思い知らされる。
それでも俺が死に神でなく人間でいられる、ただ1本の線なのだ。
あいつがいなければ俺はもっと楽かもしれない。
でもそれはまやかしだ。
自分の間違い、ふがいなさを見せ付けられる分悔しいけれど、俺には奴が必要なのだ。
寝る時間になったのでベッドに入ると、奴が
「つめろよ」
と入ってきた。
一人用のベッドはひどく狭い。
なのに奴は毛布ごとぎりぎりと詰めてきて、ちゃっかり半分取ってしまった。
「狭い」
と言っても
「いいだろ」
と言ったきり。
仕方なく布団をかぶり、眠りの来るのを待っていたら、奴が
「起きてるか」
と話しかけてきた。
横を見ると、目が合った。
それと共に奴が体毎こっちを向き、俺にもそうするよう、促す。
近い視線に緊張していると、話し始めた。
「この間は悪かった。あんな風にするつもりじゃなかったのに、暴走した。正気に戻ってすぐ後悔したけれど、自己嫌悪でどうしても顔を見られなかった。」
ふと視線をそらし、また見つめてくる目。
「なあ、こんな風に一人で死のうとするな。俺は謝ることもできずにずっとお前を探さないといけないじゃないか。俺とお前は何度も会うんだ。会わないといけないんだ。でないと俺は驕っちまう。お前も基準が狂うだろう。」
俺の肩に手がかかる。
「お前と会うと俺は見境をなくすけど、会わなければ、きっともっとおかしくなる。だからどこかにいなくなったりするな。消えてしまわないでくれ」
掴まれた肩が痛い。
まるで放したら俺がどこかに行くというように。
手を上げて、奴の背中に回してみる。
強張った感触は、緊張しているせいか。
そっとなでてやると、ふっと背が緩んだ。
肩を掴んでいた手が背に移り、抱きしめられる。
それは溺れまいとしがみつく子供のように感じられた。
ああ、あの時もどこかに落ちていきそうなこいつを受け止めたいと思ったのだった。
毒は薬になれるだろうか。
俺と奴の正反対の毒は、お互いを中和できるだろうか。
例えそれが一時的にしても。
それから3日は凪ぎのように過ぎた。
最後の診察を終えると妹が来たので、3人で荷物をまとめてボートに乗った。
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